弥助は信長の家臣で世界が驚いた黒人侍!どんな人物?!
生涯 | 不明。信長と出会った頃は26~27歳と『信長公記』に記述されている。 |
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出身 | アフリカ(??) |
主君 | 織田信長、信忠 |
思い出の戦 | 本能寺の変 |
弥助といえば | 日本初の黒人侍、世界もビックリの黒人侍、異例中の異例の取り立てで武士に |
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歴史史上初の黒人侍、弥助!
織田信長には黒人の家臣がいたのは有名な話よね!
日本初!そして多分、最初で最後の黒人侍!
その男の名は『弥助(ヤスケ)』!
今回は弥助という人物についてや、織田信長と弥助のエピソードがなんとなーくわかる程度でゆるりとお届け♪
秀吉さんが信長さんにインタビューするという、変なテイストでお送りするわね。笑
※サイト作ろうと思った時、最初全部インタビュー形式で作ろうと思っておりました。
この記事を書き終わって『もたんわ』と思って断念。もったいないので改変してUp。これっきりです。笑
織田信長×羽柴秀吉スペシャル対談
どうもー!豊臣秀吉でぇす!
農民から天下人に成り上がった凄い人なんだぞぉ~!
それはさておき、今回はインタビュー形式でお送りしまーす!
ゲストはこの方!
織田信長だ。
織田信長さんでーす!
何を隠そう、ワシの上司だったお方!
農民だとか武士だとか、身分に厳しい戦国時代で、ワシの才能を認めて世に出してくれた恩人なのです!
身分がどうとかそんな考えは古いよね~。
個人の頑張り、結果を見て土地や褒美を与える、これがワシの雇用スタンスよ。
そこが信長さんのいいとこではあるけど、無能な家臣にはとことん厳しいのも信長さんですよね。(笑)
ん?そうかな?(笑)
そうですよー!(笑)
三河の徳川家康殿がこっちに遊びに来た時、明智光秀殿に食事の用意任せてたじゃないですか?
うむ。
明智 光秀殿が用意した料理見て信長さん、『客人にこんな腐った魚出すとは何考えてんだこのハゲーッ!』って。(笑)
言ったね。(笑)
ちなみにそこ、『ハゲー!』じゃなくて『キンカ頭ー!』ね。
まぁ意味は同じだから別にいいけどさ。
あ、そうだ『キンカ頭』だ!
それ信長さんの有名なワードでしたね!失礼いたしました!
しかし、それで光秀さんにかなり恨まれたみたいですね。
その後すぐに本能寺の変ですもん。(笑)
参っちゃうわホント。(笑)
あ、なんか嫌な事思い出させてすいません。
よいよい。過ぎた事よ。(笑)
あ!
話戻りますけど、身分を気にしないといえば、信長さんは宣教師の奴隷として連れてこられていた黒人の方を家臣に取り立てていましたね?
そうそう。弥助ね。
一体どういった経緯で、弥助さんを家臣に取り立てたんですか?
まず、今でこそ黒人さんは珍しくもなんともないけど、当時は日本で黒人さんの事が全く認知されてなかったのね。
なんか凄い外人さんがいる!と、も~皆大騒ぎ。
京都の街に野次馬が押しかけて、そこやかしこで喧嘩が起きて怪我人も沢山でたみたいよ~。
それだけ黒人さんの日本来日は、衝撃的だったんですね!
そうそう。
まぁそれはさておき、ワシも初めは肌の色の違いにビックリしたよね。
失礼な話、体になんか黒いの塗ってると思ったの!
この信長をドッキリにかけるなんて一万年早い わーッ!!って思ったわけよ。
ふむふむ。
ところがどっこい、身体を拭いてもいっこうに色が変わらない!
そりゃそうでしょうね。
世界は広いと思ったねぇ~。
まぁそんでね、ワシも目立ちたがりなところあるじゃん?
元傾奇者ですもんね。(笑)
とりあえず側に置いとこうと思って、その宣教師から弥助を引き取ったのよ。
ほう。
ところがよ、弥助って凄いヤツだったのよ!
まずスゲェ身長高いの。
日本人男性の平均身長が160cmぐらいだった時代に、弥助は180cmはゆうに超えてたからね。
でっか…。
ワシへのあてつけかよ。
そんでガタイいいし足早いし力持ち!
とにかく身体能力がズバ抜けてるわけよ。
うんうん!
初めは興味本位で弥助を側に置いたわけだけど、もう普通に気に入っちゃって家臣に取り立てたというわけ。
他の家臣達もさぞ驚いたでしょうねぇ。
ね。
外国人で、しかも身分の低い者を召し抱えるなんて…って思ってたヤツもいたかもしれないけどさ、ワシからするとみな同じ人間なわけ。
武家やら奴隷やら農民やら、ただの作られた言葉にすぎねぇから。
信長さん…!
身分なんて関係ねぇ!
みんな…みんなみんな、同じ人間なんだよ…!!
間違いないです!
弥助さんは信長さんに出会えて幸せだったことでしょうね!
