立花宗茂の関ヶ原エピソード!宗茂の忠義と人柄に家臣が徳川が島津が惚れた

立花宗茂の関ヶ原エピソード!宗茂の忠義と人柄に家臣が徳川が島津が惚れた

立花宗茂の関ヶ原エピソード!宗茂の忠義と人柄に皆が惚れた

確かな戦働き、誠実な人柄で天下人・豊臣秀吉に『忠義・武勇、鎮西一!』と大絶賛された立花宗茂。


 

大名に取り立てられ、順調に武将人生を送っていたけど関ヶ原の戦いで波乱の展開に…。

 

今回は立花宗茂の人生の山場となった『関ヶ原の戦い』以降についてをゆるりとまとめたわよっ。

 

どんな時でもブレない立花宗茂の忠義心、人柄、温かみが素敵!

 

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立花宗茂は関ヶ原の戦いの時、何をしていた?

 

豊臣秀吉亡き後、豊臣政権内では徳川家康と石田三成が天下の行く末を巡って対立。

 

そして秀吉の死から2年後の1600年、ついに両者の間で武力による争い『関ヶ原の戦い』が勃発する事となります。

 

戦が始まる前、徳川家康は味方を増やすべく全国の大名達とコンタクトを取っておりました。

 

立花宗茂のもとにも家康からお誘いが来るのですが…

 

妻・ァ千代

 

家康についた方がええで。勝ったら給料沢山くれる言うとるんやし。


 

 

家康に味方すれば豊臣家を裏切る事になる。

義に背いて生き長らえるくらいなら死んだ方がマシ!


 

宗茂は妻・ァ千代の意見を却下し、秀吉から受けた恩に報いるため石田三成の味方につきました。

 

ちなみに、宗茂とァ千代はあんまり仲が良くなかったとの噂があるらしいです。

 

 

別居してたし子供もいなかったんだよね。


 

さておき、立花宗茂は関ヶ原の戦いの時に何をしていたのか?というと、

 

東西の武将が関ヶ原の地でぶつかり合う一週間ほど前から、京極高次(西軍から東軍に寝返った)が籠る近江の大津城を攻めておりました。

 

 

毛利家の武将と一緒にね。


 

大津城に籠る京極の兵は3000、それに対し宗茂ら西軍はこの大津城攻めに約1万5000の兵を動員しておりました。

 

しかし、思いのほか敵の抵抗が強く、城を落とすのに時間がかかってしまいました。

 

それから急ぎ戦場へ向かうも合戦に間に合わず…、宗茂達は進軍中に西軍敗北の悲報を聞かされたのであります。

 

 

落城したのがちょうど関ヶ原の戦いの日だったんだ。

まさか天下分け目の戦がこんなに早く終わるとは…。


 

 

絶対コレ西軍が負けた原因の一つだわ。

1万5000の兵力が抜けた影響はでかい…。


 

立花宗茂と島津義弘!宗茂の清廉潔白な人柄が垣間見える逸話

 

立花宗茂は西軍の敗北を聞いた後、総大将・毛利輝元がいる大阪城へと向かいました。

 

 

まだ戦は終わってない!

東軍の追撃があるだろうしここからが勝負っしょ!


 

そして大阪城に入った宗茂は、籠城して東軍と徹底抗戦するよう主張。

 

しかし、毛利輝元がノリ気でなかったので仕方なく九州に帰る事になります。

 

 

総大将がヤル気ないってもう最悪。

そして帰国するのもメチャ遠いし、敵に見つかったら危険だしで大変!


 

宗茂は敵の追撃に警戒しながら九州目指し南下…、

 

その道中、同じ西軍に属していた島津義弘と遭遇します。

 

島津義弘は関ヶ原で凄まじい死闘を繰り広げ命からがら戦場を脱出し、宗茂たちと同じく九州目指して逃亡中でした。

 

そして島津といえば、かつての戦で宗茂の父・高橋紹運の命を奪った仇であります。

 

宗茂の家臣は

 

 

島津の連中は数も少ないしボロボロ、今なら簡単に義弘が討てますぞ。


 

と仇討ちを進めるのですが、宗茂は

 

 

寡兵と見て討ち取るなど卑怯者のする事!


 

と家臣をたしなめ、逆に島津義弘にこう言葉を伝えました。

 

 

昔の事は少しも恨んでなどいません。

我々は大坂方に味方した同士、共に力を合わせて九州へ帰りましょう!


 

 

もす(´;ω;`)いい人…。


 

宗茂は満身創痍の島津義弘達を護衛する形で、九州まで共に道を進んだのでした。

 

そして九州へ無事たどり着いた宗茂は、自領の柳川城に戻って籠城。

九州にいる東軍の武将達と徹底抗戦する構えをみせました。

 

そこに攻めてきたのが鍋島直茂、宗茂は家臣に兵を預けこれを迎え撃つのですが、大分苦戦を強いられることになります。

 

しかし、ここらで敵は城攻めを中断、外交戦略にチェンジしてきます。

 

東軍の黒田官兵衛、加藤清正が宗茂に降伏するよう説得に動き、観念した宗茂はそれに従って柳川城を開城したのでした。

 

ちなみにこの時、島津義弘は恩義に報いる為、宗茂のもとへ援軍を送っておりました。

ちょっぴりいい話…!九州男児、熱い!

