農民から天下人へ!豊臣秀吉の生涯とその功績をゆるりと解説!

農民から天下人へ!豊臣秀吉の生涯とその功績をゆるりと解説!

豊臣秀吉の生涯とその功績をゆるりと解説!

ここでは秀吉が織田信長に見いだされ、天下統一するまでの流れや活躍、秀吉の功績なんかをわかりやすく解説しているわよ!


農民出身の秀吉が武士として台頭できたのはなぜ??

 

豊臣秀吉は尾張(愛知県)の農民の出身だというのが定説であります。

 

生活は貧しく、幼い頃は満足に食事がとれていなかったそうで、栄養不足からか体が小さかったそうです。

 

 

ワシが大人になっても小さくて顔が猿みたいにシワシワしてるのは、成長期に栄養がとれていなかったせいとか言われてるみたい。


 

そして18歳で織田信長に仕えるまでは、商人として諸国を渡り歩いていたと言われております。

 

その為秀吉は、武士社会で暮らしている人では得ることができない知識や経済感覚を身につけていたと思われます。

 

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秀吉の出世のきっかけとは?何が信長に評価された?

 

秀吉が織田信長に目をかけてもらうきっかけとなったのは戦での活躍ではなく、意外にも城の工事だったのです!

 

・・・ある時、信長は居城である清洲城の堀が崩れたのを修理させる為に、九郎次郎という者を現場の指揮官に命じました。

 

がしかし、3週間経っても全然仕上がらない。

 

 

こんなんじゃいつまで経っても終わんないよ!もし今敵が攻めてきたらどうすんのさ!
ワシならこんなもん三日で終わらせるっつうの〜っ!


 

 

なんだ猿、自信満々だな。そんなに言うなら三日でやってみせろ。


 

秀吉の呟きを聞いた信長は、指揮官を秀吉に交代させました。

 

秀吉は早速、大工ら職人を招いて作業の計画を立て、三日で終わらせるように指示をだしました。

 

 

ワシの作業計画なら間違いなく三日で修理は終わる!信長様にワシの才能を認めてもらう大チャンスだっ!


 

しかし、ここで邪魔が入ります。もともと指揮官を命じられていた九郎次郎です。

 

九郎次郎は秀吉を蹴落とす為、

 

 

あの猿の命令は聞かんで良い!工事を遅らせるのだ!


 

と、秀吉の雇った職人に金を握らせました。凄くベタな復讐であります。笑

 

そして職人達は、急いでるフリをしながら完成が遅れるように作業を進めました。

 

 

様子がおかしいぞ。九郎次郎のやつ、なにか職人達に吹きこんだな・・・?!


 

九郎次郎の悪巧みに気づいた秀吉は、職人達に休憩をとらした際、酒やつまみを出して彼らをもてなしました。

 

 

皆、信長様の領地に住んで家族と平和に暮らしていると思うんだ。
近隣の国々が敵同士である今、いつ城に敵が攻め込んでくるかわからないよね。

 

信長様の恩に報いる為、敵を防ぐ為、家族を守る為、一刻も早く城の修理を終わらせたいと思わないかね?


 

 

その通りです(´;ω;`)我々はなんと愚かな事を・・・。必ず三日でやり遂げてみせましょう!!


 

秀吉の暖かい説得により、職人達は心を入れ替えて作業を再開、見事に三日のうちに完璧に城の修理を終わらせのであります。

 

信長はこの秀吉の働きを褒めて、百貫文の加増をしました。

 

この清洲城の工事で秀吉は、信長からの信頼を得るだけでなく、その人柄の良さで人々を魅了したといいます。

 

美濃攻略戦で信長を感心させた秀吉の『一夜城』!

 

秀吉の出世のきっかけとなったもう一つの大きな功績は、『一夜城』で有名な墨俣城(すのまたじょう)を築城した事です。

 

美濃の斎藤氏と戦うにあたり、尾張と美濃の国境にある墨俣の地はとても重要な拠点となる場所でした。

 

初めは織田家の有力家臣である柴田勝家や佐久間信盛が、墨俣での築城にチャレンジしたのですが、

 

それを阻止しようとする敵国からの攻撃を受けて断念せざるを得ない状況が続いていました。

 

それもそのはず、ただでさえ時間も労力もかかる築城・・・。それを敵の攻撃を防ぎながらやり遂げるのはかなり困難な事なのであります。

 

そこで次に築城チャレンジしたのが秀吉です。

 

 

ワシなら一週間もあれば十分!!


