家康VS秀吉!小牧長久手の戦いを楽しく読む!〜ゆるりと楽しく戦国時代〜

家康VS秀吉!小牧長久手の戦いを楽しく解説!〜ゆるりと楽しく戦国時代〜

小牧長久手の戦いをゆるりと楽しく詳しく解説!

 

1582年に起こった本能寺の変にて、織田信長は自害した。

 

当時、天下人に1番近かった男の死であった。

 

本能寺の変跡継ぎ候補

 

その後、清洲会議にて羽柴(後の豊臣)秀吉が織田信長の孫の三法師を担ぎ、これを織田家の後継ぎにした。

 

 

とはいえ三法師様はまだ三つになられたばかり・・・。
みんなで協力して織田家を盛り立てていこうねっ!


 

織田家の後継ぎ候補には信長の次男の信雄、三男の信孝もいたが、(長男の信忠は本能寺の変にて死亡)

 

秀吉は自らの手で天下の采配を振るいたいが為、まだ幼く何もできない三法師を当主にしたのである。

 

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本能寺の変跡継ぎ候補
清須会議メンバー:羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興、柴田勝家

 

織田四家老により、三法師を支援して織田家を盛り立てていきましょう!とはなったものの、

 

秀吉のやり方に不満に思う一部の織田家の人間、織田家の家臣たちは秀吉と徐々に対立していったのであったー。

 

柴田勝家

 

秀吉め、信長様がいなくなったとたんグイグイでてきやがって・・・織田家をのっとるきだな・・・


 

丹羽長秀

 

秀吉、ギラついてんな。


 

小牧長久手の戦い,詳しく,徳川家康,豊臣秀吉,森長可

 

めっちゃ勝家殿怒ってる・・・。なにやら不穏な空気になってきたなぁー


 

こののち、秀吉と勝家の対立は激化・・・、ついに戦となり、秀吉が勝家に勝利した。
俗にいう賤ヶ岳の戦いである。

 

いってみればこれは秀吉と勝家による信長の座っていた席をめぐる主導権争いであった。

 

そう、そして、この戦に勝利したことにより秀吉は天下人への道を大きく前進したのである・・・。

 

 

・・・・・

 

 

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ぐぬぬ。秀吉め・・・!


 

これにたいそう不満を抱いたのが織田信長の次男・織田信雄である。

 

信長亡き後、本来なら自分が織田家をつぎ天下の覇権をにぎるはずだった・・・。

 

それが今、織田家の家臣であった秀吉に服従するような現状にあるのだから当然である。

 

そこで信雄は織田家と同盟関係にあった徳川家康を頼り、打倒秀吉をかかげ挙兵することとなる。

 

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このままじゃ織田家は秀吉に乗っ取られちゃう!助けて家康さん!


 

 

秀吉め!大恩ある織田家を足蹴に自らが天下を握ろうなどと・・・。
この家康!義の為に信雄殿にお力添えしますぞっ!!

 

(…ウフフ。これはまたとない好機!あのでかい面した秀吉の野郎に一泡ふかせてやる!)


 

家康は真剣に信雄を擁立しようとしたわけではない。

 

織田家の為にと義をかかげここで秀吉と一戦し勝利したとあらば徳川家康の名は天下に轟く。

 

家康の戦の目的はここにあった。

 

 

そして敵意を剥き出しにしだす信雄に、ついに秀吉は信雄討伐の命をくだす。

 

こうして始まった戦が小牧長久手の戦いなのである!

 

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愚かなガキんちょめ!大人しくこの秀吉に従っておれば良いものを。

 

・・・しかしどうしたものかね。
あやつらがまだこの秀吉につくか、徳川につくかがはっきりしない・・・。

 

ワシの味方につくよう書状はすでにだしてるんだけどねぇ〜。どう動くかな?池田に森は・・・。


 

 

うぅむ。戦が始まる・・・。
秀吉からは味方につくよう言われてるけど・・・。

 

 

今の俺があるのは信長様のおかげ・・・大恩ある織田家を裏切り敵にまわすなどできない・・・


 

池田恒興は織田信長の乳兄弟であり、幼い頃より信長に仕えてきた。信雄とも親しく信頼されている。

 

 

義父上よ!なにを悩むことがあろうか!


 

 

はっ! な、長可ぃ!


 

 

森長可・・・森家の当主。鬼武蔵の異名で恐れられている猛将で非常に気性が荒い。池田恒興の娘婿である。
そして森蘭丸の兄でもある。

 

 

確かに我々は織田家には大変世話になってきた。

 

だが・・・今、天下の形勢が秀吉に傾いているのは明白!


