細川忠興と妻・ガラシャ!夫婦の歴史や逸話が強烈
細川忠興はお家柄も良いし、教養のある武将。
なのに、ちまたじゃちょっとヤバイ武将としてネタキャラ扱いされる事もあるのよね。
何がヤバイって、妻・ガラシャへの愛情が異常。(韻は踏んでない)
そしてキレると超怖い。
ぶっちゃけ、戦での活躍や功績で有名になったというよりかは、頭いかれちまってるクレイジーな武将がいるって感じで有名になったところがあるお方ね。
細川忠興は、個性強くて面白い武将なのよ~!
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細川忠興の妻で明智光秀の娘、ガラシャってどんな女性?
細川ガラシャは明智光秀の三女。
本当は細川玉子(珠とも)という名前だけど、キリスト教に入信して『ガラシャ』という洗礼名を授かった事で『細川ガラシャ』で定着。
明智光秀の娘ということで、お家柄良しのお嬢様。
そして容姿も抜群に美しかったとのこと。
おまけに、キリスト教の宣教師に
日本に来てから、彼女ほど賢くて聡明な女性は会った事がない。
と言わしめるほどの人物。
容姿端麗で頭脳明晰…高嶺の花感ハンパないです。
忠興とガラシャは15歳の時に結婚、どちらも1563年生まれで同世代であります。
忠興もイケメンだったと言われているらしいので、美男美女夫婦…!
ガラシャを幽閉する意味…忠興はガラシャに会いたくて会いたくて
1582年に起った本能寺の変…、
織田信長を死に追いやったのはまさかのガラシャのお父さん!
細川忠興は明智光秀の味方ではないことを示す為、ガラシャを丹後の味土野という地に幽閉するのですが、
この幽閉にはガラシャが謀反人の娘として狙われたりしないよう、守る意味もありました。
妻の父親が自分の主君を殺害したとなると、普通は離縁したりするんだけどね。
私は妻を愛してるので離れるなんて無理~。
ガラシャの幽閉は本能寺の変の騒動が収束した後も続き、場所を移りながら監視される日々を過ごしていたといいます。
1590年の九州征伐後、豊臣秀吉が天下統一を成して日本が平和になってから、やっとそんな生活から解放されたそうです。
幽閉生活といっても、牢屋に入るようなかたっ苦しいものではないぞ。
隔離された土地で不自由はあるものの、付き人もいるしちゃんと屋敷で暮らしていたんだよ。
しかし、忠興は幽閉中も普通にガラシャに会いに行っていたし、その間に子供も作っていたとのことなのでもはや幽閉している意味がないような気も致します。
妻に会えないなんて無理~。震えちゃう。
細川ガラシャの最後、辞世の句が切ないけどカッコイイ
1600年、細川ガラシャは関ヶ原の戦い勃発前に、西軍の人質になる事を拒否して自ら死を選びました。
武家の妻として名誉を汚されるような事があれば、その時は死んでくれ。
的な事を忠興に言われていたので、ガラシャは
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
と、覚悟が垣間見える辞世の句を残し、37歳でこの世を去りました。
武将の妻としては見事天晴な最後ですが、西軍に狙われた人達の中には上手い事屋敷から脱出した人も結構いるので、ちょっと早まってしまった感じも否めません。
細川忠興はあんまり子供と良い関係ではなかった??
細川忠興とガラシャの間には三男二女の子供がおります。
二人の娘については特筆する事はないのですが、三人の男子に関しては結構色々と問題がありました。
長男・忠隆(ただたか)について
ガラシャが人質になる事を拒否して細川の屋敷で自決した時、長男・忠隆の妻・千世も同じ屋敷にいたのですが、
千世は姉・豪姫がいる隣の宇喜多屋敷へ逃げ込み、難を逃れておりました。
※千世と豪姫は前田利家の娘。
これを後々聞いた忠興は…
玉子を見捨てて自分だけ生きのびただと?
そんな女は細川の嫁に置いとけん!離婚しろ!
激怒して長男に離縁を迫りました。
しかし、長男は離縁するどころか妻をかばったのでさらに忠興は激怒、
もうお前のことなんか知らんッ!!
