秀吉絶賛の立花宗茂!戦は強いし性格イケメン?評価高すぎも納得の活躍とは?

秀吉絶賛の立花宗茂!戦は強いし性格イケメン?評価高すぎも納得の活躍とは?

秀吉絶賛の立花宗茂!評価高すぎも納得の活躍とは?

やたらと評価が高く、戦国ファンの間でも人気の高い立花宗茂!


今回は立花宗茂の生い立ちから朝鮮出兵までの活躍までをまとめてみたわよっ。

 

立花宗茂を知らない人に是非教えてあげてね〜♪

とってもカッコイイ武将だから、好きになる事間違いなし!

 

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立花宗茂の生い立ち。二人の父親が結構強烈

 

立花宗茂は、大友宗麟の重臣である高橋紹運(たかはしじょううん)の長男として豊後に生まれました。

※大友宗麟…全盛期に豊前・豊後・筑後・筑前・日向・肥後の九州6ヶ国を束ねていた大大名。

 

宗茂が15歳の時、高橋紹運と同じ大友家家臣である立花道雪(たちばなどうせつ)から

 

立花道雪

 

ワシんとこ男子がいなくて跡継ぎに困ってるの。

高橋さんとこの長男すごい賢いんだってね?ワシにくれ。


 

とご指名があった事で、宗茂は立花道雪の娘・ァ千代(ぎんちよ)と結婚して立花家に婿入りする事となります。

 

養子入りが決まった際、宗茂は実父・高橋紹運と別れの盃を交わしているのですが

 

高橋紹運

 

もうワシの事は親だって思わないでいいから。
いつワシと道雪殿が敵になるかわからんし。

もし戦になったらお前は先鋒としてワシの首をとりにこい。

 

お前がそういうのためらっちゃうような奴なら、お前は間違いなく道雪さんに絶縁されるからね。
道雪さん、そういうの嫌いな人だから。

 

もしそうなっても高橋家に帰ってくるなよ。

その時はただちにその場で自害しろ。


 

こんな事を言われたそうです。

 

父親の『武士の中の武士』っぷりが凄い。笑

そしてこの時、宗茂は父からその時の為に…と刀を与えられています。

 

 

この時貰った刀は一生肌身離さず、大切にしたぞ。


 

そして養父・立花道雪はどんな不利な戦でも退却する事を許さず、部下に

 

立花道雪

 

逃げたければワシを敵の真ん中に捨ててから逃げな。

(意:そんな事できないだろ?死にたくなかったら戦って勝て!)


 

なんて事を言う鬼上官だったそう。

 

なにやら癖の強い父親の元で育ってきた立花宗茂ですが、宗茂自身は

 

『人柄は温純で寛厚。人徳があり奢る事もなかった。』

 

と記録に残されるくらいなので、2人の父親よりマイルドな性格だったように思います。

 

 

しかしイイ感じに父親達の『熱い武士魂』を受け継いでいるぞ!


 

大友VS島津、宗茂の戦働きが大友家を救う!

 

1585年、養父・立花道雪が病により死去。

 

その翌年、薩摩の島津義久が九州統一を果たす為、筑前に侵攻してきます。

 

この頃、大友宗麟は立て続けに戦に負け、完全に落ち目にありました。

 

凄まじい勢いで勢力を拡大させていく島津氏、大友宗麟はもう単独ではどうする事もできないので豊臣秀吉に援軍を依頼しました。

 

立花宗茂,立花山城の戦い,,朝鮮出兵

※最終的に大友氏はここまで追い詰められる。

 

援軍を待っている間も島津軍は容赦なく大友領を侵攻。

立花宗茂の父・高橋紹運が守る岩屋城も島津軍に包囲されてしまいます。

 

岩屋城を守る兵が700なのに対し、島津軍は3万を超える大軍…、

 

島津からは歓迎ムードで降伏するよう勧告がありましたが、高橋紹運はそれを拒否して徹底抗戦します。

 

