小早川隆景ってどんな武将?毛利元就時代の逸話や活躍をゆるりと

小早川隆景ってどんな武将?毛利元就時代の逸話や活躍をゆるりと

徳川家康 ラインスタンプ

小早川隆景ってどんな武将?元就時代の逸話や活躍をゆるりと

言わずと知れた戦国時代の中国の覇者・毛利元就!

 

…の、三男が今回の主役!小早川隆景よ~!


この方、あの豊臣秀吉が東は徳川家康、西は小早川隆景に任せとけば万事OK!日本は安泰!なんて言っちゃってるぐらい有能な武将だったのよ~。

 

それにとっても誠実で素敵な武将なの~!

 

隆景様みたいな人が実際身近にいたなら、関わった女子の9割ぐらい惚れちゃうんじゃないかしらね~?

 

高嶺の花感ハンパない、小早川隆景様の魅力を少しでもお伝えできれば嬉しいわ~。

 

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小早川隆景は完璧で優秀な武将であった

 

毛利元就には正室のほか側室が複数人いて、何気に子供も沢山いるのですが、

 

 

矢は一本だと簡単に折れてしまう。

でも三本を一つにすれば、こんなに細いものでもなかなか折ることができない。

 

これは人にも同じ事が言える。

兄弟三人、力を合わせて毛利家を守っていくのだぞ!


 

という事でお馴染三本の矢の逸話にでてくる元就の息子3人、毛利隆元・吉川元春・小早川隆景はみんな母親が同じ(正室の子)であります。

 

 

名字が違うのは、私と元春が他家に養子入りしてるからだよ。


 

長男・隆元は目立つ活躍がなくちょっと地味な印象…

 

次男・元春は武勇に優れ、鬼吉川なんて呼ばれていた猛将であります。

 

そして三男の隆景はどちらかというと知将。

とても優秀な人物でありました。

 

戦に関しては危険な戦いは避け、謀略を用いて敵を屈服させることに優れているなんて評価されており、

 

政に関しては

 

 

隆景は深い思慮をもって平穏裡に国を治め、日本では珍しい事だが彼の治める国には騒動も反乱もない。


 

とルイスフロイスが記録に残しております。

 

そして隆景は温厚な性格で義に厚く、人望も抜群にあったとのこと。

おまけにスーパー容姿端麗だったとの噂もアリ。

 

そう、小早川隆景は数多存在する戦国武将の中でも抜群にスペックの高い武将なのであります。

 

毛利吉川小早川

毛利家を支える吉川元春、小早川隆景の2人は並んで毛利両川なんて言われている。

 

隆景が小早川家の当主になった経緯&気になる男女関係の噂

 

戦国時代初期…

中国地方は尼子氏と大内氏が二大巨頭であり、隆景が生まれた頃、毛利元就は大内氏の傘下に入っておりました。

 

そして隆景は8歳の時、同じく大内義隆の傘下にあり、瀬戸内海方面に勢力を誇る小早川氏に養子入りする事になります。

 

その小早川氏は本家と分家でわかれていたのですが、隆景が養子入りしたのは分家の方でした。

 

 

小早川分家の当主が亡くなり、跡継ぎがいないから是非きてくれとオファーがあったのだ。

 

亡くなった分家当主の正室が私のイトコだったという縁もあり、トントン拍子で分家の当主ですよ。


 

その数年後…

 

 

本家の当主は病により、いかんせんリーダーシップが発揮できず…。

本家も隆景さんにお任せできないだろうか…。


 

こんな声が上がったので隆景と本家筋の女性が結婚し、小早川家が隆景のもとで統一されました。

 

ちなみに夫婦仲は良かったと言われているみたいですが、隆景は妻と一線引いた関係を保っていたらしく、会う事があれば客人をもてなすかのように他人行儀だったそうな。

 

そして隆景は子供もいなければ生涯側室ももたず。

女性関係についても浮いたお話が一切ありません。

 

でも男性関係については隆景が超絶美男子なもんで、大内義隆の寵愛がハンパなかったといった事がちゃっかり記録に残っております。

 

 

大内義隆はスーパー男色家だったんだ。

私の兄の隆元も食われたって噂…!


 

そんな感じで大内義隆と関わりがあった隆景は…

 

 

そのうち大内氏は滅亡しますぞ。

義隆は趣味や娯楽にふけって政を疎かにしております。

 

家臣の陶晴賢は諫めてはいるものの、心は義隆から離れていると見えます。

他の者も義隆を疎んじてる様子でした。


 

なんてことを元就に言っていたんだとか。

 

 

隆景ったら16歳の時にこんな事言ってたのよ。

素晴らしい洞察力、ワシに似て非凡で賢い子だわ。


 

事実、1551年に大内義隆は家臣の陶晴賢に謀反を起され、自害に追い込まれるという悲しい最期を遂げております。

 

毛利家の運命を変えた厳島の戦いでは隆景も大活躍!

