大谷吉継の関ヶ原!三成との友情、最期の時…全てがドラマティックで泣ける!

大谷吉継の関ヶ原!全てがドラマティックで泣ける!

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大谷吉継の関ヶ原!三成との友情、最期がドラマティック!

1600年に起こった関ヶ原の戦い!

徳川家康が勝利を収め、その後天下人になったのは有名な話よね~。


 

…にもかかわらず、後世での人気は徳川家康でなく敗者側の石田三成に集まる事が多かったりするわね。

 

徳川家康のやり方が腹黒くて敵キャラっぽいのも原因かと思うけど、なんといっても石田三成と大谷吉継の友情あっての関ヶ原の戦いというところが人気の秘密でしょう!

 

とにもかくにも、大谷吉継の関ヶ原に賭ける思いに最後の時…全てがドラマティックで泣ける…!

 

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どういった経緯で関ヶ原の戦いは起こった?

 

豊臣秀吉が死去して2年後の1600年…

 

 

上杉景勝が謀反を企んでるって噂がありますが?

言い訳聞いてあげるから会いに来い!


 

 

謀反なんて考えてませんが?


 

 

そうそう。

誰かさんと違ってウチの殿は清廉潔白です。


 

 

謝りに来ないという事は逆心アリ!

日本平和を守るために上杉をやっつけに行ってきます!


 

 

家康が上杉の本拠地東北へ向かった!

今がチャンス!豊臣家の本拠地大坂を押え、家康を倒すべく行動を開始だ!


 

・・・・・・

 

 

三成が大坂で挙兵しただと?!

上杉と戦してる場合じゃない!引き返すぞ!


 

・・・・・・

 

 

家康がこっちへ戻ってきたとな!

関ヶ原にてスタンバイ!天下分け目の大戦だっ!!


 

・・・・・・

 

こうして勃発したのが関ヶ原の戦いであります。

(ざっくり。関ケ原の戦い勃発までの詳しい経緯は記事下にリンクをはっております。)

 

大谷吉継、三成ほど徳川家康を敵視していなかった

 

大谷吉継は関ケ原の戦いで石田三成と共に西軍の武将として戦うのですが、実はその前には家康に従って上杉征伐に加わる予定でした。

 

これだけ聞くと、大谷吉継は石田三成側の人間じゃないの?なんで家康の味方するの?と思っちゃいますが、

 

上杉征伐は『豊臣秀頼に仕える徳川家康が、豊臣家に対して謀反を企んでる上杉景勝に制裁を加える』という体の戦なので、大谷吉継はあくまで豊臣家の家臣として家康に従っていたのであります。

 

とはいっても、上杉家が謀反を企んでいないのは大谷吉継もわかっていました。

 

 

こんなの上杉があまりにも可哀そうだ。

なんとか平和的に解決できないものだろうか…。


 

大谷吉継はきっとこのような思いを胸に、会津を目指して自領の敦賀を出立…

 

しかし、美濃の垂井という場所に着いたところで石田三成の使者から『佐和山城へ来るように』と連絡を受けました。

 

そして佐和山城へ来た大谷吉継は…

 

 

徳川家康は自らが天下人となる為に豊臣を潰す気だ。

私は家康を討とうと思っている。協力して欲しい。


 

石田三成から打倒家康の話を持ち掛けられたのであります。

 

 

無理。家康は250万石の大大名だぞ?

家臣からの信頼は厚く徳川の団結力は強いし人望もある。

 

三成は家康に勝てるところが何ひとつない。

勝負したところで負けは目に見えている。


 

 

だから協力してほしいのだ。

 

お前は他の大名達からの信頼も厚いし人望がある。

毛利や長宗我部をこちらの味方につける事ができる。


 

 

私が協力したところで厳しい現状は変わらない。

敵があまりにも強大すぎるのだ、考え直してくれ。


 

 

いや!

豊臣家を守る為にも必ず家康に勝たねばいかんのだ!


 

 

あまりにも無謀。冷静になって。


 

大谷吉継は何度も無謀だと止めましたが、石田三成は戦うといって聞きませんでした。

 

自分達の主君である豊臣秀吉も、かつては織田家を乗っ取る形で天下人への道を切り開いた…

 

徳川家康がまさに今、同じような事をして天下を欲しているわけであります。

 

大谷吉継は、これが世の流れであるならそれは仕方ない…という考えだったのかもしれません。

 

しかし、石田三成の決意は固い。

絶対的に折れない。

 

ので、

 

 

止まる気なさそうね。

わかった、やってやろうじゃないのさ。

 

三成とは昔からの友情、命を捨ててもいいと思えるほどの恩がある。
三成を死なすわけにはいかない、私が全力でサポートする!!


