前田利家と徳川家康の関係!なぜ利家は警戒された?最後はどうなった?

前田利家と徳川家康!その関係、なぜ利家は警戒された?最後はどうなった?

前田利家と徳川家康!利家亡き後、前田家はどうなった??

ここでは前田利家の晩年の歴史や徳川家康との関係、利家亡き後の前田家について・・・なんかを解説しているわよ〜!


前田利家の遺言、行動に大名としての貫禄をしかと感じる事間違いなしっっ!

 

↓時系列で前田利家のお話が知りたい方はこちらから♪

@織田信長と前田利家!その関係や歴史、強さの秘密をゆるりと解説!

A前田利家の賤ヶ岳合戦!柴田勝家や豊臣秀吉との関係や仲について

 

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豊臣秀吉が前田利家によせる信頼の大きさ・・・

 

豊臣秀吉が天下人となり跡継ぎの秀頼が生まれると、前田利家は五大老の一人に任命されました。

 

五大老は豊臣政権の最高役職、秀吉がもっとも信頼をよせる人物が選ばれたといいます。

 

 

その他メンバーは徳川家康、上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家だぞ


 

秀吉はとにかく、自分の死後、豊臣家の行く末を案じておりました。…というのも、農民から成り上がった秀吉には、先祖代々仕える家臣がいないからです。

 

自分がいなくなった後、心から豊臣家や秀頼の為に尽くしてくれる家臣は誰なのか??といった時、信頼できるのは限られてくるのです。

 

そんな中、秀吉が一番信頼をよせていたのが他でもない前田利家でした。

 

秀吉の死後、前田利家は

 

 

ワシが死んだら利家は大阪城へ入ってね。秀頼の面倒をよーく見てやってね。頼んだよ。


 

という遺言に従って大阪城へ入城。

正月には秀頼を抱いて祝いの席に着席、名だたる武将達から礼を受けたといいます。

 

 

これって秀吉の代役だし、なんだか天下人みたい・・・!


 

徳川家康が前田利家を警戒していたのはなぜ?その理由とは?

 

秀吉の死後、徳川家康は手のひら返して天下を狙いに行きますが、前田利家の存命中は派手な行動を起こしてはおりません。

 

前田利家は豊臣秀吉の親友、秀吉がとても信頼をよせていたのは周知の事実でした。そういったのもあり、前田利家は武将達からの信頼が抜群に厚かったのです。

 

それに加えて秀吉が「利家は律義者」と評価するだけあって、その人柄もよくかなり慕われていたそうです。

 

【秀吉の死後の時点での石高ランキング】

1位 徳川家康・・・250万石
2位 毛利輝元・・・120万石
2位 上杉景勝・・・120万石
4位 前田利家・・・83万石
5位 伊達政宗・・・58万石
6位 宇喜多秀家・・・57万石
7位 島津義弘・・・56万石

 

石高だけでいうと前田利家より徳川家康や上杉景勝、毛利輝元のほうが高いのですが、多くの武将達から圧倒的に信頼され発言力を持っていたのが前田利家だったというわけです。

 

これだけ人望のある前田利家を怒らせたり、陥れるような事をすると多くの武将達は家康を非難し、利家の肩を持つ事になるのを家康は十分に理解していたのです。

 

 

そう、前田利家個人を恐れていたわけじゃあないのよ。


 

しかし、そんな状況にあっても家康は

 

 

政府の許可なしに大名同士で結婚しちゃダメ!


 

という遺言を無視して福島正則や加藤清正、伊達政宗などに徳川一族の人間と婚約させ勢力拡大をもくろんでいました。

 

 

これには利家も激おこ。みんな集合!これ許しちゃダメでしょう?!


 

 

そうだそうだ!


 

 

許しちゃいけない!


 

 

うん!家康討とうぜ!


