宇喜多直家は暗殺謀略なんでもアリの悪?逸話でみる下剋上の歴史

宇喜多直家は暗殺謀略なんでもアリの悪?逸話でみる下剋上の歴史

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宇喜多直家は暗殺謀略なんでもアリの悪?逸話でみる下剋上の歴史

宇喜多直家

生涯 1529年~1582年
出身 備前(と言われている)
全盛期 備前、美作、備中の一部
主君 浦上宗景、毛利輝元、織田信長
有名な親族 宇喜多興家(父)、宇喜多秀家(嫡男)、宇喜多忠家(弟)
思い出の戦 天神山城の戦い
宇喜多直家といえば 暗殺、謀殺、戦国三梟雄

 

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ちょっとダークな感じが魅力的!宇喜多直家をゆるりと解説

宇喜多直家といえば斎藤道三、松永久秀に並んで戦国三梟雄の一人なんて言われてる戦国武将ね~。
(直家じゃなくて北条早雲の名前が入る事もある。)


 

悪い事してる戦国武将なんて珍しくないわけなんだけど、戦国三大悪い奴の中にカウントされるなんて余程よね。

 

今回はそんな宇喜多直家の歴史や逸話をごゆるりと~。

 

宇喜多直家はなかなかに厳しい生い立ちだった

 

宇喜多直家が生まれたのは1529年。

 

織田信長より5つほど年上、上杉謙信とほぼタメ、といったこれから怒涛の戦国時代が始まるぜ!!といった時期に生まれたお方であります。

 

最終的に中国地方に広く勢力を持つ大名になる宇喜多直家…

 

知名度的には信長や謙信らに劣るかもしれませんが、大名としての地位は相当なものです。

 

しかしながら宇喜多家は直家の祖父、父の時代はちょいと悲惨でありました。

 

祖父・宇喜多能家(よしいえ)は備前守護代・浦上氏に仕えていましたが、直家が3歳の時にとても仲の悪かった同僚・島村盛実に攻められ自害。

(暗殺されたとも。)

 

これによって宇喜多家は没落してしまい、直家は父・興家と流浪の生活をする事になってしまいます。

 

そして直家の父は復帰するぞ~!とか仇を討ってやるー!といったアクションをこれといって起こしてなかったみたいで

 

宇喜多家家臣達

 

興家様は暗愚じゃ…。


 

と言われていたらしく

 

直家の父・興家

 

家臣に失望されとる…。

ワシ、ダメダメじゃ…辛み。涙ポロリン


 

といったストレスで自害したという噂であります。

 

 

2人の死期や死因は謎な部分もあるけども…。

どっちにしてもワシは10歳にもならん頃に親に死なれてしもたん。


 

祖父と父が立て続けに亡くなりお家も没落、お先真っ暗状態の宇喜多直家ですが…

 

 

ワシ、父とは違ってメンタル強いし賢いんよな。

必ずや宇喜多家を再興したる。

 

どんな手を使ってもな(´ー`)!!


 

直家は謀略を駆使してのし上がり、宇喜多家を再興するどころか備前・美作・備中と名を馳せる大名になっちゃうのであります。

 

宇喜多直家、仕えて早々キレッキレ!謀略を用いて主君に大貢献

 

どういった経緯でそうなったか詳細は不明ですが、宇喜多直家は成人すると再び備前守護代・浦上氏に仕えることとなりました。

 

 

ワシが仕えていたのは浦上宗景。

浦上家の当主はこの宗景の兄・政宗って男よ。


 

この頃、尼子晴久が備前へと侵攻してくるのですが…

 

浦上宗景と浦上政宗は対処するのに意見で揉め、宗景は毛利氏の味方につき、政宗は尼子氏に味方して対立しました。

 

ただでさえ外敵からお家を守るのに大変な戦国時代…

仕えてる主が身内同士で争ってる状況はあまり好ましいものではありませんが、直家にとっては

 

 

問題事が多ければ多いほど、手柄をあげるチャンスがある!


 

ということで、ここから直家は浦上宗景のもとでメキメキと頭角を現していきます。

 

 

手段は選ばない!

卑怯と言われても知ったこっちゃねぇ!