 

石田三成の気持ちに応え、ついに大谷吉継は協力する事を決めたのであります。

 

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才能アリ!策略家、大谷吉継の本領発揮!

 

 

敵は日本最強、こちら同様に策を講じてくるだろう。

戦をするからには誰よりも一番に命を投げ捨てる覚悟で戦に挑め。

三成に足りないのは勇気だ。

 

そして三成はちと、傲慢な態度が目立ち人を不愉快にさせてしまう事があるようだ。それゆえ陰口を叩かれる事もある。

 

そういったのもあり三成は人望がないから表に立たず、参謀役として裏で動くように。

 

事を成すには人気が無ければ難しいからね。

毛利輝元や宇喜多秀家を上に立てれば良いだろう。


 

大谷吉継は沢山アドバイスをしました。

かなり厳しい意見もありますが、これも石田三成を思っての事…。

 

そしてアドバイス通り、西軍の総大将には毛利輝元を立て、

 

『秀吉様の御恩に報いる為、豊臣家の為、我々と共に家康と戦おう!』

 

と大名達に協力を呼び掛ける書状には石田三成の名は出さず、長束正家・増田長盛・前田玄以の三奉行の署名を添えました。

 

そして戦を有利に運ぶため、大谷吉継は策を用いて大きな戦力を持つ前田利長の動きを封じる事に成功しております。

※前田利長は前田利家の跡継ぎで東軍に与していた。大谷吉継は加賀・越前の大名達を西軍の味方につける事に成功、前田利長は周囲が敵だらけの状態となった。
そして『大谷吉継が加賀に向けて兵を送った』『上杉が越後を制圧して加賀を狙っている』などと偽情報を流して前田利長を混乱させた。前田利長はこの情報を信じて加賀にとどまる事となった。

 

 

関ヶ原の戦いで吉継は軍師、策略家としての才能を発揮したね!


 

大谷吉継の力添えもあり、石田三成率いる西軍には毛利輝元、宇喜多秀家、小西行長、島津義弘、長宗我部盛親、安国寺恵瓊、小早川秀秋・・・などのそうそうたるメンバーが集結しました。

 

とはいっても、徳川家康も全国の大名達にコンタクトをとっているのは間違いない。

 

戦に勝つには嘘や裏切りは当たり前のようにあるもの…、味方だからといって安心できないのは大谷吉継も十分承知していました。

 

 

(特に小早川は不安要素しかない。さしたる経験も判断力もないお坊ちゃま、なのに戦力はトップクラスというのが危険すぎる…。)


 

~小早川秀秋の関ヶ原事情~

小早川家は西軍の総大将を務める毛利氏の分家。流れ的には当然、西軍の味方につくことになる。
西軍が勝利すれば秀頼が15歳になるまでの間、秀秋を関白(事実上の天下人の地位)の職に就かせてくれると石田三成が約束した。これはなんとも魅力的な恩賞。
でも小早川秀秋は朝鮮出兵の時に勝手な行動をして、石田三成にチクられて秀吉に説教された・・・なんて恨みもある。
小早川秀秋が慕う、北政所(秀吉の正室)は家康の味方に付いた

 

このような事情や葛藤があり小早川秀秋は揺れていたのです。

 

というか、こんな事情がどうこういうより、シンプルに『どちらが勝つのか?どちらにつけば自分は生き残れるのか?』で揺れていたと思われます。

 

大谷吉継は小早川の裏切りを予感し、万が一の時にはその抑えとなれるように小早川の隣に布陣しておりました。

 

大谷吉継,石田三成,関ヶ原,最後

 

そして関ヶ原の戦いが始まると、しばらくの間は両者互角の戦いが繰り広げられていたといいます。

 

が、小早川の裏切りで戦況が一変、西軍は総崩れとなりました。

 

関ヶ原の戦い後に集結した兵は西軍・8万2000、東軍・7万4000。(※兵の数は諸説アリ)

この西軍8万2000のうち、小早川の軍は1万5000もの兵を率いていました。

 

一方、小早川の隣に布陣していた大谷吉継の兵はわずか2000ほど。

 

小早川秀秋の15000の大軍と、その裏切りに呼応した西軍の兵4500が一気に大谷吉継の軍勢目掛けて攻め込んできたのです。

 

大谷吉継は指揮をとり、二度も小早川の大軍を押し返すほどに奮戦したといいます。

 

しかし、小早川の裏切りは西軍全体を混乱させていき、ついに主力であった宇喜多秀家、そして石田三成や小西行長らの軍勢も壊滅に追い込まれてしまいました。

 

 

もはやこれまで、私は腹を切る。

この首は敵に見つからないよう、土に埋めてくれ。


 

戦況を見届け、負けを悟った大谷吉継は裏切者の小早川秀秋に対し…

 

