森長可は戦国一の鬼?暴れん坊?鬼武蔵って何者?!
森長可は織田信長の小姓で有名な森蘭丸のお兄さん!
戦場での槍働きは凄まじく、勇猛果敢なその姿から『鬼武蔵』と呼ばれていたのよ~!
そして周囲がドン引きするような傍若無人な振る舞いも多く、何かとトラブルの多い問題児だったの。
まさに戦国の狂犬といった武将ね!
気性の激しさ、凶暴さに定評のある鬼武蔵だけど織田信長にはとても気に入られていて、武田家滅亡後にはその領地の一部を与えられるなどとても厚遇されていたの。
森長可は個性強くて魅力的!
とっても面白い武将だから、これを機に鬼武蔵ファンになっていってね~♪
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怖いけどなぜか好きになる!戦国一の鬼武将、森長可!
森長可(もりながよし)が森家の家督を継いだのは13歳の時・・・、
織田家家臣である父・森可成と兄・可隆が相次いで戦で亡くなった為、次男である長可が若くして美濃金山・金山城主となりました。
ちなみに長可の『長』の一字は信長様から頂いたものだぞ。
そして森長可は15歳の時、伊勢長島の一向一揆にて初陣を飾ります。
そこで長可はドッキドキの戦デビューにもかかわらず味方の武将に内緒で一人で敵陣に乗り込み、首を27もとるという尋常じゃない武功を挙げております。
これだけ聞いても『森長可って凄い武将だなぁ~』となりますが、これはほんの序の口。
森長可の強さと酷さは年を重ねるごとにパワーアップしていくのであります…!
森長可らしさ全開!主君もドンビキの鬼戦法
1582年…
武田信玄亡き後の武田家を潰すための最後の戦が勃発。
俗に『甲州征伐』と呼ばれている一連の戦の中で、森長可は織田信長の嫡男・信忠の軍に入り高遠城という城を攻めるのですが、
この戦で長可は凄まじい戦いっぷりを披露し、森長可ってマジでやばい奴と周囲をザワつかせてしまいました。
※高遠城…武田信玄の五男・仁科盛信の守る城。甲州征伐でボロボロだった武田軍の最後の砦だった。
長可は戦が始まる前、高遠城攻めのリーダーである信忠より早く城に到着していたのですが、
テンション上がって居ても立っても居られなかったか、戦が始まる前から敵に向かって発砲してみたりと調子に乗っておりました。
(勝手な行動は軍律違反になります)
そしていざ戦が始まると
てっとりばやく城を落とすには頭使わなきゃダメだぜ!
と、三の丸の屋根に鉄砲隊を連れて上り、瓦を引きはがし城内に向けて一斉発砲するというブッとんだ戦法で軽く城内の敵を鎮圧してしまいました。
(しかも兵、老若男女関係なしの無慈悲っぷり。)
そしてさらにそこから本丸にいる兵に向け発砲、大勢の兵を倒します。
その後、森長可は本丸に到着すると自ら槍を手に取り奮戦。
ここでも大勢の兵を討ち取ります。
長可、めっちゃ血まみれだけど大丈夫?
怪我やばすぎない?
大丈夫。
コレ返り血だもん。
というエピソードがあるほど、この時の長可の戦いっぷりは凄まじかった模様。
大怪我したと思われるほどの返り血ってどんだけ…。(震
なにはともあれ、森長可の素晴らしい活躍のおかげで高遠城は無事に織田軍の手に落ちました。
敵の仁科盛信は切腹。
その後、頼みの綱を失った武田家当主・勝頼も切腹へと追い込まれ、武田家は滅亡したのであります。
(言うても高遠の城の戦いは織田軍5万VS武田軍3千の凄まじい兵力差で武田が詰んでた。)
森長可の出世、勢力拡大・・・調子のってきた鬼
武田滅亡後、森長可は武田の領地であった信濃川中島四郡・海津城を与えられ、20万石の大名に出世しました。
(長可の治めていた美濃金山城は5万石で弟の森蘭丸が引き継いだ。)
20万石は、若い世代の織田家家臣の中でNO1の待遇であります。
それはもうワックワクで海津城に入城した事でしょう。
しかし、長い間武田の領地であった信濃の国人達から『鬼武蔵』が歓迎されるはずもなく…。
ここから出て行け!と言わんばかりに一揆を起こされてしまいました。
一揆勢はおよそ8000人、隣接する上杉景勝からの応援もありました。
引っ越し早々めんどくせぇな!!
