なぜ直江兼続は直江家断絶を選んだ??あと兜の『愛』って何?

なぜ直江兼続は直江家断絶を選んだ??あと兜の『愛』って何?

直江兼続の妻や子供、直江家の跡継ぎについて

 

直江兼続の正室は、名門直江家の娘・お船という名の女性です。

 

兼続とお船との間には、

 

嫡男・景明(かげあき)
長女・於松(おまつ)
次女・於梅

 

の3人の子供がいたのですが、みな若くしてこの世を去ってしまいました。

 

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関ヶ原の戦いの後、徳川幕府との結びつきを強める為、徳川家康の家臣である本多正信の次男・政重を長女・於松の婿に迎えてして直江家の跡継ぎとするも、結婚した翌年に於松が病死。
しばらくして政重は直江家を去ります。

 

そして跡継ぎとなれるはずだった嫡男・景明はもともと病弱だったらしく、1615年に死去。兼続はお船一筋で一人も側室を持たず、他に子もいませんでした。

 

 

直江家の跡継ぎの為に養子を迎えなさい。


 

 

もういいんです。直江家は私の代で断絶させる事にします。


 

皆、自分のお家の為に戦っていた時代に、兼続はまさかのお家断絶を選んだのでした。

 

それはなぜか??

 

関ヶ原の戦いの後、上杉家は会津120万石から米沢30万石にまで減封されました。

 

かなり厳しい財政状況でしたが、上杉景勝は誰一人として家臣をリストラしませんでした。

 

しかし、財政難とはいえ直江家は上杉家から高禄を与えられる身分です。兼続は直江家を断絶することで、その分の禄を別のところで使えるようにと考えていたのでは?といわれています。

 

 

物凄い忠義者・・・!


 

 

もしくは、ことごとく子供を失って悲しみのあまり絶望して自分の代で終わらせた・・・??


 

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減封されてもめげない!米沢の地を大改革!

 

会津120万石から米沢30万石への転落、土地もお金も少なくなったけど家臣の数は変わらない。

 

米沢の城下町は小さく、城内に住むことができたの上級武士だけで、下級武士は城外の荒地に掘建小屋を建てて住んでいたそうです。

 

 

生活は貧しいし土地も不便すぎる・・・


 

直江兼続はこの状況を打開する為に、様々な改革を行ってきました。

 

足軽などにも土地をまかせ、牛や馬の飼育をさせたり、柿や栗、ゴボウなどを作らせた。
武家屋敷の敷地内でもそういった果樹を植えさせ少しでも生活の糧になるようにした。
生活用水確保の為に治水工事を行った。
米沢城や城下町の建設工事を行った。そして有力な武士や商人を城下町に住まわせた。

 

 

住み良い町になるように頑張った!
城下町が良い感じに完成するまでに10年もかかったの。


 

おまけ・直江兼続の兜が『愛』の理由とは??

 

直江兼続といえば『愛』という感じを前立てにした兜が有名です。

 

数ある戦国武将の兜の中でも『愛』の兜はインパクト絶大!
(名前に『愛』がつくサイト管理人には嬉しい一品。)

 

そして直江兼続が『愛』をチョイスしたのには諸説理由があります。

 

真言密教の仏様で軍神の愛染明王(あいぜんみょうおう)を信仰していたから
もしくは別の軍神、愛宕権現(あたごごんげん)を信仰していたから
民を愛するあまり兜に『愛』って付けちゃった

 

などなど・・・。

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