三好長慶は実質天下人?主君将軍恐れるに足らず!覇権握っちゃったよね~

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三好長慶とは?実質天下人だった武将の下剋上の歴史

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生涯 1522年~1564年
出身 阿波(徳島県)
全盛期 山城、摂津、丹波、和泉、淡路、阿波、讃岐、播磨…と、畿内・四国(の一部分)を広く支配した
主君 細川晴元、細川氏綱、足利義輝
有名な親族・家臣 三好元長(父)三好実休・安宅冬康・十河一存(弟)、三好義興(長男)、松永久秀・三好三人衆(家臣)
三好長慶といえば 天下人狙えるポジションにいた、というか実質天下人?、『ちょうけい』って読んでもいいじゃない

 

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三好長慶の歴史、逸話などゆるりとご紹介

織田信長って、あともう少しで天下人になれたはずだったのにー!ってところで、本能寺の変が起こってこの世を去ってしまうのよね!


 

信長は天下人にはなりそこねたけど、戦国時代に一時代を築いた凄い武将なわけ。

 

でも、信長より先に一時代を築いてブイブイいわしてた武将がいたのよね。

 

それが三好長慶!

 

天下人になれたかもしれない人物だったのに、一般的にはあんまり知名度がないかもしれないのはナゼなのか??

 

今回は三好長慶の歴史や逸話なんかをゆるりとまとめてみたわよ~っっ!

 

生まれは勝ち組!だけどそこそこ波瀾万丈な生い立ちの三好長慶

 

三好家は代々、足利幕府管領である細川家に仕えておりました。

 

その細川家は阿波の守護大名、三好家は阿波の守護代を務めていたという…。

 

 

ワシが世に出る前から三好家は結構な有力者だったのだ。

ちなみに幕府管領は足利将軍家の最高役職だぞ。


 

そして三好長慶の父・元長が仕えていたのが阿波の守護大名・細川晴元。

 

この細川晴元は何事もなければ将軍の右腕的ポジションにあったはずなのですが、

 

長慶が幼い時期、細川一族の権力争いにより晴元は細川高国という人物に立場を追われていました。

※細川高国は将軍・足利義晴を擁立して権力を握っていた。

 

で、そんな晴元を救ったのが三好長慶の父・元長でありました。

 

細川晴元

 

なんとかしてよ元長~(;´・ω・)


 

三好元長

 

ワシにおまかせ!高国やっつけてあげる。

幕府にニューウェーブ起こしちゃお!


 

元長は細川晴元を擁して阿波から畿内へ進出し、細川高国を撃破して将軍・義晴ともども近江へ追放しました。

 

長慶の父・元長は有能でとても良い仕事をしたわけですが…

 

細川晴元

 

元長の勢い怖ェ…。


 

それ故に警戒されてしまい、1532年に謀殺されてしまいました。

 

細川晴元

 

(本願寺の方々とコンタクトをとって一向一揆の大軍を動かして元長を攻めさせたのだ。)


 

その時、息子である長慶はというと…

 

当時11歳と幼かったのもあり助命されてそのまま細川晴元に臣従し、父の跡を継いで三好家の当主となりました。

 

 

この時はまだ、誰が父をこんな目に合わせたのか知る由もなかったのである…。


 

将来有望、若くして大役を務める三好長慶!

 

三好長慶の父・元長を葬る為、本願寺勢に一揆を起こさせた細川晴元…

 

元長を亡き者としたまでは良かったのですが、ノッてきた一揆勢はその後も止まる事なく暴走を続けておりました。

 

で、

 

細川晴元

 

どうしよう!

このままだと一揆がますます酷くなっちゃうよぅ。


 

 

私にお任せあれ!


 

ここで困っていた細川晴元を助けたのが三好長慶…!

 

長慶は石山本願寺と細川晴元の仲介をし、一向一揆を見事に収束させたのであります。

 

これは父・元長が亡くなった翌年の出来事であり、長慶はまだ12歳。

 

さすがに家臣の補佐などがあったと思われるけど、この若さでこんな大役を務めるなんて驚愕!

 

 

三好家は四国の阿波・讃岐でしっかりと地盤を固めていたから、父が死んだ後も勢力にさほど衰えはなかったのだ。

 

だから私が若いとはいえ、三好家の影響力は大きかったんだよね~。


 

実権を奪われるのを恐れて三好元長を葬った細川晴元ですが、その息子である長慶もなにやら出来る子オーラが凄い…

 

下剋上ブームの戦国時代、晴元の心中は穏やかではなかった事でしょう。

 

もしかして反抗期?お願い聞いてくれない主君を困らせる三好長慶

 

1539年、18歳になった三好長慶は…

 

 

河内十七ヶ所の代官職、私に任せてもらえないでしょうか?


