さすが天下人!豊臣秀吉が好きになる逸話!
晩年の豊臣秀吉について書いた記事では、だいぶ秀吉のネガティブキャンペーンをしちゃったので・・・、
今回は豊臣秀吉の人柄が伝わってくるようないい話、『天下取っただけあるなぁ~』と感心させられるような逸話をご紹介しているわよ~っ!
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逸話その①さすが人たらし&ホトトギスは鳴かせる派の秀吉
1568年、正月の祝いの席での事…。
槍の柄は長いのと短いの、どっちが戦いに優れてると思う??
ふと、織田信長は家臣達に質問しました
間違いなく、短い槍の方が戦いに優れております。
織田信長の質問に意気揚々と答えたのが、上島主水(うえしまもんど)という名の武士でした。
そしてこれに異を唱えたのが秀吉です。
ワシは長い槍の方が絶対にいいと思います。
長い槍と短い槍で隊を分け、戦わせてみたならば絶対に長い槍の方が勝ちます。
この頃、秀吉はまだ『木下藤吉郎』と名乗っていた時期であり、目立った戦功もない駆け出しの武士でした。
上島主水(うえしまもんど)
は?
木下殿が槍術に詳しいとは初耳だわ。
上島主水は槍術をもって信長に召し抱えられたほどの人物です。
槍術のプロフェッショナルである彼は、ド素人の秀吉に反論されてかなり気を悪くしました。
上島主水(うえしまもんど)
もし俺が50人の足軽を指南し、短い槍の使い方を覚えさせたなら絶対に長い槍の部隊に勝てるね。
それも3日もあれば十分っ!!
じゃあいっちょ戦ってみます?
やらなきゃどっちの意見が本当かわかんないですし。
面白そう!
50人ずつ足軽手配するから、それぞれ3日間訓練して4日目に試合しようぜ!
織田信長も二人の争いに興味津々。
秀吉と上島主水は4日後に試合をすることに・・・。
上島主水は早速、50人の足軽達に槍の指南を開始しました。
短い槍での戦い方を詳しく説明し、朝から晩までみっちり訓練を続けます。
しかし、足軽達はいっこうに技が身につかない。
ハードな練習に愚痴もこぼすし騒ぎ立てたりと散々な状況。
短い槍組はこんな感じで3日間、スパルタ教育に耐えながら汗だくだく&傷だらけになりながら訓練に励みました。
一方、秀吉はというと…
別に訓練なんてしなくていいよ。
美味しいお酒やおつまみを用意したから皆で飲もう♪
やったァ♪
最高だぜ~っ!
こんな感じで3日間過ごし、これといった訓練はしなかったという。
そして試合当日…、太鼓の合図で試合が始まりました。
秀吉の隊はあらかじめ三隊にわかれ、試合が始まったと同時に大きく鬨の声をあげて一気に敵に襲い掛かります。
長い槍で敵を突き伏せ、なぎ倒し、叩く。
そのあまりの勢いに、上島主水が率いる足軽達は訓練の成果を全く発揮できず…。
戦うどころか逃げ回るという散々な状態でした。
試合は秀吉率いる長槍隊の勝利に終わったのであります。
上島主水(うえしまもんど)
なんてこったぃ(´;ω;`)
主水よ、お前の戦い方は個人戦では力を発揮するのであろう。
でも今回はあくまで団体戦。
藤吉郎はそれを十分にふまえ、『団体で勝つ』為の戦い方を足軽どもに指南したのだ。
その通りぃ。
さすがは『鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス』の豊臣秀吉。
頭を働かせ、工夫をこなす事で結果を出すのは若い頃から変わっておりません。
勝ち負けはおいといて、両者の心意気は天晴!
今後もその調子で共に励んでおくれよ。
試合後、織田信長は皆に酒を振る舞いました。
秀吉と上島主水も友の契りを交わしたとさ。
逸話その②大将の細やかな気づかいに…
1583年・・・
『賤ヶ岳の戦い』と呼ばれる戦で柴田勝家に勝利した秀吉は、ひとまず敵の追撃を中止して北国街道に乗り出しました。
すると道中、先の戦で負傷した兵士がそこやかしこに倒れ込んでいる場面に出くわします。
太陽の照り付ける初夏の日、大怪我を負い苦しんでる兵士達の姿を見て秀吉はとても心を痛めました。
何かワシにできる事はないだろうか…。
なんて事を思っている時、秀吉は離れた場所からこの惨状を見物している村人の姿を見つけました。
おや、みんな笠をかぶっている…!