 

 

と、言う事はまさかお前・・・


 

 

そう、ここは秀吉につくのが世の常というものでしょう。

 

恩やら情やら生温いことを言っているようではこの戦国の世を生き残る事はできませんぞ。

 

俺は秀吉につく。義父上もよく考えなされよ。


 

 

そうか。そうだよなぁ・・・。


 

結局、恒興は秀吉につくことに決めた。悩んでいた恒興の背中を押したのは婿の長可であった。

 

それと秀吉が戦の恩賞として、恒興にはに尾張一国、(長可には駿河と遠江の二国)を与えると破格の待遇で味方にむかえていたのも大きかった。

 

 

そうと決まれば行動も早かった。
池田恒興は敵方の犬山城に夜襲をかけこれを落とした。

 

そしてこの時、ちょうど家康と信雄は清洲城にて同盟の盃を交わしていた。

 

犬山城落城の件と、こちらの味方と思っていた恒興・長可が秀吉についたという報せに二人は驚愕した。

 

 

な、なにい!織田家の忠臣であるはずの森と池田が・・・・。


 

ついでにいうと犬山城の件に森長可も驚愕した。

 

 

この俺に黙って城を落としていただと?!おのれ!そんなに手柄が欲しいか!!


 

長可は出し抜く事は大好きだが出し抜かれるのは大嫌いなのである。

 

 

ええいこうしちゃおれん!進軍あるのみっっ!!


 

小牧長久手の戦い,詳しく,徳川家康,豊臣秀吉,森長可

 

家康は小牧山に陣をかまえるべく準備を開始した。

 

そして同じ頃、秀吉軍の森長可も義父の恒興に続くべく、小牧山に進軍を開始する。

 

三千の兵を率いて金山城(長可の居城)を出発した。

 

その翌日には羽黒という場所に到着、ここで犬山城から合流する予定の恒興を待った。

 

同じく小牧山を目指す家康は、羽黒にいる森長可の動きを察知していた。

 

 

あの鬼武蔵を討ち取る好機だっっ!!


 

家臣に6000の兵をあずけ、早朝、長可の陣に奇襲をかけたのである。

 

突如としての正面、左右の三方からの奇襲に長可勢は大混乱。

 

大将である長可も自らが槍を手にとり奮戦したが、どうにも大勢を立て直すことができず惨敗、300余りの兵が討ちとられた。

 

そして長可はからくして犬山城へ逃げおちたのである。

今までこれほどひどい大敗を経験したことがなかった長可はとつもない屈辱を感じていたのであった。

 

 

バ、バカな・・・鬼武蔵と恐れられるこの俺が・・・敗走させられるなど・・・(´;ω;`)


 

その頃秀吉は・・・というと、近江の佐和山城にいた。

 

織田信雄の領する伊勢を平定する為である。

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うふふ。信雄の焦る顔が目に浮かぶぞ〜。


 

そして伊勢をある程度平定するといよいよ戦場となる尾張にむけ出発した。

 

この秀吉の動きを聞いた家康は小牧山に陣をかまえ秀吉の出方を待った。

 

 

ついにきたか!秀吉はどうでるかなぁ〜・・・。


 

その後秀吉は楽田に陣をかまえ、家康方の動向をうかがった。

 

家康も同じくして秀吉の出方をうかがった。

 

両者、考えることは同じであった。先に相手が動くのを待っていたのである。

 

相手の動きの隙をつきそこを攻める、ということである。

 

この睨みあいの末、ついに動きだしたのは豊臣軍であった。

 

 

いつまでもじっとしておってもどうにもなるまいて!

 

徳川の3万程の兵に対して我々はおよそ10万もの兵がいるのだ!
一気にかたをつけてしまうべきであろう!!


 

長可は羽黒での大敗をかなり気にしており、一刻も早く汚名を挽回しなくては…という焦りがあった。

 

 

我々に策があります!
いくらかの兵で家康の本拠である岡崎城を攻めるのです。

 

家康は今、軍を小牧山に集中させている故、岡崎城は手薄!


 

 

岡崎城が襲われていると知ればやむなく兵を城へ引き返すであろう。
そして家康勢が動いたところを前後から挟撃する!

 

どうだ?!?!


 

この作戦を石田三成が支持。

 

 

いいいだろう。これが成功したならば徳川軍の敗走は間違いない。頑張っておくれ。


 

 

うーん、そんな上手くいくかねぇ・・・。


 

秀吉はこの作戦に乗り気でなかったが、しぶしぶ承諾した。

 

そして2万の兵をさいて家康の本拠、岡崎城を攻めることとなったのである。

 

岡崎攻めの配役は、

 

総大将に三好秀次(秀吉の甥)
第一隊に池田恒興
第二隊に森長可
第三隊に掘秀政

 

と決まった。

 

そしてこの作戦は徳川方に感づかれぬよう、夜中に出発。岡崎を目指した。

 

だがしかし、この進軍は家康にバレてしまった。

 

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家康の地元に近づくにつれ家康の諜報網も広がる。これに見事ひっかかったのである。

 

2万もの兵を率いているのである。見つかるのは当然ともいえるであろう。

 

 

んふふふ。返り討ちにしてやるぞぉ〜!!


