『直江状』を家康に送りつけた経緯とは??
豊臣秀吉の死後、天下を狙う徳川家康は様々な策略で独自の権力を強めていきました。
直江兼続の仕える上杉家も家康の標的となり、
上杉家では新しく城を建てたり、武器集めたりしてるらしいな!
もしや謀反を企んでおるな?!説明しに来い!
と厳しく問われることとなってしまいました。
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上杉家は豊臣家に忠実な大名であるし、大きな土地、財力、戦力を持つ脅威的な存在です。
そう、天下を狙う徳川家康としては油断ならない要注意人物!
イチャモンつけて上杉家を潰してしまおう!
という魂胆で、上杉景勝を厳しく問い詰めてきたのであります。
ちなみに、上杉景勝が武装強化をしていたのは本当の話。
でも上杉家の武装強化は謀反というよりかは、豊臣秀吉の死によってまた戦乱の世になるかもしれないと考えての戦備えであったといいます。
それと、これを機に旧領の越後を奪還しようと画策していたようです。(ちょっとした謀反と言えるのかもしれない。笑)
謀反だなんて…。
家康さんが怪しい動きするから備えてるだけなのにね。
謝ったら負け!
上杉の正義を見せてやりましょう、私にお任せください!
家康に頭は下げない!
直江兼続は超長文のお返事を書いて家康に送り返しました。
世に有名な直江状であります。
その直江状に綴られた内容の一部が以下の様なものになります。
現代語訳をさらに意訳、直江兼続、徳川家康を煽りすぎかもしれないverにてご紹介いたします。
(一部といっても結構長い。)
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直江状の現代語訳をさらにざっくりと。超簡単に内容を解説
今月1日付けのお手紙が昨日13日に届きました。
よーく読ませてもらいましたよ。
いやぁ、幸せ幸せ、一つ一つ質問に答えていきますね!
一、ウチんとこの良くない噂でそちらがザワついてるらしいですね。
京や伏見でも同じような騒ぎがあるのに、遠国であるウチでまでそんな噂がたっちゃうんだもの。
そりゃ家康様も心配になりますよね。
けどウチにいたっては、家康様を心配させるようなことはないので大丈夫ですよ。
一、謀反の疑いについて、家康様は上洛して説明するようにって言うけど、上杉家は国替えで会津に移ったばっかりです。
このタイミングで上洛しろとか…会津を治める時間ないんですけど。
それにウチは雪国だから10月から3月の間は自由に動けないんですよね。
これマジ、ウチの地元に詳しい人に聞いてみて下さい。
こういう事情があるから上洛できないんです。
別に反抗してるわけじゃないですよ。
一、景勝に誓紙を出すようにとのことですが、誓紙を出しても約束を守らない人がいるようだし、誓紙ってあんまり意味のないものだと思います。
※家康の事を遠まわしにディスっている。秀吉の死後、豊臣政権の決まり事をことごとく無視し、好き勝手していた家康は石田三成や前田利家に注意され『もう約束破りません!』と誓紙を提出させられている。にもかかわらず、前田利家の死後にまた誓いを破って権力拡大の為に勝手な事をしていた。
一、疑ってらっしゃるようですが、秀吉様がご存命の時からウチの景勝は律義者と評判だったじゃないですか。
世の中が変わっても景勝の律儀さは変わりませんよ。
一、景勝が謀反を起こそうとしてると家康様に報告した者がいるようですが、それが事実なのか調べもせずに景勝を悪者と決めつけるなんてあまりにも酷すぎます。
その者を呼び出して、景勝が謀反を企む理由をきちんと述べていただきたい。
それができないのであれば、そちらのほうが何かやましい心をお持ちになっていることになりますよねぇ?
一、あ、そういえば…
加賀の前田利長様の件、家康様の考え通りに事が運んで良かったですね。大変なご威光でございます。
※前田利家の死後、後継ぎの前田利長に謀反の疑いをかけて屈服させている。まさに今、上杉家に対して同じ事をしようとしている家康への嫌味。
一、謀反の為に武具を集めていると事ですが、それは違います。
田舎の武士は鎧や鉄砲を集めるのがステータスなのです。
そちら都会の武士達が、茶器などの人たらしアイテムを集めるのと一緒ですよ。文化の違いですね。
一、会津で道路整備や橋造りをしている件ですが、国の交通を良くするのは一国の主として当然のこと。
近隣諸国の方は何も文句を言ってこないけど、越後の堀秀治だけが戦準備だとか文句を言ってるようです。
本当に戦をするつもりなら、あちこちに道を作るようなことはしません。
敵が攻めてきたら一方の防ぎさえまともにできないでしょう?
そんなこともわからず騒ぎ立ててるなんて馬鹿かと。
というか、そんな手間かけなくても堀秀治ごとき簡単に踏み潰せるっていう話です。
一、景勝に逆心がないのであれば上洛して説明しろ、との事ですが、まずは景勝を疑う者がなぜそう思うのか内容を明らかにしていただきたい。
その内容を正す事で我々の潔白が証明されると思っております。
ここを明らかにしない限りは上洛することはできません。我々は動きません。
そうこうしてる間に、秀吉様の遺言を無視して何かよからぬことを起こす人がいて、幼い秀頼様を見捨てる事になったとしても致し方なし。
その時は家康様の首尾が悪かったということになりますね。
まぁ、うちの景勝が悪いのか、そちらがよからぬことを企んでいるのか、そのうち世間のもとで明らかになるでしょう。
一、何度も言うけど景勝は謀反など考えておりません。
我々が無理やり戦をして天下をものにしたところで、世を乱した者として悪名が轟くだけ。
そのような恥をさらしてまで天下を欲する景勝ではありません。
家康様には何卒、ご安心していただきたい。
しかし、景勝が悪であると世間に晒されているこの現状は耐えられない。
とにかく、謀反だなんだ騒ぎ立ててるヤツのご意見を聞かせて欲しいですねぇ。
一、そういえば、ウチの地元らへんでも堀秀治が『景勝に逆心あり!』と騒ぎ立ててますが、こいつはまともなヤツじゃないので相手にしておりません。
一、天下において真実は一つ、白黒ハッキリしております。
今後、この件についての返答はありのままにお知らせ下さい。
ついつい沢山書いてしまいましたが素直な気持ちをぶちまけた限りです。
失礼な事言ってたらごめんなさいね。
直江山城守兼続より。
直江状はこのような内容の事が長々とつづられおります。
要するに、
景勝は謀反なんか企んでない!
なんでそう思うのか説明してくれる?
説明できないならさ、そっちが一方的に我々を悪者にしてるってことになるよね?
むしろそちらが何か企んでるのではないでしょうかね?え?
といった内容を遠回しに嫌味っぽく言ったり、しつこく同じ事繰り返したりしたちょっぴりネチッこいお手紙。それが直江状。
そしてこれを読んだ徳川家康は
ナメ腐っとんな…許さん。
ってな感じで激怒。
上杉氏を成敗する為、会津へと兵を出すことになります。
そしてその後、家康の隙を見て石田三成が挙兵し関ヶ原の戦いが起こる事になるのであります。
あの天下分け目の大戦、関ヶ原の戦いのきっかけを作ったのは直江状だった…?!
↓ここまでディスられた家康、秀吉の死後何をしてきたのか詳しくはコチラ
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