秀吉や家康が恐れた!軍師・黒田官兵衛の歴史や逸話をゆるりと解説!

秀吉や家康が恐れた!軍師・黒田官兵衛の歴史や逸話をゆるりと解説!

徳川家康 ラインスタンプ

秀吉の軍師!黒田官兵衛をゆるりと楽しく解説!

黒田官兵衛,豊臣秀吉,関ヶ原,エピソード

生涯 1546年~1604年
出身 播磨(姫路)
全盛期 豊前中津12万石
主君 小寺政職、織田信長、豊臣秀吉・秀頼
有名な親族・家臣 黒田職高(父)、黒田長政(長男)、母里太兵衛・後藤又兵衛・栗山利安(家臣)
思い出の戦 有岡城の戦い、備中高松城の戦い、関ヶ原の戦い
黒田官兵衛といえば 黒田如水、軍師官兵衛、秀吉にめちゃ警戒されてしまった

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人生いろいろ、結構波乱万丈な黒田官兵衛!

大河ドラマが記憶に新しい軍師、黒田官兵衛!

豊臣秀吉の天下取りに絶対かかせないのがこのお方ね~!


 

しかし、誠心誠意尽くしてきたけどなんだか報われない感じ…?

 

そして晩年は案外野心高めでアグレッシブ!

天下人達に恐れられたほど有能だった、官兵衛の歴史やエピソードをゆるりとご紹介~!

 

そして黒田官兵衛は黒田如水、黒田考高としっくりくる呼び方が3つもあるんだけど、おそらく官兵衛が一番メジャーなので今回は官兵衛で表記してるわよっ!

 

黒田家が台頭してきた理由がなかなかに興味深い!

 

豊臣秀吉の軍師で有名な黒田官兵衛ですが、もともとは西播磨の大名・小寺政職(こでら まさもと)に仕えておりました。

 

もともと黒田家は近江にあった一族らしく、そこから備前に移り、官兵衛の祖父の代で播磨にやってきたそうです。

 

播磨に来た頃の黒田家は貧乏百姓だったらしいのですが、官兵衛の祖父が黒田家に伝わる秘伝の目薬で商売を始めてみたところ、それが空前の大ヒット。

 

富を築いた官兵衛の祖父は、そのお金で家来を大勢雇い、気づけば黒田家は武将としての地位を築くまでに成長したとの事です。

 

 

なかなかにレアケースじゃない?

祖父はかなりやり手だね。


 

そんな感じで播磨で腰を据えていた黒田家…、

 

官兵衛は21歳の頃には父から家督を譲られ、小寺家の家老としてバリバリ働いてたとのことです。

 

 

あの世界文化遺産である姫路城を任されていたぞ。


 

黒田官兵衛meets織田信長!官兵衛の人生が動き出す

 

1575年、官兵衛が30歳を迎える頃…

 

織田信長は日本の中心部を広く支配し、中国地方の制圧にも取り掛かっておりました。

 

 

信長って人は凄いぞ…。

間違いなくこれからは織田の時代になる!


 

官兵衛は中国征伐が本格化する前に、信長に臣従したほうが良いと主君を説得しました。

 

そして主君の了承を得た官兵衛は使者となり、岐阜で信長と謁見します。

 

 

織田家の為に頑張りますっ(`・ω・´)キラッ☆


 

 

君、有能なオーラが漂ってるね。

1万石あげちゃう。

 

中国地方は羽柴秀吉が担当してるから、よろしく頼むよ。


 

織田信長に気に入られたか、黒田官兵衛は1万石で取り立てられました。

 

ここからは羽柴秀吉に協力し、織田家の為に働く事になります。

 

 

この時点では、一応直接の主君は小寺政職のまま。


 

そして黒田官兵衛はこの際、

 

 

播磨平定の足掛かりに是非ともお使いくだせぇ。


 

と姫路城の本丸を秀吉に提供しました。

 

 

武将のステイタスであるお城をワシの為に…!

秀吉大感激!


 

黒田官兵衛はこの思いきった行動で見事に秀吉のハートをキャッチ。

 

 

信頼を得るにはこれくらいやらなきゃね。

他の奴らとは一味違うぜ感もアピールできるし。


 

以後、黒田官兵衛は秀吉の参謀役として、共に天下取りの道を歩んでいく事になります。

 

幽閉されてしまった黒田官兵衛

 

1578年、中国征伐が行われている最中…、

 

織田家家臣・荒木村重が突如として謀反を起こし、摂津の有岡城に籠城するという事件が起こります。

※荒木村重は摂津の大名。謀反の理由はよくわかってないらしい。

 

そしてこの時、官兵衛の主君・小寺政職も荒木村重の裏切りに呼応し、信長に反旗を翻しました。

 

 

困るー!今や日本最強レベルの織田を敵に回してどうすんのさ!

村重さんに考え直してもらわねば!


