関ヶ原の戦い勃発!それぞれの武将達の葛藤、複雑な状況とは・・・?

関ヶ原の戦い勃発!それぞれの武将達の葛藤、複雑な状況とは・・・?

徳川家康 ラインスタンプ

関ヶ原の戦い勃発!その時武将達は・・・。

関ヶ原の戦いとは1600年、豊臣秀吉なき後に起こった、豊臣家家臣達による派閥がもとで引き起った戦です。
関ヶ原の戦いといえば東軍・徳川家康VS西軍・石田三成ですよね。


 

西軍側の大将といえば石田三成!といったイメージがあるかもしれませんが、実は西軍の総大将は石田三成ではないんですね。

 

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豊臣家家臣達にあった派閥とは?

 

関ヶ原の戦いは言ってしまえば、豊臣家の家臣たちによる壮大な大喧嘩・・・、
徳川家康は豊臣秀吉がいなくなった途端、

 

 

今がチャンス!


 

とばかりに自分の権力を拡大していきました。
秀吉が存命の頃、家康は豊臣政権の一員として『五大老』という最高幹部にも任命され、マジメに豊臣家に尽くしてきました。

 

 

ワシがいなくなったら秀頼の事を頼むよっ・・・!ホントにホントに頼むよ!豊臣家の事も五大老で協力して盛り上げていってねっ・・・。


 

 

もちろんです!豊臣家の事も秀頼様の事もワシにおまかせアレ!


 

と、秀吉と家康の間で約束していたのですが、見事な手のひら返しです。

 

 

そんな家康を良しとしなかったのが豊臣恩顧の家臣、石田三成。
三成は幼い頃から秀吉に仕えてきた豊臣家一筋の人間です。

 

豊臣恩顧の家臣といえば、加藤清正、福島正則なんかも有名ですが、彼らは石田三成の事を嫌っていたので関ヶ原では徳川家康の味方につきました。
加藤清正も福島正則も、子供の頃から秀吉に仕えてきた豊臣家の重臣です。

 

家康は、この豊臣家の重臣たちの派閥をうまく利用しました。
石田三成の言い分は

 

 

徳川家康は豊臣家を乗っ取り、自分が一番の権力者になろうとしている!!


 

といったところ。一方、徳川家康の言い分は

 

 

言いがかりはやめて~?ワシ、秀頼様の為、豊臣家の為に頑張ってるもん。(表面上はね。)


 

といったところです。
加藤清正や福島正則からしたら、三成も家康も豊臣の為に働いている家臣・・・。ならば、

 

 

嫌いな三成につくより、権力もある家康につく!


 

となり、家康の味方につきました。

 

石田三成が加藤清正や福島正則らと仲良く、信頼関係を築いていたのなら、徳川家康もうかつに動けなかったはず。
関ヶ原の戦いのような大規模な戦も起こらなかったかもしれなりません・・・。

 

関ヶ原の戦い、西軍総大将は毛利輝元!その時何してたの? 

 

関ヶ原の戦いが起こるにあたり、中心となって奔走していたのは石田三成ですが、同僚であり親友の大谷吉継に

 

 

三成、お前が総大将になったら西軍はダメになるかもだからやめときな?三成はあんまり人望ないからさ?


 

なんてアドバイスをされたので、西軍の総大将は中国地方で名を馳せていた大名の毛利輝元になったんですね。
(親友の大谷吉継にそんな事いわれちゃう石田三成はどんだけまわりに敵作ってたんだっていう・・・。)

 

毛利輝元は中国の覇者でお馴染み、毛利元就の孫で中国地方を統べる120万石の大大名です。
元就の代より、大きな権力を持つ毛利家の当主なら総大将になるには十分のカリスマ性があります。

 

総大将となった毛利輝元ですが、関ヶ原で戦が起きている時は大阪城にひきこもっていただけなんですね。

 

戦が始まる前、家康相手にどう戦うべきかと奔走していたのは石田三成や大谷吉継です。毛利輝元は言われるがまま・・・といった感じ。

 

あれよあれよと総大将に祭り上げられ、結果的に西軍が負けてしまった・・・。そして毛利輝元は約120万石あった所領を四分の一にも減らされたのです。

 

大河ドラマでおなじみ、真田家の関ヶ原での葛藤

 

大河ドラマ 真田丸が記憶に新しい真田家・・・。真田家も関ヶ原の戦いに挑むにあたり、かなり複雑な立場であったといえます。

 

真田家は豊臣政権の一員として成長してきました。そして真田幸村は、秀吉の信頼の厚かった大谷吉継の娘を妻にもらうほどでもあり、豊臣家との関りが深かったのです。

 

一方、幸村の兄の真田信幸は、徳川家康の家臣の本田忠勝の娘を妻にもらっていたし、家康との関係も良かったんですね、

 

家康の味方に付くか、三成の味方につくか、真田家の間でかなりもめたといいます。
結果、真田幸村、昌幸(幸村の父)は三成の味方に、真田信幸は家康の味方に・・・。

 

