小牧長久手の戦いをゆるりとわかりやすく解説!
1582年…
織田信長が家臣の明智光秀に襲撃され自害し、49歳でこの世を去るという大事件が起こりました。
世に有名な『本能寺の変』…
当時、天下人に1番近かった男の死でありました。
その後、織田家の新当主を決める清須会議が行われ、
羽柴(後の豊臣)秀吉の強い進めにより、織田信長の孫・三法師が織田家の後継ぎと決まりました。
とはいえ、三法師様はまだ三つになられたばかり。
みんなで協力して織田家を盛り立てていこうね!
織田家の後継ぎ候補には信長の次男・信雄、三男・信孝もいたのですが、
(信長の長男の信忠は本能寺の変のあおりを受けて死去していた)
秀吉は自らの手で天下の采配を振るいたいが為、まだ幼く何もできない三法師を当主にしたのであります。
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小牧長久手の戦い、勃発の経緯とは?
清須会議メンバー:羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興
清須会議の結果、三法師を支援して織田家を盛り立てていきましょう!とはなったものの、
秀吉のやり方を不満に思う一部の織田家の家臣たちは、秀吉と徐々に対立していきました。
信長様がいなくなってからというもの、秀吉は調子に乗りすぎでは?!
織田家は秀吉のものじゃないんだぞ!
まぁ…
実力はあるし…うん。
めっちゃ勝家殿怒ってる…。
なにやら不穏な空気になってきたなぁ。
この後も羽柴秀吉と柴田勝家の関係は悪くなるばかり…
ついに武力衝突にまで発展し、両者の間で賤ヶ岳の戦いと呼ばれる戦が勃発しました。
言ってみれば、この戦は秀吉と勝家の『信長の座っていた席を巡る主導権争い』でありました。
そしてこの戦に勝利したのは羽柴秀吉…
柴田勝家を滅ぼした秀吉は、天下人への道を大きく前進することとなりました。
この展開にたいそう不満を抱いたのが、織田信長の次男・信雄…
織田家が秀吉のものみたいになってるの意味わかんない!
三法師が大きくなるまで俺が織田家のトップのはずなのになぁ?!
信長とその長男が亡くなり、本来なら次男の信雄が織田家をつぎ天下の覇権をにぎるはずだった…
なのに、織田家家臣の秀吉に服従するような現状にあるのだから当然であります。
そこで信雄は
このままじゃ織田家は秀吉に乗っ取られちゃう!
父の長年の盟友である家康さん、一緒に秀吉をやっつけてくれない?!
秀吉め~
大恩ある織田家を足蹴にし、自らが天下を握ろうなんてなんて不義理な事を!
この家康、正義の為に信雄殿にお力添えしますぞ!!
織田家と同盟関係にあった徳川家康を頼り、共に秀吉を倒すことを決意しました。
最近、信雄が反抗的ね。
家康と組んでワシを倒そうとしてるらしいじゃない?
戦の準備、始めなきゃあね。
1584年…
こうして両者の間で敵対関係がハッキリと出来上がり、『小牧長久手の戦い』が勃発するのであります。
ちなみに、徳川家康は真剣に織田信雄を擁立しようとしたわけではありません。
織田家の為に…と義を掲げて秀吉と一戦し、勝利したとあらば徳川の名は天下に轟く!
秀吉が失脚した後、その座に収まるのは…誰かなぁ?
家康にとってこの戦は、大きな地位を得るまたとないチャンスだったのであります。
織田家家臣、森長可と池田恒興はどう動く??
なんかワシが『織田家の敵』みたいな形になっちゃった。
織田の譜代家臣である池田や森は、ワシと信雄どっちにつくだろう…?
味方につくよう書状はすでにだしてるんだけどねぇ~。
・・・・・・・・・・・・・
うむむ。戦が始まる。
秀吉からは味方につくよう言われてるけど…。
今の私があるのは信長様のおかげだし。
大恩ある織田家を裏切り敵にまわすなど、不忠極まりない…。
織田家家臣、池田恒興…
彼は織田信長に幼い頃より仕え、信雄からも信頼されている人物でありました。
当然、織田家をないがしろにする秀吉の味方にはならない…
と思われたのですが、
義父上よ、恩やら情やら生温いことを言っているようでは、この戦国の世を生き残る事はできませんぞ。
今、天下の形勢が秀吉に傾いているのは明白。
俺は秀吉につくぞ。
池田恒興の娘婿・森長可(本能寺の変で討ち死にした森蘭丸の兄でもある)が秀吉についたこともあり、秀吉の味方に付くことを決めました。
秀吉は戦の恩賞として義父上には尾張一国、俺には駿河と遠江を与えると言ってるしな。
だよね!
