伊達政宗&直江兼続、久しぶりの再会!「それ言う必要ある?」嫌味な兼続殿

伊達政宗&直江兼続、久しぶりの再会!もしかすると性格悪い兼続殿

伊達政宗&直江兼続、久しぶりの再会!「それ言う必要ある?」

伊達政宗と直江兼続、ともに豊臣家に臣従している者同士だけど、どうやら二人はとても仲が悪いよう・・・。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直江兼続、伊達政宗に対して凄まじい煽りスキルを発動・・・。
有名な逸話なんだけど、直江兼続、すごく遠まわしで嫌味な人ね。

 

 

直江兼続って絶対性格ひねくれてる!


 

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「言わなくてもいいのに・・・」みたいなことを言わずにいられないタイプだったのかしらね?逸話を見る限り、直江兼続は結構勝気で強気な性格のような気がするわ。

 

でも、直江兼続はとても有能な武将だったそうなので、こんな事を言われてもなんだかぐうの音もでないような気もしちゃう。
あの豊臣秀吉も、直江兼続を自分の家臣にしたくて色々と画策していたそうよ。兼続は上杉景勝一筋だったみたいで秀吉の誘いには乗らなかったんだけどね。

 

そして直江兼次は上杉景勝に仕えるいち武将なわけなんだけど、伊達政宗は東北にでっかい領地を持つ大大名・・・。
身分的には政宗の方が上なのよね。

 

現代でいうと、Aグループのコンビニの店長・直江兼続が、Bグループのコンビニの会社トップ伊達政宗社長に嫌味を言うようなもんかしらね?
(うまい事言えた気がするけど微妙かしら?笑)

 

よくもこんな事目上の人に言えたなぁ〜、なんて思うけど、

 

 

職場違うし。別に嫌われたところでなんともないし。どうでもいい。


 

って感じなのかもしれないわね。笑

 

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直江兼続の煽りレターが関ヶ原の戦い始まりのきっかけだった?

 

1598年、豊臣秀吉が逝去・・・。その後、徳川家康は権力を握る為に、自分の脅威となる上杉家を潰しておこう!と、

 

 

おい上杉!なんか最近、武器集めたり城のまわり整備したりしてるらしいねぇ・・・。
それって戦の準備だよね?

 

ワシに対して謀反企んでるだろ〜?!


 

なんていちゃもんをつけてきたの。
徳川家はこの時トップレベルの権力を持っていたので、普通なら下にでて

 

 

いや誤解です。どうか信じてください。私共はそんな謀反を起こすだなんて微塵も考えてないです。


 

なんて弁明したりするのかもしれないんだけど、上杉家は家康に怯む事なく強気の姿勢だったの。
そして、

 

 

謀反なんて企んでませんが?家康さんこそ最近調子のりすぎじゃないですか?
文句あるらやってやんぞ!合戦上等!かかってこいや!


 

ざっくり説明すると、↑こんな内容の書状を家康におくりつけちゃったのね。
書いたのは高い煽りスキルを持つ直江兼続。

 

かなりざっくり言いましたがこの時の書状は「作文用紙100枚分くらいあるんじゃないの?」
ってくらい長文の手紙なの。

 

そう、この時送った書状が世に有名な【直江状】

 

関ヶ原の戦いを語る時にはこの直江状のエピソードは絶対にかかせないもの。大河ドラマや戦国系の漫画でもよく見かける事があると思うわ。

 

そしてもちろん、家康はこの書状をもらって激怒したの。

 

 

上杉のやつら生意気すぎ!絶対潰したるからな!!合戦上等!!


 

そして、家康は上杉をお仕置きする為に越後に向かって兵を進めたの。
そしてさらにその隙を狙って石田三成が、打倒家康を掲げ動きだすのね。

 

 

今がチャンス!膨大な兵力で家康を攻め滅ぼす!


 

 

三成が挙兵?!上杉なんかの相手しとる場合とちゃうで!日本を騒がす一世一代の合戦の予感・・・!!引き返して三成と合戦じゃい!


 

 

(石田が挙兵で徳川が来ない?!・・・助かった・・・。えらそうにゆっちゃったけど徳川を敵にまわすのはヤバイ。)


(石田が挙兵で徳川が来ない?!・・・助かった・・・。えらそうにゆっちゃったけど徳川を敵にまわすのはヤバイ。)

 

・・・なんて思っていたかはわからないけれど、こうして起こったのがあの有名な「関ヶ原の戦い」なの!?

 

秀吉が亡くなった後、ワガママし放題の徳川家康、それを許すまじ!と石田三成・・・。
両者が派手にぶつかりあうのも時間の問題だったと思うけど、大きな合戦の始まりのきっかけをつくったのが直江兼続の書いた書状だったのよね。

 

関ケ原の後の上杉家の処遇が辛い・・・

 

 

やんならやんぞ!オラッ!こいよッ!!


 

なんて書状を送り、タンカ切ったのはいいんだけど関ヶ原の戦いでは西軍が負け、西軍に属していた上杉家は窮地にたたされてしまったの。

 

会津の領地を没収されて、米沢に追いやられ、所領も120万石から30万石になっちゃったのね。
それからの上杉家の人たちはかなり財政面で苦労をすることになるの、?

 

というのも上杉家の家臣達は誰一人としてリストラされなかったの。
収入が四分の一にも減って、同じ人数の家臣を養うのはかなり大変な事よね。

 

その後の直江兼続はというと、米沢の地が豊かになるように、城下町の開発や、治水工事などに力をいれて発展させていったの。
さらには武家屋敷内での果樹の栽培なんか推奨して、上杉家の家臣達の生活向上にも貢献していたとか・・・。

 

苦しい状況にあっても、直江兼続は上杉家の為にできる限りの事をしてくれてたのね。
政宗サイドでみると嫌な奴・・・なんて思っちゃうけど、直江兼続は仕事も出来て頼れる、忠義心厚い武将だったのは間違いないわね。

 

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