朝鮮出兵では大活躍?!少年時代の小早川秀秋はどんな感じだった?

朝鮮出兵では大活躍?!少年時代の小早川秀秋はどんな感じだった?

朝鮮出兵では大活躍?!少年時代の小早川秀秋はどんな感じ?

とにかく関ヶ原の戦いでついてしまった『裏切者』のイメージが強い小早川秀秋…。


なんかダメダメなイメージがあるけど、朝鮮出兵では勇猛果敢な戦いっぷりを見せた!

 

けど最終的にはやっぱりチョイ残念な感じ??

 

ここでは関ヶ原の戦い以外のエピソード、小早川秀秋の複雑な家庭の事情や、関ヶ原の戦い勃発までの活躍をゆるりと解説!

 

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秀秋ちゃんが『小早川』となった経緯

 

小早川秀秋は豊臣秀吉の正室・ねねの甥っ子(ねねの兄が秀秋の父)であり、3歳の頃に秀吉の養子となりました。

 

 

実は天下の豊臣一族の人間だったんだぞ☆

『羽柴秀俊』って名乗ってた時期もあったのだ!


 

当時、実子のいなかった秀吉夫妻は秀秋の事をとても可愛がって大切に育てたといいます。

 

特にねねは教育熱心だったようで、道澄という僧侶を秀秋につけて、文字の書き方から歌の読み方、蹴鞠に至るまで一流の教育を施していたといいます。

※道澄(どうちょう)…和歌・書に秀でていた僧侶。豊臣秀吉が尊敬し、信頼を寄せる僧侶だった。

 

 

それゆえ、秀秋は若くして一流文化人の片鱗を見せていたのだ。


 

とにもかくにも可愛がられていた小早川秀秋です。秀吉にいたっては

 

 

勉強頑張るんだよ。

5日に一回は爪を切るんだよ。


 

なんて事をわざわざ書状に綴って秀秋に送っていたらしい。

 

そして秀秋が10歳の頃には、丹波・亀山城に10万石を与え大名に取り立てていたというから驚きです。

 

チョイと過保護&甘すぎな気もいたしますが、秀吉夫妻の溺愛っぷり、小早川秀秋に寄せる期待は物凄かったことが伺えますね。

 

このように、小早川秀秋は豊臣秀次に次いで天下の豊臣家の跡継ぎ候補であったほどの重要人物だったわけですが、秀吉に実子・秀頼が生まれると

 

 

秀頼が1番可愛いっ!

跡継ぎは秀頼しか考えられないっしょ!秀秋スマン、正直扱いに困る。


 

との事でアッサリと他家へ養子に出されてしまいました。

 

 

3歳で父親になってくれた秀吉パパと12歳でお別れ…

子供には酷だよね(;ω;`)


 

秀秋の新しい父親は超有能な小早川隆景

 

秀秋をどこに養子に出すか…と考えていた時、最初に候補に挙がったのは中国9ヵ国を支配下に置く大大名・毛利輝元でした。

 

 

秀秋が毛利家の養子に入って家督を継げば、毛利家は豊臣家のものとなったも同然!


 

秀吉的には跡継ぎ問題の不安要素である秀秋を遠くへやれるし、毛利家を思うままに支配できるようになるという一石二鳥の展開。

 

しかし、これに待ったをかけたのが毛利輝元の叔父である小早川隆景でした。

※小早川家は毛利の分家。毛利家を支える立場にある。

 

小早川隆景

 

確かに輝元にはまだ実子がいませんが、もう跡継ぎ候補の養子がいるんですよ!

 

むしろ私のほうが子供がいなくて跡継ぎに困ってたところなんで、その子を養子にいただけませんかね?

(絶対阻止しなきゃ!毛利家が乗っ取られちゃう〜!)


 

 

うーん…わかった。OK。

(コイツ…わかってて言ってるな?まぁ小早川家でも十分か。)


 

秀吉の魂胆も見え見えですが、小早川隆景の必死さも見え見え。

 

ここは秀吉が小早川隆景の申し出を承諾し、秀秋は晴れて小早川家の養子に入る事になったのでした。

 

そしてその2年後には小早川家の家督を譲られ、筑後・筑前(名島城主)35万7000石の大名となりました。

 

 

でも隆景パパは病気がちでね…、秀秋が当主になった2年後に亡くなっちゃった。


 

小早川隆景は秀吉に

 

 

日本の東は徳川家康、西は小早川隆景に任せとけば全て安泰!


 

と言わしめるほどに有能な人物でした。

それに加えてとても温厚で律儀な性格&かなりの人格者で人望も抜群だったそう。

 

そんな小早川隆景の跡を継いだのが、血縁関係もなければ大名としてのキャリアもほぼゼロのお坊ちゃまなのだから、残された小早川家の人々は不満と不安でいっぱいだったのではないでしょうかね??

 

 

隆景パパが亡くなった時、秀秋はまだ16歳だったし。

大目に見て?


 

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小早川秀秋の跡継事情…義理のお兄ちゃんの末路が悲惨

 

秀頼が生まれるまで実子のいなかった秀吉には、沢山の養子がおりました。

 

中でも豊臣秀次と小早川秀秋は秀吉夫妻の甥っ子とあって別格。

 

そして秀次は秀秋より14歳年上なので、豊臣家の1番の跡継ぎ候補でありました。

 

というか秀次は、秀吉から関白の職(実質天下人のポジションの役職)に、聚楽第という豪華絢爛な邸宅を譲り受けるなど、跡を継ぐ準備万端でした。

 

自分の子供が生まれるなど思ってなかった秀吉は

 

 

早とちりした〜!

