毛利元就の厳島の戦い!『天才策略家』との評価は伊達じゃない!

毛利元就の厳島の戦い!『天才策略家』との評価は伊達じゃない!

徳川家康 ラインスタンプ

毛利元就の厳島の戦いをゆるりと解説!

弱小勢力だった毛利元就が大名として飛躍するきっかけとなった戦、それが厳島の戦い!


 

実は『中国地方の桶狭間の戦い』と言われることもあるくらい、見事な下剋上を果たした凄い戦なのよ~!

 

今回は『策士・毛利元就』の凄さと魅力がギュッと!詰まった厳島の戦いをゆるりと解説!

 

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厳島の戦い!合戦勃発までの経緯

 

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元就が毛利家当主となった頃、中国地方は尼子氏と大内氏の二大勢力がしのぎを削っておりました。

 

厳島の戦いが勃発する前、毛利元就は大内氏の傘下に入っていたのですが、その大内氏のトップである大内義隆(おおうちよしたか)が家臣の陶晴賢(すえはるかた)に殺害されるという事件が起こります。

 

ビッグになりたかった陶晴賢は、大内義隆の養子を擁立して自らが大内氏の実権を握ったのであります。

 

陶晴賢

 

やった!権力者になったぞ!


 

とはいったものの、いきなり大勢力のトップが変わったわけなのでしばらくの間、大内氏を取り巻く情勢はかなり不安定でした。

 

陶晴賢

 

尼子がこの隙をついて攻めてくる…!
国人達の力を借りねば太刀打ちできん!

 

特に最近、安芸で力をつけている毛利元就はしっかりと繋ぎ止めてこちらの味方につけなければ…!


 

陶晴賢は毛利元就に離反されないよう、安芸の佐東群という重要拠点と近隣の国人達の指揮権を元就に与えました。

 

 

ありがとう、ワシは陶様のお味方だよ!


 

毛利元就は変わらず大友氏(陶晴賢)を支持しました。

 

国人達の指揮権を得た事で毛利元就の権威は向上、これを良いことに元就は敵対する国人勢力を攻めるなどして勢力を拡大させていきます。

 

陶晴賢

 

最近毛利が勢いついてきた…私が国人達の指揮権を与えたせいだ…。


 

毛利元就の勢いを脅威と感じた陶晴賢は、元就に与えた拠点と国人達の指揮権を返上するよう元就に要求しました。

 

 

むぅ。自分勝手な…。


 

このような事があり、チョイと両者の関係が悪くなってしまいました。

 

そんな時期、陶晴賢は自分に反抗する国人に制裁を加える為に戦をする事になりました。

 

毛利元就のもとに援軍要請が届くのですが、

 

家臣団

 

毛利家もだいぶ力がついてきたし、もう陶晴賢の言うことなんて聞かなくていいのでは?


 

配下の国人達

 

そーだそーだ!逆に陶の野郎を討っちゃって下さいよ!


 

 

そうだね。個人的にも陶には腹立ってたし、ここらで縁切っちゃおう!


 

との事で、元就は陶晴賢の要請を断りました。

 

もちろん陶晴賢は激怒。

 

陶晴賢

 

裏切りやがったな!絶対に許さんっ!!


 

敵対関係となった毛利と大内(陶)、こうして勃発したのが厳島の戦いなのであります…!

頭キレッキレ!策略家の本領を発揮しすぎた厳島の戦い!

 

敵対関係になってしまった毛利元就と陶晴賢…、

 

 

陶が攻め込んでくるのも時間の問題だな…。


 

毛利元就は陶晴賢来襲に備え、厳島に宮尾城という城を築きました。

 

 

敵は大軍、普通に戦っても勝てないから狭い厳島に敵をおびき寄せ、隙をついて一気に叩いてしまおう!


 

という魂胆で厳島に城を築いたわけですが、陶晴賢がこの地をスルーして別のルートで攻めて来たのでは意味がありません。

 

そこで毛利元就はこれでもかというくらい慎重に、綿密に策を巡らせこの戦に挑むのであります…!

 

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元就の策①スパイ返しで敵の内部を崩壊!

 

厳島の戦い勃発前、陶晴賢は毛利側の情勢を探る為、天野慶庵という者をスパイとして元就の元へ送り込みました。

 

天野慶庵

 

陶晴賢に追放されました。

私を毛利様の配下に加えていただけないでしょうか?


 

 

(胡散臭い…。)


 

察しの良い元就はすぐにこの者がスパイだと気づきました。

 

そして逆にこのスパイを利用する事を思いつきます。

 

 

ありがとう!その選択は正しいよ。

実は陶の家臣の江良房栄(えらふさひで)くんも毛利に通じているんだよ。

 

江良くんや君みたいな優秀な家臣が離反するなんて、陶ももう終わりだね。


 

毛利元就は陶晴賢の家臣を勝手に裏切り者に仕立て上げたのです。

 

この嘘を信じてしまった天野慶庵は陶晴賢に報告。

そして陶晴賢もこの嘘を信じて激怒し、刺客を送って江良房栄を殺害してしまったのであります。

 

江良房栄は優秀な策略家、毛利家へ天野慶庵を送り込むスパイ作戦を考えたのもこの方でした。

 

毛利元就は自ら動く事なく敵側の重要人物を排除する事に成功したのでした。

 

元就の策②デマを流し敵を誘い込む!

