長宗我部元親と織田信長、豊臣秀吉、明智光秀らの関係をわかりやすく!

長宗我部元親と織田信長、豊臣秀吉、明智光秀らの関係をわかりやすく!

徳川家康 ラインスタンプ

長宗我部元親と権力者達の戦国事情をゆるりと解説!

長宗我部元親といえば『四国の覇者』!

気になるのはやっぱり天下を狙う織田信長や豊臣秀吉との関係!


四国の覇者はこのレジェンド戦国武将達とどういう関係だったのでしょうか??

 

ここでは織田信長、豊臣秀吉、明智光秀をメインに長宗我部元親の歴史を解説しているよ~!

 

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織田信長は長宗我部元親の四国統一を応援!しかし…

 

『天下統一を狙う織田信長』と『四国統一を狙う長宗我部元親』、二人の関係はどうだったのか?

 

…というと、両者の間では同盟が結ばれていて友好な関係を築いておりました。

 

1575年、織田信長と同盟を結んだ頃の長宗我部は土佐一国を統一したばかり。

 

 

これからガンガン四国を攻めるぞっ!


 

こんな状況の長宗我部と手を組むことは、天下統一を夢見る織田信長にとっては好都合な事でした。

 

というのも、四国の讃岐・阿波・淡路の大半を支配しているのが信長と敵対している三好氏だったのです。
※三好氏は畿内と四国に勢力を誇っていたが三好長慶の死後、一族の内紛でグダグダだったのに加え、信長・元親らと争い畿内も四国も不利な状況に追い込まれていってた。

 

 

長宗我部元親は四国統一に向けて讃岐・阿波にある三好を攻めるし、三好氏がそれによって弱まっていくのは信長からしても

 

 

どうぞお好きに領地取っちゃって!

三好がワシに悪い事してこないように頼むよ♪


 

って感じでありがたいことだったのです。

 

そして長宗我部元親からしても、大勢力を誇る織田信長がバックについてくれる事で心置きなく四国で暴れまわれるってわけです。

 

 

信長と元親はウィンウィンで良好な関係だったのだ♪


 

が、しかし、次第に雲行きが怪しくなっていきます。

 

畿内のほうで争っていた三好勢が信長に敗れて降伏し、三好氏と信長が主従関係を結んだのであります。

 

となると…

 

 

ワシと三好が仲直りした手前、長宗我部が三好をイジめるのはちょっと気まずいんだわ。

 

それにちょっと…元親の勢い、驚異的だわ。

いずれワシの脅威となりうる…。


 

始めは元親の四国統一を応援していた信長ですが、元親をこのまま自由にさせるわけにはいかなくなってきました。

 

そして次第に、信長は元親との信頼関係を壊すような行動にでていくのであります…。

 

織田信長の長宗我部元親に対する一方的な要求が理不尽すぎ

 

長宗我部元親の四国統一事業は順調・・・

 

元親が勢力を拡大させていくにつれ、三好氏はどんどん立場が弱くなっていきました。

 

畿内で暴れていた三好勢は既に崩壊…。

残る四国の三好勢では単独でどうにもできないので、長宗我部の侵攻を止めるべく、信長に助けを求める事になります。

 

 

元親が折れて三好と仲良くなってくれりゃ、問題は解決するんだよなぁ。


 

ということで、信長は…

 

 

ワシ、三好と仲直りしたよ。

元親くんも三好と仲良くしてくれないかな?

中国の毛利攻めを計画してるんだけど、三好と一緒に出陣してほしんだよね。

 

あと四国の領地な~…

ナンボか三好に返してやってくれん?


 

元親にこんな要求をしました。

 

 

信長はワシの敵と仲良くなったうえ、ワシが自力で手に入れた領地をよこせとな?!

そんな一方的な要求のめるか!


 

すんなりハイと言えるわけもなく…。

信長の無茶ぶりに元親は激怒し、これを断固拒否しました。

 

そうなると両者の関係にひびが入るのは当然、長宗我部と織田の同盟関係も無かったことになってしまいます。

 

 

元親くんは鳥無き島の蝙蝠かな??

ワシに逆らうと痛い目みるぞ~。


 

 

フン(; `n´)

ワシは四国の覇者たる大名だぞ。

信長が敵になるなんて別に怖くないねっ!!


 

そう、長宗我部元親は四国を広く制圧し、四国内で誰よりも力を持っている凄い大名!

 

…ではありますが、そう現実は甘くありません。

 

この時すでに、織田信長は日本の中心部全域を支配下に置く最強の大大名。

簡単に逆らって良い相手ではないのであります。

 

それになんといっても織田軍は強い!