…よし、そうと決まればすぐに出陣!
サクっと敵の城、落としたる!
池田恒興は秀吉側につくと、早々に織田信雄方の犬山城に夜襲をかけ、これを落としました。
一方…
この時、徳川家康と織田信雄は清洲城にて同盟の盃を交わしておりました。
そこで犬山城落城の件と、池田恒興らが秀吉についたという報せを聞いて驚愕。
嘘でしょ?
信長様の忠臣であった池田と森が織田家のピンチを見捨てるとは…。
ついでにいうと犬山城の件に森長可も驚愕した。
俺より先に義父が城を落としていただと?!
聞いてないし!!そんなに手柄が欲しいかクソが!!
森長可は負けず嫌いの暴れん坊。
他人を出し抜く事は大好きだが、出し抜かれる事は大嫌いなのであります。
さておき、
こうしちゃおれん!
進軍あるのみっ!!
家康は小牧山に陣をかまえるべく準備を開始しました。
同じ頃、秀吉軍の森長可も池田恒興に遅れをとるまいと小牧山に進軍を開始、三千の兵を率いて金山城(長可の居城)を出発しました。
森長可は翌日には羽黒という場所に到着し、ここで犬山城から合流してくる予定の池田恒興を待つのですが、
あらぁ~森長可の軍勢…
今、油断してる感じ?
同じく小牧山を目指す徳川家康に動きを察知され…
猛将鬼武蔵こと森長可を討ち取る絶好の機会だ!
早朝、家康の家臣・酒井忠次ら6000の軍勢に奇襲をかけられてしまいます。
突如としての正面、左右の三方からの奇襲に現場は大混乱。
大将である森長可も自ら槍を手にとり奮戦しましたが、どうにも態勢を立て直すことができず惨敗し300余りの兵を失ってしまいました。
その後、森長可はからくして犬山城へ逃げ落ちるのですが、
鬼武蔵と恐れられるこの俺が敗走させられるなんて…
今までこれほどひどい大敗を経験したことがなかったので、とつもない屈辱を感じておりました。
二度と負けん!!
死ぬ気で汚名返上してやる…!!
その頃、羽柴秀吉はというと…
織田信雄の領地である伊勢をある程度攻略し、戦場となる尾張にむけて進軍を開始しておりました。
ついにきたか!
秀吉はどうでるかなぁ…。
秀吉の動きを耳にした家康は、尾張の小牧山に陣をかまえて秀吉の動向をうかがいます。
ついに家康との全面戦争くるゥ~。
家康がかまえる一方で、秀吉もまた楽田に陣をかまえて家康達の動向をうかがいました。
両者、考えることは同じ。
先に相手が動くのを待つ。
相手の動きの隙をつきそこを攻める、ということであります。
戦に勝つには相手を知り、勝てると判断してから行動に移すもんだぜ。
お互いとても慎重、なかなか戦況は変わらなかったのですが…
しばしの睨み合いの後、ついに羽柴軍の武将が動きました。
このままじっとしておってもどうにもなるまいて!
徳川方3万の兵に対して我々は10万もの兵がいるのだ!
一気にかたをつけてしまうべきであろう!
森長可は羽黒での大敗をかなり気にしており、一刻も早く汚名を挽回しなくては…という焦りがあったようです。
我々に策があります!
兵を割いて家康の本拠地である岡崎城を攻めるのです。
家康は今、兵を小牧山に集中させているので岡崎城は手薄!
岡崎城が襲われていると知ればやむなく兵を城へ引き返すであろう。
そして家康勢が動いたところを前後から挟撃する!
どうだ?!?!
良い案かと。
これが成功したなら徳川軍の敗走は間違いない、頑張っておくれ。
池田恒興が発案した作戦を石田三成が支持、
うーん、そんな上手くいくかねぇ・・・。
秀吉はこの作戦に乗り気じゃなかったようですが、他の武将達がノリノリだったのでしぶしぶ承諾しました。
そして2万の兵で、家康の本拠地である三河の岡崎城を攻めることが決定されます。
岡崎攻めの配役は、
第一隊に池田恒興
第二隊に森長可
第三隊に掘秀政
総大将に秀吉の甥・秀次
となりました。
この作戦は徳川方に感づかれては意味がないからな!