 

厳島に陶軍をおびき寄せたい元就はとにかくデマを流しまくりました。

 

 

厳島に城を築いたのは失敗だった…あそこを攻められると防ぐ手立てがない…


 

 

厳島の城は重要拠点だけど守りが弱い…陶が来たらどうしよう…


 

事あるごとにこんな弱音を家臣に吐き漏らしていたのです。

 

毛利家の中には陶に通じている者が潜んでおりました。そして元就もそれを知っていたようです。

 

当然、この元就のボヤキは陶晴賢の耳に入ることになります。

 

陶晴賢

 

厳島はすぐ落ちるのか!あそこは国境で拠点にするにはとても良い、すぐに厳島に攻めいるぞ!


 

陶晴賢はすっかりこの情報を信じました。

 

 

怪しくないですか?厳島はひとまずおいといて、毛利の居城を攻めましょうよ。


 

陶晴賢

 

うーん、そうしたほうがいいかなぁ??


 

陶晴賢は家臣の言葉を聞き、厳島攻めを躊躇します。

 

 

なかなか厳島に攻めてこないね…。


 

そこで毛利元就はダメ押しでもう一つ策をぶっ込みました。

 

毛利家家臣の一人を裏切り者に仕立て、陶晴賢に寝返る内容の書状を送らせたのです。

 

 

元就は重要拠点である厳島を奪われるのをとても恐れています。

 

そして陶軍が厳島に向かったとなれば、居城の郡山城を離れて厳島に向かうとの事…。

 

元就の留守中に私が郡山城を占領するので、陶様は厳島に向かい元就をおびき寄せて下さい。


 

陶晴賢

 

居城奪ってくれるのか!ありがてぇ!

それに毛利は弱気みたいだし、すぐさま厳島をゲットしに行こう!!


 

またもや陶晴賢は騙され、まんまと元就の思惑通り厳島に兵を進軍させたのであります。

 

元就の策③敵の意表を突くタイミングで攻撃開始!

 

陶晴賢は3万もの大軍を率いて厳島に上陸してきました。

 

対する毛利側は宮尾城に兵500、そこに毛利元就率いる本隊3000と毛利水軍・村上水軍が加わります。

 

兵数はさておき、毛利元就はあえて嵐に見舞われた悪天候の日に厳島に上陸、そして日が明ける前に陶軍の陣営に奇襲をかけました。

 

毛利元就率いる本隊は陸から攻め、水軍は本隊の反対側から攻める。
そして宮尾城の兵も城から打って出る。

 

陶軍は全く予想していないタイミングで挟み撃ちにあい、ろくに応戦できず総崩れとなったのであります。

 

陶晴賢

 

大軍で来たから思うように身動きがとれない!水軍もいるし島から逃げることもできない(´;ω;`)


 

陶晴賢は島内を逃げ回ることしかできず、やむなく自害に追い込まれ無念の最後を遂げたのでした…。

 

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厳島の戦い後の毛利元就は…

 

厳島の戦いで陶晴賢に勝利したことで、毛利元就は大内氏の支配下にあった周防・長門・安芸を手に入れ、一気に尼子氏と並ぶ有力大名へと成長しました。

 

そして厳島の戦いから約10年後、『第二次月山富田城の戦い』で尼子氏に勝利するとついに毛利元就が中国地方の覇者となります。

 

毛利元就は厳島の戦いで、3500+水軍という少ない戦力で3万もの大軍を破ったわけですが、

 

運が良かったでも奇跡が起こったでもなく、練りに練られた策・周到な戦準備・的確なタイミングで攻め込み、確実なる勝利を手にした

 

というのが凄いところですね。

これぞ策略家毛利元就!といった凄みを感じる戦、それが厳島の戦いであります。

 

 

ちなみに広島の『宮島』と『厳島』は呼び方違うだけで同じ島だぞ。もみじ饅頭が有名だね!


 

おまけ・第二月山富田城合戦でも元就の策略がさえわたる

 

厳島の戦いから7年後に起こった第二次月山富田城(がっさんとだじょう)の戦い…

 

一般的にはあまり知名度の高くない戦ですが、毛利元就はこの戦でも策を駆使して勝利を収めております!

 

超ざっくり、第二次月山富田城の戦い

月山富田城は尼子氏の本拠地。

その防衛拠点となる白鹿城(しらがじょう)を落とした後、月山富田城を包囲し兵糧攻めを開始した。

 

毛利に投降してきた敵兵を見せしめに殺害し、敵の投降を拒否した。これは城内に敵を押し込んで兵糧を消費させる為。

 

尼子軍の結束を崩壊させる為に『尼子軍の中に離反を考えている者がいる』といった嘘の情報を流した。

家臣を疑った尼子義久は家臣を静粛してしまい、家臣団の統率がとれなくなっていった。

 

敵の内部がグダグダになったところで、毛利元就は敵兵に投降を促した。

今度は食事を用意するなどし、丁重に迎え入れる体制をとったので敵兵は次々と毛利に投降していった。

 

 

その後、兵糧も尽きて抵抗する術を失った尼子義久は、ついに毛利元就に投降した。

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楽しんでいただけたらイイネ!

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