 

秀吉は、あらかじめ川の上流で城の部品を組み立てておき、それを川に流して現場へ運んでパパッと組み立てる、という方法を用いて短期間で見事にミッションコンプリートしたのであります。

 

 

現代でいうところのプレハブ工法だね!ここでワシは自分の人脈を生かして、土木工事に長けた大工職人らを呼び寄せたり、敵に対応できるよう蜂須賀正勝という野武士に協力してもらったよ。


※野武士とは主君を持たないフリーの武士の事。蜂須賀正勝は水運業に携わっていたらしい。

 

織田家を代表する家臣にも成し得なかった事をあっという間にやってのけた秀吉の功績は大きく、これを気に秀吉は織田家内でメキメキと頭角を現していくのです!

 

 

墨俣を拠点に置けたおかげで美濃攻略も上手くいったのだ!


 

 

ちなみに『一夜城』って言われているけど実際は築城計画・準備にかなり時間かかってるし、現場での築城も数日かかってるから一夜で完成してないんだよ!


※城といっても、我々が想像する天守閣があるようなTHE・日本の城といったものではないらしい。あくまで拠点として最低限の役割を果たせる砦を築いたものと思われる。

 

このように秀吉は、戦での槍働きというより、『工夫を凝らして任務を遂行する』『主君の期待以上の仕事を完璧にこなす』といったところが評価されて出世していったんですね〜!

 

戦国三英傑ホトトギスシリーズで豊臣秀吉は、

 

 

鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス


 

と例えられるように、秀吉は頭のキレるアイディアマンといった武将なのであります!

 

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戦でも大活躍!秀吉、ついに城持ち大名へ!

 

清洲城の修理、一夜城で織田家内で存在感を増した秀吉ですが、この頃の秀吉はまだ戦ではパッとした活躍がありませんでした。

 

農民上がりの秀吉であります。いくら頭がキレるとはいえ、戦の知識や経験は生まれながらの武士に劣ってしまうものです。

 

しかし、幸運にも秀吉は竹中半兵衛黒田官兵衛という二人の天才軍師を家臣にする事ができました。

 

この二人が秀吉の家臣になってからは戦においても目覚ましい活躍を見せるようになります。

 

1570年、織田信長は越前の朝倉義景を攻めるのですが、味方であったはずの近江の浅井長政に裏切られ、背後から浅井軍の攻撃を受けることとなってしまいました。

 

朝倉軍と浅井軍の挟み撃ち、織田軍は絶体絶命の大ピンチであります。

 

ここで秀吉は、窮地に陥った織田軍を救うために自ら殿(しんがり)を名乗りでました。

※殿とは、撤退する時に軍の後ろに位置して敵と戦う一番危険な役目。

 

織田家の家臣達は、

 

 

どこの新参者か知らんが偉そうに名乗り出て・・・。お前などに殿がつとまるかね?


 

と秀吉の事をなめくさっていましたが、秀吉は追撃してくる浅井・朝倉軍と奮戦、見事無事に織田軍を撤退させる事に成功しました。

 

この撤退戦で秀吉の事を見下していた武将達は

 

 

や、やるじゃん・・・!見直したんだぜ!


 

と秀吉の事を一目置くようになったんだとか・・・。

 

そしてもちろん、この働きは信長からも十分に評価されました。

 

浅井・朝倉を滅ぼした後、秀吉は恩賞として浅井の旧領である北近江の三郡を与えられました。そしてそこで秀吉は長浜城を築き、城主となったのであります。

 

 

農民上がりのモブ兵から城持ち大名へ・・・!全国の大名達もビックリの異例の大出世だぞっ!!


 

 

身分とか関係ない。結果だした奴はどんどん給料上げるぞ。織田家はそこらへん超ホワイト!


