何があったの本能寺!明智光秀と織田信長の本能寺の変をゆるりと解説!

何があったの本能寺!明智光秀と織田信長の本能寺の変をゆるりと解説!

時は今…!謀反のチャンスは突然に

 

1582年、5月27日…

 

明智光秀は1万3000の軍勢を率いて丹波・亀山城を出立した。

 

中国地方の毛利氏と戦をしている羽柴秀吉の救援に向かうよう織田信長に命ぜられていたのである。

 

明智光秀の軍勢は大阪を通り中国方面へ向かう予定となっていたのだが…

 

 

援軍に向かう前に、1万3000の人馬を信長様に御覧に入れるよう森蘭丸から命令があった。

まず、我々はこれから信長様のいる京へ向かう。


 

明智光秀は嘘をつき、兵達にこう陣触れを出した。

 

明智光秀が織田信長殺害を企んでいるなどと、この時はまだ誰も知らなかったのである。

 

 

(今が信長を討つ千載一遇のチャンス…!)


 

織田信長はこの時、80名ほどの供を連れて本能寺に宿泊していた。
信長本人も後から中国攻めの援軍に向かう予定だったのだ。

 

京周辺は織田の支配下にあり、信長にとっては安全地帯。完全に信長は油断していたのである。

 

 

時は今 雨が下しる 五月かな


 

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明智光秀の決意、いざ本能寺へ

 

 

信長を討とうと思っている。


 

明智光秀は京都・老の坂に着くと、ここで初めて斎藤利三、弥平次秀満ら家臣団に真意を告げた。

 

 

信長の数々の暴挙、積年の恨み、天下への思い…謀反に踏み切る理由は数々ある。

 

信長のような暴君が天下を取ればこの世はどうなる事か…。

 

信長が完全に油断している今、やつを亡き者とするまたとないチャンスなのだ。

 

もし誰の賛同を得られなくとも、ワシ一人でも本能寺に討ち入りこの命を散らす覚悟である。


 

 

殿がそう決意されたのであれば我々はそれに従うのみ。

最後まで殿と生死をともにいたしますぞ!


 

明智光秀の決意は固い、家臣達もそれに従う意思を見せた。

 

 

となれば、本能寺にいる信長に我々の動きが伝わらないよう注意を払わねばなりませんね。


 

 

その通り。


 

明智光秀は念には念を…と、明智軍の動きを本能寺に通報する恐れのある近隣の農家の人間を2、30人程斬り捨てた。

 

そして道を進み、桂川に到着した所で初めて全軍に敵の所在を告げたのだった。

 

 

敵は本能寺にあり!


 

こうして1582年の6月2日未明、明智光秀率いる1万3000もの大軍が本能寺へと進軍したのである。

 

 

本能寺の変!その時、織田信長は…

 

6月2日の明け方…

 

まだ空も明るくならないというのに本能寺周辺がにわかに騒がしくなった。

 

 

なんだこんな早くから…喧嘩でもあったか?


 

異様な雰囲気に織田信長も目を覚まし、外の騒音に耳を傾ける。

 

 

…何かおかしい。鉄砲の音に鬨の声がする…。

 

まさか…謀反?!一体誰が…。


 

 

おそらく、明智光秀の企てかと…。


 

 

・・・。


 

信長は一瞬で全てを察した。

 

明智光秀の逆心に気付けなかった事、
自分の支配下にある地だからと安心して少ない手勢で本能寺にいた事、

 

少しの油断がこの事態を引き起こしてしまったのだと。

 

 

是非もなし。


 

織田信長はすぐさま弓を手に取り、御殿に迫り来る明智の兵に向けて矢を射続けた。

 

しかし、わずか80人ほどで1万を超える兵を相手にしているわけなので、その攻撃はほとんど意味のないものであった。

 

 

むむ。弦が切れた。


 

いよいよ追い込まれた信長は自ら槍をとって奮戦、必死の抵抗をするもついに肘に槍傷を負ってしまった。

 

 

もはやこれまで…か。


 

 

無念にごさいます…。


 

本能寺には火がかけられ、炎は間近に迫っていた。

もはやこの戦に勝つ術は無く、明智の大軍に囲まれ逃げ出す事も出来ない。

 

