細川幽斎は明智光秀にゴメンして…かしこ&和歌力で戦国時代を生きる

細川幽斎は明智光秀にゴメンして…かしこ&和歌力で戦国時代を生きる

徳川家康 ラインスタンプ

細川幽斎は明智光秀にゴメンして…戦国時代を生き延びる

足利将軍家、織田信長と時の権力者に仕えた細川幽斎!

 

『本能寺の変』ではマブダチの明智光秀がやらかして、まぁ~大変な思いをされたようです。


 

そしてなんやかんや、細川幽斎は関ヶ原の戦い以降も生き延びて地位を築いたわけなんだけど…

 

幽斎が戦国時代を生き抜いてこれたのは和歌のプロフェショナルだったから~??!

 

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明智光秀が本能寺でやらかした!その時、細川幽斎は…

 

天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変勃発。

明智光秀が突如として謀反を起こし、織田信長が死去するという大事件が起こりました。

 

その時、細川幽斎(とその息子の忠興)が何をしていたか…というと、

 

中国地方で戦をしている羽柴秀吉を援護するため、備中高松城目指して進軍しているところでした。

 

 

光秀が信長様を討っただとー?!

戦どころじゃないっ!!


 

細川幽斎は進軍中に本能寺の一件を知らされると、すぐさま居城に引き返し今後の事を考えるのですが、

 

幽斎親子の立ち位置はちょっぴり複雑なため、事態はとても面倒臭いこととなっておりました。

 

細川幽斎と明智光秀とは同じ将軍家に仕えていた過去もあり、長い間親交があって仲が良く…

 

幽斎の長男・忠興は明智光秀の娘(細川ガラシャ)を妻に娶っているという…。

 

 

そう、私と幽斎親子は深い仲なのだ。

彼らは絶対に私の味方についてくれる!


 

明智光秀は幽斎親子の協力が得られるものと思っていたようです。

 

が、幽斎親子は動きませんでした。

 

 

光秀から味方してくれって書状きたけどどうしよう。

簡単に決めれる事じゃないし今後の展開も謎…。キビシー!


 

とりあえず細川幽斎は剃髪して喪に服し、織田信長への忠義を示しました。

そしてしばしの間、情勢を見守る事に…。

 

 

出家して忠興に家督も譲ったのだ。

これでこの争いにノータッチアピールできるし、何を言われても出家した身なので…と言い訳できる。


 

 

ガラシャもとりあえず幽閉したよ。明智家と距離を置いてるアピール!

謀反に加担してると疑われちゃ困るからね。


 

これには明智光秀もかなり焦ったようです。

いっこうに動く気配のない幽斎親子に

 

 

私が信長を討ったのは天下が欲しかったからじゃないんだよ。

忠興の為でもあるんだ。

 

この騒動が落ち着いたら、平定した国々は忠興に譲るよ。

ワシは忠興を天下の大名にしてあげたいの。協力待ってるからね。


 

こんな書状を送ってきたという…。

 

 

光秀、めちゃ必死…。


 

結局、本能寺の変から数日の間に羽柴秀吉が挙兵したり、他の武将達が秀吉の肩をもったり…と光秀に不利な出来事が続いたのもあり、幽斎親子は光秀に味方する事はありませんでした。

 

 

ワシら親子が味方してたら、光秀は死なずにすんだかも…??


 

最終的に見捨ててしまう結果となってしまいましたが、細川幽斎はマジメで正義感の強かったらしい明智光秀に生前こんな事を言ってたそうです。

 

 

最近の信長様の悪逆非道っぷりは目に余るものがある。

光秀殿はそんな信長様の心を改めるべく、色々と一生懸命になっているみたいだが…

 

優れた者は人に陥れられ、泥をかぶる事もある。

また、林の中で抜きん出て高い木は風に折られる事もある。

 

懸命に働くのは結構なことだが、そこのところは十分に注意するように…。


 

幽斎は光秀の実力を認めたうえで、光秀が突っ走って身を滅ぼしてしまうのではないか…、という事を心配していた模様。

 

 

こんなに心配してくれてたのに味方してくれないんだもんなぁ。


 

豊臣家時代は完全に文化人!な細川幽斎。

 

本能寺の変後、細川幽斎・忠興親子はそのまま時代の流れに乗って羽柴秀吉に仕えるようになります。

 

そして幽斎は出家したとはいえ、忠興とは別に丹後の田辺城に4万石を領していたとのこと。

 

 

その後も紀州征伐や九州征伐などに参加しているぞ。

なんやかんや現役!


 

そして細川幽斎といえばなんたって一流の文化人!という事で、そういった部分も気に入られて秀吉に重用されていたようです。

 

 

ここで幽斎の凄みを感じる逸話を二つご紹介!


