荒木村重こと尾道の道糞!織田信長に謀反を起こして踏んだり蹴ったり!

荒木村重こと尾道の道糞!織田信長に謀反を起こして踏んだり蹴ったり!

荒木村重こと尾道の道糞!信長に謀反起こして踏んだり蹴ったり!

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生涯 1535年~1586年
出身 摂津池田(大坂)
全盛期 摂津35万石
主君 池田勝正、池田知正、織田信長、豊臣秀吉
有名な親族・家臣 荒木村次(長男)、岩佐又兵衛(?男)、高山右近・中川清秀(家臣)
思い出の戦 槇島城の戦い、石山本願寺との戦い、紀州攻略戦、有岡城の戦い
荒木村重といえば 織田信長を裏切った男、道糞

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道糞となった男、荒木村重をゆるりと楽しく解説!

織田信長を裏切った事で有名な荒木村重!

だけど、本当は織田信長に気に入られていたみたいよ~。


 

なんだか世間では裏切り者の糞野郎みたいに言われる事もある けど、色々と事情があったんですってさ。

 

今回はそんな荒木村重の歴史や逸話などをゆるりとご紹介~!

 

荒木村重の出自は?織田信長に出会うまで…

 

荒木村重といえば織田信長の家臣!

 

というのが有名ですが、村重はもともと、摂津の国人・池田勝正に仕える小領主でした。

※この池田氏は足利幕府の管領・細川氏の被官であり、1568年頃に織田信長に臣従している。

 

池田家時代のエピソードはあまり残ってないみたいですが、荒木村重は前池田家当主・長正の娘を妻に貰っているぐらいなので、そこそこ殿の覚えのよい人物だったように思います。

 

しかし、後に村重は池田知正と組んで、主君・池田勝正を裏切り、敵対関係にあった三好三人衆に寝返るという謀反を起こしております。

※池田知正…村重の妻の兄弟とされる人物。池田勝正との関係性は不明。ちなみに三好三人衆は織田信長と敵。

 

池田勝正は立場を追われ、池田家は村重サイドのものとなりました。

単独犯ではないけど、荒木村重のちょっとした下剋上であります。

 

 

池田知正を当主に据え、実権を握ってやったのだ。


 

しかしこの後、信長の勢いに押され三好三人衆は壊滅。

こういった事情もあり、村重は三好ら反織田勢と決別して織田信長に仕えるようになりました。

 

これが村重の人生のターニングポイント。

いち国人領主の家臣に過ぎなかった村重は織田家家臣となり、摂津一国を治める大名へと成長していくのであります。

 

織田信長が荒木村重に惚れた瞬間!有名な饅頭の逸話

 

荒木村重と織田信長!…といえば、絶対にはずせないのが饅頭の逸話であります。

 

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1570年前後の織田信長は、将軍・足利義昭に『信長包囲網』を敷かれ、大勢の敵を相手にしなくてはいけない…という大変な状況にありました。

 

 

けど、ワシはこれらを順調に撃破していき勢力を拡大させていった!


 

そして1573年…、

織田信長は抵抗を続ける足利義昭と決着をつける為、軍勢を率いて上洛するのですが、この時、信長を近江逢坂で出迎えたのが荒木村重(と細川幽斎)でした。

 

荒木村重は上座に座る織田信長に謹んで平伏。

すると織田信長は、いきなり側に置いてある饅頭を刀の切っ 先に刺し

 

 

食え。


 

と村重の前に差し出しました。

 

 

(いきなり何?平伏したままで食えとかめっちゃ屈辱的…。)


 

といった状況ですが、村重はこれといって動じる事なくそのまま饅頭にかぶりついたので、信長は

 

 

日本一の大器なり。


 

と感心し、村重に太刀を与えたのでした。

 

荒木村重の豪胆さを示すエピソードでもあるけど、織田信長のパワハラエピソードでもある。笑

 

 

なにはともあれ、最初っから好印象だったみたいね。


 

この後、村重は足利義昭の籠る宇治槙島城を攻めて武功を挙げ…、さらに摂津の国人・伊丹親興を滅ぼすという武功も挙げました。

 

 

荒木村重、出来る子…!


