石田三成の関ヶ原!西軍はなぜ負けた?信念を貫いた三成の最後が泣ける

石田三成の関ヶ原の戦い!信念を貫いた三成の最後が泣ける

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石田三成の関ヶ原の戦い!VS徳川家康、三成はなぜ負けた?

豊臣秀吉が死去したのが1598年…

ここから豊臣家の天下は凄まじい早さで崩壊していくことになっちゃうの~!


 

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秀吉の死によって、もともとあった豊臣家家臣の対立が悪化
家康と張り合える力を持っていた前田利家も死去し、家康が好き放題し始める
豊臣家の内部分裂を利用して家康が天下を本気で狙い始める

 

秀吉の変わりに豊臣家をまとめれる人がいなかったから、とにかくグダついちゃったわけよ。

 

そんな状況が悪化して1600年に『関ヶ原の戦い』と呼ばれる戦にまで発展しちゃうわけだけど…

 

石田三成はこの一連の流れの中でどのような状況にあり、何をしていたのか…?!

今回もゆるりと見てってね~。

 

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豊臣秀吉の死後、日本の政は五大老と五奉行に託されるが…

 

豊臣秀吉は亡くなる前、

 

 

息子の秀頼をワシの後継者として、みんなで協力して豊臣家を盛り立てていってね!


 

といった遺言を残しておりました。

 

秀吉亡き後、日本の政治は五大老を顧問として行われる事になるのですが、その五大老には

 

徳川家康
前田利家
宇喜多秀家
毛利輝元
小早川隆景
上杉景勝

 

…といったメンバーが選ばれておりました。

 

この五大老は豊臣政権の最高役職にあたるのですが、もともと豊臣家の家臣ではない、いくつも国を治めるような有力大名が選ばれております。

 

ちなみに石田三成は五奉行と呼ばれるメンバーの一人。

豊臣政権下において、政治の実務をこなす重役でありました。

 

 

五奉行は私のほかに浅野長政、前田玄以、増田長盛、長束正家がいたぞ。

五大老のような地位とカリスマ性はないが、豊臣家のエリート家臣といった感じだ。


 

豊臣秀吉はこの五大老と五奉行らが協力して国の政治を行い、まだ幼い豊臣秀頼の力となってくれる事を願っていたわけですが…

 

 

秀吉がいなくなった今、ワシが日本で1番ビッグな大名じゃん?

空いた天下人の椅子、座らせてもらいまっせ。


 

徳川家康は秀吉がいなくなったとたん、天下を自分のものにすべく行動にでました。

 

 

まずは徳川家と仲良くしてくれる武将を作らなくちゃね。


 

家康は、加藤清正、福島正則、黒田長政…といった豊臣家の武将達に徳川家の人間と婚姻関係を結ばせました。

 

これは秀吉が生前決めた【政府の許可なしに大名同士が結婚するのは禁止する】という法に違反しております。

 

 

秀吉様がいなくなった途端に勝手な事を!


 

 

 

どういうつもりかな?


 

石田三成ら奉行衆や前田利家は厳しく徳川家康を批難しました。

 

 

悪気はなかったんですけど…。

もう勝手な事しません、誓いますので許してくださいね。

 

(前田利家は立場強いし厄介だな…揉めるとマズイ。)


 

この一件では武力衝突待った無し!…というくらい緊迫していたようですが、ひとまずここでは和解する事となりました。

 

しかしこの後、前田利家が病によって死去すると…

 

 

イェェエエェイ!!

これで怖いもんなしなんだなぁ!


 

徳川家康が再び活発に行動を開始することになります。

 

 

家康と対等に渡り合える唯一の大名がいなくなってしまった…。

 

これまで以上に頑張って豊臣家を守っていかねば!

家康の好きにはさせないぞ!


 

武断派、石田三成を襲撃!三成、嫌われすぎて暗殺されそうになる

 

前田利家の死によって動き始めたのは徳川家康だけではありませんでした。

 

1599年3月、古くから豊臣家に仕える『武断派』の武将達は…

 

 

事務仕事が得意な三成くんは平和な時代になって重宝されてますね~。

偉そうにしやがって生意気だぜ~。


 

 

三成が豊臣家のこと仕切るの超イヤなんだけどー。


 

 

なんとか失脚させてやろうぜ。


 

 

失脚?

ぬるいぬるい、殺しちゃおう。


 

凄まじい殺意を抱いて、石田三成の屋敷を襲撃しました。
※『武断派』は主に軍事に関する働きをしてきた武将達。三成は俗にいう『文治派』、主に政務を行っていた。仕事で揉めたりする事もあり仲が悪い。

 

ちなみにこの時の襲撃メンバーは加藤清正、福島正則、黒田長政、細川忠興、藤堂高虎、浅野幸長、蜂須賀家政の七名でありました。
※襲撃メンバーは所説アリ。藤堂高虎・蜂須賀家政が池田輝政・加藤嘉明に替わるパターンも。

 

この武断派の動きを知った三成は急ぎ逃亡し、京都の伏見城にある自分の屋敷へ隠れようとするのですが…

 

 

アイツら何が何でも私を殺す気だ!

