伊達政宗は挑戦し続ける!趣味の料理にイスパニア派遣
関ヶ原の戦い後、政宗は幕藩体制にともない仙台藩の初代藩主となります。居城も岩手山城から仙台城へと移しました。
徳川家康の天下となってからはしばらく平和な時が続き、勢力拡大すべくギラついていた政宗も、さすがにそこやかしこに戦を仕掛けるなんて事はなくなりました。
凄まじいやんちゃボーイだった政宗は平和になった世で、一体何をしていたのでしょう・・・??
【スポンサードリンク】
伊達政宗、イスパニアへ支倉常長を派遣する
平和な世になったとはいえ、平穏な人生なんて嫌だね~。
新たなる挑戦、初めちゃうぞ♡
とのことで1613年、伊達政宗は海外との国交を結ぶべく家臣の支倉常長をイスパニア今の(メキシコ)へ派遣しました。
この海外派遣の理由は何なのかというと、イスパニア、ローマといった国々と貿易をする為だったと言われています。
そしてもう一つ、ヤバめな理由としては、イスパニアの海軍が強いとの噂を聞いた政宗が
これらと軍事同盟を結び、イスパニアの援助を受けて徳川幕府を倒してやるぅ!
という、とんでもない計画を考えていたとも言われております。
もしこれが本当なら伊達政宗は相当の野心家と言うか、懲りないと言うか、シンプルにヤバイ奴。笑
ちなみにこの支倉常長の海外派遣は日本国内でキリスト教が禁止された…なんて事情もあって上手くいかなかったんだよね。
イスパニアとの国交は失敗に終わっちゃったの。
伊達政宗の甲冑、三日月の前だての意味とは?
伊達政宗の甲冑、兜は『黒漆五枚胴具足』というもので、黒を貴重としたシンプルな甲冑であります。
兜の前だてには金の長い三日月が施され、甲冑の黒色に生えたとてもカッコいい一品となっています。
この三日月はどういった意味があるのか?
…というのが気になるところでありますが、昔の人は『妙月信仰』と言って星や月といった天体を信仰しており、月をモチーフとした前立ては割とメジャーでありました。
武将たちは星に武運を祈ったりしたし、縁起物として甲冑や陣羽織や旗や家紋などのデザインに用いたりしていたのだよ。
三日月なんかは見た目シャープでデザイン性が良いし、人気だったのかも。
伊達政宗の場合は左右非対称でサイズも大きめなのがお洒落度高いですね。
月以外だと、北斗七星や北極星なんかは軍配によく描かれているイメージがありますね。
ちなみに政宗の甲冑はスターウォーズのダース・ベイダーのモデルにもなってるんだよ~!
詳しくはコチラ♪
【スポンサードリンク】
伊達政宗の趣味は料理!あのメニューも政宗考案!?
伊達政宗は料理が趣味であったことでも有名です。
伊達家当主という身分でありながら自ら台所に立ち、客人に手料理を振舞っていたと言われています。
そして料理に関してはこんな名言を残しています。
馳走とは旬の品をさりげなく出し、主人自ら調理してもてなす事である。
素晴らしい名言、料理に対する意識が高い。
ちなみにこの名言は、宮城調理製菓専門学校の校訓にもなっているそうです。
凄いぜ伊達政宗。
そして政宗といえば『ずんだ餅(枝豆をすり潰して作った餡をお餅にまぶしたもの)』を開発した人物であると言われています。
ずんだ餅は今では仙台定番の名物!
宮城に行けばずんだ餅以外にも、ずんだ餡を使ったスイーツやドリンクもいっぱい…。
これらのルーツを辿った先に政宗がいるってなんか凄い。笑
その他、政宗は仙台の城下町に味噌蔵を作って『仙台味噌』という上質な味噌の大量生産もしていました。
料理に対する意欲や向上心はもはやプロの料理人並み。
政宗が武士でなく、料理一筋で生きていたならばかなりの腕前の料理人になっていたことでしょう。
ちなみに『伊達巻』という料理がありますが、これは伊達と名前がついているけど伊達政宗が開発した料理ではないそうです。
料理の見た目が派手で小洒落ているから、オシャレの代名詞『伊達者』からとって『伊達巻』と名付けられたらしいです。
まぁその『伊達者』っていう言葉が、派手でオシャレな政宗をリスペクトしてできた言葉なんだけどね。
スポンサードリンク
くうはく埋め くうはく埋め
楽しんでいただけたらイイネ!