跡継ぎとなるはずだった長男を嫡廃してしまったのであります。
ちなみに、細川家を追い出された忠隆と妻子を支えたのはワシです。
一緒に京都で暮らしてたんだよ。
次男・興秋(おきあき)の人生がなんだか悲しい
長男がいなくなった後、細川家を継いだのは三男の忠利(ただとし)でした。
忠利は江戸に人質に出てたから、徳川との信頼関係がもう出来上がってたのよ。
こんな理由があっての事だったみたいですが、次男・興秋はこれに不満を持ちました。
完全にふてくされた興秋はこの後、忠興のもとを去って幽斎のいる京都へと移り住みます。
そして家督相続問題の約9年後、興秋は大坂の陣で豊臣方の武将として参戦、細川家と敵対関係になりました。
興秋は大坂の陣で生き残り、伏見に匿われていたのですが…
幕府が許しても私は許さん。
腹を切れ。
忠興の命令で切腹し、33歳でこの世を去りました。
実の親子なのになんとも悲しい結末です。
細川忠興は教養もあるし普段は常識的な人みたいですが、キレると思いのまま怒りを爆発させちゃうんでしょうね。
少しの言い訳も聞いてくれなさそう…。
怒らす方が悪い。…のスタンス。
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細川忠興と妻・ガラシャの愛と狂気のエピソード
細川忠興は超愛妻家。
ガラシャの事が好きすぎて雄猫ですら接近するのを嫌がっていたんだとか。めんどくせぇ男じゃ
そんな戦国一のメンヘラ武将、細川忠興の逸話をご紹介…!
と言っても、私の逸話は有名だから今更語るまでもないかも?
ガラシャがらみで細川忠興を怒らすとこうなる
ある日のこと、一人の庭師が
(綺麗な人~(´∀`o)
なんてガラシャに見とれておりました。
それに気づいた忠興は…
私の妻だぞ!
見とれてんじゃねぇ!!
大激怒。
問答無用で庭師を斬り捨て、その首をガラシャの目の前に差し出しました。
しかし、それを見てもガラシャは全く動じない…!
お前は蛇みたいな女だね。
ガラシャ
鬼の妻にはお似合いでしょ。
動じないどころか余裕ありまくり。
もはや忠興は嫉妬深いとかの域を超えたただのヤベー奴ですが、ガラシャもガラシャでヤバ味を感じます。
忠興はガラシャをたぶらかした次女達を…
細川ガラシャは本能寺の変の一件でしばらくの間、幽閉生活を送っていたわけですが、
その間に忠興や侍女からキリスト教の話を聞き、キリスト教に興味を持つようになったといいます。
ガラシャ
教会に行ってみたいな。
宣教師の方から直接話を聞きたい…!
憧れが爆発したガラシャは幽閉中にもかかわらず、こっそりと屋敷を抜け出し教会へ。
どんどんのめり込んだガラシャはついに洗礼を受け、正式にキリスト教徒になったのですが、
ガラシャ
旦那には内緒(';')
キリスト教に入信した事を隠し続けておりました。
この後、九州征伐を終えて帰国した忠興はガラシャがキリスト教になったことを知るのですが、
この頃には、豊臣秀吉のキリシタン弾圧が始まっていたので、それを認める事はできませんでした。
忠興はガラシャにキリスト教を捨てるよう説得するのですが、ガラシャはそれを断固拒否。
侍女らがこっそり玉子を教会に連れていったらしいな。
そいつらが玉子をたぶらかしたからこんな事に…。
激怒した忠興は、見せしめとして侍女たちの鼻や耳を削いでしまったのでした。
これを見てガラシャは一体何を思ったのか、気になるところです…。
愛するガラシャが浮気しないか心配で仕方ない細川忠興
朝鮮出兵に参加した細川忠興は、愛するガラシャに何通も手紙を送っていたといます。
これだけ聞くと、海外赴任中、奥さんにマメに手紙送るなんて素敵な旦那!って思いますが、その手紙の中には
秀吉は女好きだから、誘惑には要注意だよ。
玉子は美人すぎるから心配。
なんてガラシャの浮気を心配する内容のものがあったとのこと。
結婚生活10年越えてこの手紙…!
個人的には面倒くせぇ男だなって思っちゃいますが、
私めっちゃ愛されてる…///
って嬉しく思う女性もいると思うので、見ようによってはいい話かも。笑
細川忠興も男。ガラシャ一筋かと思いきや側室はいた
こんな感じで細川忠興はガラシャにご執心。
歴史人物の面白エピソードとして聞くぶんには笑えるけど、実際に身近にいたらあんまり関わりたくないかも。笑
法整備された現代に忠興がいたなら余裕で警察のお世話になってそう…(´`)
ついカッとなってやっちゃいました的な。
ちなみに、忠興はガラシャにこんだけ執着しときながら普通に側室を持っておりました。
ガラシャの幽閉中に新しい妻を迎えようとしていたらしく、ガラシャは一時期離婚を考えていたんだとか。
キリスト教で離婚はNGらしく、思いとどまったんだって。
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