夜中にこっそり出発だ!
秀次軍は夜中、岡崎城を目指すのですが、この進軍はアッサリと家康にバレてしまいます。
家康の地元に近づくにつれ家康の諜報網も広がるし、2万もの兵で進軍していれば見つかるのは当然ともいえましょう。
バレてないと思っちゃって…
返り討ちにしてやるわぃ!
家康は自ら兵を率い、秀次軍の元へと向かいました。
その数、およそ1万8000。
秀次軍と同等の戦力であります。
そして秀次軍と同様、バレては意味がないので人目を忍んで夜中のうちに出発しました。
が、この家康の動きは秀吉の耳に入ることとなります。
家康がもう小牧山を離れたとな?!
まさか秀次達のもとへ向かってる?!
こっちの動きバレてる?!
あわわわわ。
家康には地の利がある…
その上、何もしらない羽柴軍が野戦の天才と言われる家康に勝てるわけがない!
非常にヤバイ!
とととと、とにかく援軍を送ろう!!
秀吉は急ぎ援軍を送りました。
が、時すでに遅し。でありました。
秀吉が焦ってる頃…
秀次の軍勢らは長久手あたりにおりました。
ついでに岩崎城を落としてしまおう、ということで寄り道程度に敵城の攻略にとりかかっていたのです。
徳川家康はそんな秀次たちの動向をしっかりと把握し、情報収集もしっかり行って綿密に作戦を立てて兵を走らせておりました。
兵を何隊かに分け配置し、こっそりと羽柴軍に包囲網を敷いていたのであります。
袋のネズミってやつだな!
ゴイゴイで突っ込むよ~!
めっちゃ手柄挙げてやるぜっ。
井伊直政はこの戦で赤備えの軍隊を率いて大活躍し、『井伊の赤鬼』と恐れられるようになります。
さておき、徳川軍に作戦がばれているなんて思ってもない秀次御一行…
まさかの奇襲、羽柴軍の各隊は壊滅状態となりました。
大将の羽柴秀次の隊は榊原康政隊の急襲で総崩れ…
しばし戦場でふんばるも、徳川軍の猛攻撃を受けて敗走してしまいます。
その秀次隊の付近に控えていた堀秀政の隊は、その榊原康政の兵を撃退したものの、状況は不利と判断し早急に退却、
森長可と池田恒興の隊は徳川家康の本隊と鉢合わせし、応戦しているうちにその場に取り残されてしまいます。
少し前に羽黒で徳川軍に敗北していた森長可は…
俺は逃げんぞ!
敗軍の将に後退など許されん!!
汚名を返上すべく、この混乱の中で正面に陣をかまえる徳川家康を見ておりました。
そして右手側が手薄とみるや、馬廻りをひきつれ家康目がけて駆けていきました。
自ら槍を手にし、敵陣に突っ込んでいく森長可…
彼はこの日、討死に上等の覚悟で死装束を連想させる白色の陣羽織を羽織って出陣しておりました。
よほどの覚悟で戦に挑んでいたことが伺えます。
しかし、この覚悟が命とりとなってしまいました。
真っ白な陣羽織は的のように目を引き、それに加えて長可は先頭切って奮戦していたので目立ちに目立っていたのであります。
あの白い羽織の男は…
森長可?!
大手柄だぞ!
撃て撃て撃てーい!!
。
眉間に一発ヒット、即死。
徳川軍の水野勝成の鉄砲隊の攻撃により森長可は討ち死に…
池田恒興の隊もより劣勢となってしまいました。
というか、池田恒興・恒興の息子も討ち死にしてしまったので、もうどうしようもない状態。
そう、この場は完全に徳川軍の勝利に終わったのであります。
小牧長久手の戦い、決着は…
秀次軍の完全敗北を聞き、秀吉は急ぎ2万の兵を率いて長久手に向かうのですが、
徳川軍はすでに長久手の戦場から兵を引き払い、小幡城という城で休息をとっていたのでここでの援軍は空回りに終わってしまいます。
ぐぬぬ。
すぐにでも家康を攻めて我が軍の勝利としたいとこだけど、見知らぬ土地での夜戦は危険すぎるからなぁ…。
作戦を練らねば。
明日いっきに仕掛けて攻め滅ぼしてやる!