島津軍におよそ3700もの死者を出すほど奮戦するのですが、最後は追い詰められ無念の切腹。

籠城していた兵士たちも紹運に殉じて皆自刃し、武士の意地を見せつけてやりました。

 

 

滅亡寸前の大友家を見捨てる者もいたけど、父は最後まで大友家に忠義を尽くし散ったのだ…。


 

その後、島津軍は立花宗茂が籠る立花山城を包囲しました。

立花城を守る兵は3000、父親同様に大ピンチです。

 

島津軍は宗茂にも降伏するよう勧告してくるのですが、宗茂は

 

 

立花山城は秀吉様から預かっている城なので明け渡すことはできません。

こちらも討ち死に覚悟で守っておりますので、攻めてくるのであれば受けて立ちます。


 

との事で堂々と拒否しました。

 

 

(もし攻撃が始まっても十数日は持ちこたえられるし、その間に必ず豊臣の援軍が到着する!)


 

宗茂が強気にでれたのは、このような考えもあったから。

 

しかし、島津軍は無理に攻めてきませんでした。

 

そしてしばらくすると島津軍のもとに『豊臣の援軍がこちらへ向かってくる』との知らせが入ります。

 

島津軍はこれまでの戦で疲弊していたのもあり、立花山城の包囲を解いて撤退を開始しました。

 

 

一安心。しかしここで終わる宗茂ではないっ!


 

立花宗茂は退却していくを島津軍をすぐさま追撃、数百の兵を討ち取ってやりました。

しかし、深追いはせず。

 

そしてこの翌日、宗茂は島津軍に奪われていた岩屋城、高鳥居城、宝満城に兵を進めこれらを奪還。
驚異的なスピードで筑前にはびこる島津勢を駆逐していったのであります。

 

そして…、

 

 

九州に凄い武将がいるー!!


 

宗茂のこの活躍を聞いた豊臣秀吉は大いに感服し、宗茂に感状を送って

 

 

その忠義、武勇、鎮西一!!


 

と褒め称えたのでした。

 

この後、秀吉は本格的に九州征伐を開始、島津義久は秀吉に降伏する事になります。

 

九州では新たに領土分配がなされるのですが、宗茂は一連の功績により秀吉から筑後柳川に13万2000石を与えられました。

 

 

大友家から独立して大名になっちゃった!大出世!!


 

この後、豊臣政権の大名となった宗茂は肥後で起こった一揆の鎮圧や北条小田原攻めなどに参加しております。

 

そしてとにかく秀吉からの評価は高く、小田原征伐の際、宗茂は大名達が集まる場で本多忠勝と並ばされ

 

 

東は本多忠勝、西は立花宗茂!

東西一対、天下無双の武士じゃッ!!


 

なんて称賛されたというエピソードがあります。

 

 

どやっ


 

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立花宗茂の朝鮮出兵での活躍が凄い!

 

豊臣秀吉の天下となってから2度に渡って行われた朝鮮出兵…

 

立花宗茂はこの朝鮮出兵にフル参戦し、武勇に名を馳せる素晴らしい働きをしております。

 

立花宗茂,立花山城の戦い,,朝鮮出兵

まず、一度目の朝鮮出兵(文禄の役)…、

1592年4月に朝鮮に上陸した日本軍はグイグイ敵地を侵攻していき、平壌(ピョンヤン)にまで拠点を置いておりました。


 

しかし翌年1月、小西行長、宗義智らが籠る平壌城が明・朝鮮連合軍に攻められ陥落。

小西行長らは平壌から撤退を余儀なくされます。

 

 

皆えらいこっちゃで〜!
敵が本気だして攻めてきよるぞ!


