宇喜多秀家はダメ当主?頑張り屋さんの愛されプリンスをゆるりと解説!

宇喜多秀家はダメ当主?愛されプリンスをゆるりと解説!

宇喜多秀家はダメ当主?頑張り屋さんの愛されプリンス

宇喜多秀家は備前岡山57万石の大名で、豊臣政権トップの役職である『五大老』の一人だったの。


関ヶ原の戦いの時には若干29歳という、若い世代の戦国大名ね!そして実は豊臣秀吉の養子で、めちゃくちゃ秀吉から可愛がられていたの。

 

ここでは宇喜多秀家がどんな武将なのか、ダメなところ、愛されポイントなどをゆるりと解説しているわよ〜!

 

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日本トップクラスの大名家!宇喜多家の跡継ぎのお坊ちゃま

 

宇喜多家は豊臣秀吉の時代に57万石を領する大大名でした。これは秀吉の死後の時点で石高ランキング第6位!

 

1位 徳川家康・・・250万石
2位 毛利輝元・・・120万石
2位 上杉景勝・・・120万石
4位 前田利家・・・83万石
5位 伊達政宗・・・58万石
6位 宇喜多秀家・・・57万石
7位 島津義弘・・・56万石

 

こんな感じで伊達政宗の次に位置していたのであります。

 

そして徳川家康・毛利輝元・上杉景勝・前田利家、この蒼々たるメンバーに混じって『五大老』という豊臣政権トップの役職についておりました。

 

ちなみに、宇喜多秀家はこの中で圧倒的に若い。40〜60歳代のおじちゃんばかりの中、一人だけ20代!

 

なんだかそんなにパッしないイメージがありますが(そんな事ない?笑)、こう並んでいるのを見ると宇喜多って凄い大名家だったんだ!というのがわかりますね。

 

とはいっても宇喜多秀家が凄いわけではないんですよね。宇喜多家が日本トップクラスの大名家になれたのは父親の功績なのです。

 

秀家が当主となった頃には既に宇喜多家は備前岡山の大大名家だったし、秀家が成人する頃には豊臣秀吉の天下で日本は平和な時代だったという…。

 

 

秀家自体は『苦労せずにポンッと大名になったお坊ちゃま』といった感じだよ〜!


 

宇喜多秀家の父親が強烈!しかし息子は・・・

 

秀家の父・宇喜多直家はもともと没落した家の武士で浪人生活を送っていたそうです。

 

なかなか強烈な人物で、裏切り・暗殺・毒殺なんでもアリの手段を選ばない卑劣なやり方で驚異的な下剋上を果たし、備前・美作・備中の三国を支配する大名にまで上り詰めた凄い武将なのであります!

 

そんな宇喜多直家、卑劣っぷりが凄まじすぎて家族にすら信頼されていなかったそうです。宇喜多直家の弟は

 

 

お兄ちゃん何考えてるかわからん。腹黒すぎて怖い。


 

との事で兄に会う時には鎖帷子を着込んでいたし、出された料理は兄が口をつけたものしか食べなかった・・・なんて逸話があるほどです。

 

 

父・直家は松永久秀、斎藤道三と並んで戦国時代の三梟雄と呼ばれているよ。ちょいとダークで頭もキレる策略家・・・といった感じ。


※三梟雄→『戦国三大悪い奴』

 

これだけ聞くと物凄い野心家な印象を受けますが、無理に権力者に逆らうような事はしなかったようです。

宇喜多家は毛利氏の傘下に入っていたが、織田信長が中国征伐で毛利氏を潰しにかかるとすぐに織田信長側に転じるという変わり身の早さを見せた。

 

父親はこんな感じの武将なのですが、宇喜多秀家にはそういったダークな面は全くなかったようです。むしろ親しみやすい性格で人柄も良く、大名達には慕われていたんだとか。

 

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宇喜多秀家は秀吉の超お気に入り!