 

黒田官兵衛は荒木村重を説得する為、単身で有岡城へ出向きます。

 

が、説得できず。

官兵衛は捕えられて土牢に幽閉され、有岡城の戦いが収束するまでの一年間をそこで過ごす事に…。

 

官兵衛はこの長い幽閉生活で肌はかぶれてボロボロ、足も弱って歩くのに困難な状態になってしまったと言われております。

 

 

幽閉されたのは陽も当たらず、不衛生で虫だらけの場所だったのだ。

よく生きて帰ってこれたよ…。


 

しかし、黒田官兵衛はしばらくの療養を得て1、2年後には完全復活!

秀吉の軍師として中国征伐に参加し、バリバリ働いていたのでした。

 

 

タフ!


 

ちなみに官兵衛の主君・小寺政職は、織田家に反抗したのを許される事なく滅亡に追い込まれてしまいました。

 

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黒田官兵衛といえば…!

 

軍司・黒田官兵衛の活躍した戦といえば、1582年の『備中高松城の戦い』で用いた『水攻め』が有名かと思われます。

 

『水攻め』は川の水をせき止め、それを城に向けてドーンと流して城を孤立させるという戦法です。

 

水攻めによる敵へのダメージは

 

水かさが増して城が水没する
城兵は外へ打って出る事ができない
援軍も来れない
兵糧攻めの効果もある

 

このようなものがあります。

 

そして自軍の兵に被害がないというメリットもあります。

 

 

準備期間や費用がかかるというデメリットもあるけどね。


 

この斬新な戦法で、秀吉軍が備中高松城での戦いを有利に運んだのは有名な話…!

 

 

しかしコレ、秀吉様が考えた作戦とも言われているのだ。


 

 

しかし官兵衛の協力があったから『水攻め』が成功したのは間違いないっ!


本能寺の変勃発。その時、黒田官兵衛は…

 

1582年、明智光秀が本能寺で謀反。

信長が死去するという大事件が起こります。

 

 

これからどうすればいいのー?!

織田家一同、大パニック!


 

といった大変な状況ですが、黒田官兵衛は冷静でした。

 

冷静どころか

 

 

キタ!!

殿に運が向いてきましたな!

天下取る大チャンスですぞー!


 

こんな事を秀吉に言ったので

 

 

(信長様が亡くなったばかりというのに不謹慎…。このギラつき具合、油断ならん。)


 

と秀吉の不信を買い、ひそかに警戒される事になったと言われております。

 

しかし、

 

 

天下取る大チャンスですぞ!


 

 

やっぱり?

お前もそう思う?(笑)


 

なんてやりとりをしたという逸話もあるので、秀吉もまんざらではなかった模様。

 

そして官兵衛は、

 

 

すぐさま戦を中断し、毛利と和睦を結びましょう。

そうすれば誰よりも早く信長様の敵討ちに行けます。

 

この戦に勝てば羽柴の名は全国にとどろきますぞ!


 

こういった策を提案し、すぐさま実行に移しました。

 

この官兵衛の作戦のおかげで、『中国大返し』と呼ばれる驚異的なスピードでの行軍が実現し、秀吉は明智光秀を討つ事ができたのであります。

※本能寺の変の時、織田家の有力家臣の多くが地方に遠征していた。

 

 

秀吉の天下取りの足掛かりとなったのがコレ!

官兵衛の功績はでかいね!


 

そして余談ですが、官兵衛は本能寺の変が起こった数年後にキリスト教に入信したそうです。

 

 

洗礼名はドン・シメオン!


 

豊臣家はブラック?頑張ったのに官兵衛の給料が少ない

 

官兵衛は本能寺の変後も引き続き、秀吉の参謀役として大活躍しております。

 

四国征伐では軍の指揮官として宇喜多秀家につき、先鋒隊となって敵の城を落とすなど勝利に貢献し…、

 

九州征伐でも軍の指揮官として各地を転戦、豊臣軍の勝利に貢献しております。

 

 

そう!

ワシ、秀吉様の天下統一事業に貢献しまくっております!


 

豊臣秀吉は四国、九州を平定して日本一ビッグな大名になりました。

 

それにともない活躍してきた豊臣家家臣達も出世していくわけですが、黒田官兵衛はというと九州の豊前中津に12万石を与えられました。

 

 

九州ッ?!政権の中枢からめちゃ遠ざかった!

12万…12万石かぁ…


 

黒田官兵衛は秀吉の天下取りにかかせない参謀役…

 

戦だけでなく、政治や外交においてもよきアドバイザーとなり秀吉を支えてきました。

 

官兵衛はとても優秀で才能ある武将なのです。それゆえ…

 

 

(官兵衛に財力やら権力持たせたら、天下奪われそうで怖い…。)


 

秀吉は官兵衛を密かに恐れ、自分の敵とならないよう小物のままに止め置いたのでした。

 

 

信頼されてないってことよね。

マジメに仕えてるのに悲しいね。


 

これからしばらくして官兵衛は長男・長政に家督を譲って隠居しました。

 

しかし、その後も官兵衛は、京や大阪を拠点として秀吉の側で働いております。

 

 

北条小田原攻めや朝鮮出兵でも、参謀役として参加しているぞ。


 

 

なんやかんや官兵衛は秀吉にかかせない存在!