 

立花宗茂、黒田長政、小早川隆景ら日本軍は平壌と漢城(ハンソン)の間にそれぞれ軍勢を展開していたのですが、この緊急事態をうけ漢城へ総撤退します。

 

そして総大将・宇喜多秀家のもと、明・朝鮮連合軍来襲に備えて軍議が行われました。

 

敵が総勢15万ほどいるのに対し、漢城にいる日本軍は総勢4万ほど…。

 

籠城戦の方向で話が進んで行くのですが、そこに待ったをかけたのが立花宗茂でした。

 

 

兵糧もそんな余裕ないし、積極的に迎え撃つべき!

責任もって私が先陣を務めるのでそうしましょう!


 

小早川隆景

 

それがいい。

宗茂殿の勇猛っぷりは九州随一、立花家の3000は他家の1万にも匹敵する!

 

立花が先陣なら間違いないッ!!


 

 

(メチャ褒め称られてる///)


 

小早川隆景の強い推挙もあり、日本軍は立花宗茂の先陣で敵を迎え撃つ作戦に決定します。

 

こうして日本軍は明・朝鮮連合軍と漢城付近の碧蹄館(ペクチュグァン)で激突するのであります。

※『館』って文字が入ってるけど地名らしい。

 

碧蹄館での立花宗茂の戦いっぷりをざっくり

立花隊が正面から敵に突っ込んでいく形で戦が始まる。

 

立花隊3000のうち、十字伝右衛門率いる500が連合軍の先陣と激突、これを撃退する。

 

十字伝右衛門はそのまま追撃するが、連合軍の第二軍が2万ほど押し寄せてきたために大苦戦、伝右衛門が討ち死にしてしまった。

 

立花宗茂はここで本隊を投入。

2000の兵を率いて敵に気づかれぬよう接近し、鬨の声を上げて一気に側面から突撃していった。

 

連合軍は宗茂の攻撃を受け崩れてしまい、いったんその場を引き返した。

宗茂は残しておいた別隊でさらに連合軍を追撃する。立花隊はここで2000も敵を討ち取ったという。

 

その後、残る日本軍3万数千が合流。敵の大軍と激突し乱戦となる。

立花宗茂はいったん前線から下がり戦場が見渡せる山にスタンバイ、戦況を伺う。

 

数に押されたか、日本軍は苦戦に陥り後退させられてしまった。

立花宗茂はそれを追撃する連合軍が足場の悪いぬかるみに入ったのを見て、今が好機とすぐさま突撃した。

 

立花隊の攻撃に敵は混乱。追われていた日本軍も持ち直し、なんやかんやで15万もの大軍を撃退した。

 

圧倒的な兵力差がありながら、碧蹄館での戦いは日本軍の勝利。

そう、立花宗茂の采配あっての勝利です。

 

しかし、ここで勝利したものの、日本軍は朝鮮を征服するに至らず。

一度目の朝鮮出兵は和睦を結び、終戦を迎えたのであります。

 

そして二度目の朝鮮出兵(慶長の役)はグダグダの中、豊臣秀吉が死去したことで終わりを迎える事になります。

 

帰国命令が出た後、武将たちは釜山に集まり帰国の準備にとりかかるのですが、この時、小西行長が敵地に取り残され孤立している状況にありました。

 

 

仕方ないけど置いて帰るしかないだろ…。


 

もう戦はコリゴリ、武将たちは小西行長を見捨てて帰国するべきと主張するのですが、

 

 

そんな不義理な事をしては日本の名に傷がつく!

私一人でも小西殿を助けに行くぞっ!


 

立花宗茂は決して見捨てたりしませんでした。

 

 

熱い男にごわす(´;ω;`)!!


 

宗茂の主張に島津義弘、寺沢宏高が同意。

宗茂は彼らと共に露梁(ノリャン)海戦と呼ばれる戦で朝鮮水軍を撃破し、小西行長を無事に救出したのでした。

 

戦は強いし義に厚い、そして清廉潔白で人柄良し!

立花宗茂、これは評価せざるを得ない。

 

しかも宗茂は秀吉の死後の時点でまだ29歳。

熟成された感半端ないです。

 

 

『武士の中の武士』…なんて言われております!


 

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