でもね…、
弥助は本能寺の変に同行 してもらってたし、ワシのせいで可哀想な目に合わしてしまったよ。
本能寺の変後、行方が分からなくなってるんだとさ。
無事に生き延びてくれてるといいけどね…。
信長さん。
うむ?
実は今回、信長さんにインタビューするに至り、ヤスケさんの事をかなりサーチして来ました。
そして、探しました。
織田家家臣団が総力を挙げて!
え、まさか…!?
そう!
なんと…見つかりました!
今回、弥助さんに来てもらっているんです!
弥助さん、お入り下さい!
信長サマ~!会いたかっタヨ~ッ!!
おおっ!
生きておったか弥助~ッ!!
サルめ!粋な事してくれるではないか~!後で褒美をつかわすぞ。
いえいえ!
こちらもやっと信長さんに受けたご恩をお返しできました!
さてさて、ここからは弥助さんにも話しを聞いていきましょう!
ヨロシクお願いシマース。
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弥助×織田信長×羽柴秀吉スペシャル対談
弥助さんはどこの出身なんですか?
定説だとアフリカね。モザンビーク。
あ、先に言うときマスガ…
ヤスケの出自やそれマデの人生については謎だらけダカラ、過去の事は何も語れないヨ。(笑)
了解です!(笑)
しかし遠いところから来ましたねー!
ではさっそくですが、弥助さんから見て、信長さんってどういう人ですか?
信長サマ、怖いってイメージあるでしョ?
でもね、私カラしたら全然そんな事はナイの!むしろ超イイ人!
うんうん!
まずね、信長サマは絶対に差別なんてシナイの!
低い身分だった私を家臣に迎えてくれて、お給料も住む家も与えてクレタの!
宣教師の召使いだった時代 には考えられナイ、夢のような待遇ネ~!
うんうん!
ホント、夢のような出来事ネ…。
まさか私が世界のSAMURAIになるナンテ…。
信長サマと過ごした時間は1年チョイと短かったケド、とても充実した日々デシタ…!
あら、そんなに短い期間だったんですか?
そうなのよ。
ワシと弥助が出会って約1年後に本能寺の変がね。(笑)
信長サマ、自らその話題に触れちゃいマスか?(笑)
もう過ぎた事だから気にしてないんだって。(笑)
そうそう。
むしろ今ではいいネタだよ。(笑)
てか弥助は本能寺の変の後どうしてたの?
全然記録に残ってないんだよね。
弥助はネ、本能寺が襲撃された後、急いで本能寺を脱出したヨ。
信長サマの息子・信忠サマに緊急事態を伝えに行きまシタ。
そうそう、その時信忠は本能寺の近くにいたんだよね。
そこで信忠サマを守る為に戦ったのデスガ…、最終的に私、明智光秀に捕縛サレタのです。
うんうんうん!
私、処刑されるのカナ…?人生オワタ…。なんて思ってションボリしてたワケですが、
明智光秀は『この黒人は動物じゃ。日本人でもないし殺すまでもない。宣教師のとこにでも返しとけ』と私を解放したんデス。
は?明智光秀最悪かよ。
動物?何その言い方!
とんでもない差別のクソ野郎だな。謀反起こすのも納得のクソ野郎だわ。
と思ったんだけどサ…
明智光秀は私を殺さない為、ワザとこんな物言いをシタンじゃないかと 思うノネ。
普通に解放したんじゃ、光秀さんの家臣達は納得しないだろうし。
光秀、ええ奴やんけ…。
何はともあれ弥助さんは、数少ない本能寺の変の生存者だったんですね!
そう。
でも私、そこカラは歴史の表舞台に出てくる事はありませんデシタ。
ヤスケがこの後、どんな人生を送ったのかはご想像にお任せスルヨ~。
日本で人生を終えたのか、帰国したのかも謎なんですね!気になるなぁ~!
ね~。
でも『あの織田信長の家臣で日本初の黒人侍』だったわけだし、日本に滞在し続けていたなら記録に残ってそうだけどねぇ。
確かにィ。
てかね?
実はワシ、いずれは弥助に城とか領地与えて大名に取り立てるつもりだったんだよ?
エ~ッ?!
マジ?!そこまで私のコトを買ってくれてたんデスカーッ?!
大マジよ。
まぁ明智光秀のせいで全部パァになっちゃったけどね。
クゥーッ憎いネ明智!
本能寺の変がなければ私、もっと有名になってたんデスねェ…。
これは興味深い!
もし実現してたら日本はもっとグローバルな国になってたかもしれませんね!
日本どころか海外にも影響を与えていたかも!?
そういう事よ。
織田信長って人間はガチの革命家だったわけね。
ですね!
今回のインタビューでは改めて信長さんの凄さを知る事ができました!
キリがいいので今回はこれまで!
今回はって言って次回はないけど。
信長さん、弥助さん、 ありがとうございました!
うむ。
まぁ、またいつでも話し聞きにおいで。
私はもうネタ切れデス。(笑)
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楽しんでいただけたらイイネ!