浅井長政とはどんな武将?功績や信長との馴れ初めは?
浅井長政…といえば、
織田信長の妹・お市の旦那であるとか、信長を裏切って戦をして負けた…なんて事が有名よね。
でも、浅井長政ってどんな武将だったの?何した人?って言われるとあんまりわかんないかもしれない…!
ので、今回は浅井長政の魅力や功績、織田信長となぜ繋がりを持ったのか…といった事についてをご紹介っ。
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浅井長政の出自、初めての結婚について…
浅井長政の先祖はもともと、近江名門・京極家に仕えていました。
それが長政の祖父の代に下剋上で台頭し、北近江を支配する大名として独立したとのことです。
それからしばらくの間、浅井氏は南近江の大名・六角氏と争いを続けるのですが、これに敵わずだんだんと不利な状況に立たされる事になります。
そして浅井長政の父・久政の代になると、 浅井氏は六角義賢に臣従することで、なんとか北近江で勢力を保っているという状態でした。
俺はそんな浅井家がパッとしない時期に生まれたのだ。
そして浅井長政が15歳になった時…、
長政は六角義賢の一字をとって『賢政』と名乗らされ、六角家家臣である平井定武の娘(当時12歳)と結婚することになります。
が、長政はこの結婚に凄まじく不満を抱きました。
六角義賢の娘ならまだしも、その家臣の娘を嫁にもらうとなれば浅井の格は下がりまくりなのです。
父は六角の顔色をうかがうばかり!
武家のプライドはどこにあるんだよ!情けないっ!
父親が保守的なのに対し、浅井長政は六角氏と敵になってでも対等であるべき!という考えでした。
なので…
俺は父と違って六角の言いなりになるつもりはない!
なので悪いけどこの娘は嫁と認められない。
いずれ六角とは敵になるだろうし、そのうち実家に帰ってもらいます。
それまで一緒のお布団で寝たりもしません!
浅井長政は本来ワックワクであろう結婚初夜を拒否し、この娘と距離を置いたそうです。
(とゆうか15歳と12歳で初夜がどうこうなんて…もう…。笑)
浅井長政、初陣でカリスマ性を見せつけ人望を集める
仮初めの結婚から約1年後…、
長政は父から平井定武(嫁の父)に挨拶に行くよう命じられます。
しかし、浅井長政はこれを拒否しました。
父・浅井久政
頼むよ~。
誠意見せなきゃ六角に睨まれちゃうよ~!
いつまでたっても父親は弱腰…。
父は頼りにならん!
私はずっとこのままなんて嫌だぞ!
…もう勝手に六角と戦しちゃおうかな…
家臣
そうしましょう!協力しますぞ。
長政と一部の家臣はチョイと頼りない父親に痺れを切らし、独断で六角氏を倒すことを決めます。
とはいっても単独では厳しいなぁ。
協力者が欲しい!
浅井長政は戦に挑むにあたり、六角氏の配下にある高野瀬秀澄という武将を調略し、味方に引きれることに成功しました。
そして『野良田の戦い』と呼ばれる戦いで六角義賢の軍勢に勝利します。
約2倍の兵力差がある六角軍に打ち勝ったぞ!
しかもこれが初陣だったというね。
六角義賢を討ち取るには至りませんでしたが、ここでの勝利により浅井は六角氏のもとから独立し、北近江で再び地位を築く事ができました。
これが1560年、長政が16歳の時です。
浅井家家臣達
決断力、勇気があるし武士としての志も高い!
長政様最高っ!!
この一連の出来事により、長政は家臣達から熱烈な支持を集めることになります。
そしてこの後、長政は家臣達の推挙により、父親を当主の座から引きずり落とす形で浅井家の当主となったのでした。
こんな事があったから、チョイと父と仲が悪くなってしまったぞ。
ちなみに、仮初めのお嫁さんは実家に送り返されたとの事です。
思春期ど真ん中なのに、娘さんを綺麗なまま実家に送り返した(と言われているけどホントかなぁ)浅井長政は紳士…!