もともと兵農分離や武器の開発に力を入れており、兵の強さにはかなり定評があります。

 

さらに最先端の武器である鉄砲を大量に保有、日本最強の軍事力を誇っているのです。

 

かたや長宗我部の軍隊は農民中心。

いくら四国最強といえど、力の差は歴然と言えるでしょう。

 

だんだんと現実が見えてきた元親は…

 

 

三好は信長の援護を受けて勢いを増してきた。

いずれは信長も四国討伐に本格的に乗り出してくる・・・思っていた以上にヤバイかも。

 

今からでも謝ろうかな…許してくれるかな??

周りも謝った方がいいって言うし、そうしよう…。


 

信長に謝る方向にシフトチェンジ。

 

が、

 

 

やっぱりワシに従うって?

 

無理。一度逆らってるし絶対許さん。


 

許してもらえず、長宗我部元親は人生最大のピンチを迎えることになります。

 

が、

 

織田軍が四国へ渡海する直前という神がかったタイミングで本能寺の変が起きて信長がこの世を去りました。

 

これにともない四国征伐は中止、元親は命拾いしたのであります。

 

 

ッしゃ!!


 

※ちなみに【島無き鳥の蝙蝠(こうもり)】とは【井の中の蛙大海を知らず】と同じような意味。

 

『四国の中だけでいきがるなよ、おまえは知らねぇだろうが外にはもっと強いやついっぱいいるんだよ!』と、信長は元親に対してこんな嫌味を言っていた。

 

なんだか怪しい本能寺の変。黒幕に長宗我部が絡んでた??

 

本能寺の変が起こったのは1582年。

京を中心とする畿内一帯を支配できればもはや天下人といえた戦国時代、信長はそれ以上の広範囲を支配しておりました。

 

信長が四国を本気で攻めてきたなら、長宗我部は元親の代で滅んでいた可能性も十分にあったでしょう。

 

信長の死によって難を逃れた元親ですが、むしろ織田と長宗我部のいざこざがきっかけで本能寺の変が起こったのでは?という説があったりします。

 

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明智光秀が元親を守った?織田信長はなぜ本能寺で狙われた?

 

本能寺の変勃発前…

 

元親に対する信長の無茶ぶりに1番悩まされていたのは、元親と交流があった明智光秀といわれています。

※長宗我部元親の正室(名前は不明)は、明智光秀の重臣・斎藤利三の親戚。そういう繋がりもあるし、明智光秀は信長の外交官として長宗我部元親とやりとりをしていた。

 

 

長宗我部がワシの言うこと聞いてくれん。

逆らうなら潰すのみだわ。


 

 

『やっぱり信長様に従います。』って元親殿から書状もきてますし、許してやりませんかね?


 

 

ダメ。

一度でも逆らった奴に救済の余地などない。


 

 

さ、左様ですか・・・。


 

 

(光秀殿!なんとかしてくださいよくださいよくださいよくださいょさぃょぃょぃょ・・・・


 

 

(ああっ…元親殿の困ってる顔が目に浮かぶッ…放っておけないよぅ。信長様は完全に許す気はなさそうだし…。

 

板挟みで憂鬱…前々から信長様はワシに暴言吐いたり殴ってきたりもするし余計に嫌になってきた…もういっそ、いなくなればいいのに。)

 

(いなくなれば万事解決……やるか…?!ワシが?!信長を!!)


 

こんな会話があったかはわかりませんが…

 

明智光秀が本能寺の変を起こしたのは長宗我部元親を織田信長の魔の手から救いたかったから…なんて説があるのであります。

 

実際、明智光秀側と長宗我部元親で

 

長宗我部元親,織田信長,豊臣秀吉,明智光秀信長様めっちゃ怒ってるヤバイよヤバイよ~!早く謝って~!

 

長宗我部元親,織田信長,豊臣秀吉,明智光秀元親は信長様に従うって伝えて~!

 

とやりとりした書状が見つかっているんだとか。

 

長宗我部元親,織田信長,豊臣秀吉,明智光秀明智光秀、長宗我部の為に信長を討ちます!

 

なんて事を書いた書状は存在しないから真相は謎だけど、光秀はただでさえ日頃信長からいびられていたみたいだし、この時期かなりストレスがたまっていたと思われます。

 

国の情勢や光秀個人の事情で信長に不満があった、そんな時に本能寺で信長が隙だらけだった。・・・と色んな事が重なった結果が本能寺の変なのかもしれませんね。

 

織田信長亡き後、長宗我部元親は念願の四国統一を果たす!

