築くぜ真田丸!真田幸村が大活躍した戦、大阪冬の陣をゆるりと解説!

築くぜ真田丸!真田幸村が大活躍した戦、大阪冬の陣をゆるりと解説!

築くぜ真田丸!真田幸村が大活躍した戦、大阪冬の陣!

今でこそ知名度抜群&人気武将の一人の真田幸村だけど、歴史に名を残す唯一の活躍は大坂の陣(と第二次上田合戦)くらい。


 

真田幸村の凄いところは、その一度の戦で歴史にドーンと名を残しちゃってるところね!

 

今回は一度目の戦・大坂冬の陣についてをゆるりと解説!

カリスマ性十分、真田幸村はとっても出来る男!!

 

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『方広寺鐘銘事件』!大阪の陣、勃発の経緯とは??

 

関ヶ原の戦い後、豊臣家と徳川家はずっと不穏な関係だったわけですが、1614年にとある事件が起こり、ついに両者の間で戦が勃発する事となります。

 

家康は

 

 

豊臣家には秀吉の時代に蓄えた莫大な資産がある。

徳川の世とはいえ、豊臣家の存在は不安でしかないね。


 

とのことで

 

 

秀頼君、亡き秀吉公を供養する為に寺を建ててはどうかね?


 

と理由を作り、各地に寺を建てさせました。

 

そして徳川幕府はその中のひとつ、方広寺で作られていた鐘に刻まれた文字にケチをつけます。

 

その鐘の一部には

 

臣豊

 

と刻まれていたのですが、

 

 

家康の文字を分断している!不吉!家康様を呪い、豊臣家の安泰だけを願っているのだな?!


 

こんな理由をつけ、豊臣家を悪者にしてしまったのです。

 

 

そんなつもりじゃない!ひどい言いがかり!


 

豊臣家サイドは幕府に弁明するのですが、和解するのに出された提案は

 

秀頼の母・淀殿を江戸に人質に出す
秀頼は江戸に参勤する
大阪を退去し、他国に国替えする

 

といった厳しいものでありました。

 

 

そんな条件呑めるかっ!!プライドが許さんわ!


 

豊臣家サイドはこれを拒否、徳川と豊臣の間でハッキリと敵対関係が出来上がってしまいました。

 

そして…

 

 

話し合ってダメなら武力行使しかないね。


 

との事で、徳川家康は豊臣家の本拠地・大阪城へと兵を進める事になったのであります…!

 

真田幸村、大阪へ!豊臣家はどんなメンツで戦う?

 

方広寺鐘銘事件の後、豊臣家は徳川勢と戦う為、盛んに浪人達を召し抱え始めます。

 

そして九度山にいる真田幸村の元にも、豊臣秀頼の使者・大野治長が送られてきました。

 

大野治長

 

豊臣の為に共に戦ってくれんかね?

我らが勝利した暁には、幸村殿には封地50万石を約束させていただく。

それとは別に前金も払うよ。


 

これまで一度として領地を治めたことがない、一介の武士に与えるには破格の待遇でのスカウトです。

 

 

武将としてもう一度輝ける日がくるなんて願ってもない事!

幸村は豊臣家の為に戦うぞっ!!


 

敵は天下人、全国の大名を従える超絶権力者です。

 

いかに浪人を集めたところで豊臣が勝つのはかなり厳しい…というのは真田幸村も十分に理解していた事でしょう。

 

 

しかし、そんな事幸村には関係ないのである。


 

1614年10月、真田幸村は九度山を脱出し、大阪城へ入城したのでした。この時48歳。

 

そして幸村は騎馬武者100騎、兵5000を指揮する大将格の待遇で迎えられました。

 

浪人衆でこれだけの兵をまかされたのは真田幸村の他、長宗我部盛親、毛利勝永、明石全登、後藤又兵衛の5人だけ。

 

 

こんな大軍を指揮するのは生まれて初めての事…!


 

なぜここにきて真田幸村が大将格という破格の待遇を受けたのか?

 

なぜなら、豊臣方はネームバリューに欠ける圧倒的人材不足だったのです。

 

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豊臣勢はトップの武将達でもこんな感じ。チョイと頼りない感じが否めない状況。

 

『真田は戦上手』と頼りにされたのもあると思いますが、九度山で貧乏生活をしていた幸村ですら上位に入るほど有力な武将が集まらなかったわけです。

 

大阪城には各地から10万を超える浪人が集まったのですが、徳川幕府下にある大名達は誰一人として豊臣の味方についてくれなかったという…。

 

 

徳川の天下が揺るぎない今、地位のある大名は自ら危険な道を選ばないよね…。


 

豊臣家は落ち目なのに10万人も浪人が集まったのはナゼ?