この事態を上手く収めることができるのは…

 

家康しかいない!


 

不本意ながら徳川家康の屋敷へ逃げ込み、助けを求めたのでした。

 

 

あらあら、災難だったね。

(どんだけ嫌われてんの。)


 

 

アイツらどうにかなりませんかね?

(豊臣家の敵である家康を頼るなんてしたくなかったけど…死ぬよりはマシ。)


 

 

話せばわかってくれるよ。

ワシに任せて。


 

この時、家康はあくまで豊臣政権を支える大名の一人として中立の立場をとりました。

 

 

伏見城にいるのはわかってる!

でてこい三成ーっ!!


 

 

みんな、ひとまず喧嘩はやめよう。

ここはワシに任せて。


 

 

うむむ。

家康さんがそう言うなら・・・。


 

家康がとりもってくれたおかげで命拾いした三成ですが…

 

 

この騒動を収束させる為に、三成くんは引退した方がいいよ。


 

とのことで三成は止むを得ず奉行職を引退。

佐和山に引きこもり、政権から離れることになってしまいました。

 

こうなると、いよいよ豊臣政権下で権力をふるうのは徳川家康…

 

家康は約束を破ってまた婚姻関係を結ぼうとしたり、

 

大名達に勝手に加増してあげたり、

 

自分の脅威となり得る120万石の大名・上杉景勝を謀反人に仕立て上げて潰そうとしたり…

 

と、やりたい放題始めました。

 

これを聞いて石田三成は

 

 

酷すぎる、いよいよ我慢の限界だ!

豊臣の天下を守る為に家康を討つぞ!


 

表向きは引退しておりましたが、宇喜多秀家や大谷吉継と相談してついに打倒家康を掲げて挙兵することを決めたのであります。

 

 

家康と戦するのはリスクが高い、やめとけ。

…って何度も言ったんだけど、三成は聞いてくれなかったんだよね。


 

家康の悪行を許すな~っ!【内府違いの条々】!

 

三成は挙兵するにあたり、『内府違いの条々』と題した文書を全国の大名達に発行しました。

 

『上杉景勝が謀反を企んでいる!』と決めつけて悪者扱いした
誓いを裏切ってまた勝手な縁組を行った
ルールを無視して勝手に大名に知行を与えた
北政所(秀吉の正室)を大坂城から追い出して家康が住み着いた
五奉行、五大老が相談して決めるべき事を一人で勝手に行っている

 

これは上記のような事を十三ヶ条にして綴った文章であります。

 

そしてこの十三ヵ条に、五奉行のメンバーである前田玄以、増田長盛、長束正家が

 

 

家康公は秀吉様の遺言、誓いに背き数々の悪事を行った。

これに書いたとおりである。

 

我々は武力をもってこれに制裁を加えることに決めた。

 

秀吉様から受けた御恩を忘れておらぬなら、我々と共に戦って秀頼様に忠義を尽くそうぞ。


 

といったような檄文を添えています。

 

そしてこれに呼応してくれたのが、毛利輝元、宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継、島津義弘、立花宗茂、長宗我部盛親、安国寺恵瓊、脇坂安治、小早川秀秋・・・などなど。

 

そう、関ヶ原の戦いで西軍として戦う大名達であります。

 

 

西軍の総大将は毛利輝元に決まったよ。

人を集めるには人気がある人を表に立たせなきゃね。


 

 

三成は人望が薄いからあんましゃしゃるなって吉継に言われた…。


 

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敗因は小早川秀秋。石田三成、関ヶ原で無念の敗北

 

一方、徳川家康も負けじと大名達とコンタクトをとっておりました。

 

 

三成が嫌いだから徳川につくぜ!


 

 

三成側に味方するって言ってるけど、本番では徳川にお味方しますね!


 

 

徳川の味方につきます!

(とは言ってもまだどっちが有利かわからん、様子見しよう・・・)


 

武将達も色々な事情、葛藤を抱えていました。

 

そして1600年10月…

美濃の関ヶ原の地に集まった兵は

 

 

西軍が8万2000!


 

 

東軍が7万4000!


