斎藤道三と息子・義龍と織田信長!最後に美濃をゲットしたのは誰じゃ

斎藤道三と息子・義龍と織田信長!最後に美濃をゲットしたのは誰じゃ

斎藤道三と義龍と信長!最後に美濃をゲットしたのは誰じゃ


とまぁ、偉業を成し遂げたのはいいんだけど…

 

強引なやり方でのし上がったのと複雑な人間関係のせいで、道三はなんだか悲しい最後を遂げることに…!?

 

今回は斎藤道三とその息子・義龍、織田信長とのお話なんかをゆるりとねっ。

 

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美濃統一後、斎藤道三は嫡男・義龍と…

 

1554年…

美濃の守護大名だった土岐頼芸を追放し、完全に美濃を掌握した斎藤道三は、早々に家督と稲葉山城を嫡男の義龍(よしたつ)に譲り隠居しました。

 

 

しかし、隠居したとはいえ斎藤家の実権を握っていたのはワシ。


 

道三はあまり義龍のことを評価していなかったようで、むしろ無能。といったふうに厳しい目で見ていたといいます。

 

義龍はそんな道三に不満があったようで、徐々に道三に反抗的になっていきました。

 

 

それにさ、今は私が美濃の国主だぞ?

父がでかい顔してるのがホント気に食わない!


 

こうなった時、道三は…

 

 

やっぱ義龍ではダメだ。

下の息子を後継者にしようかな…。


 

と義龍の嫡廃を考え、下の息子の孫四郎と喜平治を溺愛し始めました。

 

 

喜平治に名門一色氏の姓を名乗らせたりと、父は明らかに弟達を贔屓してる…。

それに弟達も最近私の事ナメてない?


 

義龍を見限った道三を見て、孫四郎や喜平治も義龍のことを軽んじるようになったといいます。

こうなると道三と義龍の確執は深まるばかり…。

 

 

なんとかしなくては!

このままでは私の立場が危うい!


 

ここで悩める義龍をたきつけたのが、家臣の長井隼人でした。

 

長井隼人

 

討っちゃいましょう、道三を(^-^)


 

 

えーっ!

父親を?(´・ω・`)


 

長井隼人

 

チッチッ(`ω´ )b〃

 

義龍様の本当の父親は…実は道三ではないんです!


 

 

なんですってー?!


 

斎藤義龍ってどんな人?道三との関係が複雑すぎるかも

 

斎藤義龍は道三の側室・深芳野(みよしの)から生まれたのですが、もしかしたら実の父親は道三じゃないかもという疑惑があるとのこと…。

 

道三が1527年の戦で武功を挙げた時、主君の土岐頼芸は褒美として深芳野(もともとは頼芸の側室)を道三にあてがいました。

 

こんな経緯で夫婦となった二人ですが…

道三と深芳野が一緒になって10ヶ月後ぐらいに義龍が生まれたらしく、時期的に

 

 

もしかして深芳野、頼芸の子供身ごもったままワシの嫁になったんじゃ?!


 

って可能性も無きにしも非ず。らしいです。

 

義龍の父親が土岐頼芸だとしたら、道三とは血の繋がりがない。

むしろ義龍にとって道三は、父親の仇になるというわけで、なんか凄い複雑であります。

 

 

…となれば、遠慮はいらない(;・n・)!!


 

1555年、義龍は…

 

 

お兄ちゃん病気になっちゃった…

もうダメかも。お見舞いにきて?


 

と、孫四郎と喜平治を呼び寄せて殺害。

これが義龍の道三への宣戦布告となりました。

 

 

義龍があの二人を殺した?!

次はワシか…?!


 

これを聞いた道三は稲葉山城から離れて鷺山城(さぎやまじょう)に籠り、急ぎ対策を練ります。

 

が、状況はかなり不利なものでありました。

 

もともと美濃は土岐氏の治めるところにあったので、美濃の国人達の多くが土岐氏の血を受け継ぐであろう義龍の味方についたのです。

 

 

ワシの家臣らも義龍の味方に…。

頼れる近隣の大名は信長ぐらい、ワシ大ピンチ。


 

そんなこんなで1556年…

義龍は約1万7500の大軍を率いて長良川を渡り、道三を潰しにかかりました。

※鷺山城と稲葉山城の間に長良川がある。

 

義龍軍1万7500に対し、道三が動員できた兵は約2500だったといいます。

 

道三軍は奮戦するも、多勢に無勢で多くの兵を討たれ敗北してしまいました。

 

そして道三は撤退しようとしたところを敵に討たれ、63年の生涯を終えたのであります。

 

この長良川の戦いでの義龍の采配は見事なものだったそうで…

 

 

さすがはワシの息子か。

無能なんかじゃなかった( ´;ω;` )


 

道三は義龍を侮っていた事を後悔したといいます。

 

斎藤道三と織田信長のお話

 

息子に倒されるという悲しい最後を遂げた斎藤道三…

 

道三が義龍を軽んじ、弟達を贔屓していたのがきっかけで義龍は道三に敵意を抱くようにたわけですが、

 

それ以外に道三は義龍よりも信長の事を評価し、信頼していたといった事も、義龍のストレスになっていたのではないかと思われます。

 

 

ワシの娘と信長が夫婦なのは有名な話だね。

そしてワシと信長のエピソードも割と有名…!↓


 

時は戻って1548年…

 

敵対関係にあった美濃の斎藤道三と尾張の織田信秀が和睦。

それにともない、道三の娘・濃姫が織田家に嫁ぎました。

 

それから数年後の1553年…

道三と信長は正徳寺という寺で初めて会見する事になります。

 

 

『うつけ』と有名だけど、どんな子かな?