 

細川幽斎と豊臣秀吉の逸話①下ネタってそういう事ではないけど…

 

ある日の事…、

豊臣秀吉は細川幽斎ほか文化人の方々を招いて雑談をしていました。

 

 

秀吉豊臣のすべらない話開催!

面白い話聞かせて~!

 

でも腰より下の話(つまり下ネタ)はダメよ!

もし腰より下の話をしたら、罰として大判一枚出すこと!


 

いきなり面白い話をしてっていうのは、結構難しい…!

けど幽斎は自信満々でネタを披露しました。

 

 

この前、とある茶屋に寄ったんですけどね…そこのお店、とっても変わった茶釜を使っていたんです。

 

黒鉄でも唐金でもない、楠の釜を使ってたんです。珍しいでしょう?


 

 

楠?木の釜で湯を沸かすの?

釜の尻が焦げて使い物にならないんじゃない?


 

 

殿、今『尻』って言った!

尻は腰より下ですぞ?

大判一枚、出して下さいね。


 

 

コリャ一本取られたぜ。


 

細川幽斎と豊臣秀吉の逸話②空気も読めるし主君のご機嫌も取る!

 

とある日のこと…、

豊臣秀吉は連歌会にて里村紹巴(さとむらじょうは)という連歌師に脇句をつけよと発句したのですが…

 

 

奥山に もみじふみわけ 鳴く蛍…


 

里村紹巴

 

蛍は鳴かない虫ですぞ。


 

里村が空気を読まない発言をしたので、秀吉はムッとして

 

 

蛍が鳴かない虫っていうのは知ってるし?

それに、ワシなら鳴かそうと思えば蛍も鳴かす事ができるし!


 

こんな強気な事を言いました。

変な空気になったのを察した細川幽斎は、

 

 

昔の歌にこんなものがありますよ。

 

『武蔵野や しのもつかねて 降る雨に 蛍よりほかに 鳴く虫もなし』

 

雨が酷い時、普通の虫は鳴かないものですが蛍だけは光りを放ち鳴いている…という歌ですね。


 

秀吉にこう言いました。

 

 

ほら、やっぱり『蛍が鳴く』って表現はアリなんじゃん…!!


 

秀吉は幽斎の言葉を聞いてたいそう機嫌を良くしたとのこと。

 

しかし、実はこの時幽歳が詠んだ歌は、もとから存在する歌ではなく即興で幽歳が詠んだものといわれております。

 

 

この機転の良さ、頭の回転の速さよ。

ワシの有能っぷりが垣間見えたであろう。


 

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細川幽斎、戦で大ピンチ!でも幽斎のカリスマ性が命を救った…

 

豊臣秀吉が亡くなったのが1598年、細川幽斎が65歳の時でした。

 

この頃になると、幽斎はもはや武士というより文化人。

息子の忠興が細川家をひっぱっていたわけですが、

 

秀吉の死後は早い段階で親子揃って徳川家康に接近し、安泰を図っております。

 

 

ここでも先見の明アリ。

ずーっと上手いこと時代の波に乗っておる。


 

1600年に起こった関ヶ原の戦いでは、もちろんのこと東軍。

 

息子の忠興は関ヶ原の地に出陣することになるのですが、幽斎はというと田辺城でお留守番をしておりました。

 

そしてそこに攻めてきたのが、西軍の小野木重次らが率いる1万5000の大軍。

 

幽斎はわずか500の手勢で籠城して徹底抗戦し、およそ一ヵ月半もの間持ちこたえてみせました。

 

そして

 

 

そろそろキツい!

このままじゃワシ、死ぬ!


 

という時に幽斎を救ったのがなんと、あの朝廷でした。

 

 

幽斎殿は古今伝授を伝承する高名な歌人!

こんな所で死なせていい人ではないのだっ!!


 

という事で、日本の頂に君臨する天皇が幽斎を救うべく『和議を結んで戦を終わらせよ』と直々に命令を出したのです。

 

 

下剋上の戦国時代でも、天皇の権威だけは絶対的!

いち武将の為に朝廷が動くなんて、異例の事なんだぞ~。


 

関ヶ原の戦いが終わってからは穏やかに過ごし、大往生!

 

朝廷のおかげで窮地を脱する事ができたし、関ヶ原の戦いも東軍の勝利で万々歳!

 

関ヶ原の戦い後、細川幽歳はよく頑張ってくれたということで、徳川家康から但馬一国を加増されました。

 

息子の忠興は豊前小倉39万石に出世。

後に細川幽斎も豊前に移り、6000石もらって隠居生活を送っていたとのことです。

 

そして晩年は京都へ移り住み、穏やかに晩年を過ごして77歳で死去。

 

 

将軍、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康…と時の天下人に仕え武名を残し、文化人として平和な時代を生きて大往生!

 

良き人生である。


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