 

なにはともあれ明智光秀のおかげで窮地を脱した長宗我部元親、ここからまた勢いを盛り返していきます。

 

本能寺の変後、かねてより敵対していた三好氏と再び激突。

中富川の戦いといわれる戦で勝利し、阿波一国を手中に収めました。

 

そしてその後は伊予にも侵攻し、元親は1584年には四国のほとんどを支配下に置く事に成功しました。

 

 

大偉業!

ついにワシは四国の覇者になったのだ!


 

しかし、この喜びも束の間。

長宗我部元親の四国統一後すぐ、豊臣秀吉が四国征伐を決行したのであります。

 

厳しい現実…四国の覇者・長宗我部元親は秀吉に敵わなかった

 

元親が四国でブイブイいわせていた頃、日本の中心で元親の何倍もブイブイいわせていたのが豊臣秀吉でした。

 

秀吉は信長亡き後、今後の覇権を争い柴田勝家や徳川家康らと敵対していたのですが、実は元親は反秀吉派の武将達の味方側におりました。

 

 

勝家殿は戦に負けて亡くなり、家康殿は秀吉と和睦を結び大人しくしなければいけなくなってしまった…。

 

今の状態の秀吉と敵対し続けるのは…ちょっとヤバイかも…。


 

秀吉が頭ひとつ突き抜けてトップにいる状態、四国の覇者といえどもさすがに逆らうのは怖いので、元親は平和的に秀吉と仲良くする道を模索したといいます。

 

そしてそれは秀吉も同じであり…

 

 

元親くん、なるべく戦はしたくないよね。

土佐と阿波の二国を安堵してあげるから、讃岐と伊予をこっちに頂戴?


 

こんな和解案を提示してきました。

 

 

(フザけんなよ自力でゲットした領土そんなに渡せるかよ)

 

えぇ~と、伊予一国だけなら譲ってもいいかな…。


 

 

いやそこは譲れんから。

讃岐と伊予の二国、もらいます。


 

 

いやいや、そこはワシも譲れんので。


 

 

(毛利に伊予あげるって言っちゃったし、讃岐は欲しいんだよなぁ…。

となると…もう自力で四国ゲットするしかないわな。ワシに反抗的なのも許せんし。)

 

そう…残念。

覚悟しときな。


 

交渉は上手くいかず…

元親が秀吉の提案を拒否したことにより、四国征伐が行われることとなってしまいました。

 

 

意地とプライドだけで戦ってやりますよ、ええ。


 

秀吉はこの四国征伐で10万もの大軍を四国に送り込みました。

 

対する元親側は、どんだけ多く見積もっても4万ほどの兵力だったとのこと…

 

しかもその中には寄せ集めの農民の兵とかも多くいたわけで、ぶっちゃけ兵のクオリティは高くありません。

 

秀吉軍の様子を見た元親の家臣は

 

 

敵の軍勢は我々と比べ物になりませんでした。

兵力差もありますが、最新の甲冑に武器をこさえて超強そうで華やかでしたよ…。

 

実際私も城を奪われて命からがら逃げたわけですし…。
ハッキリ言って、我々に勝ち目はありません。


 

と、報告したといいます。

 

 

悔しい…

まるでワシら、外の世界を知らない田舎者のダサ武士じゃないか…(´;ω;)


 

元親は各国の境にあって連絡の取りやすい阿波の白地城に陣を置いていたのですが、

 

秀吉軍は各方面から侵攻すると阿波、伊予、讃岐の城を順調に落としていき、さして苦労することなく元親のいる白地城へと迫りました。

 

 

戦わずして降伏なんてプライドが許さん!

ワシは戦うぞ!例え滅びることになっても!!


 

絶望的な状況ですが、元親は最期まで戦う意思を見せました。

 

しかし、家臣たちの必死の説得により秀吉に降伏することになります。

 

1585年、元親が四国を手中に収めてから一年にも満たない間の出来事であります。

 

 

伊予・讃岐・阿波の三国は没収、土佐一国は安堵!

