徳川家康はなぜ織田・今川の人質になった?どんな幼少時代だったの?

徳川家康はなぜ織田・今川の人質になった?どんな幼少時代だったの?

家康はなぜ今川の人質になった?どんな幼少時代だった?

ここでは松平元康が徳川家康となるまでの人質時代の事や、
松平家の不遇な時代についてをまとめているわよ〜!


 

初めはつまらない話になっちゃうかもしれないけど、ゆるりと見ていってね♪

 

松平家の衰退、家康は今川氏の人質に

 

徳川家康の元々の姓は『松平』です。

 

 

幼名は竹千代、元服してからは松平元康(まつだいらもとやす)だったんだよ〜!


 

松平家は三河国加茂郡(愛知県豊田市)が発祥とされています。

 

松平家は土豪として着々と勢力を拡大させていき、家康の祖父・清康の代で三河をほぼ支配下に置くまでになるのですが、清康が家臣に暗殺されてしまったことで勢力が衰えていきました。

 

そして跡を継いだ家康の父・広忠の代では松平家存続の為に、今川氏の傘元に入ることなりました。

 

広忠の嫡男である家康は、松平家の忠誠の証として8歳から19歳の間、今川氏家の人質として駿府で過ごすこととなります。

 

 

しかも父・広忠はワシが8歳の頃に亡くなってしもうてるから三河の松平家家臣達は当主不在で頑張っていたのだ。


 

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完全に今川に食われた松平家の不遇な時代

 

父・広忠の死後、松平家の本拠地であった岡崎城も今川氏に接収されてしまいました。

 

そして立場の弱い松平家は、戦では危険な場所へ配置されるなど今川氏からいいように使われていたそうです。

 

さらに当時、松平家の財政もあまり良いものではなく、武士であるにも関わらず畑仕事をする事もあったんだとか。

 

松平家の家臣たちは、今川氏に従っている間は苦しく、屈辱的な生活をしていたそうです。

 

家康と三河の家臣たちとの心温まるエピソード

 

家康が人質として三河を去ってしばらくして・・・、

 

ある時家康は、今川氏から一時帰国を許され久しぶりに三河へ戻る事となりました。

 

家康は、久しぶりに見た家臣が汚れた着物を着て畑を耕す姿を見て

 

 

今の松平はこんなに貧しい生活をしているのか・・・


 

と驚愕したといいます。

 

そして家臣たちは家康を蔵に案内し、兵糧や武器、お金を家康に見せました。

 

 

これは殿が三河に戻ってきた時に不便のないよう、今川に内緒でコツコツと貯めてきたものです。

 

三河の家臣たちは皆、殿が三河に戻ってくるのを心よりお待ちしております。


 

 

お前らっ・・・ワシの為に・・・。泣ける・・・。


 

家康は、貧しさや屈辱に耐え、自分の為に頑張ってくれている家臣達の姿を見て感激しました。

 

 

絶対に三河に戻ってくるからね!どんな事にも負けない!ワシ、立派な当主になるから!!


 

この日、家康はこう心に固く誓ったのであります。

 

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帰国のチャンスは突然に・・・

 

今川の人質となってから11年、帰国のチャンスは突然にやってきました。

 

それは、1560年の桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元を討ち取った事がきっかけでした。

 

桶狭間の戦いは、織田軍5000VS今川軍3万(諸説アリ)という兵力の差があり、

 

大勢力を誇る今川義元が負けるなんて、誰も予想しなかったまさかの出来事なのであります。

 

まさかの今川義元の死に、今川の軍勢は大パニックでした。

 

 

義元が死んだ・・・!これは脱人質の大チャンス!
三河帰れるんじゃね?


 

家康は今川家がグダついているのをチャンスと見て三河へ帰国したのであります。

 

そして今川氏のものとなっていた岡崎城も無事に奪還、11年という長い人質生活にピリオドを打ち、やっと今川氏から独立を果たしたのです!

 

 

独立を果たした後に、松平元康の名を改め、徳川家康と名乗っているよ!

 

元康の『元』は今川義元から貰ったものだったからね。


 

実は織田氏の人質だったこともある家康。

 

今川氏の人質のイメージが強い家康ですが、実は今川氏の人質となる前に2年ほど織田氏の人質をしていた事があります。

 

それはなぜかというと、今川氏の人質として三河から駿河へ向かう途中に身内に裏切られ、織田家に売られてしまったからなのです。

 

当時の織田氏と松平家は仲が悪く、戦をすることも何度かありました。

 

そして織田氏と今川氏とも敵対関係であったし、家康を人質に取ることで

 

 

松平さんよ、今川につくのやめな?息子がどうなってもいいのかい?


 

といった脅しができるのです。

 

そして家康が織田氏の人質となったのは、今川氏にとっても厄介な問題でありました。

 

織田氏も今川氏も、三河をものにしたいわけです、

 

松平家は今川氏に臣従の意を示し、家康を人達に差し出してくれる事で三河を今川の支配下に置けるわけですが、

 

松平家が織田氏の言いなりとなって松平家が今川氏と敵対するとまた厄介な事となります。

 

しかし、松平家は家康を織田氏にとられながらも今川氏に従う構えを見せました。

 

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当時の勢力図を考えればそりゃ、今川氏の味方でいたほうが賢明でしょう。まさかここから今川義元を倒すまでになるとは思うまい・・・。

 

そしてその後、家康を取り戻す為に今川氏は信長の兄・信広の守る城を攻めて信広を生捕りにしました。

 

そして人質交換という形で信広を織田家に返し、家康を今川家に返してもらったのです。

 

ちなみこの人質時代に信長と家康は出会っていたと言われています。

 

二人は9歳年が離れているので家康6歳、信長15歳ぐらいの時に出会った事になりますね!

 

よきお兄ちゃんとして遊んであげたりしてたりしたのかしらね?

 

家康は今川家でエリート教育を受けていた!

 

人質というとなんだか聞こえが悪いですが、人質になるってことはそれなりに価値のある人間であるわけで、案外手厚くその家に迎えられるものであります。

 

家康も今川家にいる間は、太原雪斎(たいげんせっさい)という天才と名高いお坊さん軍師の元でエリート教育を施されていました。

 

今川義元は、将来的に家康が有能な武将になって自分の家臣として尽くしてくれることを望んでいたのでしょうね。

 

 

11年の間人質だった、と聞くと不遇な少年時代を過ごしたように思うけど、雪斎師から教育が受けられたのは家康の人生において幸運な事であったよね!


 

次の記事:ホトトギスは待つ!徳川家康という武将の凄さとは?その魅力に迫る!

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