 

豊臣秀吉は長い間自分に子供がいなかった為、たくさんの養子を迎え入れております。

 

宇喜多秀家もその中の一人、名前の『秀』の一字は『秀吉』からもらったものですね。(もともとは八郎という名前)

 

一説によると、父・宇喜多直家は秀家が10歳の時に病死し、その時に秀家が宇喜多家の跡継ぎとなれるように奔走してくれたのが秀吉だったといいます。

 

 

中国征伐で宇喜多家がこちらの味方となって以来、宇喜多直家はワシと良き関係であったのだ。


 

秀吉は若くして宇喜多家の当主となった秀家を、人質の意味も込めて養子にしたといいます。

 

日本トップレベルの大名家の子だからか秀吉はかなり秀家に目をかけていたようで、とにかく秀家は厚遇されておりました。

 

秀家の結婚相手には、秀吉がめちゃくちゃ溺愛していた養女・豪姫が選ばれました。どれくらい秀吉が豪姫を溺愛していたかというと、

 

 

豪姫が男だったら関白にしていたのに!


※関白は実質、天下人の地位

 

とまで言っていたほど。しかも豪姫の実の父親は前田利家、良家のお姫様です。

 

そして秀吉は晩年、朝鮮出兵に果てしない夢を描くのですが、

 

 

(中国)を手に入れたら秀次を明の関白にする!日本の関白には秀家か秀保!朝鮮の関白には秀家か織田信秀!


※織田信秀は信長の孫。秀次・秀保は秀吉の甥

 

こんな事を言っておりました。

 

宇喜多秀家は朝鮮を征服した後に、日本か朝鮮のトップの地位についていたかもしれないのです。ここに名前があがるだけでも、どれほど贔屓されていたかが伺えますね。

 

 

ちなみに1度目の朝鮮出兵では秀家が総大将に任命されているよ!


 

 

宇喜多の軍事力はでかいし、お気に入りの子に花持たせてあげたいよね。


宇喜多秀家の武将としての評価は低い?ダメ当主??

 

豊臣秀吉からのウケは抜群、立場的には申し分ない立派な大名である宇喜多秀家ですが、一部の家臣からの評判はあまり良いものではなかったようです。

 

宇喜多秀家のちょっぴりダメダメなところ

秀家は秀吉の側にいる事が多く、国の事は家臣にまかせっきりになりがちだった。

 

妻・豪姫が病気になった時、治るよう祈祷してくれたのが日蓮宗の僧だったが全く効果がなく、

 

 

この宗教はダメだ!皆、妻と同じ宗教に改宗しろ!


 

と家臣達に強引に改宗を求めた。(豪姫はキリシタン)

 

宇喜多家には、妻の豪姫とともに加賀からやってきた文官派の前田家の武将達がいた。この前田系家臣グループを秀家が御贔屓にしていた為、昔から宇喜多家に仕える武闘派家臣達の反感を買ってしまった。

 

戦での出費や、岡山城の修理などで国の財政は疲弊していた。にもかかわらず秀家は鷹狩りや猿楽などの娯楽にハマり、そういった専門の人を沢山召抱えて贅沢三昧な生活を送っていた。

これももちろん、武闘派家臣達からかなりの反感を買う事となった。

 

・・・と、このような事があり、武闘派家臣達は秀家に不信感を募らせていたようです。

 

そして秀吉が死去したのをきっかけに、この不信感が爆発。秀家擁護派家臣VS武闘派家臣でお家騒動が起こってしまったのであります。

 

 

あわわわ。えらいこっちゃで!


 

宇喜多秀家にはこのお家騒動をビシッと止める力はなく、やむを得ず前田家からやってきた家臣達を故郷の加賀へ帰国させたそうです。しかし、

 

 

やつらが加賀に帰った?それなら殿が我々の敵だ!


 

と、武闘派家臣団は秀家本人に怒りをぶつけてきたのです。

 

 

もう秀家一人じゃどうにもできないよう。誰か助けて〜(´;ω;`)


 

宇喜多家はグダグダ、当主の面目も丸潰れであります。

 

 

ワシにまかせなっ!