これよりは秀吉に尽くしておくれよ。


 

 

はい。


 

秀吉はこの四国征伐で四国の人々の結束の強さ、元親の人望を見たようで、元親がいなくなった後の四国の制圧は難しいと判断し、長宗我部を滅ぼすことはせず四国に大名としてとどめおいたといいます。

 

 

元親は家臣や民に好かれてるみたい。

長宗我部を滅ぼして四国を支配したら、ワシはかなり恨みを買う事になっちゃう。


 

それからというもの、元親は秀吉にえらく素直に従うようになり、秀吉のお気に入りの武将の一人として豊臣政権下で安定した地位を築いていくことになります。

 

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長宗我部家崩壊の始まり?!仙石秀久がやらかした

 

四国の覇者から土佐一国に転落してしまった長宗我部元親…。さぞ悔しい思いをしたことでしょう。

 

が、元親は豊臣政権の一員となってからは秀吉に忠実に従い、秀吉からの信頼を得ております。

 

1586年には長男・信親と共に秀吉の九州征伐に従軍します。

敵は島津氏、戦国最強と言われる屈強な戦闘集団であります。

 

そこで元親の人生を揺るがす大事件が…!

 

 

九州上陸後、豊後で起こった戸次川の戦いで元親は戦略の事で仙石秀久と揉めました。

※仙石秀久(せんごくひでひさ)は豊臣秀吉の家臣でこの九州征伐で先鋒隊をまかされていた。

 

仙石秀久

 

すぐさま川を渡って突撃するぞっ!


 

 

いやダメ、島津ナメたらあかん!

援軍を待ってから攻撃に出るべき!


 

仙石秀久

 

いけるって!

秀吉様に認めてもらうチャンスだぞっ☆それ突撃~!


 

長宗我部元親の意見は却下、仙石秀久は独断で島津軍に突撃したのであります。

そして見事に島津軍の『釣り野伏せり』という戦術にハマり大敗北。

 

長宗我部軍もそのあおりを喰らって総崩れ、大打撃を受けてしまいました。

そしてその時の戦いで、元親が溺愛する長男・信親が戦死してしまったのであります…。

 

信親の死で変わってしまった長宗我部元親

 

信親の死は元親に凄まじいショックを与えたようで、この時を境にすっかり覇気を失い別人のように性格が変わってしまったといいます。

 

まず、信親に似ていたらしい四男の盛親を溺愛するようになり、他の息子を冷遇するようになりました。

 

そして何が何でもと、強引に盛親を自分の後継ぎに決めてしまいます。

 

これだけならまだ可愛いもんですが、元親は一部の家臣達が『盛親様は短気な性格、跡継ぎにふさわしくない』と反対したのに激怒し、後継ぎ問題に口出ししてきた家臣二人を切腹させてしまったそうなので相当メンタルが崩壊していたように思います。

 

次男・親和はこういった出来事にショックを受けたか、その後すぐに病気で死去。

三男・親忠は

 

 

お前は後継ぎに選ばれなかったのを恨んでいるな?!


 

と元親に嫌われ、幽閉されてしまいました。

長宗我部家、大崩壊であります。

 

 

元親は人情深く冷静で、家臣の意見にもしっかりと耳をかたむける事ができた『名君』だったのにね。

全ては仙石秀久のせい。


 

ちなみに、四男・盛親の正室には、長男・信親の娘が選ばれております。

 

つまり、元親は自分の孫娘を自分の四男に嫁がせたのです。

いくら信親を溺愛していたとはいえ、ちょっとした狂気を感じます。(昔の感覚だと普通なのかな?笑)

 

おまけ・長宗我部元親の最後&その後の長宗我部家

 

1598年、豊臣秀吉が亡くなると元親は徳川家康に接近し、長宗我部家の安泰を図ったとされます。

(逆に徳川家康が長宗我部をとりこむ為に接近したとも。)

 

しかし元親は

 

 

これからまた世の中変わるんだろうなぁ・・・


 

という大事な時期に体調を崩してしまい、関ヶ原の戦いが起こる1年前の1599年に病死してしまいました。

 

その後、跡を継いだ長宗我部盛親は関ヶ原の戦いで西軍に与して敗北。

領地没収&改易され、大名家としての長宗我部家は盛親の代で滅亡してしまいました。

 

その後、盛親は京都で寺子屋の先生となり細々と日々を送っていたといわれております。

 

その間も大名復帰への野望は捨てず、1615年・大坂の陣に豊臣軍として参戦します。

 

しかし、豊臣軍は敗北。

盛親は再起を計り逃亡するも捕えられ、斬首の刑に処されました。

 

そして盛親の息子達も捕えられてことごとく処刑されてしまったという…。

 

ここで長宗我部家の人間は完全に滅亡してしまったと言われております。

長宗我部氏が四国の覇者だったのが幻のような、なんとも悲しい最後であります…。

※後々、長宗我部家の子孫を自称する人物が現れたという逸話があるけど証拠がないので真相は不明・・・。

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