 

といったやり方で。

 

まず最初に直家の餌食となったのが、直家の祖父・能家を死に追いやった島村盛実。

 

と、直家の妻の父親である中山信正であります。

 

島村盛実は直家の仇というだけでなく、浦上家内で力を持っていたのに加えて主君である宗景に対して謀反を企んでいる…なんて噂もあったので、宗景にとっても

 

浦上宗景

 

中山信正も盛実に加担してるらしいし、2人ともいなくなってくれれば安心なんだけど(;´・ω・)


 

といった感じでありました。

 

 

妻の父親とか関係ないよね~。

確実に仕留めたる、頭使うで。


 

そして1559年のとある日…

 

直家は中山信正の居城・沼城で酒宴を開きました。

 

そう、信正を暗殺する為の酒宴です。

 

で、信正は何の疑いも持たずにお酒をしこたま飲み、油断しまくっていたので暗殺は難なく成功。

 

直家は兵を招集して沼城を占拠すると、のろしを上げて信正の死を浦上宗景に知らせました。

 

そしてその知らせを受け取った宗景は

 

浦上宗景

 

中山信正が謀反!

至急、沼城に行くように!


 

と島村盛実に命令し、沼城に向かわせました。

 

で、騙されているなんて知る由もない盛実は…

 

沼城の城門を開けた瞬間に襲撃を受け、引き連れてきた配下共々殺害されたのであります。

 

直家と宗景のナイスプレーで邪魔者を一気に葬り去る事に成功!

 

この功績により、島村と中山の所領が直家に与えられました。

 

そして1561年…

 

次に直家の餌食となったのが備前龍ノ口城主・さい所職常(さいしょもとつね)であります。

 

この方、直家の妹の旦那なのですが

 

 

知ったこっちゃねぇ。


 

殺られちゃいます。

 

この龍ノ口城は山城で攻め落とすのが難しかったので、直家は前回同様に策をもって暗殺することにしました。

 

 

職常は男色家で有名だな。

ワシんとこのイケメン小姓を刺客として送り込むか。


 

直家は職常の目の届く場所にイケメン小姓をセッティング、川辺を歩いているとイケメンが笛を吹いている所に遭遇するというロマンティックかつ素敵な出会いを職常に提供しました。

 

そして直家の思惑通り、職常は彼を気に入ってお家に連れて帰りました。

 

で、職常は家臣を遠ざけ彼と酒盛りし、寝込んでいるところ刺殺されたのであります。

 

 

これはさすがに職常がダメすぎるでしょ…。


 

宇喜多直家、仲間の手を借り邪魔者をスマートに暗殺する

 

1563年、浦上宗景と浦上政宗が和睦し、宗影は同盟を組んでいた毛利氏とは断交しました。

 

そして1566年、お家問題を解決させた宗景は美作に勢力を伸ばしつつある備中の大名・三村家親と戦闘態勢に入ります。

 

で、この三村家親を排除するのにまたまた直家の策が用いられることとなり、

 

直家は知り合いの腕利きスナイパーに暗殺を依頼し、家親が美作の興禅寺に滞在しているところを仕留めさせたのでした。

 

 

ちなみにこの翌年、三村家親の息子・元親と戦になったんだけど、ワシらが勝利したぞ。


 

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無慈悲。宇喜多直家の暗殺の逸話、まだまだある

 

1568年…

 

次に宇喜多直家の標的になったのが備前金川城主・松田元賢です。

 

もともと直家(浦上氏)と松田元賢は敵対していたのですが、
直家の娘を元賢に嫁がすことで和睦し、両者の関係は良好なものとなっていました。

 

ですが…

 

 

三村元親と戦になった時、元賢は援軍を出してくれなかった!

腹立つわー!


 

密かに元賢に不信感を抱いていた直家は殺害を決意します。

 

 

ん?

娘の旦那とか関係ないから。


 

その暗殺方法も実に大胆でありました。

 

まず、金川城近辺で行われた鹿狩りで

 

 

鹿と間違えちゃった☆


 

と松田家の重要人物を鉄砲で撃ち殺し…

 

松田家家臣・伊賀久隆を調略して味方につけ、元賢のいる金川城を攻めさせました。

 

 

そしてワシも出陣して城攻めに参加!


 

追い詰められた松田元賢は城から逃亡するも、数日後に伊賀軍が発見して討ち取り、無事にミッションコンプリート!

 

 

要領良くやれたわ。

けど娘が元賢の訃報を聞いて自害しちゃったんだよね。


 

娘が不幸になる事は予想できたであろうに、直家はそこそこかなりの薄情者…!