長可はものの2日でこれを鎮圧。
思っていた以上にノーウェルカム状態…。
また一揆起こされたら面倒くさいから人質とるぞ。
領内は不安定。
長可は今後自分に逆う事がないように国人達から妻子を人質にとり、海津城に住まわせましたました。
そしてついでに一揆に参加したと思われる村の住民からも人質をとって、城下町に住まわせるという徹底っぷりです。
この勢い、強引さが鬼武蔵の魅力なのだ。
森長可の越後攻め!そして大事件が勃発・・・
信濃の情勢が落ち着いてすぐ、長可は領土拡大の為に越後の攻略にとりかかります。
越後は上杉景勝が治めてる土地な。
同じ織田家家臣で越前の大名・柴田勝家が上杉の重要拠点のひとつである魚津城を攻めた時、上杉景勝は本拠の春日山城を離れ、魚津城の援軍に向かうのですが、
今がチャンス!
春日山城をとってやる!
とのことで、森長可は大胆にも上杉の本拠地を狙い、進軍を開始しました。
長可は春日山城めがけ、グイグイ越後を侵攻。
雑魚を蹴散らし田辺城を落とすと、春日山城付近の二本木という場所に陣を張りました。
が、
ふふふ。
もうすぐ越後も俺の物になる…。
なんて思っていた時に、事態が急変する大事件が起きます。
そう、本能寺の変です。
※ちなみに森長可進軍の知らせを聞いた上杉景勝は、春日山城にあまり兵がいなかった事もあり急いで引き返した。魚津城は柴田勝家が無事に落とした。
魚津城のみんなゴメン。
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蘭丸も死に…本能寺の変で事態が一変!森長可大ピンチ!
本能寺の変で主君、織田信長が討たれた…!
この一方を聞いた長可は急いで越後から兵を退き、海津城へ戻りました。
織田信長の死も衝撃的でしたが、本能寺の変では信長と一緒にいた長可の弟達、蘭丸・坊丸・力丸も亡くなっていたのです。
普段は凶暴でも家族や家臣には優しい一面もある森長可です。
この時の悲しみ、怒りは相当なものだったでしょう。
明智光秀は俺が討つ!
すぐさま出陣だ!!
森長可は仇を討つべく戦支度を整え、急いで信濃を出立しようとしました。
が、事態はかなり面倒くさい事になっておりました。
信濃の国人達がこの混乱に乗じ、森長可に盾突いてきたのです。
しかも信濃の国人ほぼ全員が敵対してくるというスーパー面倒くさい事態であります。
信濃の国人達
信濃をでていくなら我々の人質を返してからにしてくれ!
クーデターというよりは取引です。
これに応じてくれなければ、このまま一揆を起こしてやるぞという。
信長の敵討ちをしようとする大名達は長可だけじゃない…
ここで一揆勢と戦になるとこちらに時間を割くこととなり、仇も手柄も逃してしまう事となってしまいます。
国人達が人質を取られながらも強気な交渉にでたのは、こういった事情がありました。
しかし、相手は森長可。
森長可は常識の通じない鬼です。
いたしかたない、人質は返すぜ!とはならないのが森長可なのです。
足元みやがって!
絶対に人質は一人たりとも返さん!でも仇討ちにも行く!
怒った森長可は人質を全員集め、それを盾にして信濃から脱出を開始しました。
これが正しい人質の使い方だっ!!
すいませんでした!
言う事聞くので許してください!どうかご慈悲を(´;ω;`)
わかったわかった。
信濃を抜けたら返してやるからさ。とりあえずどいて?