秀吉はその村人達のもとへ家臣を送り、『褒美を出すのでかぶっている笠をくれ』と交渉して集められるだけ笠を調達。
そして、秀吉はその笠を負傷した兵士達に覆いかぶせました。
これを見ていた村人達は、
さすが、大将ともなるお方はこんな細かなところにも気が利くのだな。
と、大いに感心したそうです。
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逸話その③物は言いよう!秀吉の機転の良さに感じる大将の器
秀吉が中国地方の毛利氏と戦をしている最中、本能寺の変が起こり織田信長が死去。
この知らせを聞いた秀吉は、すぐに兵を引き返して姫路城でいったん休息をとりました。
そこで秀吉は家臣達と今後の方針を話し合い、翌日に姫路城を出立する事を決めるのですが・・・
明日のご出陣はやめなされ。
二度と帰ってこれぬ悪日にございます。
なじみの僧侶に日柄が悪いと止められてしまいました。
しかし秀吉は
それはまた一段と吉日!
ワシは主君の為に討ち死に覚悟で戦に行くのだから、そりゃ~二度と姫路城に帰ってくる事はないわな!
と逆にノリノリ。
どこが吉日ですか…(;´・ω・)
生きて戻ってきてくださいよ。
戻ってこないよ。
だってワシが光秀に勝てたなら、その後はワシの思いのままに居城を構える事ができるでしょ?
そうなれば姫路にわざわざ戻ってくる理由がないからね。
そう、明日はどう転んでも吉日なのだっ!!
この秀吉の言葉を聞いた僧侶は
さすが!
なんともめでたい機転を利かすことか!
と感心し、秀吉を送り出したのでした。
逸話その④部下の束の間の休息、その時秀吉は…
とある戦の時…。
秀吉が馬廻り衆の陣小屋を見回っていたところ、鼓を打つ音や歌声が聞こえてきました。
気になって秀吉がその陣小屋を覗いてみると、甲冑姿の武士が三人、歌に踊りにと楽しそうに酒盛りをしておりました。
秀吉は怒ると思いきや、
うふふ。見て、アイツら…。
暇しなくていいね( *´艸`)
追加でお酒持って行ってあげて。その代わり、飲みすぎて酔う事のないようにと伝えてね♪
と、付き添いの家臣に伝えてそのまま陣小屋の前を通り過ぎて行きました。
秀吉が『人たらし』と言われるのも納得の温かみ…。
こういった優しさ、親しみやすさが豊臣秀吉の最大の魅力でしょう!
こんな対応されたら、『この人についていこう!』って部下も思っちゃうわけです。
逸話その⑤おもてなしの心&仏の心で部下を思いやる秀吉
豊臣秀吉は、暇を願い出る(退職)家臣がいれば、自ら茶を点てて別れの挨拶をし、脇差なども与えたうえで
よそで上手くいかなかったら、戻ってくればいいからね。
いつでも召し抱えるよ。
と優しく家臣を送り出しました。
そしてその者が再び秀吉の元へ仕官を願いにやってくると、元の知行を与えて召し抱えたといいます。
『人たらし』と言われるのも納得の温かみ…。
知られざる名言!豊臣秀吉のありがたいお言葉
世の中を見ていると、どんなに信頼関係があって仲の良い間柄でも、みなワガママから不和となっている。
自分が好む事は、他人は好まないものなのだ。
将たる者はそこに気をつけなければならない。
ひそかに、自分に似ている者を目付に監視させ、その者の行動の良し悪しを聞く。
そうする事で自分の善悪を悟り、万事に気を付ける事ができる。
この心がけがなければ、自分の悪い部分がわからないまま、事を悪い方向へ導いてしまい、しまいには人に疎まれ、家を滅ぼし身を失ってしまうだろう。
自分の良い所も悪い所もよ~く把握し、日々の行動に気を付けろ。という事ですね。
素晴らしい名言、さすがは天下人。
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