 

人面獣心なり。

三年の間に祟りをなさん。

 

(人の顔していても心はそうではない。小早川、お前の事を呪ってやるからな。)


 

という恨み節を残して切腹。

関ヶ原の地で42歳の生涯を終えたのでした。

 

 

大谷吉継は関ヶ原の頃には病気がかなり悪化し、歩くのも困難で目も不自由な状態だったといいます。

 

そんな状態でも三成の為、勝利の為に策を練り奔走。

 

病で崩れた顔を布で覆い、竹輿に乗り関ヶ原の地に出陣し最後まで戦い抜きました。

 

大谷吉継の義、石田三成との友情、壮絶な最後…

関ヶ原の戦いには壮大なドラマがある…!

 

 

吉継の性格、人柄の良さ、才覚、魅力…

全てが関ヶ原一連のエピソードにつまっておるな。


大谷吉継切腹、その後の首の行方についての逸話

 

大谷吉継の切腹、介錯をしたのは家臣の湯浅五助と言われております。

 

切腹後、湯浅五助はその首を遺言どおり人目のつかない場所に埋めるのですが、運悪く東軍の藤堂高刑(とうどうたかのり)に見つかってしまいます。

 

そこで湯浅五助は…

 

湯浅五助

 

私の首を差し出すので、この事は誰にも言わないでいただきたい。

我が主の首を敵に晒されたくないのです。


 

こう懇願し、

 

藤堂高刑

 

自分の命と引き換えに主君の名誉を守るとはなんとも天晴な武士。

約束は必ず守るぞ。


 

藤堂高刑もそれに応じて、大谷吉継の首を奪うことなくその場を去りました。

 

その後、湯浅五助の首は徳川家康に届けられるのですが…

 

 

こやつは大谷吉継の家臣だな?

主の首の在り処を知っていたはずだが、聞いていないのか?

 

調べはついてるんじゃないの?教えてよ~。


 

藤堂高刑

 

家康様であろうと言えません。

男と男の約束なので!


 

藤堂高刑は五助との約束を守り、大谷吉継の首の在処を言いませんでした。

 

これには家康も激怒…

 

と思いきや、

 

 

大谷吉継の首を差し出せば大手柄となるのに…

お前らの漢気に感動した…!!


 

徳川家康はそれ以上は追求せず、藤堂高刑の誠実さを褒めたたえて褒美まで与えたのでした。

 

そして後日、この話を聞いた藤堂高虎は大谷吉継らを敬い、関ヶ原の地にお墓を建てました。

 

『敗北した西軍は悪』という風潮がある時にわざわざ関ヶ原の地にお墓を立てているところをみると、大谷吉継と藤堂高虎の関係は悪いものではなかったのでしょう。

もともと同じ豊臣家の家臣だし。

 

藤堂高虎のこの行動を批判する者は誰もいなかったそうです。

 

大谷吉継に呪われてしまった?小早川秀秋の悲しい最後

 

 

人面獣心なり 三年の間に祟りをなさん


 

大谷吉継に呪いをかけられた小早川秀秋・・・

 

その呪い通り、小早川秀秋は関ヶ原の戦いからわずか2年後に21歳という若さでこの世を去ってしまいました。

 

ちなみに小早川秀秋は関ヶ原の戦いの後、囚われの身となった石田三成が気になって見に行った時に

 

 

この裏切者の恥知らずがァァ――!!!!!!


 

と怒鳴られ、何も言えずその場から逃げ去った。なんてエピソードもあります。

 

小早川秀秋は勝者側の人間となり、備前岡山に51万石を領する大名となったのですが、ウキウキする気持ちにはなれず

 

 

自分のせいで人が死に、多くの人に恨まれてる…


 

という罪の意識にさいなまれていたといいます。

 

大谷吉継を切腹に追い込んだのも小早川、

石田三成を処刑に追い込んだのも小早川、

西軍が負ける決定打を作ったのも小早川、

 

若干二十歳、苦労知らずのお坊ちゃまにはかなり荷が重かったようで、大谷吉継と石田三成の亡霊に悩まされ発狂して死んだなんて説もあります。

 

他に考えられている死因には、もともとかなりの酒飲みで肝臓の病気で死去した。とか、暗殺された。とかもあるそうです。

 

酒で体がボロボロになっていたところにストレス・不安・鬱などでメンタルを病んでしまって余計に体調を崩し、

 

そして嫌な事忘れる為にますますお酒も飲んじゃうし、心身共にボロボロになって倒れてしまった。

 

…といったところが死因としては妥当なところでしょうかね??

 

 

その程度でメンタルやられるとか戦国時代向いてないから!

裏切るような大胆な事せず、いう事聞いて西軍の為に動いとけやー!


 

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