竹中半兵衛の逸話や歴史をゆるりと楽しく解説!
生涯 | 1544年~1579年 |
---|---|
出身 | 美濃(岐阜) |
全盛期 | 美濃の菩提山城に1万石(斎藤家家臣時代) |
主君 | 斎藤義龍、浅井長政、織田信長(豊臣秀吉) |
有名な親族・家臣 | 竹中重元(父)、竹中重矩(弟)、竹中重門(長男)、安藤守就(正室の父) |
思い出の戦 | 姉川の戦い、長篠の戦、三木城の戦い |
竹中半兵衛といえば | 秀吉の軍師、容姿が女性的だったらしい |
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竹中半兵衛ってどんな武将?
竹中半兵衛といえば黒田官兵衛と並んで有名な豊臣秀吉の軍師!
この方、どんな武将だったのかなかなかに不透明なところが多いんだけど、後世に伝えられる人物像や逸話は個性的で面白いわよ~っ!
竹中半兵衛、最初は美濃の斎藤氏の家臣だった
竹中半兵衛は美濃の豪族 ・竹中重元の子。
父・重元は美濃の大名・斎藤道三に仕え、菩提山城の城主を務めていたとのことです。
菩提山城は私の父が築いたお城。
場所は関ヶ原の近くだよ。
そして竹中半兵衛が17歳くらいの時に父・重元が死去。
半兵衛は父の跡を継ぎ、斎藤道三の後継者である斎藤義龍、龍興に仕え、菩提山城城主として1万石を領していたとのことです。
ちなみに織田信長が頭角を現し始めたのもこの時期…!
竹中半兵衛は癖の強そうな人物?その容姿や人柄、性格とは?
竹中半兵衛といえば『軍師』!
あの豊臣秀吉の軍師ということで、なにやら賢そうなイメージがありますが、
そのイメージ通り、幼い頃から兵法を学ぶのが好きで15歳くらいの頃には大人顔負けの兵法家となっていたそうです。
そして半兵衛は、
『その容貌、婦人の如し』
『沈勇にして知略深し』
…と評されていようで、見た目は女性のようで男らしさに欠け、口数少なく大人しい性格だったとのこと。
そんな感じなので、主君の斎藤龍興含め周囲からナメられ、日頃よくからかわれていたんだとか。
人に何を言われても動じる事なく、黙ったままだったんだ。
『陰キャ』ってやつだったのかも。
こんな性格だからか、頭良くて才能あるのに斎藤家ではあまり厚遇されていなかったの。
竹中半兵衛、主君龍興の居城・稲葉山城を強奪しちゃう
斎藤家の人達にナメられていた竹中半兵衛…
半兵衛が大人しいのをいい事に、同僚のイジメはエスカレートしていきました。
稲葉山城でのある日の出来事…
なんと、半兵衛は21歳にもなって、同僚に高場から小便をかけられるというとんでもない嫌がらせを受けてしまいます。
…。
が、半兵衛はノーリアクション。
ここまでされても何も言い返さない…。
きっと同僚達は
それでも武士かよー!ヘタレ野郎め!
なんてにやにやして馬鹿にしたことでしょう。
しかし、いくらスルースキルが高いとはいえ半兵衛も男。
プライドがあります。
(さすがに許さん。見てろよ…私を今まで散々に馬鹿にしてきた斎藤家の奴らをギャフンと言わせてやるっ!)
竹中半兵衛は内に凄まじい復讐心を秘め、ひとまずこの場を静かに立ち去ったのでした。
そして後日…、
竹中半兵衛は稲葉山城に勤めている弟・重矩(しげのり)が病で伏せているのを見舞うとして、自分の配下を10名ほどを城へ送りました。
稲葉山城番人
なんだその大きな荷物は?
中身は?
半兵衛の配下
お城の皆様に振る舞うお酒やおつまみです!