 

秀吉は城攻めが得意!今までにない奇抜な作戦!

 

1577年、秀吉は信長の命令で中国征伐の司令官に抜擢されます。

※中国征伐は、中国地方一帯を支配する毛利氏を本格的に潰しにかかる為の戦。

 

この中国征伐では秀吉の軍師、竹中半兵衛・黒田官兵衛が大活躍しました。

 

『三木城の干殺し』・・・エグい策略だけど凄い策略

 

1577年、播磨の三木城を守る別所長治(べっしょながはる)を攻めるのに用いた作戦が兵糧攻めでした。

 

籠城する側は長期の戦に耐えれるよう、兵糧を補給する為のルートを抑えるのはかなり重要な任務となります。

 

この補給路を絶ち、敵を飢えさせるのが兵糧攻め・・・、

 

秀吉は周辺の食糧を買い占め、城の周りに兵を散らばせ城内に出入りできないように徹底的に包囲を敷いたのです。

 

敵を囲うだけという地味な戦法ですが、味方の損害を出す事なく敵が自滅するのを待つだけなので、攻める側にとってはリスクの少ないイージーな作戦なのであります。

 

しかし、籠城側は地獄です。

 

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じわじわと減っていく食糧、兵の体力も落ち、士気も落ちる。
城外に出ようものなら容赦なく秀吉軍が攻撃してくるし、秀吉軍の徹底された包囲網により援軍も望めない絶望的な状況・・・。

 

あまりの飢えに、草や木までもかじり、壁の中の藁までもむさぼる始末。
死人の肉すら食らおうとする者もいたそうです。

 

三木城の兵糧攻めは2年近くも続きました。そしてやっと城主の別所長治は降伏し、城内の兵の命と引き換えに切腹したのであります。

 

この戦では1000人にも及ぶ兵が飢えで亡くなったそうです。
降伏後、秀吉は生き残った三木城の兵達に食糧を贈りましたが、長い間何も口にしていなかった兵はこれで命を落とした者もいたそうです。

※極度の空腹からいきなり食べ物を胃に入れると体内で異常が起きて命を落とす事がある。

 

 

ムゴいけどこれが戦国時代なのさ・・・。ちなみに、次に攻めた鳥取城も兵糧攻めで落としているよ。


 

 

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大規模かつド派手!備中高松城の水攻めが凄い!

 

三木城、鳥取城を兵糧攻めで攻略した後に取り掛かったのが備中高松城。

 

この備中松山城ではこれまでの常識を覆す超斬新な戦法、『水攻め』で城を落とします。
(秀吉が考えた策とも、黒田官兵衛が考た策とも言われている。)

 

川の水をせき止め、それを備中高松城に向けてドーンと流して城を孤立させるというのが狙いです。

 

理論的には単純ですが、川の水を思ったところへ流しこむなんて常人には思いつかない大変な作業なのです!

 

備中高松城の周辺を入念に調査し、地形や天候を頭にいれて工事の計画を立てる。
周辺の農民たちにも声を掛け、破格の賃金を与えて堤防の工事を手伝わす。
堤防の上に櫓を作り、監視を置いた。備中高松城の兵が外へ出ないよう包囲した。

 

 

惜しみなくお金を使ったおかげで、沢山の人が手伝ってくれたのよ。11日後には工事が完成したのだ!


 

雨が降りしきるという幸運にも恵まれ、備中高松城は瞬く間に大きな湖にポツンと浮かぶ孤城となりました。

 

こうなると城外へ兵もだせず、援軍も来る事ができない・・・。
兵糧攻めの効果もあるし、水かさが増す事で城もどんどん水没していきます。

 

この状態で更に織田信長の援軍も来るとの噂を耳にした備中高松城城主・清水宗治(しみずむねはる)は、悩んだ挙句に自らの命と引き換えに、城内の兵を助けてくれるよう願い、秀吉に降伏したのでした。

 

 

秀吉は城攻めの天才!と言われるけど、半兵衛官兵衛がいてこそなんだよね!


 

続き:

秀吉、人生の転機!本能寺の変勃発!

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