細川幽斎と将軍と織田信長!この時代の幽斎の歴史や逸話などをゆるりと

細川幽斎と将軍と織田信長!この時代の幽斎の歴史や逸話などをゆるりと

細川幽斎の将軍&織田信長との歴史や逸話をゆるりと

細川幽斎は足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康…と、時の天下人達に仕えてきたという華やかな経歴の持ち主!


そして歌道、茶の湯などにも精通した一流の文化人って事でも有名なお方ね!

 

今回はそんな細川幽斎の足利将軍家〜織田家時代の歴史や、人柄、凄みが垣間見える逸話をご紹介♪

 

この方は『細川藤考(ふじたか)の名前でも有名だけど、個人的に『幽斎』って名前がカッコよくて好きだからこっちで表記してるわね〜!

 

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細川幽斎は名門の出!最初は将軍家の家臣だった

 

細川幽斎は足利幕府の奉行衆だった三淵晴員(みつぶちはるかず)の長男。

 

定説によると幽斎が7歳の時、和泉半国を領する守護大名・細川元常(もとつね)の養子となったことで細川姓を名乗るようになりました。

 

そして幽斎が21歳の時に養父・細川元常が死去。

幽斎が家督を継ぎ、細川家の当主となりました。

 

 

細川の宗家は足利幕府の官僚なの。お家柄良し!

ちなみに細川元常はワシの父のお兄さん!


※12代将軍・足利義晴が幽斎の父親という説もあるみたい。

 

細川幽際はどんな苦境にあっても学問に励む事を怠らなかった!

 

戦国時代、足利将軍家は下剋上ブームのせいで苦難の連続でした。

 

1553年…、

当時将軍だった足利義輝は当時京都周辺でブイブイいわせていた三好長慶に敗北し、京から追放されてしまいます。

 

細川幽斎含む足利義輝一行は近江の朽木谷に逃げ落ち、しばらく不自由な生活を送る事になるのですが、そこで幽斎は将軍のお世話をする傍ら、暇さえあれば読書をしたり学問に励んでいたといいます。

 

しかし、

 

 

夜間勉強したくとも、暗くて書物が読めない…。


 

貧乏生活を送っていたので、灯を燈すための油を買うお金がありませんでした。

 

仕方がないので、幽斎は近所の神社の燈明の油を定期的に盗み、それを使って夜間に勉強をしていました。

 

しかし、ある時ついに神主に見つかってしまいます。

 

神主

 

将軍に仕える者が盗みを働くなんて…。

なぜそんな事を?


 

神主と幽斎は顔見知りだったので困惑するのですが、幽斎はこれに対して

 

 

夜、勉強するのに必要だったのです。

学問に励むという理由ならば、神もお許しになってくれるでしょう。


 

堂々とこう答えたので、神主は

 

神主

 

そんなに不自由していたのね…。


 

と幽斎を哀れに思い、怒るどころか逆に油をプレゼントしてあげたのでした。

 

なんかいい話のように聞こえるけど、盗みは良くない。笑

 

しかし、ここまでして学問に励む姿勢は尊敬するし見習いたいものですね。

このエピソードだけでも、細川幽斎がマジメで聡明なお人であった事が伺えます。

 

そして幽歳は学問以外にも和歌や書画、茶道なんかにも熱心に取り組んでいたので、『大名』であるほか『一流文化人』としての顔も持ち合わせておりました。

 

 

和歌に関しては普通に超プロ!

ワシは『古今伝授』という和歌の秘伝を授った、二条流歌道の伝承者なのだ。


 

幽斎はかしこくて風流なだけじゃない!腕っ節にも自信アリ!

 

教養のある文化人として高名な細川幽斎ですが、実は力自慢の武将でもありました。

 

ある日、幽斎は牛車が暴走して人々が逃げまどうシーンに遭遇、

 

 

このままじゃ怪我人がでちまうぜ!


 

と暴れ牛の正面に立ちはだかり、その牛の角を掴んで暴走を鎮めた。

 

…というエピソードがあったり、

 

能楽に招かれてやってきたのに、門番はなぜか幽斎を通してくれず。

 

強引に通ろうとすると、門番は竹杖を振りかざして阻止してきたので、幽歳はその手首を掴んだ。

すると門番の手がメリメリと音を立てて骨が砕けてしまった。

 

…なんてエピソードがあります。

 

 

たくましいでしょ?

勉強だけじゃなく、ちゃんと武芸の技も磨いていたんだよ。


 

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細川幽斎、将軍様のために奔走!

 

力自慢はさておき…、

下剋上ブーム真っただ中の戦国時代、足利将軍家は大名達に振り回されグダグダな状態にありました。

 

足利義輝率いる細川幽斎らは逃亡生活の後、5年後には京都へ戻ってくることができたのですが、1565年には足利義輝が三好三人衆、松永久秀らの襲撃を受けて殺害されるという大事件が起こります。

 

 

えらいこっちゃ!

このままだと将軍家が滅亡しちゃうよ〜!


 

将軍家がなくなれば細川家もお先真っ暗!

 

この後、細川幽斎は同僚らと共に大和の興福寺に幽閉されていた足利義輝の弟・義昭を救出し、義昭が将軍の座につけるよう奔走しました。

 

近江…若狭…越前…と各地を転々とし、様々な大名達とコンタクトを取って…

 

最終的に足利義昭御一行が頼ったのが、尾張の織田信長でした。

 

 

近江の六角氏や美濃の斎藤氏なんかは味方についてくれなかったし、越後の上杉謙信なんかは戦が忙しかったみたいで協力を得られなかったのだ。

なんだかんだ、信長さんは強いし行動力あるしで頼りになる!


 

 

上洛は戦国大名のステイタスの一つ!

ワシ、頑張っちゃうよ〜。


 

そんなこんなで1568年、細川幽斎含む将軍御一行は織田信長と共に上洛。

 

京都に入ってから三好三人衆の襲撃を受けたりもしましたが、これを撃退し、足利義昭は目出度く将軍の座をゲットしたのであります。

 

将軍家滅亡!細川幽斎は織田家家臣に…。

 

 

将軍復活!

細川家的にも一安心!


 

かと思いきや、この後じわじわと足利義昭と織田信長の仲が悪くなっていきます。

 

足利義昭

 

信長、全然私の言う事聞いてくれない!

自分が天下人になるつもりだな?!


 

との事で、足利義昭は『信長包囲網』なるものをこっそりと形成。

織田信長を倒そうと企んでおりました。

 

細川幽斎はこの頃から足利義昭を見限っていたようで、

 

 

義昭が信長さんに対してよからぬ事を考えてるようです。


 

と、密かに将軍の行動を織田信長に知らせていたといいます。

 

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想定の範囲内だけど規模でけ〜(^o^)


 

織田信長はこれら包囲網の敵勢力を蹴散らすと、1573年に足利義昭に制裁を加える為に再び上洛するのですが、

 

この際、細川幽斎は近江逢坂で信長を出迎え、臣従の意を示しました。

 

そしてこの後、足利義昭は信長に京を追われ、幕府は消滅。

細川幽斎は織田家家臣として、新しい武将人生をスタートさせたのであります。

 

それからは石山本願寺との戦や一向一揆、紀州征伐、丹後攻めなどに参戦。

 

織田信長の天下取りに貢献し、1580年には丹後の宮津城に12万石を領する大名に出世しました。

 

そしてこれから約二年後、本能寺の変で織田信長が死去…!

 

 

本能寺の変の戦犯、明智光秀はワシの友人!

この時期は色々と大変だったよ〜。


 

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