お互いの立場もあるし、何よりどちらが勝っても真田家の存在は残る。

 

真田家にとってはベストな結論であるかもしれません。
しかし、真田の親子兄弟は関ヶ原の戦いでは、敵として戦う事となってしまいました。

 

結果、西軍は敗北。家康は幸村と昌幸を処刑するつもりでいました。
が、兄の信幸が「命だけはどうか!」と家康に懇願したのに加えて、本田忠勝までも家康に懇願したので真田幸村、昌幸親子は処刑をまぬがれています。

 

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それぞれの葛藤、裏切りの関ヶ原

 

関ヶ原の戦いが始まる前、東軍、西軍どちらに味方に付くか各地の大名は悩みました。
加藤清正や福島正則のように三成嫌い!といった私情で動く人もいますが、現実はそんな簡単な話ではないんですよね。

 

各国の大名はどちらに味方につくか?
どちらが勝敗に有利なのか?
自分の立場を守るにはどちらにつくのが良いのか?

 

色々な事情を抱えて大いに悩みました。その結果、いたるところで裏切りがあったりしたわけです。
有名なのが小早川秀秋です!彼は徳川家康につくか、石田三成につくか、ギリギリまで悩んでいました。
表向きは石田三成に味方していましたが裏では

 

 

東軍の味方になってね!よろしくね、秀秋くん!


 

と家康に頼まれていたのです。

 

小早川秀秋「はい。おまかせあれ!」

 

とは言ったものの、

 

小早川秀秋「どうしよう、どっちが勝つのかわかんない・・・。どっちにつけばいいの?!」

 

と、小早川秀秋は悩みに悩んで戦が始まってからも、戦場であたふたとしていたのです。
戦が始まっても小早川の軍は動かない、家康はそれを遠くから見ていました。

 

 

何やってるんだ!動け!!小早川ー!!


 

と、家康が小早川の軍に向かって合図を送ります。
小早川の軍に向かって鉄砲を打ち込んだのです。THE・脅しです。

 

小早川「ヤバイ!!家康様が怒ってる!!」

 

とビビった小早川は土壇場で家康の味方につくことにしたのです。そして隣にいた西軍の大谷吉継の軍に襲い掛かかりました。(最低です小早川殿!)
近くにスタンバイしていた西軍の武将達もそれを見て、

 

『小早川が家康の味方についた!じゃあ俺たちも!』

 

と一気に裏切りにでたのです。
小早川がここで裏切っていなかったら、石田三成率いる西軍が勝利する未来も十分にあったといわれています。小早川は関ヶ原の戦いでのキーマンとなったんですね。

 

そんな小早川秀秋、関ヶ原の後に石田三成と大谷吉継の亡霊に悩まされ、かなり気を病んでいたといいます。
戦国の世、裏切りは仕方ない事とはいっても、心の葛藤や重圧は相当なものだったんでしょうね。戦国時代でのしあがるには、

 

『裏切りがなんぼのもんじゃい!いちいち人の事なんか気にしとられんわ!』

 

というようなメンタルの強さを持った人じゃないとダメなんでしょうね・・・。

 

女のプライドが豊臣家を滅亡させた?

 

関ヶ原の戦いにて勝利した家康、家康の邪魔をする石田三成はいなくなり、そして家康と肩をならべる権力を持っていた前田利家もしばらくして世を去りました。

 

恐れるもののない家康は突っ走ります。次の天下人は豊臣秀吉の子、豊臣秀頼であったはずなんですが、もはや家康の権力はそれに勝るものになっていきます。

 

家康が何をしても、まわりの人は何も文句がいえない状態ですよね。
どんどんと権力を拡大、ついには「征夷大将軍」という、武家で1番偉い称号をも手に入れてしまうのです。

 

これには秀頼サイドも激おこプンプンです。秀頼のお母さんである淀の方は

 

 

絶対に家康なんか認めないし許さない!


 

と敵対していきました。

 

その結果、大阪冬の陣、夏の陣と2度にわたり戦が起き、ついに豊臣家は滅亡してしまったのです。
家康は、秀頼が自分に頭を下げてくれさえすればよかったので、豊臣家を潰すなんて事は特に考えていなかったそうです。
淀の方が最後の最後まで

 

 

家康に頭を下げるなんてプライドが許さない!


 

と、意地をはってしまったんですね。女性は感情的にものを言うといいますが、まさに、ですね・・・。

 

淀殿がプライドや世間体などを気にする事なく、家臣や豊臣家の存続の事を1番に考える事ができていたならきっと、豊臣家の歴史はもっと続いていたでしょう・・・。

 

人の上にたつ、というのは難しいですよね・・・。とんでもないプレッシャーがあるだろうし、自分の判断で何十人何百人もの人生を左右してしまう。
戦国時代というハードな時代ではなおさらです。

くうはく埋め

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