稲葉山城番人
よし、通れ。
半兵衛は配下の者達に武具を持ちこませていたのですが、稲葉山城の者はまさか竹中半兵衛のような大人しい男がよからぬ事を考えてるなんて思いもしないので、中身を確認することなく半兵衛の配下を城へ入れてしまいました。
(計画通りっ)
そしてその後、遅れて半兵衛も稲葉山城へ入り配下達と合流。
で、持ち込んでおいた武器を手に取り、いきなり配下達と暴れまわりました。
手当たり次第、城内の武士に斬りこみをかけたのであります。
もちろん、私に小便をかけた本人も殺害した。
突然の奇襲に城内はパニック。
城主の斎藤龍興もわけがわからないまま城から脱出し、鵜飼山城という城へ逃亡したのでした。
竹中半兵衛はサクッと美濃の大名・斎藤龍興の居城を落とすという偉業を成し遂げてしまったのであります。
竹中半兵衛という男の凄さを、皆に知らしめてやったね。
この一件を聞いて半兵衛に食いついてきたのが、斎藤龍興と敵対関係にあった織田信長…
信長は
半兵衛さん凄い!
ワシの狙ってた稲葉山城をいとも簡単に!
半兵衛さんに美濃半国あげるから、ワシんとこ来ない?
と、破格の条件を提示して半兵衛をスカウトしました。
が、半兵衛はそれを断り、1年後には斎藤龍興に稲葉山城を返しております。
織田家につけば美濃半国の大名になれたのにね。
欲のない人…。
半兵衛はこの後、斎藤家を離れて近江の浅井長政に仕えるも1年ほどで引退。
その後しばらく、不破郡栗原山の麓に隠棲することになります。
ちなみに、戦国武将のエピソードには後世の作り話も多いですが、竹中半兵衛がわずか17名で稲葉山城を落としたのは、信頼できる資料に残された史実であるそうです。
普段大人しい人を怒らせたら怖い…
というのは本当だね~。
稲葉山城強奪事件の補足
竹中半兵衛がこのクーデターを起こした理由は、自分を馬鹿にした奴らへの報復といったふうに語られる事が多いですが、あまり有能でなく酒に溺れるダメ主君だった斎藤龍興を見限ってやった事ともいわれているようです。
竹中半兵衛、三顧の礼で織田家に迎えられる
竹中半兵衛が稲葉山城を斎藤龍興に返してから約2年後の1567年…、
稲葉山城は織田信長に攻められ落城。
斎藤龍興は立場を追われ、大名家としての斎藤氏は滅亡してしまいました。
もう私には関係ない。
これからはまったりと日々を過ごすのだ。
武士を引退していた半兵衛ですが…
そうはさせないんだぜ。
信長様があなたの才能を高く買っておられる。是非とも織田家に来てほしい。
隠遁生活も束の間、半兵衛は信長たっての希望で織田家へと迎えられました。
『三顧の礼』でこられたから、ついついOKしちゃった。
めでたく織田家家臣となった竹中半兵衛はこの後、秀吉の与力となり軍師として活躍していくことになります。
ちなみに竹中半兵衛はあくまで織田家家臣であり、配属先が秀吉の下…という事なので実は秀吉の家臣ではないのであります。
竹中半兵衛は秀吉の軍師!
…ってイメージ強いから意外でしょ?
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織田信長、竹中半兵衛を雇って大正解!
1570年…、
織田信長・徳川家康連合軍VS浅井長政・朝倉義景連合軍の『姉川の戦い』が勃発。
竹中半兵衛は姉川の戦いが勃発する前、浅井家家臣時代の人脈を生かして浅井家家臣達とコンタクトを取り、織田家に寝返らせるという素晴らしい働きをしています。
半兵衛のおかげでワシは苦労する事なく、浅井の守る砦や支城を突破する事ができたのだ。
自分の才覚に絶対の自信を持っていた竹中半兵衛
1575年…、
織田信長・徳川家康連合軍VS武田勝頼の『長篠の戦い』が勃発。
織田信長が当時珍しかった鉄砲を本格的に戦場に導入し、三段撃ちなる戦法で革命を起こしたのがこの戦…。
さておき、竹中半兵衛もこの戦に参加。
秀吉と共に織田軍の一員として、兵を率いて戦場に立っておりました。
そして織田軍と武田軍、これからどう戦局が動くのか…という時、武田軍の一部が織田軍の左側へと向かって動くのですが、
これを見た秀吉の家臣・谷大膳は
谷大膳
武田軍は左から迂回して攻撃にでる模様!