 

大内義隆の死後…

 

陶晴賢(すえはるかた)は大内義長を新たな当主に迎え、それを傀儡として自身が大内家の実権を握りました。

※大内義長は大友宗麟の弟。かつて大内義隆の養子だった。

 

大内氏の傘下にあった毛利元就は、その後も変わらずに大内氏(陶)を支持して従っていたのですが、

 

安芸国内で独自に力を強めていく元就に陶晴賢が警戒し始めた為、両者の関係が悪化、1555年に『厳島の戦い』と呼ばれる戦が起こることとなります。

 

毛利元就は…

 

陶晴賢の家臣を調略して敵の内部を崩壊させた
『厳島の城は守りが弱く、元就は城を襲われるのを心配している』とデマを流し、敵が厳島に攻めて来るよう仕向けた
敵に気づかれないよう嵐の日に上陸し、日が明ける前に奇襲をかけた
城から陸から海から…と多方面から攻撃を仕掛けた

 

↑こんな感じで謀略を駆使し、何倍もの戦力を持つ陶晴賢に勝利しました。

 

 

そう、厳島の戦いの勝利はワシの作戦力あってこそ!


 

…なのですが、小早川隆景の働きがあったから、奇襲を成功させる事ができたという事実も語っておきたいところであります。

 

戦いの舞台は海を渡った先の厳島だったわけですが…

 

 

奇襲を成功させるには素早く兵を送る事、陶軍を囲むのに海上封鎖する事が必須!

 

…なんだけど我々が動かせる水軍だけじゃ足り~ん!

村上水軍三家のうち因島村上家の水軍は味方してくれたけど、全然足り~~~ん!


 

 

残りの村上水軍二家、能島と来島の水軍を味方に引き入れてみせます。

私にお任せあれ。


 

隆景はこの問題を解決させる為に、水軍を束ねる村上通康に使者を送り…

 

 

1日だけ船を貸していただきたい。

厳島へ渡ったらすぐに返しますので。


 

村上通康

 

面白い借り方するね。

覚悟が見える、戦は毛利方の勝ちとなるだろう。


 

無事に快諾を得て、村上水軍の協力を得ていたのであります。

 

 

行きだけでいいの、退路の確保なんていらない。

背水の陣で頑張ります。

 

…という熱い気持ちを村上さんにぶつけたのですよ。


 

そして厳島上陸後には、小早川隊と別隊で陶軍を挟み撃ちにするなどして戦果をあげております。

 

 

村上水軍も敵の水軍を攻撃するなどし、大いに貢献してくれたぞ。


 

奇襲は大成功。

陶晴賢は自害し、大内氏は大名としての地位を失うこととなりました。

 

その後、多くの国人達が毛利氏の傘下に入ることになります。

毛利元就はこの戦で勝利したのをきっかけに、大きく飛躍する事ができたのでした。

 

毛利勢力

毛利直属の水軍に小早川の水軍、そしてここで村上水軍を味方に引き入れたことで軍事力アップ!

瀬戸内海における支配権も広まり、毛利氏の時代がやってきた感。

 

 

瀬戸内海沿岸を本拠地とする私は、おのずと水軍を指揮する立場になってね。

戦場では水軍を率いて活躍していくことが多くなるよ。


 

そして大内氏を倒した後、次に毛利氏の大きな敵となるのが出雲の尼子氏…。

 

毛利元就は石見へ侵攻して諸将を降し、着々と力をつけた後に尼子氏の本拠である月山富田城を攻めました。

 

『第二次月山富田城の戦い』と呼ばれるこの戦に小早川隆景も参戦。

 

この戦は最終的に兵糧攻めを行って1566年に毛利軍が勝利したのですが、

 

それに至るまで、隆景が大将となって討ってでる場面もありました。

 

 

中国地方の二大巨頭であった大内氏、尼子氏を倒した父は中国の覇者というに相応しいビッグな存在になったのである!


 

毛利元就死去、織田信長の台頭でどうなる毛利家

 

1571年、毛利元就が病没。

 

何気にこの時までに隆景の兄・隆元は亡くなっており、その嫡男の輝元が毛利家当主となっておりました。

 

 

これまで父が後見人となって輝元を支えてきたけど、これからは私(と元春)が支えていかねば…!

 

これまで以上に外交も頑張らなければね。


 

隆景は輝元に立派な当主となってもらうべく、教育にはとても力を入れていたとのこと。

 

熱心な指導ゆえに輝元に対して厳しくあたることもあったみたいですが、輝元を主君として敬うことは決して忘れる事なく…

 

隆景は輝元の部屋の前を通る際、そこに輝元がいなくても必ず膝を折って両手をついてから通ったんだとか。

 

 

さておき、毛利元就の死後は織田信長の台頭によりまた一波乱。

 

尾張の小大名だった信長は数々の敵を倒し、ついには将軍・足利義昭を追放して日本の中心部で勢力を拡大させておりました。

 

毛利氏と織田氏は敵対関係になかったのですが、こういった情勢の変化で信長と戦わざるを得ない状況になっていくのであります。

 

 

中国で覇権を握った我々…

次に立ちはだかる大きな敵は羽柴秀吉率いる織田軍!

 

この続きのお話はこちらから↓
小早川隆景の信長、秀吉時代の逸話や活躍をゆるりと


 

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