 

と細川晴元に要求しました。

 

しかし、

 

細川晴元

 

これ以上力持つと怖いから、小物のままに留めときたい…。


 

とでも思ったか、晴元はその要求を認めませんでした。

 

 

河内の代官職はもともと私の父が任命されていたもの。

現三好家当主の私が引き継いで当然のはずでは?


 

凄まじく納得のいかなかった長慶は…

 

 

晴元さんの分からず屋っ!

もう知らないッ!!


 

阿波から兵2500を率いて入京し、細川晴元と戦いました。

 

が、

 

近江の大名・六角定頼が仲介に入り戦は平和的に終結。

長慶は再び晴元の家臣として落ち着いたのでした。

 

 

この後、私は摂津半国の守護代となったぞ。

河内の代官職は認めてもらえなかったけどね。


 

それからしばらく、長慶は晴元の家臣としてマジメに働くことになります。

 

が、これから数年後…

 

長慶は驚愕の事実を知り、再び晴元と決裂することになるのであります。

 

 

一族の三好政長が、私の父の死に関与していただとー?!


 

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父の無念を晴らし、三好政権が爆誕。

 

三好元長の死後、河内の代官職を務めていたのは三好政長という人物でした。

 

その政長が父親殺害事件の黒幕であった、との話を耳にした三好長慶は…

 

 

晴元に取り入って父を亡き者とし、自らの地位を確立したというわけか!!

 

許さんッ!!


 

父の無念を晴らす為、政長を討つ事を決意します。

 

そしてちゃんと大義名分を得る為、主君である晴元に政長討伐の許可を求めるのですが…

 

細川晴元

 

ダメに決まってるでしょ。

変な噂なんか信じないで仲良くしてよん(^u^)


 

晴元はそれを許可せず。

 

 

晴元も父がいなくなって喜んでる側の人間だな?

もうコイツらとは無理!!


 

1548年…

長慶は晴元を見限り、再び対立しました。

 

そして長慶は細川氏綱を擁立して晴元らと戦い、見事に勝利を飾ったのでした。

※細川氏綱…かつて細川晴元と対立していた細川高国の息子。

 

細川晴元(とこの時までに晴元についていた将軍・足利義晴も)は立場を追われて近江へと逃亡、、

 

これまでの政権は崩壊し、ここで俗にいう『三好政権』が誕生しました。

 

 

日本の政治の中枢である京を制圧し、私は地位を確立したのである。

 

ちなみに仇である政長は死滅してるぞ。


 

しかし、

その後も細川晴元は将軍と共に政権復帰を試み、長慶と徹底抗戦する構えを見せました。

 

なので長慶はしばらく彼らと小競り合いを続けたり、暗殺されそうになったり…と安心できない時期が続くのですが、

 

1552年には彼らと和睦を結び、足利義輝を将軍として京に迎え入れることになります。

※義輝は義晴の息子。義晴はこの頃までに亡くなっている。

 

 

細川晴元はどうなったかって?

やつは出家し、私の擁立した氏綱が正式に細川家のトップに立つことになったぞ。

 

けど、変わらずに私が実権を握ったままさ。


 

将軍なんか敵じゃない!三好長慶、強い。

 

なんやかんや幕府の実権を握ってやったとはいえ、三好長慶はあくまで将軍に仕える細川氏綱に仕えているというポジション…

 

なので長慶は身分に箔をつける為、将軍・足利義輝の側近にしてもらえるよう頼み込み将軍家御供衆(おともしゅう)なるものに任命され、足利将軍家の直臣となりました。

 

ますます調子乗ってきた三好長慶に、出家していた細川晴元は…

 

細川晴元

 

気に食わん。

出家した身だけど、ワシャ諦めんぞ。


 

なじみの武将に協力を呼びかけ、長慶を失脚させるべく再び兵を挙げました。

 

ひとまず小競り合い程度でさほど大事にはならなかったみたいですが、そのうち将軍・義輝も晴元に加担したので再び細川晴元・足利義輝VS三好長慶の構図が出来上がってしまいました。

 

 

なんだかんだ、義輝も私にでかい顔されるのは気に食わなかった模様。


 

しかし、細川晴元・足利義輝にさしたる戦略はなかったようで…

 

晴元&将軍

 

長慶は今、我らの味方の城を攻めてる最中だ!

この隙に京を乗っ取ろう!


 

 

・・・・・・・

 

 

 

晴元らの動きも気になるし、城攻めは配下に任せて京へ戻ろう。


 

 

・・・・・・・

 

 

晴元&将軍

 

あっ…長慶、もう帰ってきたんだ…。

どうしよう…。


 

といった感じになり、これといった争いをすることなく晴元と義輝将軍は再び近江へ逃亡したそうな。

 

 

この時点で天下人たるポジションにいるのは私…!