 

ちなみにこの2年後は備前石山城主・金光宗高を

 

 

お前、毛利と内通しているな?

謀反か?謀反するんか?!

許さん!


 

なんて言いがかりをつけて切腹させております。

 

 

石山城は後の岡山城、私の本拠地となるお城なのだよ。

交通の便も良いし、どうしても欲しかったんだよね~。


 

 

浦上氏を取り巻く環境が不安定の中、直家はこんな感じで敵を葬り去り、宗景の勢力拡大に貢献してきました。

 

そう、やり方はどうあれ宇喜多直家は間違いなく有能!

 

しかし、その有能さゆえに…

 

 

直家さんってスゲェやり手だよな!

ワシ、直家さんについていくわ!


 

といった感じで周囲から評価があがり、徐々に直家と宗景の関係が悪くなっていってしまったそうな。

 

 

滲み出るやり手感…勢いを増していくワシ!

こんな時代だし、そりゃ宗景も心穏やかにはいられんよね~。


 

ちなみに、直家には暗殺に関する逸話が沢山あるけど、宇喜多直家が本当にやったかどうか信憑性に欠けると言われるものも多いので、結構真相は謎だったりします。

 

 

史料によって書いてる事違ったりもするしね。

まぁでも、こんな逸話が沢山生まれちゃうって事は色々とやらかしてきたのは間違いないんじゃないかな?


悪のオーラ醸し出してそうな宇喜多直家の凄味を感じる逸話

 

 

身内であろうが関係なし!

情けなど無用!


 

なスタイルで邪魔者を排除していった直家は家族に信頼されていなかったそうで、弟・忠家に至っては

 

宇喜多忠家

 

お兄ちゃん何考えてるかわからんし怖い(;´・ω・)


 

とのことで直家と会う時には鎖帷子を着込んでいたそうな。

 

おまけに出された料理は直家が口をつけたものしか食べなかったなんて逸話もあったりします。

 

宇喜多直家、下剋上大成功!中国を代表する大名へと成り上がる

 

1569年、宇喜多直家は…

 

 

今、織田信長が熱い!!

味方についてくれれば安心感半端ない、ワシャこの人と組むど!


 

織田信長に服従を申し出て、ついに主君・浦上宗景を倒すことを決めます。

 

が、織田信長が別の戦で直家に構ってあげられなかったり、

 

浦上宗景が直家の味方である播磨の赤松政秀の城を攻め落とすなど直家が困る展開が続いてしまったので、

 

 

今のところ誰の協力も得られんし、単独で宗景と戦うのは厳しいな…。


 

ひとまず浦上宗景に降伏しました。

 

そしてその後しばらくは直家と宗景は良好な関係を続けます。

 

が、

 

1574年に直家は毛利氏と組んで宗景と対立し、宗景の居城である天神山城を攻めました。

 

 

宗景の配下を調略するなどして有利な状況を作っていたから上手くいったぞ~。


 

追い詰められた宗景は天神山城から逃亡。

見事、直家の下剋上は成功したのであります。

 

これにより宇喜多直家は備前、それに備中、美作の一部に勢力を誇る大名になりました。

 

しかし、しばらくの間は大名復帰を試みる宗景&浦上氏の残党の反撃に手を焼くことになります。

 

が、直家はそれらを一掃して備前での地位を確立したのでした。

 

宇喜多直家、大物大名家相手に堂々と二股外交する

 

1577年…

 

毛利氏に従っていた直家は、命令を受けて播磨へ攻め入りました。

 

この時期、播磨の国人達の多くが織田信長に従っていたので…

 

 

このままだと播磨が毛利の手に落ちちゃう!

秀吉、なんとかしてこい!


 

 

ハイヨー!


 

信長は秀吉を中国地方へ遠征させました。

 

秀吉が播磨の毛利方の武将を攻めた時、直家は援軍を出していたみたいですがいずれも痛手を負わされたといいます。

 

 

播磨が秀吉の手に落ちてしまった。

これは毛利勢、ヤバイんじゃないのぉ??


 

直家は秀吉の侵攻を受け、すぐさま織田方に内応すると密書を送ったといいます。

 

臨機応変に、素早くすり寄る武将を変えて保身をはかる宇喜多直家!

 

しかし、スッパリと毛利を裏切ったわけではありません。

 

 

織田勢に負けてられるか!