 

確かな働きで信長の信頼を得た荒木村重…!

村重はこの後、伊丹城を与えられ、摂津一国を治める大名へと大出世したのであります。

 

 

ちなみにこの伊丹城は有岡城と改名し、城作りに力を入れたぞ!

ルイスフロイスが『壮大にして見事なる城』と褒めた凄い城なのだ!


 

そして一国の主となってからも織田信長の天下取りに貢献。

石山本願寺との戦や、紀州征伐などに参戦して武功を挙げたとのことです。

 

具体的な戦場エピソードは残っていないみたいですが、村重は有能な戦闘指揮官であり、戦場ではとても頼もしい存在だったようです。

 

明智光秀や羽柴秀吉とほぼ同列の扱いで信長に重用されていたんだとか。

 

そう、

 

 

かれ一人味方に属せば、
摂州一国平治する事は云うに及ばず


 

と言わしめるほど、信長からは高評価だった模様。

 

どうしてこうなった!荒木村重の中国征伐!

 

信長包囲網を蹴散らし足利将軍家を滅ぼした織田信長は、日本の中心部を広く支配下に置く大大名になりました。

 

そして1577年、織田信長は羽柴秀吉をリーダーとして本格的に中国征伐を開始。

 

荒木村重はというと、羽柴秀吉に従い中国地方の毛利勢と戦っていく事になります。

 

1578年6月には、毛利軍に包囲された播磨の上月城の救援に向かうのですが…

※毛利氏に滅ぼされた尼子氏の残党が、尼子家再興の為に織田について上月城の防衛を任されていた。

 

 

毛利軍と戦うには戦力不足!

信長様、援軍送ってください!


 

 

無理。

三木城の別所長治が裏切ってそれどころじゃないっしょ。

上月城はもう放棄して、三木城に集中して。


 

こんな事情があった為に、上月城の援護を断念。

荒木村重は味方を見殺しにしてしまうという、チョイと心苦しい戦の思い出を作ってしまいました。

 

 

この時期、織田から毛利勢に寝返った武将が続出して我々は大忙しだったのだ…。

戦国時代って大変!


 

そう、戦国時代は大変。

この後すぐ、荒木村重にもまさかのハプニングが起こるのであります。

 

 

中川清秀の配下が石山本願寺(織田の敵)に米を売っていたらしいです。

という事は、中川の主たる荒木村重も本願寺と通じているのでは…。


※中川清秀…荒木村重の従兄弟で家臣。

 

こんな理由で荒木村重に叛意アリとの噂が立ち、信長サイドがザワつき始めたのです。

 

 

許せん…。

けど村重のいる摂津は地理的に重要な土地なんだよなぁ。

揉めて不仲になると大変だから、ここは平和的に解決しよう。


 

織田信長は荒木村重の元へ明智光秀ら使者を送り、この一件を穏便に済まそうとしました。

 

そして

 

 

村重殿の母親をこちらに人質に出し、安土へ謝罪に来れば許してくれるとの事です。


 

 

なんと寛大な…。

行きます!安土の信長様の元へ!


 

村重は信長の条件を受け入れ、安土城へ向かうことに…。

 

が、しかし、家臣の中川清秀が

 

中川清秀

 

明智殿はああ言ってましたが、信長は一度疑った者を許す事はないでしょう。

ここは毛利、本願寺勢に与して 信長と戦うべし。


 

なんて事を言って村重を引き留めたので、村重は有岡城に籠城する事を選びました。

 

これには織田信長も困惑。

 

 

なぜ離れていくの?

村重は今までワシに良く尽くしてくれたのに…。

でもめげない!もう一度使者を送るぞ!


 

信長は再び明智光秀や羽柴秀吉を荒木村重の元へ送り、説得にあたったのでした。

 

しかし…

 

 

帰っておいで。

こんなに寛大な信長様、滅多にないわよ?