そんな秀吉の思惑を察してか、家康はこれまた夜中のうちに小幡城を離れて小牧山の本陣へ戻っていきました。
えーっ!!
いなくなってるぅ!
いたしかたなく秀吉も元いた本陣に戻り、再び両軍のにらみ合いが続くことに…
そして
うかつに動けんし、敵も動かない…。
こりゃ難しいな。
この戦場で決着をつけるのが難しいと判断した秀吉は、しばらくして大阪へ撤退しました。
両軍の主力同士がぶつかる事なく終戦した為、ハッキリとした決着はつきませんでしたが、
池田恒興、森長可と名のある武将を討ちとり、完膚なきまでに秀次軍を大敗させたとこをみると、この戦は徳川家康・織田信雄連合軍の勝利と言えるでしょう。
イエ~イ!撤退したか!
3万対10万という兵力差で見事に勝ったぞ!
さすがワシ、野戦の天才!!
しかし・・・
このままで終わるわけないやん。
策略家秀吉の本領はここからであります。
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家康?秀吉?小牧長久手の戦い、どっちが勝った?信雄空気
小牧長久手の戦い、ハッキリとした決着がつかず…
その為、まだまだ両者の間に不穏な空気がただよっておりました。
そこで秀吉は決着をつけるべく、家康に和議を結ぶことを提案しました。
が、しかし
織田信雄の罪はなかったことにしてやろう。
そのかわり家康殿の息子を人質として私に差し出すこと。
さすれば徳川の本領も安堵してやるぞ。
はぁ?
何でそっちが上から目線なわけ?意味わからん!
和議の条件が一方的すぎたので、家康はそれを拒否しました。
しかしこうなるのは分かり切っていたこと、秀吉の狙いはそこにありました。
家康が拒否することで、あらためて秀吉と家康の敵対関係がはっきりとするのであります。
どうにか上手い事やって、家康をワシの下に置けるようもっていきたいよなぁ~。
そして目立った動きがなかったが織田信雄…
信雄はここにきて一抹の不安を感じておりました。
今だに秀吉との決着がつかない…
家康は秀吉に和議をもちかけられたというけど…。
もし2人が和睦すれば俺はどうなってしまうのだ?
俺の領地や立場はどうなる??
秀吉はそんな信雄に、自分と和議を結ぶよう使者を送りました。
使者
信雄殿、仲良くやってこ?
お前から奪った伊勢のこともちゃんと考えるし、一度会ってちゃんと話し合おうよ。
…と秀吉様が言ってます。
えっ!
伊勢、返してくれるの?!和睦するする!
信雄は先の見えない秀吉との争いに嫌気がさしており、
さらに家康のことを絶対的に信頼していたわけでもなかったので、秀吉に言われるまま和議の申し出を受け入れました。
和議の条件言うね。
お前の娘を私に差し出すこと。
伊勢は4分の1ほどは返してやるぞ。
えっ。
伊勢そんだけ?完全に織田家が下だし酷い条件…。
信雄に提示されたのは予想を超える厳しい条件でしたが、
でもこれを断れば再び敵対関係に戻り、いずれまた秀吉の総攻撃を受けることになってしまう…
もう秀吉と戦う気力なんかないわ…。
信雄はこの条件を飲んで秀吉に降ったのでありました。
しかも、こんな大事なことを徳川家康に一言も相談せずに。
もうビックリなんてもんじゃないよ酷すぎぃ。
その後…
信雄とワシ、和解したよ~。
これにて一件落着だね!
いやいや、信雄のわがままでお互い大変な思いをしましたわね。
本当にね(´-`)
同盟関係にあった織田信長の息子の為に!…と義を掲げ秀吉と戦っていた家康なので、こうなると秀吉と戦う大儀名分をなくしてしまいました。
戦自体は徳川家康・織田信雄連合軍が勝った…
しかし秀吉の政治的戦略により、結果的に秀吉が織田家を支配下に置き、家康の上をいく事となりました。
秀吉のほうが一枚上手だった…
そう、実質小牧長久手の戦いでの勝利者は秀吉だったのであります。
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