三成の大親友!大谷吉継の基本スペックや子供達の行方をゆるりと解説!

大谷吉継の基本スペックや子供達の行方をゆるりと解説!

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大谷吉継の基本スペックや子供達の行方をゆるりと解説!

大谷吉継といえば関ヶ原で石田三成の為に尽くし戦った『義の武将』!大勢いる戦国武将の中でも抜群の人気を誇る武将ね。


 

ここでは大谷吉継の基本情報や豊臣家での役割、吉継の子供たちのお話なんかをご紹介しているわよ~っ!

 

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大谷吉継ってどんな人?豊臣家ではどんな仕事をしていた?

 

大谷吉継は、出自について不明な事が多く、父親は誰か?どこで生まれたのか?いつ、どういった経緯で秀吉に仕えるようになったのか?といった事は明らかとなっていないそうです。

 

1559年、もしくは1565年生まれ
父親は九州の大友氏の家臣、もしくは近江の六角氏の家臣
秀吉が長浜城城主となった頃、石田三成の仲介で小姓となった

 

と、このような説があります。

 

 

1559年生まれで近江出身なら、三成と同年代だし出身地も同じ!


 

1583年、賤ケ岳の戦いでは兵を率いて戦場に立つ事もあったようですが、思うような成果は上げられず・・・。

 

武勇に関しては加藤清正や福島正則ら同世代の同僚と差がついてしまったようです。

 

それからは奉行一筋。検地や財政面でのお仕事の他、戦の計画を立てたり、必要な物資や兵糧の手配などの任務を担当するようになりました。

 

大谷吉継は石田三成同様、豊臣家の有能な官僚でありましたが、豊臣秀吉に

 

 

大谷吉継に100万の兵を与えて自由に指揮させてみたい!


 

と言わせるぐらいなので軍略家としても有能だったようです。(しかし、どういったところでそう評価されたのか具体的なエピソードは残ってないっぽい。)

 

大谷吉継の最盛期の所領は越前の敦賀に5万石、才能があるにもかかわらず5万石の大名にとどまっているのは、病気の悪化により不自由する事が多くなり、徐々に政権の中心から離れていったからだそうです。

※大谷吉継は『らい病』という皮膚や末梢神経に支障がおきる感染症に侵されていたと言われている。関ヶ原の戦いの頃には、歩くのも困難な状態で目も不自由な状態だったそう。

 

賤ケ岳の戦いや、北条征伐での忍城水攻めなんかに参加していたので元気な頃は戦場でも活躍していた模様。

 

しかし、誠実な仕事っぷりで主君や武将達からの信頼は厚く、人望は抜群にあった模様。

 

関ヶ原の戦いも大谷吉継の働きがあったからこそ、西軍は沢山の武将達の協力を得る事ができたし、徳川家康と対等に戦う事ができたのであります!

 

 

関ヶ原での吉継の功績はでかいぞ。詳しくは後程・・・!


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大谷吉継と真田幸村の関係は?吉継の死後、息子や娘たちは・・・

 

大谷吉継は知名度抜群の人気武将ですが意外にも、妻の名前や側室がいたのかどうか・・・という事は不明なんだそうです。

 

分かっているのは、息子が三人、娘が一人いるという事。そして娘の竹林院(ちくりんいん)は真田丸でお馴染み、真田幸村の正室であります。

 

大谷吉継と真田幸村が義理の父子・・・どちらも豊臣家に忠義を尽くし散っていった悲劇の英雄、なんとも好感度の高いファミリー!

 

真田幸村は関ヶ原の戦いで西軍についていたことで敗北の将となってしまい九度山へ追放されるのですが、大谷吉継の娘・竹林院も幸村と共に九度山へ移住しております。

 

 

ちなみに私は関ヶ原の地で切腹して果てたぞ!


 

真田ファミリーは九度山ではかなり貧しい生活を送っていたようですが、竹林院と真田幸村の間には二人の男子が生まれるなど、家庭は順風満帆であったようです。

 

そして竹林院は生活を少しでも楽にするために『真田紐』を考案して商いなどをしていたんだとか。

 

 

逆境に負けず、家族を支える良き妻、母親だったんだね!


 

そして大谷吉継の息子たちについて・・・

 

大谷吉継の長男・吉勝、次男・頼継は、関ヶ原の戦いに父親と共に西軍として戦に参加。

 

長男・吉勝は関ヶ原の地から脱出成功、大谷領の敦賀へ落ち延びた後にフラフラと放浪生活を送っていたといいます。

 

そして1615年、豊臣家の呼びかけに応じて、大坂の冬の陣・夏の陣に参加。大坂夏の陣では真田幸村と共に全線で戦い、討ち死にしたとのことです。

 

次男・頼継は関ヶ原の戦いの後は行方不明。討ち死にしたとも、その後病死したとも・・・。

 

三男・泰重は生まれも没日も不明でその人生も謎が多いようですが、重政という名の息子がいて、その子は越前の武家に仕官していたそうです。

 

 

江戸時代、大谷家は細々と存在していたんだね。


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大谷吉継といえばやっぱり関ヶ原の戦い!

 

才能、友情、感動、切なさ、大谷吉継の魅力がつまりにつまっているのが関ケ原の戦い!好きにならない理由がない!

 

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