 

家康は自ら兵を率い、秀次軍の元へ向かった。

 

その数およそ1万8000。秀次軍と同等の戦力である。そして秀次軍と同様に、人目をしのび夜中に出発した。

 

そしてさらに、この家康の動きが秀吉の耳に入ることとなる。

 

 

なななな、なんだとっ?!すでに家康が小牧山を離れ出陣しただと?!


 

秀吉は焦った。

 

 

だからワシは反対したんだ!この作戦はあまりにも稚拙で危険が多すぎたんだよぉぉぉ!!


 

 

あわわわわ


 

 

家康には地の利がある・・・。
その上何もしらぬ秀次たちが野戦の天才と言われる家康に勝てるわけがない!


 

そう、秀吉は援軍を送ったが時すでに遅しであった。

 

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その頃・・・秀次軍は長久手あたりにいた。

 

ついでに岩崎城を落としてしまおう、ということで攻略にとりかかっていた。

 

一方、家康は情報を得たのち、綿密に作戦を立て兵を走らせた。

 

兵を何隊かに分け配置、秀次軍包囲網をしいたのである。

 

 

ははは!敵は袋のネズミってやつだ!


 

井伊直政、彼はこの戦で赤備えの軍隊を率いて大活躍し、『井伊の赤鬼』と恐れられるようになる。

 

 

徳川軍に作戦がばれているなんて思いもしない秀次御一行。

 

まさかの奇襲に秀次軍の各隊は壊滅状態となったのであった。

 

堀秀政の隊は徳川勢の榊原康政の兵を撃退したものの、状況は不利と判断し早急に退却した。

 

長可と恒興の隊はその場に取り残される形となってしまった。

 

しかし先日の羽黒での件の汚名挽回の為か、この状態でも森長可は強めの姿勢であった。

 

 

敗軍の将に後退など許されん!!


 

一方、大将の秀次の隊では・・・

 

 

秀次様、ここは退却されるべきです。もし背後から攻められでもしたらひとたまりもありません。


 

可児歳蔵は秀次に仕える猛将。歴戦の勇士である。

 

才蔵は長可達の苦戦する様子を見て後方に据えていた秀次に、堀秀政同様、退却するよう進言した。

 

しかし秀次は聞かなかった。

 

 

ひくことは許さん!
お前ほどの男が何を恐れることがあるのか!
早く前線へ戻り戦うのだ!


 

 

秀次様、徳川勢はさらに軍を固め攻めてくるでしょう。我々の敗走は目に見えております。


 

 

だから進撃あるのみ!いけ才蔵!
お前は主君の命が聞けないのか?!


 

 

(聞く耳もっちゃいねぇ・・・総大将でありながら戦況をよめぬなどとはとんだ愚将!)


 

 

早く!才蔵!聞いているか!戦え!!


 

 

糞でもお食べになってください。


 

つまり、『糞食らえ!』 ということである。
主君に対してなので丁寧に吐き捨てたのである。

 

そう言うと才蔵は一人で退却したのであった。
主君を見捨てたのである。

 

 

ぐぬぬ。才蔵・・・お前だけは絶対に許さん・・・!!秀吉叔父さんにチクってやるからな!!


 

そしてその後、才蔵の言った通り徳川勢の猛攻撃により秀次の軍は
散々な目にあい結局敗走することとなった。

 

 

ほれ見ろいわんこっちゃねぇ


一方、

 

この混乱の中、森長可は正面に陣をかまえる家康を見ていた。

 

右手側が手薄とみるや、馬廻りをひきつれ、家康目がけて駆けていった。

 

が、

 

それを見た徳川方の水野勝成の鉄砲隊が長可らめがけ撃ちかけていく。

 

長可は倒れていく兵たちを目にし、怒りに怒った。自ら槍を手にし敵陣に突っ込んで行った。

 

ちなみにこの日、長可は白の陣羽織を羽織って出陣していた。

 

死装束である。
よほどの覚悟で戦に挑んでいたことが伺える。

 

が、しかし
この覚悟が命とりとなってしまった。

 

真っ白な陣羽織は的のように敵の目に映った。

 

なおのこと隊の将であるにもかかわらず前線で奮戦していた長可である。目立ちに目立っていたのだ。

 

 

あの白い羽織の男は・・・鬼武蔵じゃねーか!撃て!撃てーい!


