笑ってはいけない上杉家・・・上杉景勝は笑わない!
上杉景勝は、越後の龍でお馴染み上杉謙信の養子となり、謙信亡き後に上杉家をついだ大名よ。ちなみに、上杉景勝の母親は上杉謙信のお姉さんなの。
上杉景勝は笑わない
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上杉景勝は越後の上杉謙信の養子。謙信亡き後はその跡を継いで、上杉家の当主として越後を治めることとなるの。
その後は会津に移り、120万石を領す大大名に!
そして直江兼続という有能な家臣がいる事でも有名ね。上杉景勝は直江兼続の5つ歳上なのよ。
幼い頃より謙信の元で共に学び、とても仲も良くて兄弟のように育ってきたんですって。
二人は物凄く良い主従関係であったと言われているけど、そこには子供の頃からの友情や信頼関係があったのね。
さてさて、上杉景勝は非常に寡黙な人であり、上の漫画にあるとおり生涯で笑ったのはその時の1回だけだったと伝えられているの。
(さすがに生涯で一度しか笑った事がないなんて、そんなことはありえないような・・・。笑)
しかし、それだけ景勝という人物は無口で無表情、近づきがたいようなオーラを発していたんだろうなぁ・・・と、上杉景勝の人物像が浮かんでくるわね。
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上杉景勝の義兄弟、その複雑な関係とは・・・?
子供がいなかった上杉謙信には、景勝の他にももう一人養子がいたの。
北条家から上杉家に人質として送られてきた北条氏秀という人ね。
上杉謙信は、人質としてやってきた北条氏秀を不憫に思って、自分がかつて名乗っていた『景虎』という名を与えて、暖かく上杉家に迎えいれたの。
そして、上杉謙信の最大のライバル武田信玄がこの世を去って約5年後、上杉謙信は前触れもなく突然この世を去ってしまうの・・・。
(お手洗いの最中に倒れて、そのまま意識が戻らなかった。脳卒中ではないか?など噂がある。)
上杉謙信は自分がいなくなった後、どちらの息子に上杉家を継いでもらうか決めていなかったもので、急に当主がいなくなった上杉家では、景勝と景虎による後継者争いが起こってしまったの。
一見、謙信の姉の子の景勝のほうが血の繋がりもあるし、跡継ぎ候補としては有利に思えるんだけど、景虎は北条家という大きな力を持った家の子であるという後ろ盾もあり、景勝は油断できない状態だったのね。
北条家からの援軍が来てしまうと勝ち目がない!
ということで景勝側が早期決着をつける為に、景虎の篭る館を武力をもって包囲するという先手を打ったの。そしてこの家督争いは景勝の勝利となったわ。
血は繋がってないとはいえ、同じ父親を持つ者同士が戦をするのは戦国時代とはいえなんとも複雑なものね・・・。
「戦国の世」が景勝の笑顔を奪った?
上杉家の後継者争いは景勝側の勝利で終わり、上杉家の跡継ぎにめでたく決まった景勝。・・・だけど、この後継者争いにはとても複雑で悲しい事情があったの。
なんと、景虎は景勝の妹を妻にもらっていたの。
景虎は景勝との争いが起こった時、なんとか助かろうと景勝の包囲から逃れたんだけど、仲間だと思っていた人物に裏切られ『万事休す』と自ら命をたってしまったの。妻と共に・・・。
戦国の世とはいえ、景勝は自分の妹を死へと追いこんでしまったという事ね。
景勝が異様に感情を表に出さなかったり笑わなかったりするのも、このような悲しい経験から戦国の世の虚しさや厳しさなどを悟っていたのかもしれないわね。
本当の気持ちは景勝にしかわからないけど・・・。
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豊臣家への忠誠、その後の上杉家は・・・
豊臣秀吉の天下の時代、上杉景勝は豊臣政権を支える五大老という役職についていたの。
五大老のメンバーは上杉景勝の他、徳川家康、前田利家、毛利輝元、小早川隆景、宇喜多秀家。
(五大老だけど6人なのは小早川隆景の死後に景勝が役職についたから。)
徳川家康や前田利家といったビッグネームと肩を並べれるほどに上杉家は大きな存在だったの。
会津120万石、大大名ね!
しかし、秀吉の死後に起こった関ヶ原の戦いで上杉家の属する西軍が負けたことで上杉家は窮地に立たされる事に・・・。
徳川家康と敵対した上杉家は、会津を没収され米沢の地へ移り変わる事になってしまったの。
会津120万石から米沢30万石、4分の1にも収入は減って上杉家はかなりの財政難にみまわれてしまったのね。
米沢に移り住んでからはかなり苦しい生活だったそうよ。・・・というのも、こんな状態になってしまっても景勝は家臣をリストラしなかったの。
誰一人として。そして家臣も、上杉家を見放したりしなかった。
今までの何倍も貧しい生活を強いられることとなってしまった上杉家の人たちだけど、家臣たちは皆、景勝の事を慕って上杉家を支え続けたの。
西軍についた武将の中には捕らえられて罰せられたり、家が取り潰しにあったりする武将もいたわ。
上杉家は、徳川家康に頭を下げる事でなんとかお家を守ったの。
取り潰しにあってもおかしくない状況であったことを考えると、米沢30万への転封は寛大な処置であったのかもしれないわね。
上杉家に関する一大イベント行事!
上杉家といえば越後、春日山城でございます!
春日山城は上杉謙信、上杉景勝と城代をつとめたお城よ。そしてその春日山城があった新潟県の上越市という場所で、上杉謙信をたたえるお祭りが毎年開催されているの。
その名も「謙信公祭(けんしんこうさい)」!
このお祭りは大正15年から続いている歴史あるお祭りなんですって。
鎧を着た武士たちが街道を大パレード!そしてそれだけでなく、上杉と武田の5度にもわたる「川中島の戦い」を再現する場面もあるの。
やはり、越後といえば上杉謙信!との事で主役は景勝でなく謙信ね。変更がなければ今年も夏に行われると思われるわ。
越後、新潟は海の幸も美味しく、空気も綺麗で観光するにはとてもオススメの場所よ♪
何の計画もなく、夏に新潟へ行った事があるんだけど、適当に行った海は綺麗だったし、なんとなく行ってみた市場もカニや魚など沢山あって美味しく、かなり満喫できたわよ~!
詳しくは「謙信公祭公式サイト」をチェケラ♪
謙信公祭とは - 謙信公祭 - 上越観光Navi
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楽しんでいただけたらイイネ!