濃姫より吉乃LOVE!織田信長の妻や子供を簡単な家系図付きで解説!

信長の恋愛事情・・・妻や小姓の森蘭丸について

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織田信長の愛した妻、子供たちについてゆるりとご紹介!

織田信長の妻といえば濃姫(帰蝶とも)が有名ね!

濃姫は信長の一番最初の妻!


正室だったわけでなんだけど、実は分かっているだけで信長には正室の他に9人もの側室がいたのよ~!

 

今回は織田信長の妻について、その妻との純愛エピソード、そして子供達の事についてを簡単に、家系図付きでご紹介っ!

 

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織田信長の妻と子供達の超簡単な家系図

 

ハッキリと分かっているだけでも、織田信長には10人の妻、20人の子供がおりました。

 

ひとまず信長の妻・子供をザーッとみていくとこんな感じになります。

 

織田信長,妻,濃姫,森蘭丸

 

この妻たちの中で有名なのが正室の濃姫、そして信長が一番愛した女性と言われている吉乃(生駒の方とも)です。

 

そして沢山いる子供の中でも特に有名なのが、長男・信忠次男・信雄三男・信孝です。

 

それ意外の男子、女子は残念ながらあまり歴史の表舞台に名前が出る事もなく、生まれた順番が不確かだったり生母が不明だったりします。

 

以下、名前に色付けしてる有名な妻、子供達についてをまとめております。

 

謎だらけ??織田信長の正室、濃姫について

 

織田信長の正室となった女性は濃姫という方で、美濃の大名・斎藤道三の娘です。

 

濃姫は信長よりひとつ年下、信長が14~15歳ぐらいの時に二人は結婚したとのことです。

 

 

普通に政略結婚だよ。

それまで織田と斎藤は敵対関係にあったけど、和睦を結んだのだ。


 

あの有名な織田信長の妻ですが、残念ながら濃姫についての記録はほとんどないらしく、

 

信長と濃姫の夫婦エピソードなんかも残ってないし、信長と離縁して織田家を去ったのか?病気などでこの世を去ったのか?といった濃姫の最後も謎のままなのであります。

 

 

病死説や本能寺で戦死した説、それ以降も生き延びて天寿を全うした説…様々あるみたいだけど、どれも確証は得られないとさ。


 

そして織田信長と濃姫の間に子供が生まれたという記録もないので、二人の間には子供がいないものとされています。

 

がしかし、信長の子供の中には生母不明となっている子もいるので、もしかしたらその中に濃姫が産んだ子がいるかもしれません。

 

 

でも正室が子供産んだら、普通記録に残るよなぁ…。


 

色々とエピソードが残っている織田信長…、

こんなにも濃姫のエピソードが残ってないって事は、凄まじく夫婦仲が悪くて関わりを持たなかった…とか何か特別な事情があったのかも??

 

信長がドはまりした女性、吉乃について

 

 

一番目の妻・濃姫とは全くエピソードがない信長ですが、『吉乃』という側室の事はめちゃくちゃ愛していたらしく、それを示すエピソードが残っております。

 

吉乃は尾張の豪族・生駒家宗の娘で、信長と出会った頃には彼女は未亡人でした。(戦で夫を亡くしたらしい)

 

信長はこの吉乃にベタ惚れし、頻繁に吉乃の住む屋敷に通っていたといいます。

 

 

そう、口説き落として嫁にしたのだ。恋愛結婚だぞ。


 

いつ頃信長に嫁いだのかは不明とのことですが、長男の信忠が1555~1557年の間に生まれているので、信長が21歳~23歳の頃には結婚していたようです。

 

吉乃は側室でありながら正室と同等の扱いを受けていたらしいし、信長は家臣に

 

 

これ、俺の嫁!

吉乃っていうの!


 

と、わざわざ自分で紹介していたほど特別な存在だった模様。

 

戦事の多かった信長ですが、大好きな人を嫁に貰い、子も儲けてきっと幸せな時も沢山あったことでしょう。

 

しかし悲しい事に吉乃は病気がちで、29歳という若さでこの世を去っています。

 

周囲に恐れられる存在であった信長も、この時ばかりは涙を流して吉乃の死を悲しんだといいます。

 

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織田信長の長男・次男・三男の行方について超簡潔にご紹介!