 

黒田官兵衛と関ヶ原の戦い

 

豊臣秀吉の死から2年後、天下分け目の関ヶ原の戦いが勃発。

黒田家は東軍の徳川家康の味方につきました。

 

そして息子の長政が主力を率いて関ヶ原の地へ出陣。

官兵衛は自領の豊前中津に残り、わずかな手勢で留守番をする事になります。

 

が、黒田官兵衛はここからかつてないくらいアグレッシブに行動を開始していきます。

 

 

みんな上方の戦に夢中で、九州が隙だらけなんだよなぁ。

今なら簡単に九州を制圧できる…!


 

官兵衛は徳川家康と石田三成が争っている間に九州を平定し、新たな勢力として台頭しようと目論んでいた(と言われている)のです。

 

 

天下取れるくらいビッグになっちゃうかも?!

家康に挙兵の許可もとったし戦の準備だっ!


 

手持ちの兵が少ない官兵衛は、惜しみなく報酬を出して大量に浪人を雇いました。

 

それも九州だけでなく、四国や中国地方からも人を集めたので、官兵衛は即席にもかかわらず1万近い軍勢を作り上げたのでした。

 

 

こういう時の為に、ワシは日ごろ節約してお金を貯め込んでいたのだ!


 

官兵衛はこの軍勢を引き連れ、西軍の武将・大友義統(おおともよしむね)を撃破すると、次々に城を落とし勢力を膨らませていきました。

 

はたから見たら

 

 

黒田官兵衛が東軍の為にめっちゃ頑張ってくれてるー!


 

って感じですが、これは黒田官兵衛人生初の、黒田官兵衛による黒田官兵衛の為の戦…!

 

 

ワシ、今人生で一番輝いてます(∩´∀`)∩!!


 

しかし、

 

 

関ヶ原の戦い、家康の勝利で終わったってよ!


 

 

えーっ!


 

あまりにも早く決着がついてしまったので官兵衛の密かな野望は叶わず。

 

 

予想外…関ヶ原の戦い波乱すぎ。


 

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無念の関ヶ原…黒田官兵衛、息子に八つ当たりしちゃった?

 

関ヶ原の戦い終了!

 

その後官兵衛は、関ヶ原から九州に戻ってきた西軍武将(立花宗茂や島津義弘)と対話や戦をし、騒動の収束に向けて働いておりました。

 

 

結局、普通に東軍の為に働いていたっていう。


 

そして官兵衛の息子・黒田長政は関ヶ原の戦いにおいて諸大名達とコンタクトをとり、東軍の味方になってくれるよう工作したりと、東軍の勝利に大いに貢献していました。

 

その結果、黒田長政は筑前52万石を与えられる事になります。

 

息子が大出世!

普通ならよくやったねーと褒めるのでしょうが、

 

 

家康様は長政の右手を握って感謝してくれたんだ~(´▽`)


 

と嬉しそうに語る長政に

 

 

お前の左手はその時何をしておった?

(訳:その空いてる左手で家康刺しころさんかい!!)


 

と官兵衛が言葉を返したのは有名な話であります。

 

秀吉が官兵衛を九州に追いやったのも納得のギラつき具合…!

 

でも多分、黒田官兵衛は最初からギラギラしてたわけではなく、チャンス到来で覚醒した感じでしょうね。

 

主君を裏切ってまで天下を狙うようなタイプではないように思います。

 

なにはともあれ 、一念発起したのに呆気なく終わって悔しかった事でしょう。

 

黒田官兵衛はこの関ヶ原の戦いで燃え尽きたか、

 

 

九州で頑張ってくれたから、長政とは別に官兵衛さんに加増するよ!


 

と言ってくれたのを辞退。

その後は完全に引退して政に関わる事はありませんでした。

 

晩年は穏やかに過ごしていたとのことです。

 

そして関ヶ原の戦いから4年後、伏見の屋敷で死去。享年59。

 

ちなみに、関ヶ原の戦いの後の黒田官兵衛について、別の逸話では

 

 

官兵衛殿の働きは素晴らしかったです!


 

 

それ相応の恩賞を与えるべきでは?


 

 

そんな事はしなくていいの。黒田官兵衛は底知ぬ男だから(笑)


 

こんなやりとりがあったとするものもあります。

 

官兵衛は豊臣秀吉だけでなく、徳川家康にも警戒されていた…?!

 

凄いぞ、軍師官兵衛!

 

 

タイミングや運に恵まれていたら本当に天下人になってたかも~?!


 

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