前田慶次&前田利家の兜、刀、家紋、旗印、お城!一挙まとめて簡単解説!

前田慶次&前田利家の兜、刀、家紋、旗印、お城!一挙まとめて簡単解説!

前田慶次&前田利家の兜、刀、家紋、旗印、お城!

 

加賀梅鉢(かがうめばち)

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梅の花がモチーフとなっている家紋。梅をモチーフとした家紋は多いけど、この『加賀梅鉢』は前田家のみが使用するオンリーワンの家紋なんだとか。

 

前田家は平安時代の貴族・菅原道真(すがわらのみちざね)の末裔を自称しており、菅原道真が梅の家紋を使用していた事からこの『加賀梅鉢』を前田の家紋としたと言われております。

 

五三の桐(ごさんのきり)

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ちなみに、前田利家は天下人となった豊臣秀吉から上の『五三の桐』の家紋を譲り受けたが、これには浮気せず、『加賀梅鉢』のみを使用し続けたそうです。
この桐紋はもともと天皇家の家紋で、認められた者のみに使用が許されたとても格式高い家紋。

 

格式高い家紋だけど、秀吉は前田利家の他、伊達政宗、宇喜多秀家、上杉景勝、藤堂高虎など沢山のお気に入り武将に譲っちゃっていました。

 

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前田慶次&前田利家の甲冑について。

 

前田慶次といえばなんといっても漫画『花の慶次』が有名ですね。

 

特に『花の慶次』がパチスロ化してからは、ずいぶん前田慶次や前田利家の認知度も上がったように思います。

 

そんな前田慶次、前田利家はどちらも傾奇者で知られた武将、その甲冑もなかなかに派手で目を引くデザインなのです!

※前田慶次は前田利家の甥

 

前田慶次の甲冑について

 

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前田慶次所用『朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足(しゅうるしぬりむらさきいとすがけおどしごまいどうぐそく)を参考に描いております。

 

赤モチーフで傾奇者にふさわしい鮮やかな色合い、そして兜と肩回りがかなり個性的なデザインになっております。


 

兜の形は一見、巻貝のように見えますが、特に何がモチーフかは断定されていないそうです。南蛮帽子のように鍔(つば)があるのも特徴的ですね。

(というか、もしかしたら南蛮帽子がモチーフなのかも。)

 

肩の赤い部分は『満智羅(読み方自重)』という首から肩回りを防御するアイテムで、前田慶次のこの『満智羅』は現存するものの中で最大なんだそうです。
かなり南蛮色の強いデザインとなっている模様。

 

そして肩の下の袖は『鱗札(うろこざね)』といって見たまんま鱗がモチーフとなっております。
兜、肩、袖・・・と個性的なデザインが続きますが、胴は意外にも日本古来の定番スタイルです。

 

さすが傾奇者!といった目立つ一品ですね。しかし個人的にはあまりカッコイイと思わないのですがどうでしょう?笑

 

前田利家の兜について

 

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前田利家所用の甲冑は『金小札白糸素懸威胴丸具足(きんこざねしろいとすがけおどしどうまるぐそく)です。

 

余すところなく金箔で仕上げられたド派手な甲冑。兜は上に長く、かなり目を引く一品です。

 

兜は鯰(ナマズ)の尾がモチーフとなっています。
当時、鯰は地震を起こす生き物と言われており、これをモチーフとする理由には、『地震が起きた時のように人を驚かす』という意味を込めて縁起物としていたそうです。

 

ちなみに、前田利家の長男・利長の兜は銀箔押しの鯰尾です。


 

前田慶次と前田利家の肖像画について

 

前田慶次については残念ながら肖像画というものは存在しないようです。

 

もともと資料の少ない武将のうえ、その前田慶次に関する資料の多くが江戸時代以降に作られたものだそうで『本当は実在してなかったんじゃないの?』なんて言われる事もあるくらい謎の多い武将なのです。

 

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前田利家の肖像画。可もなく、不可もなく。笑

 

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当サイトの武将紹介に描いた前田利家のイラストです。
こちらは前田利家の桶狭間の戦いでの姿を描いたとされる『高徳公桶狭間奏馘図』を参考に描いたものです。

 

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※グーグル画像検索画面より引用

 

後世で多くの絵師さんが描いているみたいで、『高徳公桶狭間奏馘図』や『前田利家 首』で画像検索をすると色んな人が描いた騎馬絵が見られます。

 

生首に矢傷、血みどろ感が少し生々しいですが、いかにも『強い武士』というのが伝わってくる超カッコイイ絵です。

 

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前田慶次の槍について

 

前田慶次は戦場での槍働きに定評のある武士でした。

上杉家に仕え、武勇に優れた者にしか持つ事の許されない『朱柄の槍』の使用を許されていたといいます。

 

その朱柄の槍がどのようなものだったのかは伝わっていないようですが、前田慶次所用のものとされる『平三角造直槍(ひらさんかくづくりすぐやり)という槍が現存しております。

 

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※平三角造直槍の穂先を再現したイラスト

 

槍の穂先は約44cmで、刃の真ん中には『血流し』と呼ばれる溝があり、朱色にコーティングされています。

 

そしてこの槍の柄は全体に螺鈿(らでん)と呼ばれる貝殻を使った高級な装飾が施されており、槍全体の長さは3mを超えるそうです。

 

ちなみに、残念ながら前田慶次所用とされる刀は現存していないそうです。

 

が、前田慶次が愛知県の熱田神宮に奉納したと伝わる刀なら存在していおります。詳しい事はわかっていないようですが、『末□』と銘が入っているとのことです。謎ですね。笑

 

前田利家の刀、槍について

 

若い頃は『槍の又左』と呼ばれた前田利家、意外にも前田利家が使っていた槍は現存もしていないし、槍の名前なんかも伝わっていないそうです。

 

刀は『大典太光世(おおでんたみつよ)というものが前田利家所用のものとして有名です。
足利将軍家から豊臣秀吉にわたり、後に前田利家へ渡って以降、前田家の家宝として伝わっていったそうです。

 

前田利家と前田慶次ゆかりのお城について

 

荒子城(あらこじょう)

尾張(愛知県名古屋市中川区)にあったお城。現在では城はなく、富士権現社となっている。

 

前田利家の父・利昌が築いたとされるお城。もともとは前田慶次の義父・前田利久が前田家当主&荒子城城主だったが、前田利家の事を買っていた織田信長が強制的に利家に前田家を継がせた。

 

何事もなければ、嫡男として育った慶次が家督を継いで荒子城城主となっていたはず。ちょっぴり二人の間に因縁が残るお城。

 

前田慶次親子は荒子城から退去した後、滝川一益を頼って伊勢へ行ったとか、京で暮らしていたとか色々な説があるらしい。

 

金沢城(かなざわじょう)

加賀(石川県金沢市)にあるお城。

 

前田利家が賤ヶ岳の戦いの後に秀吉から加増され、移ったお城。前田慶次はこの時期に前田家に戻ってきたとの説がある。

 

末森城(すえもりじょう)

能登(石川県羽咋郡宝達志水町)にあったお城。今は城は存在しない。

 

前田家家臣・奥村永富(助右ヱ門)が守る末森城が佐々成政に攻められた際、前田慶次は利家に従って末森城の救援に向かったと言われている。

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