藤堂高虎は豊臣秀吉から家紋をもらったけど・・・
世渡り上手の藤堂高虎!
ある日、豊臣秀吉から家紋を受け賜わるんだけど、高虎はその家紋を・・・・
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藤堂高虎はなぜ何回も主君をかえたのか?
藤堂高虎は何度も主君を変えている事で有名な武将!
『武将たるもの7度は主君を変えねば本当の武士とは言えぬ』といった名言(?)を残しているわよ~。ナンソレ。
藤堂高虎の歴代主君は有名どころだと、浅井長政、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康・・・などがいるわね。
他には浅井長政の家臣、秀吉の親族にも仕えた経験があるので、細かく言うと7回以上は主君を変えているのよ~!
そもそも高虎はなんでこんなに職場を転々としていたのかって話なんだけど、彼は身を立てる事を第一としていたから。
『ここの会社よりあっちの会社のほうが未来があるな・・・』と思えばサーッと乗り換えていたわけ。
『ズル賢い』といった言われ方をする事もあるけど、賢い、世渡り上手とも言えるわよね。
実際、もともとは小土豪の侍だった高虎だけど、最終的には徳川家康に仕えて伊勢32万石の大名にまでなっているのでかなりの出世を果たして勝組になってるんだわ。
何かを成し遂げる人ってやっぱり決断力、行動力が凄いんだな~って、改めて思っちゃうわね~。
藤堂高虎は築城の名手!
藤堂高虎といえば築城の名手としても有名で、数多くのお城をプロデュースしてきたの。
高虎の手がけるお城は、石垣が高く、堀の位置に工夫をこなし敵が侵入しにくいようなお城が特徴とのこと。
お城の設計図を書いて、家康にチェックしてもらったら
このお城はあまりにも難攻不落すぎる・・・。
とNGをくらったこともあるそう。
一体どれほどまでに複雑な設計をしたのか気になるところね!
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藤堂高虎の兜がウサ可愛い!
藤堂高虎といえば変わった兜の持ち主としても有名なのよ。うさ耳っぽいですが、これは中国の冠をもとにデザインされたものなんだとか・・・。
実際に、この兜の展示を見た事があるんだけど、想像以上にウサ耳部分が長くてすごい迫力があるの!
そしてこの兜については少し悲しいエピソードがあるの。
・・・高虎はこの兜を後に、親戚に譲ったんだけどね、
兜をもらい受けた者は大阪冬の陣での戦でそれをかぶって戦へ参加して
あの派手な兜って藤堂高虎じゃない?!
と勘違いされて集中攻撃を受けてしまったの。
藤堂高虎はこの頃ビッグな存在だったから、討ちとったとなると大手柄なわけで。
敵は武功をあげるのに必死で襲い掛かったわけよ。
で、勘違いで集中攻撃をされた者は大怪我を負って帰らぬ人となってしまって。
高虎は亡くなった彼の事を
とても勇敢な武士であった。
と褒め称え、その死を悲しんだそうよ。
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