 

 


 

眉間に一発。
即死であった。

 

森長可の討ち死により長可、恒興の隊はより劣勢となり、あいついで池田恒興も討ち死にした。

 

この完膚なきまでの秀次軍の敗戦を聞き、秀吉は急ぎ2万の兵を率いて長久手に向かった。

 

しかしすでに秀次軍に勝利した家康軍は長久手の戦線を引き払い小幡城という城で休息をとっていた。

 

 

ぐぬぬ。すぐにでも徳川を攻め我が軍の勝利としたいとこだが・・・。

 

見知らぬ土地での夜戦は危険すぎるし作戦を練らねば・・・。明日いっきに仕掛けて攻め滅ぼしてやるぞっ!!


 

そんな秀吉の思惑を察してか、家康はこれまた夜中のうちに小幡城を抜け、小牧山の本陣へ戻っていったのであった。

 

 

ええーっ!!いなくなってるぅ!


 

いたしかたなく秀吉も本陣へ戻り、再び両軍はお互いの出方を見合う状態が続いた。

 

 

こりゃ難しいな・・・。


 

そして秀吉はしばらくし、大阪へ撤退した。

 

両軍の主力同士がぶつかる事なく終戦した為、引き分けとゆうことになるが、

 

池田恒興、森長可と名のある武将を討ちとり、完膚なきまでに秀次軍を大敗させたとこをみると、この小牧・長久手での戦いは家康・信雄連合軍の勝利といって良かった。

 

 

いえェ〜い!撤退したか!!3万対10万という兵力差で見事に勝ったぞっっ!さすが野戦の天才!!


 

しかし・・・

 

秀吉はこのままでは終らせなかった。
策略家の秀吉の本領はここからである。

 

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戦自体は終わったが、まだ両者の間では不穏な空気がただよっていた。

 

そこで秀吉は家康に和議を結ぶことを提案する。

 

 

書状:織田信雄の罪はなかったことにしてやろう。そのかわり家康、お前の息子を人質として私に差し出すこと。
さすればお前の本領も安堵してやるぞ。


 

 

は、何でそっちが上から目線なわけ?意味わからん!!


 

が、その一方的な和議の条件に家康はそれを拒否した。

 

それは分かり切っていたことで秀吉の狙いはそこにあった。

 

家康が拒否することであらためて敵対関係がはっきりとした。

 

羽柴秀吉対徳川家康・織田信雄連合軍の戦は未だ決着つかずの状態となった。

 

 

そうか。仲なおりできないか。残念だなぁ。うふふ。


 

 

うふふ。(このワシが秀吉の下につくなどあってたまるかっっ)


 

そして目立った動きがなかったが織田信雄。
信雄はここにきて一抹の不安を感じていた。

 

 

今だ秀吉との決着がつかない・・・。
家康は秀吉に和議をもちかけられたというが・・・。

 

もし2人が和睦すれば俺はどうなってしまうのだ?
俺の伊勢は?俺の立場はどうなるんだ??


 

秀吉はそんな信雄に自分と和議を結ぶよう使者を送った。

 

 

書簡:信雄殿、仲良くやっていこうぞ?お前から奪った伊勢のこともちゃんと考えるし。よければ一度お会いして話そうではないか。


 

 

えっ!伊勢、返してくれるのか?!和睦するする!


 

信雄は秀吉との戦にウンザリしていた。

 

それに家康のことを絶対的に信頼していたわけでもなかったので、
言われるまま秀吉と和議を結んだのであった。

 

しかし、秀吉が信雄にだした和睦の条件は厳しいものだった。

 

 

お前の娘を私に差し出すこと。伊勢は4分の1ほどは返してやるぞ。


 

 

えっ・・・・。


 

信雄はまさかこうなると思っていなかった。
しかしこれ断れば再び戦となり秀吉軍の総攻撃を受けることとなる。

 

信雄はもう完全に秀吉と戦うメンタルパワーは残っていなかった。
この条件を飲み秀吉に降ったのである。

 

ちなみに信雄は家康に一言も相談せずに勝手に和議をむすんだ。

 

 

あ、あのくそガキめ!聞いてないぞ!何を勝手なことを!!


 

・・・・・・・・・

 

 

信雄は私と和解したぞ。これにて一件落着だね!

 

いやいや、信雄のわがままでお互い大変な思いをしましたわね。


 

 

本当にね、ははは。(ああああああああムカつくぅぅうううぅぅ!!!!)


 

同盟関係にあった織田信長の息子の為に!と義を掲げ秀吉と戦っていた家康である。

 

こうなると秀吉と戦う大儀名分がなくなりついに戦は終結したのであった。

 

戦自体は家康が勝った。

 

しかし秀吉の政治的戦略により、結果的には秀吉が織田家を支配下に置き、家康の上をいく事となったのである。

 

秀吉のほうが一枚上手だった。そう、小牧長久手の戦いでの勝利者は実質、秀吉なのである。

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