 

 

NO!


 

 

意地張らないで下さいよ~。

まだ間に合いますから。


 

 

NO!


 

 

私からも頼みます。

信長様に謝ろう?


 

 

NO!


 

荒木村重は再三にわたる和睦の使者を追い帰してしまいました。

 

丸腰でやってきた黒田官兵衛に至っては、捕らえて有岡城の土牢に幽閉してしまったという…。

 

 

織田家家臣団のスターである光秀や秀吉まで派遣し、何度も帰参のチャンスを与えてやったというのに…。


 

荒木村重を信頼し、大名に取り立ててあげた織田信長です。

恩を仇で返され、下手に出たのを拒否されたとなれば面目丸潰れ…。

 

ついに激怒した信長 は、本気で村重を潰しにかかる事を決意したのであります。

 

 

ちなみに、ワシがなぜここまで信長を拒否したのかはハッキリした理由は分かってないんだなぁ…。

 

許すとか言いつつ、どうせ許してれないんでしょ?と疑心暗鬼になって決裂したのか…

家臣にそそのかされたのか…

もともと信長に対して不満に思う事があったのか…

 

ご想像にお任せするのだ。


 

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こんなはずじゃなかった!荒木村重の謀反がグダグダ

 

織田信長と敵対する道を選んだ荒木村重は、すぐさま毛利方に使者を走らせ、共闘する意思を示しました。

 

 

いずれ信長は有岡城に攻めてくる。

毛利に援軍を送ってもらい、蹴散らしてやるのだ。


 

村重は毛利の援助がある 前提で信長と戦っていくつもりだったのですが、『第二次木津川口の戦い』と呼ばれる海戦で毛利軍が織田軍に殲滅されてしまいました。

 

 

先行き不安…。

ちゃんと援軍来るよね?


 

待てども待てども毛利からの援軍は来ず。

そしてさらに、追い討ちをかける出来事が起こります。

 

 

村重の家臣達を調略し、織田に寝返らせてやるぜ。


 

キリシタンだった高山右近は

 

 

頼ムヨ。

YOUが織田方に降らなきゃキリスト教を断絶スルと信長に脅されたヨ。


 

と宣教師に説得され…、

 

中川清秀は

 

 

こっちにつけば今以上の領地と金をやるぞ。


 

と交渉されたことで信長に降伏し、それぞれ城を空け渡したのでした。

しかもその他にも信長に寝返った配下達がいるので、村重はほぼ孤立状態…!

 

 

家臣達が信長と戦えって言ったのに!

ワシ、見捨てられた…。

 

そもそもワシが疑われたのって清秀の配下の行動が原因なんだけど!

清秀クズすぎない?


 

なんとも腹立たしく悲しい状況。

荒木村重の人望のなさが垣間見えた気が致します。

 

この後、織田信長は3万を超える大軍を率いて有岡城を包囲しました。

その中には村重を裏切った高山右近、中川清秀の姿もあります。

 

 

配下達に裏切られ、援軍も来ない!

村重大ピンチ!


 

なのですが、有岡城の守備力は高く、織田軍の猛攻を受けてもそう簡単には揺るぎませんでした。

 

そして時には有岡城から討って出て積極的に戦う事もしたので、荒木村重は大いに織田軍を苦しめたといいます。

 

しかしその後、信長は力攻めは難しいと判断したか兵糧攻めに切り替えてきたので、村重はジワジワと追い詰められていきました。

 

 

毛利の援軍まだ?