 

道三は正徳寺にやってきた信長をこっそりと見やるのですが、

 

現れたのは噂どおりうつけの格好をした信長だったという…。

 

斎藤道三,義龍,龍興,織田信長

※諸説あるみたいだけど茶筅髷に斬新な柄の着物、瓢箪装備という傾奇者ファッションで現れたらしい。

 

しかし、信長は正式な会見の場では立派な武者ぶりを披露。

 

しかも信長は会見の場に道三より遅く現れるという無礼をかましつつも、それを悪びれず堂々と受け答えしたので…

 

 

この子は大物になるぞ〜!

ただのうつけじゃないっ!!


 

道三は信長の本質を見抜き、武将としての力量を高く評価したのでした。

 

後に道三は

 

 

ワシの息子らは皆、信長の馬前に平伏すであろう。


 

とまで言っていたそうな。

 

それからというもの斎藤道三と織田信長は良好な関係を続けておりました。

 

信長が父の死後に一族で揉めていた時、道三は信長を支援する意思をみせていたし、その他でも信長が戦で困った時には援軍を派遣したりしていたとのこと。

 

逆に信長も道三の力となるべく、道三が義龍に攻められた時(長良川の戦い)には援軍を出しています。

 

 

でも間に合わなかったんだよね…。

道三パパを救えなかった(;n;)


 

ちょいと薄情なイメージのある道三ですが、信長に対しては義理堅いし、本当に同盟相手として協力し合ってる印象…!

 

というか、道三が討ち死にする二日前に残した

 

 

美濃一国は信長に譲る。

全て彼に任せるつもりだ。


 

という遺言だけでも道三は信長をめっちゃ信頼していたというのが伺えます。

 

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おまけ・道三亡き後の斎藤氏は織田信長と敵対し続けていた

 

斎藤道三が討たれた後、織田信長は

 

 

ワシ、道三パパから正式に美濃を譲渡されたからね!

美濃を義龍から取り戻す!


 

と美濃へと侵攻するのですが…

 

斎藤義龍は足利将軍家と関係を築いて地位を確立したり、近江の六角氏と同盟を結ぶなどして力を強め、信長に隙を与えることなく美濃の統治に精を出しておりました。

 

 

まぁワシもこの時期、お家騒動があったりで忙しかったし。

美濃だけに集中できなかったってものある。


 

そんなこんなで1561年…

まだまだ美濃をとりまく情勢が不安定の中、斎藤義龍は病により死去。

 

後を継いだのは当時まだ14歳だった義龍の息子・龍興(たつおき)でした。

 

若い龍興には斎藤家を十分に引っ張っていく力がなかった為、その後、家臣の離反が相次いでしまいます。

 

 

斎藤家の勢いが弱まっていく〜♪


 

織田信長は変わらず美濃を狙い、斎藤龍興とも対立していたのですが、1566年に足利義昭のはからいで両者は一度和睦しています。

 

が、

 

アンチ織田信長派である三好三人衆にそそのかれ、龍興は三好側の味方について再び信長と敵対関係になりました。

 

そして1567年…

 

信長はかつて斎藤家の家臣だった竹中半兵衛を味方につけ、

さらに美濃三人衆と呼ばれる斎藤家の有力家臣達を織田家に寝返らせることに成功。

 

 

ちなみに、美濃三人衆に織田家に味方するよう働きかけたのは私だよ。


 

龍興の籠る稲葉山城の情報、頼もしい味方を得た信長は美濃へと侵攻。

わずか1日で稲葉山城を落としてしまいました。

 

 

いきなり織田軍が攻めてきてパニックやん?

しかも味方のはずの美濃三人衆が織田軍の一員になってるとか、もう分けわかんないよね。

 

龍興、怒りと悲しみの降伏宣言…。


 

美濃は織田信長のものとなり、『美濃の大名・斎藤氏』はここで滅亡したのでした。

 

しかし、龍興は依然として信長と敵対し続けました。

 

美濃を追われてからは伊勢に移り、それからもアンチ信長派の大名に味方して行動していたとのことです。

 

そして1573年…

龍興は越前の朝倉義景に味方して織田の軍勢と戦い、26歳で討ち死にしたそうな。

 

 

道三パパには信頼されてたけど、その息子と孫とは最後の最後まで仲良くなれなかった〜。


 

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