毛利輝元の年表をわかりやすく
1553年 | 吉田郡山城にて誕生。 父は毛利隆元、祖父は毛利元就。 |
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1555年 | 厳島の戦い
毛利氏が中国地方の有力者であった大内氏(家臣の陶晴賢が実権を握っている)に勝利。 大内氏を滅亡に追い込んだ。 |
1563年 | 輝元の父・隆元が死去。 元就の後見を受け、輝元が家督を継承することとなる。 |
1565年 | 第二次月山富田城の戦い
毛利氏が尼子氏の本拠地・月山富田城を攻める。 翌年、尼子氏が降伏。 尼子氏は大名の地位を失い、毛利元就が中国の覇者たる存在となる。 この戦が輝元の初陣だった。 |
1569年 | 大内輝弘の乱
大内氏の一族で大友氏の食客であった大内輝弘が周防に侵攻、毛利方の城を落とすなどする。 輝元の叔父である吉川元春率いる軍勢が九州より戻ってこれを破る。
毛利氏はこの頃、豊前・筑前をめぐって九州の大名・大友氏と度々争っていた が、尼子氏の残党が出雲、大内氏の残党が周防で挙兵したので九州から撤退した。
その結果、九州における味方が大友氏に降伏するなどしたので、毛利氏の九州での支配域は狭まってしまった。 |
1570年 | 出雲へ出兵
尼子氏の討伐の為、輝元、元春、隆景ら6000が出雲入り。 山中鹿之助ら尼子軍6700と戦い勝利した。 |
1571年 | 毛利元就が死去。 毛利家は隆景、元春ほか重臣の補佐を受けて輝元が引っ張っていく事になる。 |
1576年 | 1573年に信長に敗北して逃亡中だった足利義昭が毛利氏を頼って安芸へやってきた。 これに応じたことにより、毛利は織田信長と敵対関係になってしまう。
反織田勢には本願寺、雑賀衆、上杉謙信などもいる。
第一次木津川口の戦い 織田軍に包囲されている本願寺に武器兵糧等を支援する為、毛利方の水軍が摂津方面へ出動。 織田軍を破りって援助に成功。 |
1577年 | 織田信長の命令で羽柴秀吉が中国征伐を開始。 味方のお城が次々と落とされていく。 |
1578年 | 第一次木津川口の戦い
毛利水軍が再び本願寺の支援に出向くも、織田軍に返り討ちにされる。 |
1579年 | 宇喜多氏が織田氏に寝返る
備前・備中・美作を支配下に置く宇喜多直家が毛利氏を裏切り、織田信長の味方についた。
これ以降、味方武将が織田軍に敗北するなど毛利氏にとって不利な出来事が続く。 |
1582年 | 備中高松城の戦い
清水宗治の守る高松城が織田軍の包囲を受ける。 毛利輝元、小早川隆景、吉川元春ら毛利一族の軍勢が総出で援軍に向かうも、水攻めされていたので手がだせず、最終的に和睦を結んで戦を終わらした。
同じ頃、本能寺の変が起こる。 |
1585年 | 秀吉と正式に講和する
この頃になると、秀吉は相当な権力者となっていた。 毛利氏は今後秀吉を敵に回すことを良しとせず、ついに従うことにした。 安芸、備後、周防、長門、石見、出雲、隠岐に加えて備中・伯耆の一部およそ120万石の領有を認めらる。
四国征伐 秀吉の要請に応じ、四国の大名・長宗我部元親を倒す為の戦に参加。 戦後、叔父の小早川隆景に伊予が与えられ毛利一族の支配域が広がった。 |
1587年 | 九州征伐
秀吉の要請に応じ、九州の大名・島津義久を倒す為の戦に参加した。 戦後、叔父の小早川隆景に筑前一国と肥前・筑後の一部が与えられ毛利一族の支配域がさらに広がった。 |
1590年 | 北条小田原攻め
秀吉の要請に応じ、関東の大名・北条氏政・氏直を倒す為の戦に水軍を派遣。 輝元自身は京都の留守を預かっていた。 |
1591年 | 広島城へ移る。
毛利元就の時代から吉田郡山城を本拠地としていたが、広島城に本拠地を移した。 |
1592年 | 文禄の役
1度目の朝鮮出兵に参加、6番隊(もしくは7番隊)として朝鮮へ渡海した。 |
1595年 | 輝元の嫡男・秀就が誕生。 |
1597年 | 慶長の役
二度目の朝鮮出兵。 病により輝元自身は渡海せず、毛利家からは養子の秀元が代表で出陣した。
豊臣秀吉が死去。 秀吉が死去する前、輝元は豊臣政権の最高役職ともいえる『五大老』の一人に任命されている。 |
1600年 | 関ヶ原の戦い
輝元は石田三成率いる西軍の総大将を務めたが、合戦当日は大坂城にあった。 戦は西軍が敗北、その後、輝元は大坂城を明け渡した。 敗軍の将となってしまった輝元は周防、長門29万8000石の大名に転落した。
嫡男・秀就に家督を譲る。 |
1625年 | 病死。享年73。 |
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