 

 

しかし、援軍が到着したのが遅かったから戦には間に合わなかったという…。


 

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改易されちゃった!あざと可愛い立花宗茂の貧乏エピソード

 

関ヶ原の戦いの戦後処理により、立花宗茂は領地を没収され浪人になってしまいます。

 

宗茂はその日食べるものに困るほど貧しい生活をしていたそうで、家臣達が物乞いをすることもあったそうです。

 

 

家臣達は私を見捨てる事なく、こんなみじめな状況にあってもずっと支えてくれたのだ。


 

そしてこの貧乏生活により、宗茂の新たなる一面が発見される事になります。

 

ある時、家臣は腹を膨らますために米を雑炊にして食卓に出した事があったのですが、宗茂はそれを見て

 

 

勝手に汁かけご飯にしないでよ。
そうしたい時に自分で汁かけるからさ。


 

…こんな事を言ったそうです。

 

立花宗茂には『空腹を満たすために、米を水分でふやかせ増量させる』という発想がなかったようです。

 

 

汁かけご飯と雑炊は別物…?!


 

さすが武家のお坊ちゃま…!いいもの食べてきたんだろうなぁ。

 

そして武将としては有能でカッコイイのに、ちょっと世間知らずで放っておけない的な乙女心くすぐるオプションつけてくるところが非常にあざとい。笑

 

※ちなみに…宗茂は加藤清正の食客になっていた時期もあるらしいので、そこまでドン底の貧乏暮らしではなかった…ともいわれているようです。

 

立花宗茂、大復活。

 

関ヶ原の戦いから4年後…、立花宗茂の人生に転機が訪れます。

 

 

君ほどの男が陰に埋もれたままなんてもったいない!

関ヶ原のほとぼりも冷めたころだし、徳川に仕えてみないかい?


 

立花宗茂の人柄、器量を惜しんだ徳川家康・秀忠親子が熱烈アプローチ、宗茂は5000石で秀忠の旗本に迎えられる事になりました。

 

そしてその後、陸奥蔵棚1万石を与えられまさかの大名復帰

 

さらにその後、徳川秀忠の軍事的指南役として大坂の陣に参加し、徳川の勝利に貢献します。

 

そしてこれらの働きが認められ、宗茂は1620年に旧領である越前柳川に10万9000石で復帰させてもらう事になります。

 

 

愛着ある地元に大名として戻ってこれた…!

貧乏浪人からの奇跡的大逆転!


 

関ヶ原の戦いで没落した西軍武将で、こんなにも見事に返り咲いたのは立花宗茂ただ一人。

 

そう、西軍武将への風当たりが冷たい時代に、幕府からわざわざお声がかかって取り立てられるなんて異例中の異例なのです。

 

この方、ホントに悪い所が見当たりません。

でてくるエピソードはことごとく有能、記録にある評価も称賛の言葉ばかり。

 

どれほどまでに魅力的な武将であったのか、計り知れない…っ。

 

 

あ、でも顔がイケメンだとかの記録はないかも。残念…!


 

トドメ・立花宗茂の本気で泣けるいい話

 

浪人生活を経て、立花宗茂が旧領の柳川に復帰した時の事…、

 

宗茂は柳川に入ってすぐに、これまでの家臣を呼び戻し、さらに新規で家臣を雇用しました。

 

家臣

 

立花の家も大所帯となり、今の屋敷では人でギュウギュウですな。

これを機に屋敷を建て替えてはいかがですか?広々とした大きな屋敷に!


 

 

いや、しないよ。


 

宗茂に長く仕えている家臣はアドバイスするのですが、なぜか宗茂は今のままでいいと答えます。

 

 

私が浪人となった時、お前たちは物乞いをしてまで私を支えてくれた。

お前たちは私にとって何よりも大切でかけがえのない存在なのだ。

 

屋敷が広くなったら顔を合わす機会も減っちゃうだろ?

 

そんなの寂しいやん…?

皆と沢山語らいたいから…屋敷は狭くていいっ(´;ω;`)!!


 

家臣A

 

…との(;ω;)


 

家臣B

 

とのっ(´;ω;)!


 

家臣C

 

とのっー(´;ω;`)!!


 

家臣達、大号泣だったそうです。

そりゃ、こんな温かい主君だと物乞いしてでも支えたくなっちゃうわけです。

 

晩年は平和な時代で家臣達と心穏やかに過ごしたんでしょうね。

 

若かりし頃は武将としてたくましく生きて『武士の中の武士』と歴史に名を残す、そして76歳で大往生。

最高に綺麗な人生…!

 

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