ちなみに長政はこの翌年にも、六角義賢、斎藤義龍連合軍と戦って勝利しています。
※斎藤義龍…美濃の大名。斎藤道三の息子。
そして六角氏が内紛で揉めてる隙に、愛知・犬上・高島の三郡をかすめ取り、ちゃっかり領土を拡大させる事にも成功したのであります。
XX一国をゲット!…といったド派手な功績はないけど、地味に頑張っていたのだよ。
織田信長と浅井長政の同盟が成立するにあたって…
浅井長政が野良田の戦いで初陣を飾ってから数年後…、
尾張の織田信長から長政のもとに同盟の申し入れがありました。
※信長はこの時期、勢いを増しつつあったけどまだまだ敵の多い状況にあった。
長政君も斎藤やら六角やらと敵だよね。
ワシと同盟組んで一緒にやつらに立ち向かってこうぜ。
こちらも六角や斎藤には手を焼いているので、ありがたいお話…!
でも信長さんは越前の朝倉と仲が悪いよね?
朝倉は浅井の昔からの盟友なんだよね。
朝倉に手を出さないって約束してくれるなら、同盟のお話お引き受けします。
OK、約束するとも。
こんな感じで織田と浅井の同盟が成立。
この同盟を結ぶにあたり、長政は織田信長の『長』の一字を与えられここで『浅井長政』と名乗る事になります。
そしてもうひとつ、はずせないのが長政と信長の妹・お市の結婚です。
お市は長政の2つほど年下…、
1度目の結婚同様に政略結婚ですが、お市とは一男三女に恵まれ、とても夫婦仲も良かったとの事です。
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浅井長政は織田信長を倒せていたかもしれないエピソード
1567年…
浅井長政との同盟も功をなし、織田信長は斎藤氏を滅ぼし美濃を平定しました。
ノリにノッてきた織田信長は、足利義昭を奉じて上洛する事を決意。
そして浅井長政の協力を得るため、信長は長政を訪ね近江へとやって来ました。
足利義昭を将軍にしてあげようと思うの。
道中ワシに反抗する奴らもいるだろうし、協力しておくれ。
OK!
もちろん、長政は信長の同盟相手なので協力する意思を示します。
頼りにしてるぜ、弟よ。
自分の妹の旦那という事もあり、信長は長政の事を信頼していたといいます。
その為、この後信長は250名しか供を連れていないにも関わらず、浅井領の近くの寺に宿泊する事にしたのでした。
浅井家家臣
信長に夜襲をかけましょう。
やつは油断ならん男…
今は同盟関係にあっても、いつ我々に牙をむいてくるかわかりません。
信長に代わり、長政様が上洛する事だってできます。
これをチャンスとみた家臣達は、織田信長を討つべきだと長政に進言。
しかし、
夜討ちなど卑怯なことはできない!
長政はハッキリと拒否しました。
てか浅井は近江一国すら統一できてないし…。
信長を討った後、尾張や美濃の人達を上手くまとめられるとは思えない…!
『本能寺の変』の時と同じような状況ですが、浅井長政がピュア&現実主義だったおかげで、織田信長は密かに命拾いしていたのであります。
この後、長政は将軍・足利義昭の警護に当たったりと、ちゃんと信長を支援しました。
そのかいもあって信長の上洛は大成功。
道中、抵抗を続けていた六角義賢ら畿内の勢力も一掃したしで、信長はますますの権力を握る事になったのであります。
六角氏の領土だった南近江は織田氏のものとなってしまったよ。
信長の勢いが凄すぎて浅井の伸び代がもうない…。
ここまで信長の良き同盟相手、義弟として協力していた長政ですが、
この後、信長が長政の約束を破り、越前の朝倉氏に戦を仕掛けた事で二人の同盟関係は終わりを迎える事になります。
私と信長の間に何があったのか…?!
この続きはこちらから→浅井長政と織田信長はなぜ敵に?姉川の戦い、長政の最期までをゆるりと
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