伊達政宗&直江兼続、政宗のお宝自慢in聚楽第
伊達政宗と直江兼続・・・。身分も違えば性格も違う二人のとある日の出来事。
二人はどうにも仲が悪いみたい・・・。
伊達政宗のお宝自慢に兼続は・・・
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直江兼続はめちゃくちゃ嫌味な人?
これ以外にも似たような嫌味な逸話漫画を載せたんだけど、直江兼続はどうも伊達政宗が嫌いみたいね。笑
兼続は政宗より7つほど年上。
でも、自身が大名の伊達政宗と大名である上杉景勝に仕える直江兼続では断然、身分は政宗のほうが上なのよね。
にもかかわらず、こんな失礼な事をいえちゃうなんて直江兼続はとても肝の据わったお方ね。
この時の上杉景勝の反応が気になるところ・・・。
すいません、ウチの兼続が失礼なことを・・・
みたいなやりとりはあったのかしら?
上杉謙信のようなレジェンドの軍配を握っていた兼続には、それなりにプライドも高かったのかもしれないわね~。
チャラついて自慢してくる政宗がよっぽど鼻についたんでしょう。笑
豊臣秀吉の作った【天正大判】、そんなにレアなの??
漫画にでてきた天正大判…
これは豊臣秀吉が作らせたお金なんだけど、伊達政宗が
超レア!
と自慢するだけあってかなり高価なもので、ものを買ったりする時に使うようなお金ではなかったんですって。
この天正大判、現代の額でいうとなんと1枚で200~300万円ほどの金額になるんだとか。
戦国時代にこんな高価なものを何百、何千枚と作った秀吉凄すぎね~!
天下人になると桁違いのお金持ち…。
現実味なさすぎて羨ましいとも思わないレベルのやつ。笑
そしてこの天正大判は、秀吉が褒賞や感謝として配っていたものといわれているの。
・・・ということは、欲しくても手に入るような代物ではなく、秀吉に選ばれしものしか手にする事ができないものでしょうね。
そりゃ、伊達政宗もみんなに自慢したくなる。うん。
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秀吉の作った豪華絢爛な聚楽第!一体どんなものだった?
今回の『直江兼続は嫌なやつ事件』の舞台となったのは、豊臣秀吉が京都に建てた聚楽第という場所。
ちなみに読み方は「じゅらくてい」もしくは「じゅらくだい」よ~。
天下統一の夢を叶えた秀吉の権力と富の象徴といえる聚楽第…
それはそれは豪華だった事でしょうね。
屏風に描かれている聚楽第の瓦なんかは金ピカで凄く豪華!
一度生で見てみたいものよね~!
でも、
でもですよ、
このとんでもない金額が投資されたであろう聚楽第…、
悲しい事に建設されてからわずか8年ほどでなくなってしまったのよねぇ…。
聚楽第と豊臣秀次、悲しい最後・・・
秀吉はしばらく自分が聚楽第に住んだ後、甥っ子の豊臣秀次に関白の職と聚楽第を譲ったの。
自分に子供がいなかった秀吉は、秀次に自分の後継をまかせたという事になるわね。
でも秀吉に実子が生まれると、秀吉は手のひら返したように秀次を悪者にして豊臣家から追いやってしまったの。
そして、秀次を亡き者としたあと(切腹させた)、秀次に関する全ての痕跡を消すかのように聚楽第も消滅させてしまったという…。
豊臣家の繁栄の象徴だった聚楽第がこんな理由で、秀吉自身の意思で消えてしまうとはなんとも寂しい最後よね。
かつては伊達政宗や直江兼続など名だたる大名や武将たちが集まり楽しい時を過ごした聚楽第…
今は形はなくなっちゃったけど、そこは聚楽第跡として石碑がたっているのよ。
聚楽第跡地、いってみようかな、なんて方は是非お立ち寄りを♪場所は京都よ~!
↓聚楽第へいくなら京都観光ナビをチェケラ↓
京都観光オフィシャルサイト
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楽しんでいただけたらイイネ!