『徳川相手じゃ勝ち目ないだろうなぁ』って思ってても、徳川幕府に潰された大名や、関ヶ原の戦い後に浪人となった武士達は失うものがないから『勝てたら出世できるラッキー!負けても戦場で死ねるなら武士として本望!』って感じで一念発起した。

 

大阪冬の陣、真田幸村は勝つ為の作戦を提示するも…

 

軍議が開かれると真田幸村、後藤又兵衛は兵を畿内(奈良・京都など)に分散させ、広く防衛線を張って敵を迎撃するという作戦を進言しました。これには

 

東西を分断して敵の連携をとれなくする。西日本にいる豊臣家に好意的な大名を味方に引き入れる事ができるかもしれない。

 

長期戦に持ち込む。兵糧を消費させれるし、戦が長引くほど敵は疲弊しダレていく。

 

敵を倒せれば、それはそれでOK。もし不利になった場合は兵を後退させ、大坂城での籠城戦に切り替える。

 

こういった意図があったようです。

 

しかし、この作戦は却下されてしまいます。

 

大野治長

 

断固籠城!野戦で兵がダメになってしまえば元も子もない。

こっちは寄せ集めの兵なんだし、そんなの上手くいくはずない。


 

 

ただでさえ劣勢なんだから多少のリスクは覚悟するべき!積極的に出なくては勝てませんぞ?!


 

積極的に戦う派と、断固籠城戦派で意見が真っ二つに割れて軍議は膠着…

 

そうこうしている間に、ついに敵軍が大阪に到着してしまいました。

 

 

徳川軍は大阪に到着したばかりでまだ戦準備が十分に整っていない。

今すぐ奇襲をかければ容易く徳川軍を崩せるかと!


 

真田幸村達はここでも強気な作戦を提案しました。

 

大野治長

 

ダメ!断固籠城!大阪城は難攻不落の堅城なんだからっ!!


 

しかし、またしても幸村達の作戦は却下されてしまいます。

 

籠城と決定したのには淀殿や秀頼の意向もあっただろうし、豊臣家の家臣団がダメと言うなら幸村達はそれに従うしかないのであります。

 

 

仕方ない…籠城と決まったからにはその方向で作戦を考えなくては!


 

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築くぜ真田丸!真田丸って何?

 

 

大阪城は日本屈指の堅城…。しかし、南側の守備が弱すぎる!


 

真田幸村は大阪城に入ってすぐ、城の弱点を見抜き南の城外に出丸を築きました。

 

 

ここを真田丸と命名!!そこに立てられる旗印はもちろん赤色ッ!!


 

この出丸って何?ということですが、コトバンクから引用すると『本城から張り出した形に築かれた小城。』と説明があります。

 

つまり、真田丸は大阪城の外に築いた、大阪城を守る為の防衛拠点(砦)ですね。

 

真田丸は三日月型に出っ張っていて、180m〜220mの規模だったとの事です。(記録によって大きさの記載が違うみたいです。)

真田幸村が大坂冬の陣でみせた真田丸の攻防とは?

 

総勢20万もの大軍で包囲された大阪城…、攻撃が始まったのは1614年11月19日の事でした。

 

大阪城の南側を守る真田幸村はというと、真田丸に息子・大助と兵5000でスタンバイ、真田丸の前に陣を張っていた前田利常、松平忠直、井伊直孝らと対峙しておりました。

 

しかし、徳川軍の面々は家康から

 

 

慎重に行動するように。うかつに攻めこんだりしちゃダメよ。


 

と言われていたらしく、はじめはこれといった戦闘はありませんでした。

 

そこで真田幸村は、真田丸の前面にある篠山から前田利常の軍勢に向けて鉄砲を撃ち込み敵を挑発しました。

 

 

オラオラッ!攻めてこいよっ!


 

前田軍はこの挑発に激怒。

 

 

こっちばっかり被害受けてる!腹立つ!

慎重になら攻撃してもいいよね?


 

翌日、前田軍は兵の一部を割いて篠山へと攻めいりました。

 

が、すでに篠山はもぬけの殻。

幸村は敵が攻めてくるタイミングを予測し、配置していた鉄砲隊を全員引き上げていたのであります。

 

そして幸村は

 

 

アレ?誰もいない…。


 

と前田軍の兵達が拍子抜けしているところに、真田丸の塀から顔を覗かせてこんな事を言いました。

 

 

おや、狩りにでもきたのかな?

そこの山はウサギや雉が現れる事もあるんだけどね、皆様が騒がしいから逃げちゃったみたいね。

 

せっかく来たのに何もする事がないから退屈でしょ?

暇つぶしにこの真田幸村が守る真田丸を攻めてみてはいかが?


 

この煽りにまたしても激怒した前田軍は、そのまま真田丸へと突撃していきました。

 

しかし、真田丸から弓矢や鉄砲がバンバン放たれるのですぐに足止めをくらう事になります。

 

 

ぐぬぬ。近寄れない。慎重にって言われてるし、いったん退くべきか…?


 

なんて前田軍は困っていたわけですが、この様子を後方で見ていた前田軍の別隊が勘違い。

 

 

あいつら真田丸に突撃してる!後れを取るな!我々も功を挙げるぞっ!!


 

と真田丸へ突撃してしまいました。

 

 

釣れた釣れた!撃て撃て〜!