 

このお家騒動は徳川家康が仲介してくれたことでなんとか収束しました。

 

しかし、このお家騒動で秀家を見限り去っていった者も多く、秀家は父の代から宇喜多家に尽くしてくれた有能な家臣達を失ってしまったのでした。

 

 

このお家騒動のせいで『秀家は無能』というイメージがついてしまった…。


 

宇喜多秀家、家臣からの人望はないけど戦に関しては有能?

 

宇喜多秀家のお家騒動に関するエピソードを見ると、なんだか残念な大名に思えてしまいますが、戦に関しては割と立派な活躍をしていたようです。

 

宇喜多秀家が参加してきた主な戦は四国征伐、九州征伐、北条小田原攻め、朝鮮出兵、関ヶ原の戦い…。

 

宇喜多家は57万石の大大名です。戦ではかなりの戦力を動員していたし、戦に挑む姿勢も前向きでなかなかに頼もしい存在だったのであります。

 

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宇喜多秀家29歳、関ヶ原の戦いで見せた男気!

 

豊臣秀吉没後…、

 

本来なら五大老が協力しあって豊臣家を支えていなければいけないのに、徳川家康が天下人になるべく暴走を始めます。

 

 

政府の許可ナシに大名どうしで婚姻関係を結ぶのは禁止します!


 

という決まり事を家康は無視し、加藤清正や福島正則などの秀吉恩顧の武将達と徳川家ゆかりの人物を結婚させていたのです。

 

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アンチ家康派の皆、集合!家康のこの件、どう落とし前つけようか?


 

もちろん、五大老の他のメンバーや石田三成ら五奉行もこれを黙って見過ごすわけにはいきません。前田利家リーダーのもと、緊急会議が行われます。

そして、ここでしゃしゃりでたのが今回の主役、宇喜多秀家であります。

 

 

秀家におまかせを!我が軍勢を率いて家康を討ちとりますっ!


 

アンチ家康派の中で誰よりも若い宇喜多秀家、勇敢にも日本最強250万石の徳川家康の討伐に名乗り出たのであります。

 

 

皆様、かなりお怒りのご様子・・・


 

戦になるか、ならないか・・・というくらいまでピリついていたらしいのですが、結局

 

 

もう約束破りません。すいませんでした。


 

と徳川家康に誓紙を提出させ、ひとまずこの一件は解決することとなりました。

 

しかし、この後しばらくして前田利家が死去。徳川家康は

 

 

ラッキー!怖いもんナシ!!


 

とばかりにますます暴走・・・、そしてついに起こったのが天下分け目の大戦『関ヶ原の戦い』であります。

 

 

秀吉様は大恩ある我が父!秀家は豊臣家の為に戦うぞっ!


 

宇喜多秀家は石田三成率いる西軍。総大将ではないものの関ヶ原の戦いでは1万7000もの兵を動員し、西軍NO1の主力部隊となりました。

 

そしてやる気満々、強気な姿勢でこの戦に挑みます。関ヶ原の地に東軍の武将達が到着した時、秀家は

 

 

敵は到着したばかりで十分に戦準備が整ってない、今すぐ総攻撃をかければ勝てますぞ!


 

と石田三成に進言したといいます。しかし、三成はこれを却下。

 

 

天下分け目の大戦だぞ・・・。慎重にならなきゃ。


 

結局、関ヶ原の戦いは東軍の井伊直政の隊が宇喜多の軍勢目掛けて鉄砲を討ちこんできた事により開戦しました。

 

宇喜多軍はそのまま正面の井伊直政・福島正則らの軍勢と交戦、両軍激しくぶつかりあって良い勝負!・・・と思いきや小早川の裏切りで西軍は一気に敗走の流れに・・・。

 

もしも宇喜多秀家の提案した先手必勝作戦が行われていたら結果はどうなっていたのか、気になるところですね。

 

なにはともあれ、石田三成に作戦を提案したり、強さに定評のある井伊直政・福島正則らと奮戦しているところをみると、宇喜多秀家は戦に関しては割と有能だったように思います。やる気のある子なので好印象。笑

 

 

これが最後の戦となってしまったのは、なんだかもったいないね。未知の可能性を感じる。


 

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