 

三好長慶に怖いものナシ!将軍を手のひらで転がし実質No. 1に!

 

細川晴元と足利義輝が近江に逃れてから約5年後の1558年…

 

晴元&将軍

 

まだだ、まだ終わらんよ!


 

との事で、再び細川晴元らが京へと襲来。

『北白川の戦い』と呼ばれる戦が勃発しました。

 

三好長慶は三好家家臣のエースである松永久秀らを投入、さらに四国からも軍勢を呼び寄せ戦を有利に展開しました。

 

そして…

 

将軍に味方してた近江の大名・六角義賢

 

これは勝てませんわ。

三好氏と仲直りしたほうが良いですよ。


 

将軍・義輝

 

(´・_・`)…


 

 

京へ戻ってきてくだされ。

私、将軍様に誠心誠意お仕えしますぞ。


 

将軍・義輝

 

…(o´∀`o)!


 

六角義賢の説得のおかげで戦は和睦をもって終結、三好長慶は足利義輝を再び京へ迎え入れてあげたのでした。

 

 

もちろん実権は私が握ったまま。


 

将軍の家臣という形ではあるけど、三好長慶は1558年の時点で山城、摂津、丹波、和泉、淡路、阿波、讃岐、播磨…と、畿内・四国(の一部)を広く支配する日本No1の大名になったのであります。

 

 

下剋上大成功!

実質天下人だし、私は凄い人物なのだ。


 

三好長慶の魅力とは一体…?かしこな長慶の逸話

 

ここまでの流れだけでは三好長慶の人柄や性格がいまいち掴めないので、ちょっとした逸話をご紹介…。

 

三好長慶は主君を蹴落とし、下剋上で成り上がった人物…

 

というとあんまり良い人なイメージが湧いてこないけど、三好長慶は人格者&とても優しい性格で、家臣達から慕われていたといいます。

 

家臣達の人望を集めるのも納得の逸話

 

三好長慶は17歳の時、

 

 

これから3年間、『求聞持の法(という修行があるらしい)』をやる!

夏に百日間の荒行をすることで、知恵と幸福を得ることができるんだ。


 

と家臣達に宣言しました。

 

 

三好家の嫡男として生まれただけでももう、勝ち組のハッピーボーイじゃないですか。

なぜ自らそんな荒行を?


 

家臣達ははわざわざそんな事をする必要はないのでは…と長慶に言うのですが、これに対して長慶は

 

 

生まれながらに幸運な人は、神頼みなんかしなくても良い人生を歩むだろう。

けど、幸運のない人は神頼みをしたとて願いは叶わない。

 

私はまだ幼いし、先の事など分からない。

不幸になって当たり前と考えるべきなのだ。

 

だから私は修行をする。


 

このように答えました。

 

そして宣言通り、長慶は三年間『求聞持の法』を行いました。

 

それだけでなく、三年目の年には夏が終わっても四国中を巡礼したといいます。

 

この若さにして考え方がめちゃくちゃしっかりしてるし、かなりの努力家。

将来有望感がハンパないです。

 

 

現代の10代にこんな事ができるかい?

夏、遊ばずにずっと修行…。


 

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三好長慶の最後の方が悲しい。絶頂からの転落とは…

 

実質天下人たる凄い人物になっちゃった三好長慶…

 

ですが、その栄光も長くは続きませんでした。

 

 

何に呪われてるのか…

恐ろしいほど不幸続き…。


 

1561年(1560年とも)、長慶の弟・十河一存(そごうかずまさ)が死去。

 

1562年、長慶の弟・三好実休が死去。

 

1563年、長慶の嫡男・義興が22歳という若さで死去。病死であるとか謎の死を遂げたとか何やら不穏な感じ…。

 

1564年、長慶の弟・安宅冬康が死去。

諸説あるみたいだけど長慶が家臣の讒言を信じて殺害してしまったという…。

 

晩年、長慶は度重なる身内の不幸に大分メンタルをやられていた模様。

 

しかも長慶自信も病気で体調も良くなかったと言われているみたいだし、本当に晩年は踏んだり蹴ったり。

 

そして安宅冬康の事件からわずか二ヶ月後、三好長慶は病死したのであります…。

 

 

三好兄弟の団結力は抜群であり、私がビッグになれたのもこの弟達の存在あってこそだったのだ…。

どーしてこうなった…。


 

長慶の死後は、三好家家臣の松永久秀と三好三人衆らが三好家の実権を巡って対立してグダグダに。

 

織田信長の台頭もあり、三好家は転落の一途を辿ることになるのであります…。

 

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