まずは上月城を取り戻すぞ!


 

 

ウイッス!

宇喜多軍も頑張りますよぉ!


 

上月城を奪還する際にはちゃんと毛利軍の味方について兵を出しているのです。

 

 

ワシ自身は出陣してないけどね。

織田と毛利、戦況がどう転ぶかまだわからんし様子見だわ。


 

ここでの上月城の戦いは毛利軍が勝つのですが、
勝って初めて直家は毛利の陣営(吉川元春・小早川隆景の前)に姿を現したといいます。

 

で、

 

 

体調悪くて出陣できなかったの、ごめんなさいね。もう大丈夫です。

上方へ進撃するのであればワシが先手をつとめますよ。

 

帰国するのであれば、我が領内でゆるりと休んでいって下さいね。


 

なんて事を言って吉川元春、小早川隆景を呆れさせたという…。

 

 

このまま進撃するというのであれば毛利軍の一員としてついて行く。

 

帰国するってんなら、ワシの城で休んでもらって隙を見て2人を暗殺!

その首を土産にして織田信長に寝返るかな。


 

というつもりだったみたいだけど、さすがにこの思惑はバレバレだったみたいです。

 

 

怪しさしかない…。


 

宇喜多家の繁栄を願って!直家が最後に選んだのは織田家!

 

上月城の奪還、そして信長に従っていた播磨の別所長治や織田家家臣・荒木村重が毛利氏に寝返ったり…と、毛利氏はいい感じに巻き返しを図っておりました。

 

しかし、その毛利チームの別所長治や荒木村重は、織田軍に苦戦を強いられ厳しい状況に陥ることになります。

 

 

うーん。
毛利勢も頑張ってるけど…

 

やっぱりワシは織田につくぞ!


 

1579年、宇喜多直家は秀吉にコンタクトを取り、再び織田家に臣従する意思を伝えました。

 

 

OK~、信長様に伝えるよ!

領地も安堵してもらえるように頼むからね。


 

しかし、

 

 

は?

なに勝手に話つけてんの?

 

宇喜多直家ってワシと同盟組んどきながら毛利に寝返ったヤツよ?無理!


 

一度は信長に拒否された模様。

 

 

怒らないでぇ~。

備前、それに備中・美作にも勢力を誇る宇喜多が味方につくってメリットでかいですよぉ?


 

 

プン…

OKと言わざるを得ない(;`3´)


 

あっちこっちにいい顔してきたから、スムーズいはいかなかったようですが、直家は無事に織田家の傘下に入ることになります。

 

それからは秀吉に従い、毛利勢を相手に美作や備前など各地を転戦しました。

 

そして1582年、直家は尻はすという病により死去。

 

 

なんだよ尻はすって…って思うでしょ?

『出血を伴う腫瘍』って言われてるけど、現在でいうとこの何の病気かはわかってないの。


 

本当は1581年に亡くなってたみたいですが、しばらく直家の死は隠されたとのことで、1582年を正式な没年としているようです。

 

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宇喜多家のその後。息子の秀家は豊臣家で良いポジションにいた!

 

宇喜多直家の凄いところは周囲の情勢を読み、

 

 

いける!


 

という確信をもって暗殺、邪魔者を排除し、確実にミッションを遂行して力をつけてきたというところ。

 

一見、野心家でグイグイいきそうな人にも見えるけど無理に権力者に逆らう事はせず、ちゃんと落ち着くところは落ち着いてる…っていうのが素晴らしい。

 

最後に従っていた秀吉とは良い関係だったそうで秀吉は直家の死後、嫡男の秀家が宇喜多家を継げるよう奔走してくれたというし、

 

後に秀家は秀吉の養子となり、秀吉の養女(しかも前田利家の娘)を妻にもらっているのでかなり秀吉から可愛がられていた模様。

 

 

秀吉の天下の時代、秀家は若くして豊臣政権のトップ役職である『五大老』を務めていたんだよ。


 

宇喜多秀家は秀吉のお気に入り、ゴリゴリの豊臣一門となった宇喜多家は安泰でした。

 

しかし秀吉の死後、秀家は関ヶ原の戦いで西軍に属して敗北。

 

これをきっかけに大名としての宇喜多家は滅亡してしまうこととなります。

 

 

浪人から下剋上で国持ち大名になるも、息子の代で没落!

宇喜多二代、戦国時代を生きた~!って感じだな。


 

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