人質を盾にされた国人達は黙って道を開ける事しかできず…。
森長可は無事に信濃を脱出することに成功したのでした。
そして森長可は、約束通り人質を国人達に…
俺に楯突いた罰だ。
人質は一人残らず処刑してやるわ。
返さなかったのでした。
まさに無慈悲な鬼。
森長可は絶対に怒らせてはいけない人なのである…。
ちなみにこの時、信濃の出浦盛清という国人だけが長可の味方について撤退を手伝ってくれました。
これには長可も深く感謝し、お礼に脇差をプレゼントしたといいます。
こんなんだけど森長可はちゃんとお礼の言える子・・・。
殺伐とした森長可の歴史に刻まれる数少ない、ハートフルなエピソードのひとつであります。
森長可、再び美濃金山へ
無事信濃を脱出できたはいいが時すでに遅し。
明智光秀は羽柴秀吉が討ち取り、森長可が信濃でわちゃついてる間に本能寺の変の一件は終結していました。
そしてちなみに、混乱に乗じて越後の上杉景勝は長可のものであった海津城を強奪しております。
本当なら上杉景勝の城を自分が奪うはずだったので、さぞ屈辱的で悔しかったことでしょう。
仇も手柄も逃したうえ、城まで奪われるとか…辛っ。
何気に本能寺の変が起こったのは、森長可が信濃に入領してからわずか2ヵ月後のことでした。
20万石の出世はわずか2ヵ月でパァになったという事です。戦国時代は世知辛い…!
仕方がないので長可はもともとの所領である美濃金山に戻るのですが、
信長がいなくなった事で情勢が変化しており、長可の味方であったはずの美濃の国人達がこれまた長可に一斉に牙をむいてきました。
何もかも失ったうえ、地元に帰ってきたらなんかめっちゃ嫌われてるとか…最悪。
ホームであるはずの美濃金山でも周囲は敵だらけの状態。
やばいな。
このままでは俺やられちゃう!
危険を察知した長可は先手を打ち、裏切者たちの殲滅にとりかかりました。
米田城、上恵土城、今城、下麻生城、野原城、御高城、苗木城、久々利城…と多くの城を攻め、着々と敵をねじ伏せていきました。
時には強引に攻め、時には人質をとり、時には話し合い、時には向こうから謝ってきたり…
そんなこんなで長可は、約一年という短い期間で敵をほぼ全て殲滅し、東美濃を統一してしまいました。
なんだかんだ、ずっと上手くいってるんだよなぁ~。
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サラバ鬼武蔵。森長可の壮絶な最後
様々なピンチを切りぬけ、なんやかんやで勢力を拡大した森長可…。
が、信長亡き後、織田家家臣の中で最も勢いがあるのは羽柴秀吉でした。
信長がいないとはいえ、織田家当主は信長の孫だし、それの後見を務める信長の次男・信雄もいます。
しかし、彼らには織田家をひっぱっていけるカリスマ性がありませんでした。
なので実質、織田家の政権を取り仕切っているのは秀吉。
そう、実質、トップにたっていたのは秀吉でした。
そしてそれが許せなかったのが信長の次男・信雄。
信雄は、
秀吉に天下の織田家が乗っ取られちゃう!
家康さん助けてよ!
お任せあれ!
ワシが織田家を乗っ取る悪者、秀吉をやっつけてあげる!
とのことで、家康と一緒に秀吉を倒すことを決意。
信長の死から約2年後の1584年、信雄・家康VS秀吉の『小牧長久手の戦い』が勃発することとなります。
この際、森長可は
織田家には御恩があるけど、時代の流れ的には秀吉につくのが得策。
恩とか情とか生ぬるい事言ってるようじゃ戦国の世は生き残れないんだぜ。
とのことで、羽柴秀吉の味方につきました。
しかし、この選択が運命の分かれ道…。
この戦で森長可は徳川軍の奇襲にあい、敵の鉄砲隊の銃弾を眉間に一発喰らって即死。
27歳という若さでこの世を去ってしまいました。
鬼と呼ばれた男の最後は戦場での討ち死に。
畳の上で大往生できるような生き方をしていないので、らしいっちゃらしいですが27歳はあまりにも若すぎます。
森長可は織田家家臣の中でもそこそこ力を持っており、さらに何をしでかすかわからない凶暴な武将なので、かなり諸大名に警戒されていたそうです。
豊臣秀吉や徳川家康も長可がいなくなったのを
これでしばらく怖いもんはないね~。
と、喜んでいたんですって。
森長可の存在感は無二唯一!
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