 

女どもは許してもらえるだろう。ワシらの事は気にせず、急いでここを離れよ。


 

 

殿…。


 

信長はお付きの女達を逃すと御殿の奥深くに籠り、戸を固く閉ざした。

 

 

人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり 
ひとたび生を受け 滅せぬもののあるべきか

 

人間の人生は50年、天界の時間と比べれば夢や幻のように儚いものだな。この世に生を受けた者は必ずいつかは死に滅びていくものだ。


 

織田信長が本能寺で舞ったといわれる『敦盛』…、この歌の意味を知ると、未練や明智光秀を怨む気持ちは感じられない。

 

明智光秀の襲撃からわずか1、2時間後、信長は手と顔を手拭いで清めると、潔く腹を切って果てた。

 

享年49。その遺体は炎に焼かれ、誰の手に渡る事もなかった。

 

森蘭丸をはじめとする信長の近習達が必死で敵と戦い、敵を食い止めたおかげである。

 

この本能寺の変では織田信長とその近習達およそ80名、ことごとく討ち死にしたのであった。

 

 

天下統一まであと少し、無念ではあったろうな。


 

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織田信長の死、嫡男の信忠は…

 

本能寺で織田信長を亡き者とした明智光秀は、次いで信長の跡継ぎ息子・信忠の籠る二条御所を攻めさせた。

 

織田信忠はこの直前、京の妙覚寺という寺に宿泊していた。

父・信長と共に羽柴秀吉の援軍に向かう予定だったのだ。

 

 

明智光秀が本能寺にて謀反、信長様が自害されたとの事!


 

信忠にこの一件を伝えたのは本能寺の向かいに邸宅を構えていた村井貞勝であった。

 

織田信忠

 

なんと…!?


 

村井貞勝

 

明智の軍勢はこちらにも攻めてくるかと。すぐに守りを固めましょう!


 

信長の死を知らされた信忠はすぐさま戦準備を整えるのだが、馳せ参じた側近の戦力を含めても集まった兵はわずか1500ほどだった。

 

いざ敵が押し寄せてくると信忠は勇敢に刀を振るい、敵を斬り伏せるなどして奮戦した。

 

が、寡兵敵せず。

 

織田長益

 

信忠様、もはやこれまで。敵に討たれ亡骸を晒されてしまっては武門の恥です。

 

父に殉じて腹を切るのがよろしいかと。


 

織田長益は信長の13歳下の弟であり、信忠の配下にあった。

 

織田の名に恥じぬよう、信忠に腹を切るように進言したのである。

 

織田信忠

 

是非もなし…。

 

私の首は敵に見つからないよう地中にでも隠してくれ。


 

織田信忠は家臣にこう命じて切腹、26歳という若さでこの世を去ったのだった。

 

信長同様、信忠の首も敵の手に渡る事はなかったという。

 

そして側近達は信忠の自害を見届けた後、信忠に忠義を尽くし最後まで戦い抜いた。

この戦で信忠側の兵はほとんど討ち死にしたのである。

 

しかし、信忠に切腹を進言した織田長益はちゃっかり混乱に乗じてこの場を脱出、近江方面へと逃亡したのであった。

 

そしてその後、豊臣…徳川…と時の権力者達に仕えて江戸時代まで生き、天寿を全うする事となる。

 

裏切りともとれるし褒められた行動ではないが、織田長益は本能寺の変の隠れた勝ち組だったのだ。

 

織田長益が逃亡に成功したという事は、織田信忠も生き延びる事ができたはず。切腹してしまったのはなんとも悔やまれる事である…。

 

 

 

ついにやってやったぞ…!


 

織田信長・信忠親子を滅ぼし、京を制圧した明智光秀…

 

この瞬間、天下に一番近いのは間違いなく明智光秀だった。

 

 

とはいっても、織田家の武将達は黙ってはおるまいな…。


 

そう、大変なのはこれから。

 

 

ののののの信長様が明智に討たれた?!


 

明智光秀謀反の一報を耳にした羽柴秀吉が素早く反撃に出るのである。

 

続き:明智光秀vs羽柴秀吉!山崎の戦いをゆるりと解説!

 

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