 

利家サイドと家康サイドで戦になるかならないか・・・というくらいこの一件で揉めましたが、ひとまず家康が謝って事態は収束しております。

 

 

やっぱり前田利家が厄介。みんな利家の言う事聞くんだもんなぁ〜。


 

家康のストッパーとなっていた前田利家ですが、不幸にもこれからしばらくして病床に臥せることとなってしまいます。

 

これを聞いた徳川家康は利家の屋敷へお見舞いにいくのですが、迎えた前田利家は布団の中に鞘から抜いた刀を忍ばせていたなんていうエピソードがあるくらい家康の事を警戒していたようです。

 

 

ナンボほど信用されてないんや。


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前田利家の最後は病死。その後、前田家はどうなった??

 

1599年、前田利家の病状は回復することなく、62歳でこの世を去ることとなります。

 

前田利家は死の間際、前田家跡継ぎの長男・利長に

 

 

弟の利政は金沢に留め、お前は兵8000を連れて大阪に入り秀頼様をお守りするのだ。

 

何があってもお前は三年の間は加賀へ戻ってはダメだぞ。これから三年の間に絶対世の中が荒れるから。
もし謀反を起こす者がいたなら利政にも軍を率い上洛させるように。


 

…とこんな遺言を残しております。

徳川家康の名前は出ていませんが、「謀反を起こす者がいたら・・・」のくだりは明らかに徳川家康を警戒しているように思います。

 

そしてその予感通り、前田利家の死後、徳川家康はすぐまた秀吉の遺言や誓いを破って天下取りに打って出ます。

 

前田利長はというと、父・利家の遺言通り五大老の一人として秀頼の側で仕えていたのですが

 

 

いったん加賀に戻ったほうがいいんじゃない?


 

という徳川家康の勧めに従い、なぜか大阪を離れてアッサリと地元に帰国してしまいました。

 

これが運命の分かれ道。利長が帰国してすぐ、

 

 

加賀にいる前田利長が徳川家康の殺害を企んでいる


 

と謀反の疑いをかけられてしまい、徳川家康による前田征伐が行われる事になってしまったのです。

 

 

(豊臣家に忠実な有力大名の力を削ぐため、イチャモンつけて潰しにかかるのです!)


 

前田利長はこれを受けて一度は徳川家康と戦う姿勢を見せるのですが、他の大名達からの協力を得る事ができなかったので断念しました。

 

前田家だけでは戦に勝てる見込みが薄いからです。

 

なんとも屈辱的なことですが、利長は前田家を守る為に徳川家康に頭を下げて戦を回避する事に…。

 

結果的に、

 

 

母・前田まつを徳川に人質にだす&利常(後の前田家当主)をワシの孫・珠姫と結婚させる事!


 

という条件で和解に至りました。

 

これによって完全に前田家が徳川家の下につく形になってしまいました。後に起こった関ヶ原の戦いでも、前田家は東軍に与する事となります。

 

 

ワシの死後三年間は大阪を離れないように。


 

どこまで前田利家が未来を予測していたのかはわかりませんが、この遺言はめちゃくちゃ大切な言いつけだったんですね。

 

前田利家の遺言には、上に挙げた内容の他に

 

 

昔からの家臣は大切にするように。新参者の家臣は忠義もそのぶん薄い。お家が傾いた時、裏切りに走る者も多いから要注意。

 

戦をする際は必ず敵地へ攻め入るように。あの信長公も決して敵の侵入を許すことはなく、必ず敵地へ攻め入って戦をしていたからね。


 

・・・このような事も書かれていました。

先を見る目も正しいし、家臣や戦に関しても、長く戦国時代を生きてきたからこその的確なアドバイスなんでしょうね。

 

 

残念ながら息子・利長には、ワシほどのカリスマ性や先見の明がなかった・・・。


 

とは言っても、東軍についた前田家は関ヶ原の戦い後に加増され、加賀・能登・越中に120万石を越える大大名家となりました。

 

そして跡継ぎの前田利常の妻が家康の孫というのもあり、その後も前田家はかなり優遇されていたといいます。

 

徳川家康の下につく形にはなってしまいましたが、『加賀百万石』と誇らしげに謳われるように、前田家は日本有数の立派な大名家として生き残っていったのであります。

 

 

前田家的には結果オーライってやつなのかもね。


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