今更秀次に『秀頼に跡継がせたいから諦めて』なんて言えないどうしよう〜。

 

それに秀次の野郎、立場を追われるのを恐れて秀頼によからぬ事をするかもしれない!!


 

こんな感じで色々被害妄想があったと思われます。

 

結局、秀吉は

 

 

秀次が秀頼に対して謀反を企んでる!


 

と疑いをかけ、これを大げさに騒ぎ立てて秀次を切腹に追い込みました。

 

そしてさらに、秀次の一族の遺恨や痕跡を完全に消すべく、妻子もことごとく処刑しています。

 

小早川秀秋の場合、秀頼誕生時は11歳と若いし他家へ養子に出しただけですみましたが、秀次の場合は跡継ぎの準備が整いすぎていた為に最悪の結末を迎えてしまったという…。

 

この一連の騒動を見て小早川秀秋は何を思ったか気になるところ…。

 

 

小早川家に入ってなかったら同じような末路を辿っていたかも…?


 

養子入りの件に関しては、跡継ぎ問題に秀秋が巻き込まれるのを心配したねねが徳川家康に相談し、アドバイスを貰ったねねが他家へ養子に出すよう話を進めたとも言われているようです。

 

小早川秀秋が唯一輝いた(?)朝鮮出兵での活躍

 

小早川秀秋の戦場での活躍といえば、関ヶ原の戦いで西軍を裏切り東軍の勝利に貢献したというのが有名ですが、

 

実はその3年前の慶長の役(二度目の朝鮮出兵)では、勇猛果敢な戦いっぷりで武将達をザワつかす活躍をしておりました。

 

それは1597年の二度目の朝鮮出兵・慶長の役での事…。

 

小早川秀秋、実はこの慶長の役で日本軍の総大将をつとめておりました。

 

 

まだこの時16歳!

凄いでしょ?しかもこれが初陣!


 

さしたる経験もない若僧が、初陣にしてなぜ総大将になったのか…?

 

なぜなら小早川秀秋は豊臣一族の人間、秀吉はこの戦で秀秋に花を持たせてあげたかったのだと思います。

 

さておき、この朝鮮出兵で日本軍は朝鮮の蔚山(ウルサン)という地で戦をするのですが、ここでかなりの苦戦を強いられる事となります。

 

加藤清正ら日本軍が約1万の兵で籠る蔚山城に、5万を越える朝鮮・明連合軍が攻めてきたのです。

 

 

兵力差もあるし兵糧も限界!もうダメだ〜 !


 

という時に日本軍の別隊が駆けつけて加藤清正らはピンチを脱するのですが、この時、小早川秀秋も蔚山城の救援に駆け付けております。

 

 

総大将の秀秋がきたわよっ!!頑張っちゃうよ〜!!


 

戦デビューで張り切っていたか、小早川秀秋は自ら先陣切って大活躍!敵首を13もとるという猛将っぷりを見せつけました。

 

しかし…

 

 

鮮やかな戦デビュー!

秀吉様もきっと褒めてくれるねっ☆


 

 

何か勘違いしてませんかね?

総大将なのに率先して敵に突っ込んでくとか馬鹿なの?

 

もし君が死んだら日本軍はそこで終了なわけよ。わかる?総大将って立場、理解してる?

今回の事、秀吉様に報告するからね。


 

 

えっ。


 

若く経験不足の秀秋ちゃんは、まだ総大将という立場を十分に理解していなかったようです。

 

武将達の監視役でもあった石田三成に事の顛末を報告され、小早川秀秋は褒められるどころか秀吉からお叱りを受けてしまいました。

 

そして小早川秀秋は罰として筑前・筑後ら35万7000石から越前・北ノ庄12万石に国替えさせられたのであります。

 

 

石田三成のせいだっ…(`;ω;´)!!


 

 

そう思ってる間はまだまだ子供ね…(´-`)


 

それからしばらくして豊臣秀吉は死去、朝鮮出兵も中断されます。

 

そしてその後、

 

 

秀秋くん、これを機にもとの領地に戻ればいいじゃん!ワシに任せて!


 

徳川家康がもとの領地(筑前・筑後)へ秀秋を戻してくれました。関ヶ原の戦いが勃発する1年前の出来事であります。

 

 

いや、なに勝手に領地与えてんの?

許されないんですけど?


 

秀吉がいなくなってフリーダムな徳川家康…。

 

 

家康さんめっちゃええ人やん。

石田三成の百万倍ええ人や…。


 

 

(チョロイぜ。これで小早川はワシの味方さ。)


 

ここで関ヶ原の戦いの運命は決まっていたのかもしれません。

 

なにはともあれ、小早川秀秋の少年時代はなかなかに波乱万丈。

 

そしてこの後、豊臣家一族のお坊ちゃまとしてぬくぬく育ってきた秀秋は、関ヶ原の戦いで犯してしまった『裏切り』のプレッシャーに耐え切れず不憫な最後を遂げる事に…。

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