関ヶ原の戦い、吉川広家は東軍の勝利の為に・・・
吉川広家(きっかわひろいえ)、一般的には『誰やねん』って感じの武将かもしれないわね。
吉川広家は中国地方の覇者、毛利元就のお孫さんなの!
吉川広家は関ヶ原の戦いにおいては表向きは西軍の味方だったんだけど、実は徳川家康と繋がっていて、東軍の勝利に協力する事を誓っていた裏切り組の一人だったの。
そんな広家が関ケ原の戦いで、東軍勝利の為にとった行動とは・・・??
吉川広家、東軍勝利の為に弁当を食べる?!
吉川広家はそんなに話題にでてくるような武将ではないけど、関ヶ原の戦いでは東軍の勝利に大きく貢献した人なのよね。
スポンサードリンク
今、弁当食べてるから動けません。
って誰が聞いても見苦しいような言い訳だけど、それをやっちゃうのが面白いわね。
吉川、毛利、なぜ苗字が違うの??
『吉川』??なぜ毛利元就の孫なのに名字が違うの?といったことについては、毛利元就が絶賛領土拡大中の時に
山陽地方の豪族、吉川家を毛利家のものにしちゃおう!
ということで、強引に息子(後の吉川元春)を吉川家の養子にしちゃったのね。
その無理矢理に吉川家のヘッドとなった吉川元春の息子が、今回の漫画で空のお弁当を食べていた吉川広家さんなの。
正直、この吉川広家についてはこの弁当のエピソード以外パッとしたものはないの。
弁当のエピソードで有名になったところがある方ね。笑
吉川広家、東軍の勝利を手助けしたのに・・・
吉川広家は関ケ原の戦いが起こる前、『これからは徳川の世となる!』と予感して、徳川家康に通じてはいたんだけど、主家の毛利家が西軍についたせいで表向きは西軍の味方という事になっていたのね。
けど上にも書いたとおり、広家は『徳川家康についたほうが絶対にいい!』との事でこっそり家康と繋がっていたの。
家康様、私のイトコの毛利輝元が西軍の総大将になってますけど、本人の意思じゃないんですよ!
石田三成らが担ぎ上げちゃったもんだから、しょうがなく総大将になっちゃったんです。
だから許してやってくれませんか?
そして私も戦場では西軍のフリしてスタンバイしとくけど、いざ戦となったら家康様の邪魔をしないように西軍を食い止めます!
だからその後も毛利家や吉川家の事をよろしく頼みます!
わかった!
毛利家はこちらの味方なんだね!頼むよ!
良かった!
これで西軍が負けても毛利家は安泰だ!
・・・こんな感じで広家は安心していたんだけど、可哀そうなことにこの約束は破られちゃったのね。
徳川家康は、毛利輝元がしょうがなく西軍の総大将になったとはいえ、
総大将は総大将だし。
ワシに敵対してたじゃん?
と、本領安堵どころか毛利家を潰すと言い出したの。
そしてそのかわりに、毛利家の領地の一部を吉川広家にあげる、と。
毛利家は120万石の大大名、家康からすると
できることなら消えてくれ。
って思うほどの大勢力なのよね。
はなから家康は毛利家の事を安堵するつもりはなかったと思われるわ。
吉川広家はいいように使われたようなものね。
そもそも、もし西軍が勝った場合も毛利輝元が総大将だから、東軍西軍どっちが勝っても毛利家はなんのダメージもないって事になるわよね。
毛利家はおいしいどこどりって感じなのはちょっと虫の良い話でもあるわね。
約束が違う!
毛利輝元は関ヶ原の戦いの時も大阪城にひきこもって何もしてなかったし!
私も西軍の動きを封じるという立派な仕事したのに!
それに吉川家だけ生き残るのも気まづい!というか普通に毛利家が滅亡するなんてダメ!!
・・・吉川広家はとにかく毛利家をつぶすのだけはやめてくれと、家康に頼み込んだの。
結果、毛利家を潰して吉川広家に与える事にした領地を、毛利家に与えることで決着がついたのね。
毛利家は約120万石の大大名だったのが、約30万石まで領地を減らされてしまったの。大ダメージね。
毛利元就は関ケ原の戦いで西軍が負けたとし知ると、何の抵抗もせずに大阪城を明け渡したんですって。
やる気がないというか、最初から何かあきらめていたように感じちゃうわね。
スポンサードリンク
くうはく埋め くうはく埋め
楽しんでいただけたらイイネ!