 

であったといいます。

(兵の数は諸説アリ)

 

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凄まじい数の軍勢で対峙する中、東軍の井伊直政軍が進み出て宇喜多秀家軍に向かって発砲したことで関ヶ原の戦いがスタート。

 

兵力だけでいうと石田三成率いる西軍が上…

戦が始まってしばらくは互角の戦いが繰り広げられていたと言います。

 

しかし、徳川家康に通じていた西軍の吉川広家が兵を動かさなかったり、

 

西軍の島津義弘が石田三成・島左近と戦略の事で揉めて

 

 

もう知らん。

どっちの見方もせん。


 

と日和見決め込んだり、

 

小早川秀秋が東軍に寝返り、西軍に攻撃を開始した事がきっかけで西軍は一気に崩れて敗北してしまいました。

 

小早川秀秋は関ヶ原の戦いで1万5000もの大軍を率いており、西軍の主力といえるほど重要な人物でありました。

 

この小早川の横に布陣していたのが大谷吉継…

 

小早川の大軍が裏切るだけでも相当にヤバイのですが、大谷吉継の配下として参戦していた脇坂安治、小川祐忠、赤座直保、朽木元綱の四隊までもが小早川秀秋の裏切りに呼応して大谷吉継に襲いかかりました。

 

この四隊の兵力は合わせて4500ほどだったといいます。

 

小早川秀秋の軍勢と合わせておよそ1万9500、この大軍の裏切りが西軍の敗北を決定的なものとしました。

 

ちなみに小早川秀秋は戦が始まるに家康から味方につくよう言われていたのですが、戦の当日はギリギリまで兵を動かさずに日和見をしておりました。

 

そんな小早川秀秋に対して家康が

 

 

ヒヨってんじぇねぇぞ!

動け小早川ー!!


 

と小早川の軍勢目掛けて鉄砲を打ち込んだことで、

 

 

ひえぇっ!家康さんゴメンなさい!

すぐに攻撃を開始します!


 

西軍を裏切ったというのは有名な逸話であります。

 

 

私は最初から小早川は危険だと思っていたよ。


 

 

もっと上手く小早川を手懐けることができていたら…

もう少し西軍が有利に戦っていれば…

勝敗の行方も違ったろうに。


 

関ヶ原の戦いのその後、石田三成の最後は??

 

関ヶ原の戦いは徳川家康率いる東軍の勝利…

 

敗者となった石田三成ら西軍の武将たちの末路は悲しいものでありました。

 

撤退戦で戦死する者もいたし、命拾いした武将でも所領を大幅カットされたり、お家断絶となったり・・・と厳しい処罰を受けております。

 

石田三成はというと、関ヶ原で西軍の敗北が決定的となった後、戦場から脱出するも数日後に敵方に見つかり捕縛されてしまいました。

 

そしてその後、罪人として堺の街で晒し者にされた後、京都の六条河原で斬首の刑に処され41歳でこの世を去りました。

 

ちなみに関ヶ原の戦いにおいて死罪とされたのは西軍の中心人物であった石田三成、小西行長、安国寺恵瓊の3人でだけありました。

 

 

どんなに惨めでも生きてさえいれば復活のチャンスはあったはず…

無念であった。


 

その他の主な西軍武将の末路

大谷吉継は小早川秀秋らに襲われた後に自害して果てた。

 

毛利輝元は総大将だったけど、分家の吉川広家が徳川の味方をしていた関係で死罪になることはなかった。が、所領を大幅カットされた。

 

上杉景勝も所領大幅カット。

 

宇喜多秀家は八丈島に流罪。

 

真田昌幸・幸村親子は九度山へ追放。

 

これぞ石田三成。捕らえられた後のエピソードでわかる人物像

 

石田三成、小西行長、安国寺恵瓊の3人は捕らえられた時、ボロボロの着物を纏いみすぼらしい姿をしておりました。

 

そんな三成達を見て家康は…

 

 

戦に負けた故、罪人となってしまったが彼らは立派な武士だ。

せめて着物だけでも綺麗なものを…。


 

と、3人に小袖を用意しました。

 

 

上様から小袖のプレゼントです。


 

 

ありがたや…

着させていただきます。


 

小西行長、安国寺恵瓊は家康からの小袖を受け取るのですが…

 

 

上様から…?

上様とは誰の事を言っているのだ?


 

 

え、そりゃ家康様のことですが…


 

 

いつから家康は上様になったのだ?

上様は秀頼様以外にいない。

 

その小袖は受け取りません!!


 

石田三成だけは家康からの施しを断固拒否したのであります。

 

そしてその後、三成が処刑場である六条河原へ護送される途中には…

 

 

喉が渇いた。

白湯をいただけないだろうか。


 

 

白湯は今ないのですが、柿ならあります。

これで我慢してください。


 

 

それなら結構。

柿は痰の毒だからやめとくよ。


 

 

ンフッ。

今から首切られるってのに、そんなの気にしてどうするんですか。


 

 

大きな志を持つものは最後の最後まで命を惜しみ、その本懐を遂げようとするものだ。


 

こんなカッコイイ言葉を残しております。

 

信念を貫き、最後の最後までブレずに死んでいった石田三成…

 

そのブレなさすぎる頑固な所が敵を作ってしまう事もあるのでしょうが、親しい人からすると不器用ながら一生懸命な所が支えてあげたくなるポイントなのだと思います。

 

石田三成はとにかく真っすぐなところが魅力的、良い所も悪い所も愛さずにはいられない武将であります。

 

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