島津が最強と言われるのはなぜ?戦術や強さの秘密を解説!
『戦上手で強い』とのイメージが強い九州の島津一族、その強さの秘密は確かな戦術眼と島津の家風にあった…?
ここでは島津家が異様な強さとカリスマ性を発揮する理由をゆるりと解説しております!
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強さの秘密、島津四兄弟・家族の絆が素晴らしい
戦国時代、大名家では跡継ぎ問題などで兄弟同士が揉めたり、家臣も巻き込んで対立したり・・・とお家内で問題が起こる事は珍しくありませんでした。
戦国時代に突入する前の島津家もかつては身内同士で揉めたりと一族の間でグダグダしていた時期があったようです。
が、戦国時代の島津家はとても固い絆で成り立っておりました。
豊臣秀吉が九州征伐で島津氏を屈服させた際、戦後処理によって島津家の当主が兄・義久から弟・義弘へと引き継がれました。
※しかし、正式に島津義弘が当主になった記録がないから結構あやふやらしい。
これについては、秀吉が島津の勢いを恐れ、島津家内で争いの種を作り弱体化させる為に島津義弘を当主のように持ち上げて扱っていたのでは?と言われているようです。
しかし、その後も兄弟仲は依然として変わらず。
兄・義久が変わらず政治や軍事面での決定権を持ち、弟・義弘はそれに従う形で協力して島津家を支えていったとのことです。
島津四兄弟は皆仲が良く、揃いも揃って有能!そして絶対的な信頼関係と団結力があるのだ!
時々意見が食い違う事もあったけどね。
島津家伝統の最強戦術『釣り野伏せり』が凄い
島津家伝統の『釣り野伏せり』という戦術がとにかく凄い!
島津はこの戦術を用いて自軍の10倍もの兵力を持つ敵に勝利するなど素晴らしい成果を挙げております!
気になるその『釣り野伏せり』とは一体どういう戦術なのか…??
まず兵を何隊かに分け、囮に使う一隊を残して敵が侵攻してくる道の左右に潜ませておく。(草むらに伏せて置くから『野伏せ』)
そして囮となる一隊が敵と真正面から戦う。
ここである程度敵と戦ったら頃合いを見て兵を反転させ、負けを装って逃走する。これが『釣り』。
敵は囮と気付かずにそのまま島津を討つべく追撃、そして囮に気を取られているところに左右に潜む島津の伏兵が敵目掛けて突撃を開始する。
さらに逃走を装っていた囮隊も反転して敵に攻撃を開始、敵は多方面から攻められ袋のネズミ状態となり島津軍に殲滅される。
…というのが島津家お得意の『釣り野伏せり』という戦術であります。
『釣り野伏せり』で見事大勝した戦
1572年 木崎原の戦い
島津軍300VS伊東義祐軍3000。
義弘が参戦。10倍もの兵力差にも関わらず、日向で勢力を誇っていた伊東氏に勝利。この木崎原の戦いは『九州の桶狭間』と言われている。
1578年 高城川(耳川)の戦い
島津軍総勢3万VS大友宗麟軍総勢7万4000。
義久・義弘・歳久・家久の四兄弟がフル参戦、九州一の大勢力である大友宗麟の軍勢に勝利。
1584年 沖田畷(おきたなわて)の戦い
島津軍6000VS龍造寺隆信軍3万。
家久が参戦、総大将の龍造寺隆信を討ち取り完全勝利を飾る。
1586年 戸次川の戦い
島津軍10000VS豊臣・大友連合軍1万3000。
家久・豊久が参戦。豊臣秀吉の九州征伐が本格化する前の戦。
九州に派遣された長宗我部元親・仙谷秀久らと戦い勝利する。
兵の数は諸説あるものの、結構な兵力差があるにも関わらず全ての戦で島津軍が勝利しております。
『戦国最強』と名高いのも納得の戦上手!
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島津の薩摩武士への教えが凄い濃い!
島津四兄弟の祖父・忠良は薩摩武士の心得や道徳観を定める『いろは歌』なるものを作りました。
『いろは歌』には、
昔の人の立派な教えを学ぶだけでは意味がない。大切なのは行動に移す事。
私情を捨てて主君の為に身を捧げよ。でなければ恨みも起こり不満に思う事も出てしまう。
嘘をついてはいけない。勉学に励むように。
いついかなる時も覚悟を決めて生きよ。さすれば命を懸けねばならぬ時も未練など感じない。
…このような教えが綴られております。
そしてとにかく薩摩武士は勝利することに強い執念を持っているようで、
お国の為、島津の勝利の為に命を懸けるのは当たり前!
命など惜しくないし死ぬ事は怖くない!
といった考えが当たり前のようにあったそうです。
なぜ薩摩武士にこのような価値観が強く植えつけられるようになったのかはハッキリとわからないそうですが、日本全国に存在する武士の中でも頭一つ抜けて強靭な精神を持っているのは確かかと思われます。
関ヶ原の戦いの『捨てがまり』も決死の覚悟を持った薩摩武士だからこそ成立する戦術なのでしょうね。
『いろは歌』の教えや代々受け継がれる薩摩武士の精神はもはや洗脳教育…?
ブレない!誇り高き精神で強大な敵に立ち向かう
相手が権力者だろうが、何十倍の兵力を率いた敵であろうが、島津は臆する事なく真正面から立ち向かう!
豊臣秀吉が20万もの大軍を九州に送ってきた時、俄然不利な状況にあっても義弘や歳久は
まだ戦える!!
と強気な姿勢を貫きましたし、関ヶ原の戦いの後では
島津は負けたんだから徳川に頭下げに来い。
という徳川家康からの要請を拒否して
島津は悪くないもん。
ちゃんと島津が悪くない理由もあるし処罰しないでよね?
とこれまた強気な交渉で無罪&所領安堵を勝ち取りました。
強いだけでなく慈愛の心に溢れているのが島津!
島津家には『戦が終われば敵を憎む理由はない』といった教えがあり、戦の後には必ず戦死した敵を供養していたそうです。
1586年の戸次川の戦いで長宗我部元親の長男・信親を討ち取った時にはその遺体を清め、遺品と共に丁重に長宗我部元親へ渡したと言われております。
強いだけでなく人間としてもできている…島津の欠点って何なんだろう。グゥの音もでないほどに完璧かと。笑
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島津最強説まとめ
『戦国最強』といえば島津の他に織田信長や武田信玄、上杉謙信なども名前があがります。
織田信長→絶対的王者気質、恐怖で敵をねじ伏せる。兵農分離で鍛えられた兵、鉄砲の大量所持、兵の動員数の多さが強み。
武田信玄→信玄と家臣達との絆も強く、赤備え部隊や騎馬隊の強さに定評アリ。やや卑怯な策略を用いるのも強さの秘密。
上杉謙信→人の為に戦をする聖人。めちゃくちゃ戦力が高いわけではないけどかなりの戦上手で連戦連勝、神がかった強さ。
島津→戦術面が天才的で戦上手。『死ぬまで主の為に戦いぬく!』のが当たり前な武士ばっかりで個人の戦闘モチベーションが凄い。そして外交も上手。
それぞれ個性がありますが、島津のクレイジーな強さは一際インパクトがあるかと思います。命尽きるまで戦う!という心意気はやっぱり熱くてカッコいいですもんね。
こんな感じで間違いなく島津は強いのである!
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楽しんでいただけたらイイネ!