細川忠興の家紋『九曜紋』ほか、兜、甲冑、刀の逸話について
九曜紋(くようもん)
真ん中の大きな丸は太陽、その周りを囲っている小さい丸は星を表しているとのこと。
九曜紋が細川家の家紋になったのには、信長の小刀の柄に九曜が描かれているのを忠興が気に入り、信長がそれを覚えていたからなんだそう。
細川忠興とガラシャの結婚が決まった際に、九曜紋の家紋を使うよう御達しがあったみたいです。
いいとこあるね、信長。
あと別記事にも書いたけど、この九曜紋には
忠興のとこの家紋素敵。
政宗も使っていい?
いいよ。
・・・・・・・
小十郎、今日からこの九曜紋をお前の家紋として使え。
かしこまりました。
(オイオイ政宗、自分で使うんじゃねぇのかよ。)
こんな逸話があったりします。
離れ九曜(はなれくよう)
ちょっとスッキリとした九曜紋。
『細川九曜』とも呼ばれております。
上の九曜紋は結構メジャーな家紋ですが、オリジナリティーを出す為、こっちを正式な細川家の家紋としたとのこと。
スポンサードリンク
細川忠興は兜・甲冑デザイナーでもあった?
細川忠興の兜&甲冑に対するこだわりは、かなりのものであったといいます。
自分の甲冑だけでなく、他の大名の甲冑のデザインを担当する事もあったという噂…。
そんな忠興の兜で有名なものといえば、『黒漆塗越中頭形兜(くろうるしぬりえっちゅうずなりかぶと)』です。
※兜の写真を参考に書いたもの。
頭立(ずだて:頭上のボファってなってるやつ)に使われているのは山鳥の尾だそうです。
かなりインパクト大の兜ですね。
オシャレかどうかはさておき。笑
そして忠興はデザインだけでなく兜、甲冑の機能にもこだわってたとのことで、馬の鞍が傷つかないように甲冑の素材を工夫したり、兜の飾りを木製にして軽くしたり…と色々試行錯誤していたそうな。
また、バックスタイルが布多めのパンツっぽい褌(ふんどし)でおなじみの『越中褌』を考案したのも細川忠興と言われております。
細川忠興はデザインしたり、物を作るのが好きだったんでしょうね。
細川忠興の『歌仙兼定』!刀の名前にまつわる有名な逸話
細川忠興の恐怖エピソードして知られるのが、『歌仙兼定(かせんかねさだ)』です。
気性の荒い性格で知られる細川忠興は、部下に対しても非常に厳しく、ミスを犯した部下を手討ちにする事がありました。
そして
気づけば家臣を36人も手討ちにしちゃってる。
…36といえば、和歌に『三十六歌仙』ってあるなぁ~。
とのことで、忠興は36人を成敗してきた刀に『歌仙兼定』という名前をつけちゃいました。
いやぁ恐ろしい。
冷静に考えると社長が自分とこの社員36人斬り殺してるってヤバいです。
でも和歌になぞらえるあたりは、さすが教養のある文化人だなぁ~と感心。笑
関連ページ
細川幽斎と将軍と織田信長!この時代の幽斎の歴史や逸話などをゆるりと | 片倉小十郎と伊達政宗!小十郎は伊達家No1知将で政宗の最強の相棒! |
細川忠興はメンヘラ?妻・ガラシャ(明智光秀娘)との歴史や逸話が強烈 | 家紋の種類、意味を簡単解説!戦国武将盛り合わせ |
スポンサードリンク
くうはく埋め くうはく埋め
楽しんでいただけたらイイネ!