毛利だけが頼みの綱なのに…。


 

荒木村重は何度も毛利に援軍を要請していたのですが、毛利の援軍は一向に来ず。

そんなこんなで籠城すること約10ヵ月…

 

 

もう無理。死ぬ。


 

いよいよアカンと思った村重は、数名の近習を連れて有岡城を脱出。

長男・村次が守る尼崎城へと移りました。

 

この逃亡劇は、荒木村重が有岡城の味方を見捨てて逃げた!なんて語られる事もありますが、毛利の援軍を頼みに行くために行動していたとも言われております。

 

 

尼崎城は交通の便が良く、毛利と連絡が取りやすい場所なのだ。

逃げたんじゃないもん。


 

しかしその後、有岡城に残された家臣達は

 

 

有岡城ほか尼崎城、花隈城を開城せよ。

降伏すれば有岡城にいる一族、家臣らの命も助けるぞ。


 

と織田信長に和議をもちかけられたので、独断で有岡城を明け渡しました。

 

そして尼崎城にいる荒木村重のもとに、家臣がこの件を伝えに来るのですが…

 

 

ここでワシが信長に降れば、共に戦うと決めた毛利や本願寺はどうなる!


 

との事で降伏を拒否。

最後まで信長と戦う意思を見せたのでした。

 

村重は有岡城にいる家族や家臣達の身を案じるより、己の意地を貫き通したのであります。

 

 

絶対に許さん。


 

とことん村重に拒否された信長は、もちろんのこと大激怒。

 

見せしめに村重の家族、一族、家臣、家臣の家族、合わせて600人以上を磔、焼殺などして殲滅したのでした。

 

この後、村重は尼崎城でしばらくの間抵抗を続けるのですが、その尼崎城も危うくなったため最後の砦となる花隈城へと移りました。

 

が、その花隈城も織田軍に攻められ落城。

行き場を失った荒木村重は毛利氏を頼って逃亡し、その後しばらくは尾道でひっそりと隠遁生活を送っていたとのことです。

 

色々な事情があったにせよ、一連の戦で荒木村重は

『織田家の裏切り者』

『家族、一族郎党を見殺しにして逃げたヒドイ奴』

『己の意地で何もかもを失った愚将』

になってしまいました。

 

なので、

 

 

最悪の人生や。

糞や糞。

ワシャ尾道に転がる糞や。

そや、ワシは道糞や。


 

荒木村重は道糞(どうふん)という強烈な自虐ネームを自分につけちゃいました。

 

戦国武将には様々な異名があるけれど、『道糞』は異色すぎて面白い…!

 

ちなみに、荒木村重の長男・村次の妻は明智光秀の娘でした。

 

村重は織田との戦が激化する前に、息子夫婦を離縁させて明智光秀に娘を返していたとのことです。

 

明智光秀の娘を人質に使う事もできたかもしれないのに、それはしなかった…

 

優しい一面があると言えば良い話になりますが、謀反を起こした側の行動としてはなんか中途半端だなぁ~と思ってしまいます。

 

 

もしかしてワシ、無能…?!


 

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荒木村重の最後はひっそりと。

 

荒木村重が尾道の道糞となってから約2年後の1582年、織田信長が本能寺の変で死去。

 

これにより、荒木村重を執拗に憎む者はいなくなった…ということで、村重は堺へと移り住み新しい人生をスタートさせました。

 

 

とは言っても武士は引退!

ワシは茶人となり、後に茶人として秀吉に仕えたのである。


 

道糞なんて名乗っておきながら、やることは案外風流。

荒木村重は利休七哲に数えられるほどの、茶の湯のプロフェッショナルだったようです。

※利休七哲…千利休の優れた弟子ベスト7。筆頭は蒲生氏郷、メンバーには諸説あり。

 

そして秀吉は村重が謀反に至った事情や、村重の過去の武勇を知っているので、『道糞』と自虐する村重に『道薫(どうくん)という名をつけてあげたのでした。

※出家してから名乗ったとも。

 

 

織田家時代に比べると地味なポジションだけど、天下人候補の秀吉に仕えて安泰…!


 

だったのですが、村重は豊臣家家臣達と折り合いが悪かったり、秀吉の悪口を言っていたのが秀吉の妻にバレちゃったりして立場が危うくなったので、ササッと秀吉の元を離れて出家しちゃったそうです。

 

そして1586年、堺でひっそりと死去したのであります。享年52。

 

 

信長に『日本一の大器なり』と言われていたのに、なんか残念な歴史を残してしまった…。


 

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