我々も左へ移動しましょう!
と秀吉に進言しました。
これに対し、竹中半兵衛は
いや、武田軍の動きは一時的なもの。
今は動くべきではない。
こう主張しました。
…が、秀吉は半兵衛の意見を却下し、配下達に左へ移動するよう命令を下しました。
その時、竹中半兵衛は…
行ってらっしゃい(´-`)
私は動きません。
上司の言う事聞けないの?
軍律違反だよ?
断固として兵を動かさず。
半兵衛は
自分が正しいと思う判断は変えない。
私が間違うはずがない。
といった頑固で自信家なところがあったようです。
結局、この場がどうなったのかというと…
半兵衛の目利き通りに武田軍はもとのポジションに戻ってきたのでした。
アチャッ。面目ねぇ。
判断力ばっちし、竹中半兵衛の有能軍師っぷりを示すエピソードであります。
ちなみに半兵衛は、どんな場面においても荒ぶった態度をとる事なく、兵士達からとても慕われていたそうです。
竹中半兵衛meets黒田官兵衛!『二兵衛』、始動す。
長篠の戦いの後、勢いを増していく織田信長は中国地方の制圧に本格的に乗り出します。
俗にいう『中国征伐』!
ワシがこの中国征伐のリーダーを務めたんだぞぅ。
竹中半兵衛はこの中国征伐でも秀吉に従い、軍師として戦に携わっております。
そしてこの中国征伐の最中、播磨の小寺政職の家臣だった黒田官兵衛が秀吉の与力に加わりました。
半兵衛と官兵衛…。
どっちも『兵衛』…。
という事で、秀吉を支える天才軍師二名は『二兵衛』、『秀吉の両兵衛』なんて呼ばれるようになります。
二人の天才軍師に恵まれて絶好調!
怖いもんなし!
幸先良し!な秀吉達でしたが、中国征伐の最中に黒田官兵衛が事件に巻き込まれ、大変な事態が起こる事に…!
竹中半兵衛、危険を顧みずに黒田官兵衛の息子を救う
1578年…
織田家家臣・荒木村重が突如として謀反を起こし、摂津の有岡城に籠城するという事件が発生。
村重殿~、織田家に逆らってもいいことないよ~。
黒田官兵衛は荒木村重を説得するため単身で有岡城へ出向くのですが…
説得に失敗し、そのまま捕えられ幽閉されてしまいました。
官兵衛は最終的には助かるのですが、約一年という長い期間幽閉される事になります。
このような事態になっている事を知らない信長は…
官兵衛が帰ってこないだと?
まさかアイツ…裏切って荒木の味方についたな?!
許さん!!!!
