藤堂高虎は豊臣秀吉から『桐紋』の家紋をもらったけど・・・

藤堂高虎は豊臣秀吉から家紋をもらったけど・・・

藤堂高虎は豊臣秀吉から家紋をもらったけど・・・

 

世渡り上手の藤堂高虎!ある日、豊臣秀吉から家紋を受け賜わるんだけど、高虎はその家紋を・・・・


 

 

 

 

 

 

 

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藤堂高虎はなぜ何回も主君をかえたのか?

 

藤堂高虎は何度も主君を変えている事で有名な武将なの。

 

『武将たるもの7度は主君を変えねば本当の武士とは言えぬ』といった名言(?)を残しているのよ。

 

藤堂高虎は有名どころだと、浅井長政、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康・・・といった面々に仕えてきたの。
他には浅井長政の家臣、秀吉の親族にも仕えた経験があるので、細かく言うと7度以上は主君を変えているのよね。

 

藤堂高虎はなんでこんなに職場を転々としていたのかというと、身を立てる事を第一としていたからなの。

 

『ここの会社よりあっちの会社のほうが未来があるな・・・』と思えばサーッと乗り換えていたのよね。
『ズル賢い』といった言われ方をする事もあるけど、賢い、世渡り上手とも言えるわね。

 

実際、もともとは小土豪の侍だった高虎だけど、最終的には徳川家康に仕え、伊勢32万石の大名にまでなっているのでかなりの出世を果たしているの。

 

戦国の世、先を見る目が凄い!

 

1598年、天下人であった豊臣秀吉がこの世を去ると、だんだんと豊臣家の勢いに陰りがでてきて、『これからは徳川家康の世の中になるのかも・・・』と家康に味方しようとする大名たちもでてきたの。

 

藤堂高虎も、秀吉の死後は家康派の武将となるんだけど、高虎の凄いところは秀吉がまだ存命だった頃から家康に目をつけていたという事。

 

1584年、小牧長久手の戦いで徳川家康という男を知って、『この人はいずれ大物になる!』と確信した高虎は家康にコンタクトをとり、それ以降家康と良好な関係を続けていたの。
未来を知っていたかのような完璧な取り入り具合ね。笑

 

そして関ヶ原の戦いで高虎は東軍に所属し、西軍の武将を東軍に寝返らせることに成功させたりと、家康の為に働いていたのね。
家康は自分に尽くしてくれる高虎の事をかなり信頼していたみたいよ。

 

藤堂高虎は築城の名手!

 

藤堂高虎といえば築城の名手としても有名で、数多くのお城をプロデュースしてきたの。
高虎の手がけるお城は、石垣が高く、堀の位置に工夫をこなし敵が侵入しにくいようなお城が特徴とのこと。

 

お城の設計図を書いて、家康にチェックしてもらったら

 

 

このお城はあまりにも難攻不落すぎる・・・。


 

とNGをくらったこともあるそう。一体どれほどまでに複雑な設計をしたのか気になるところね。笑

 

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藤堂高虎の兜がウサ可愛い!

 

藤堂高虎といえば変わった兜の持ち主としても有名なのよ。うさ耳っぽいですが、これは中国の冠をもとにデザインされたものなんだとか・・・。
実際に、この兜の展示を見た事があるんだけど、想像以上にウサ耳部分が長くてすごい迫力があるの!

 

そしてこの兜については少し悲しいエピソードがあるの。

 

・・・高虎はこの兜を後に、親戚にゆずったの。
兜をもらい受けた者は、大阪冬の陣での戦でそれをかぶって戦へ参加したんだけど、それを見た敵が『あの派手な兜って藤堂高虎じゃない?!』と勘違いしてその者を集中攻撃をしたの。

 

藤堂高虎はこの頃ビッグな存在だってので、討ちとったとなると大手柄・・・。勘違いで集中攻撃をされた者は大怪我を負い、帰らぬ人となってしまったの。
高虎は亡くなった彼の事を、とても勇敢な武士であったと褒め称え、その死を悲しんだそうよ。

 

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