今川氏真の年表を簡単にまとめてみた
1538年 | 誕生。
父は駿河の守護大名である今川義元、母は武田信玄の姉。 |
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1554年 | 三国同盟 今川氏、武田氏、北条氏の三者の間で同盟が結ばれる。 同盟に伴い、今川氏真と北条氏康の娘・早川殿が結婚した。 |
1560年 | 桶狭間の戦い 尾張に侵攻した今川義元が織田信長に敗れて討ち死にする。
駿河、遠江、三河を支配下に置く大大名だった今川義元の死がもたらす影響は大きく、周囲の情勢が大きく変わっていく事になった。
今川家の人質だった三河の松平元康(後の徳川家康)は今川家から勝手に離反し、三河に戻っている。 |
1562年 | 織田信長と松平元康が同盟を結ぶ。
氏真的にヤバイ展開。 |
1567年 | 武田信玄との関係が悪化
武田信玄の嫡男・義信が信玄に対する謀反の疑いで幽閉され、自害に追い込まれる。 ※義信は病死説もある 三国同盟が結ばれた際、氏真の妹が義信に嫁いでいたが、これによって離縁となり今川家へ戻った。
その後、今川氏と武田氏の同盟は手切れとなる。 (北条氏は今川氏の味方でいてくれている) |
1568年 | 駿河侵攻 武田と徳川が組んで今川領へ侵攻を開始。
氏真は武田氏に本拠地である駿河の今川館を奪われてしまう。
その後、氏真は遠江の掛川城へ逃れるが徳川軍に包囲される。 |
1569年 | 大名としての今川氏滅亡
およそ半年籠城した後、氏真は徳川家康に降伏、開城した。 その後は妻の実家である北条氏を頼って伊豆→小田原と移る。 |
1573年 | この時期らへん、相模を出て徳川家康のいる浜松に移った。 |
1575年 | 織田信長と京都の相国寺で会見
信長の招きに応じて蹴鞠を披露した。 |
1582年 | 親の仇である織田信長死去。
ここらへんの時期から、氏真がどこで何をしていたのか不明らしい。 |
1590年代 | この辺りの時期、京都にいたらしい。
公家の方々との交流、連歌会を楽しんでいたそうな。 |
1615年 | 死去。享年77。 |
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