 

真田丸の兵達は引き続き弓や鉄砲で応戦します。

 

そしてその時、真田丸の後方で予想だにしない大爆発が起こりました。

 

豊臣軍の兵士が誤って火薬の入った桶に火縄を落として大爆発を起こしてしまったとのことらしいのですが、

 

この爆発を見た敵は

 

 

徳川と内通している者が爆破させたに違いない!


 

と勘違いし、前田の軍勢に続いて井伊、松平、寺沢らの軍勢もどっと真田丸に押し寄せてきたのであります。

 

 

まさかの爆発!しかしこれはラッキーな展開!


 

敵の軍勢は武功を焦るあまりか、防御用の盾や竹束を持たずに我先にと向かっていったといいます。

 

真田丸の堀の前には無防備な兵がわらわらと群がっている状態、幸村はそこに一斉射撃させて次々と敵を倒していったのでした。

 

 

真田丸の外堀は敵の亡骸で埋め尽くされたのだ。

あまりの惨状にいたたまれなくなり、幸村は攻撃をストップさせたほど…。


 

大坂冬の陣が始まって以来、ここまで一方的に徳川軍を叩きのめす事ができたのは、この真田丸での攻防戦だけでした。

 

真田丸の攻防戦で出た死者はおよそ1000人、徳川軍の戦死者の五分の四にもあたる数だったといいます。

 

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徳川家康、感服!真田幸村をスカウトするも…

 

真田丸での出来事は、もちろん徳川家康の耳に入りました。

 

 

また真田か。真田には長年に渡り苦しめられてる…憎し。

 

けどやっぱ幸村って凄い。ワシの味方になってくれたら嬉しいなぁ。

こっちについてくれたら豊臣の士気も下がるだろうし。


 

真田幸村の見事な戦いっぷりに感服した家康は、幸村の叔父・真田信伊を真田丸に派遣して徳川につくよう交渉させました。

 

 

家康様が幸村を気に入ったとさ。

徳川に降れば幸村を10万石で召し抱えると仰っているぞ。


 

 

秀頼様は乞食同然だった幸村を取り立て、この大事な戦を任せて下さった。

武士としてこれほど名誉なことはありません。

 

この期に及び、御恩に背いて徳川方につくなど考えられない!


 

幸村は迷うことなくこの誘いを断りました。

 

 

イヤ!幸村が欲しい!10万石でダメなら信濃一国あげちゃう!


 

諦められない家康は破格の待遇を提示、再び幸村をスカウトしました。

 

しかし

 

 

幸村は10万石では豊臣を捨てないけど、信濃一国なら豊臣を捨て徳川につく。

 

…とな?ふざけるなっ!!


 

金で動くと軽く見られた事に幸村は激怒、これまたキッパリと家康の誘いを断ったのでした。

 

大坂冬の陣は和議にて決着。

 

真田丸で徳川軍に大打撃を与えた真田幸村ですが、戦全体でみると優勢なのは徳川軍でした。

 

 

他の部隊は砦が落とされるなどし、豊臣軍はだんだんと士気を失いつつあったのだ…。


 

しかし、徳川家康はとても慎重でした。

 

 

優勢とはいえ、防御力の高い大阪城は簡単には落ちない…。

長期戦となるとなかなか終わりが見えてこないし、予期せぬ事態が起こる可能性もある…。

 

いっちょ和睦するか。こっちが俄然有利な条件でなっ!!


 

リスクなくこの戦を終わらせる為、家康は豊臣方に和睦を申し入れました。しかし、

 

 

家康の言いなりになんかなるかっつぅの。


 

豊臣サイドはこれを拒否。

徹底抗戦の構えを見せたのであります。

 

これを受け、徳川家康は大阪城に向けて連日大砲を撃ち込みました。

 

そしてそのうちの一発がたまたま淀殿の居間の櫓に直撃し、淀殿の侍女70名あまりが即死してしまいました。

 

 

恐ろしい…和睦するからもうやめて(´;ω;`)


 

強がっていた淀殿ですが、この一撃で完全に心が折れてしまい和睦を受け入れることになります。

 

 

ここで和睦するのは家康の思うツボ!

和睦をしたがるという事は、家康はこの戦に絶対の自信を持っていないという事だ!


 

真田幸村ら浪人衆は反対したのですが、ここでも彼らの意見は聞き入れてもらえませんでした。

 

大坂冬の陣が始まってから1ヵ月後の12月19日、豊臣家と徳川家の間で正式に和睦が結ばれ、戦は平和的に終結したのであります。

 

しかし、家康の提示した和睦の条件は豊臣家にとって不利なものでした。

 

そしてさらに、家康は再び豊臣家を陥れるような行動に出ます。

 

 

家康は完全に豊臣を潰す気じゃっ!

豊臣家の意地とプライド見せたる、戦すっぞ!!


 

これからわずか4ヵ月後、戦国時代最後の戦にして真田幸村が大活躍した【大阪夏の陣】が始まるのであります…!

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楽しんでいただけたらイイネ!

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