こう思い込み、官兵衛の息子・松寿丸(後の黒田長政)を処刑するよう秀吉に命じました。
この時、竹中半兵衛は…
官兵衛、何かあったに違いないよ。
裏切るとは思えないもん。
ですね。松寿丸があまりにも不憫…。
私が上手く匿います。
信長にバレないよう、こっそりと松寿丸を匿い保護したのでした。
(しかし、首実検で偽首を差し出したらしいので誰かが犠牲になってしまった模様…。)
官兵衛は半兵衛が亡くなった後に救出されるのですが、この話を聞いて半兵衛に深く感謝したのは言うまでもなく…
織田信長も危険を顧みない半兵衛の思いやりに感心し、命令を無視して自分を欺いていた事については誰も咎めませんでした。
静かな軍師、だけど熱い武士魂を持っていた竹中半兵衛
1578年…
秀吉は播磨の別所長治(べっしょながはる)が籠る三木城の攻略を開始…。
※別所長治…織田家に臣従していたけど反旗を翻した為に攻められる事になった。
三木城の戦いといえば『三木の干殺し』と呼 ばれる兵糧攻めが有名なのですが、この兵糧攻めは竹中半兵衛が秀吉に進言した策だといわれております。
敵の食糧ルートを断って城を包囲。
援軍が来ない限り、敵は降伏するか餓死するかの二択…
兵糧攻めは時間はかかるけど、自軍の兵士を傷つけることなく敵を倒せるという、味方にとても優しい作戦です。
(しかし敵側は地獄)
私はいつも『味方の被害を最小限に抑えて敵に勝つ』事を信条に作戦を考えていたのだよ。
三木城は攻略開始から約二年間後に落城するのですが…、
竹中半兵衛は肺の病により、落城を迎える前に陣中で病死。
36歳という若さでこの世を去ってしまいます。
秀吉は以前から半兵衛の体調を気づかい、
しばらく屋敷に戻ってゆっくり休んだほうがいいのでは?
と療養するよう勧めていたそうですが、半兵衛は
戦場で死ねるなら本望。
武士ですから。
と自ら望んで戦場に留まり続けたといいます。
そして臨終の際、半兵衛の元へ駆けつけた秀吉は
これからワシは誰に先鋒を任せればよいのだ。
と涙を流して嘆くのですが、これに対して半兵衛は
私の器量に適う者はいないでしょう。
けど、神子田半左衛門ならある程度は使いもんになると思います。
※神子田半左衛門(みこだはんざえもん)…秀吉の家臣。半兵衛がこう言ってたわりにはパッとした活躍はない模様。
と答えて息を引き取ったそうです。
凄い自信…!
ですが、自分でこう言い切れちゃうのはカッコイイですね。
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織田信長も豊臣秀吉も半兵衛を警戒していた?
基本的に大人しい性格だし、せっかく奪った稲葉山城を持ち主に返すなど、あまり野心を感じられない竹中半兵衛…。
しかし、竹中半兵衛の才能、自信家なところを見て信長や秀吉は
半兵衛に力を持たすと危ないな。
本気出されたら怖い…。
と警戒していたか、あまり多くの禄を与えず、配下をつけて仕事を与える程度に留め置いていたといいます。
出る杭は打たれる…ってやつか。
でも半兵衛は亡くなったのが早かったので、仕方ない気もしますね。
もっと長生きしていたら天下人・秀吉の右腕的ポジションにいたかもしれないし、そうなるとそこそこビッグな地位を築いていたかもしれません。
取り立てられない理由を察して早めに引退を考えていた…とも言われているよ。
有能すぎるのも苦労しますよねぇ。
竹中半兵衛の教訓が熱い&半兵衛亡き後の竹中家は?
竹中半兵衛は我が子を教育する際も、軍略に重きをおいて教育していたといいます。
シビアな教育パパだったらしく、
子・重門(しげかど)
トイレいってきます。
大事な軍談の途中だろ。
漏らしてでも最後まで聞きなさい。
と我が子を叱ったなんていうエピソードがあります。
そして秀吉が半兵衛に活躍を讃える書状を送った時には
私が厚遇されている事を知れば、子孫達に甘えがでるかもしれない。
このようなものは残すべきではないのだ。
という理由で書状を破り捨てたといいます 。
なかなかに熱い教育…!半兵衛は
息子よ、立派な武士になっておくれ…。
と心から願っていたことでしょう。
しかし半兵衛亡き後、信長は跡を継いだ竹中重門には禄を与えず放置状態だったそうな。
だから重門は直接ワシの家臣になったよ。
その後、重門は半兵衛のように軍師として活躍したわけでもなく、一国の主になったでもなく…で目立った功績はなかったという…。
残念ながら、竹中家が輝いたのは私の代だけだったみたいね。
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