 

織田信長の有名な息子といえば上から3人、

 

長男・信忠
次男・信雄
三男・信孝

 

であります。

 

長男・織田信忠について

 

織田信忠(のぶただ)は嫡男であり、武将として有能だったとの事で、息子達の中でも信長から断トツに厚遇されておりました。

 

1576年には信長から織田家の家督を譲られ、織田家当主となっています。

 

武田征伐などで 活躍し、信長とともに天下統一を目指すも1582年に起こった本能寺の変で、明智光秀の軍勢に攻められ自害に追い込まれました。

 

信忠は武将としてこれから…という時に26歳で生涯を終えてしまったのであります。無念…!

 

次男・織田信雄について

 

次男・信雄の読み方は『のぶかつ』『のぶお』、どちらでもOK。

 

信雄は信長の戦略により、伊勢の大名・北畠 具房(きたばたけ ともふさ)に養子入りして北畠当主となりました。

 

織田信長の死後、織田姓に復帰。

織田家の当主の座を狙うも、信雄はあまり有能でなかったとの事で、誰にも跡継ぎに推薦してもらえず…。

 

その後、織田家では柴田勝家派と羽柴秀吉派の派閥ができるのですが、信雄は秀吉の味方について行動しております。

 

その後、秀吉が織田家を乗っ取る形で出世。

信雄は豊臣家家臣として秀吉に長く仕えるのですが、戦国時代の最後の戦、大坂の陣では徳川家康の味方につきました。

 

なんやかんやで戦国の世を生き抜き、天寿を全う。享年73歳。

 

三男・織田信雄について

 

信忠、信雄の生母は吉乃なのですが、三男・信孝(のぶたか)は別の側室の子供です。

 

信長の死後、柴田勝家が跡継ぎに推してくれるも、

 

 

織田家当主だった信忠様の息子が当主になるべき!


 

と秀吉が主張。

跡継ぎ争いに敗れ、織田家当主の座を逃しました。

 

その後も信孝は柴田勝家派につくのですが、『賤ヶ岳の戦い』で柴田勝家が秀吉に敗北。
信孝も切腹に追い込まれ、25歳でこの世を去りました。

 

信長の孫・三法師(後の織田秀信)について

 

織田信長の孫・三法師が跡継ぎに推され、織田家の家督を継いだのは3歳の時でした。

 

…とはいっても、秀吉の策略により織田家は秀吉に乗っ取られたようなものでした。

 

織田家は信長時代のような勢いを失くし、三法師も豊臣政権下の一大名として長く秀吉に仕えたのであります 。

 

そして天下分け目の関ヶ原の戦い…、

織田信雄は中立の態度で傍観していたのですが、三法師は西軍に組して戦っていたので、改易され高野山に流罪となりました。

 

そして1605年、26歳で死去したとのことです。

 

 

ワシ亡き後、秀吉のせいで子供達が不憫なことに…。


 

織田信長は男性が好き!…といったイメージについて

 

織田信長と吉乃の恋愛事情について書きましたが、信長って男が好きなんでしょう?っていうイメージもあるかもしれない…!

 

信長は小姓である森蘭丸を寵愛したことからか、なんだか『信長は男が好き』といったイメージがついているように思います。

 

戦国時代、男性が男性を愛でるのは衆道と言ってなんらおかしいことではなく、むしろ武士のたしなみとさえ言われていました。

 

ビッグネームどころだと、武田信玄や伊達政宗だって男性とハァン///な関係にありました。

 

信長がぬきんでて『男が好き』というイメージがついてしまっているのは、衆道相手と噂される小姓・森蘭丸があまりにも有能であり、有名になってしまったせいです。

 

蘭丸がさほど有能でなく、ただ可愛がられていただけなら『森蘭丸』という人物は有名になっていなかっただろうし、

 

『信長は男性とハァン///な関係にあった。』なんて話もさほどピックアップされることはなかったと思われます

 

 

ワシが蘭丸を溺愛していたのは、恋愛的に気に入っていたという理由ではないのだ。

そこんとこよろしく。


 

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