織田家が誇る猛将、柴田勝家!信長時代の人間臭くて熱い生き様が素敵!

織田家が誇る猛将、柴田勝家!信長時代の人間臭くて熱い生き様が素敵!

柴田勝家は織田家筆頭家老にして最強の猛将!


数々の戦に参陣し、織田家家臣の中でも抜きんでた武功をあげてきたといわれているの。

 

ここでは勝家が信長の下でどんな活躍をしていたのか、勝家の人生でどんな事件があったのか…なんかを解説しているわよ〜っ!

 

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柴田勝家は信長の父の代からの織田家家臣!

 

柴田勝家は1522年生まれで尾張愛知県出身…といわれているけど出自はあやふやで、確証はないらしいです。

 

 

この生年月日が正しいのであれば、年齢は信長様の12歳年上!


 

信長の直臣になる前は、織田信秀(信長の父)に仕え、信秀の死後は織田信行(信長の弟)の家老として活躍しておりました。

※家老(かろう)…家臣団のトップにある者。

 

そして柴田勝家は『鬼柴田』なんて異名をもつほど武勇に誉れ高い武将であり、萱津の戦いでは大将格の扱いで参陣し、一人で30騎を討ち取る武功をあげたといわれております。

※萱津(かやづ)の戦い…信秀の死後、織田家の跡継ぎ争いがもとで起こった織田一族同士の戦。

 

柴田勝家、実は織田信長の敵だった!

 

織田信秀の死後、信長が織田家当主となったわけですが、一部の家臣達はうつけの信長より、常識人の信行のほうが当主に相応しいと信行を支持しておりました。

 

父の葬式の時、ワシは遅刻したうえに抹香を位牌に投げつけるといううつけっぷり。

一方、弟はキチっと正装して葬式に出席…。そりゃそーなるわな。


 

信行の家臣だった柴田勝家ももちろん、信行を支持。

 

そして信行を織田家当主にすべく、林秀貞らとともに信長をやっちまおうと謀反を計画したのでした。

 

こうして起こったのが1556年の稲生(いなお)の戦いです。

 

この戦は信長軍700VS信行軍7000(1700とも)と凄まじい兵力差があったですが、信長軍は不屈の闘志で信行軍を撃破し、見事勝利を収めました。

 

この後、信行は母・土田御前に信長との仲をとりもってもらい謀反の罪を許されました。

 

柴田勝家も剃髪し、信長に謝罪。信行ともども信長に忠誠を誓ったのであります。

 

 

ワシはここで心を入れ替え、信長様を当主と認めたのである。戦は強いし家臣達を束ねるカリスマ性も十分!


 

しかし、信行は反省することなく、まだ信長にとって代わろうと目論んでおりました。

 

稲生の戦いの1年後には、再び信長を倒すべく家臣達と計画を立てていたのです。

 

 

せっかく信長様は我々を許してくれたんだから、もうやめましょうよ。


 

織田信行

 

うるさい!私の家臣なら私の味方をせんかい!


 

勝家は信行を諫めたのですが、信行は全く聞き入れてくれませんでした。

 

 

困ったなぁ。今は戦乱の世、一族で争っている場合じゃないのに。


 

なんて勝家が頭を悩ませていた時、

 

織田信行

 

勝家の野郎、兄貴の肩持ちやがってムカツクぜ。


 

信行はうっぷんを晴らすために正月、祝いの席で皆に膳をふるまった時に柴田勝家だけ仲間外れにするという嫌がらせをしました。

 

 

ハミられた…なんたる屈辱ゥ(´;ω;)!!


 

怒った勝家はついに、信行が謀反を企んでいる事を信長に報告したのでした。

 

そしてもちろん、信長はこれを聞いて大激怒。

 

 

お兄ちゃん病気になっちゃった…。お見舞いに来て?


 

と信行を居城に呼び寄せ、サクっと信行を殺害しちゃいました。

 

ちなみに、この信行暗殺計画は柴田勝家の協力もあったといいます。

 

織田信行

 

兄貴が病気って言ってるけどホンマかな?


 

 

ホンマやろ。弱ってるところを上手く言いくるめ『信行に家督を譲る』とでも一筆かかせちゃいましょう。


 

こんな事を言い、信行の背中を押していたという…。

 

なにはともあれ、織田信長は柴田勝家のおかげで簡単に危機を回避する事ができたのでした。

 

こうして織田信長の直臣となった柴田勝家は、生涯信長一筋で誠心誠意仕え、織田家家臣団のトップに上り詰めていくのであります。

 

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勝家の男気が爆発。『瓶割り柴田』のエピソードが熱い!

 

柴田勝家を語る時にはずせないのが、なんといっても『瓶割り柴田』のエピソードであります!

 

1570年…

織田信長は近江方面の敵と戦をするにあたり、近江・長光寺城に柴田勝家を配置しました。

 

そしてその長光寺城に攻め入ってきたのが六角義堅(ろっかくよしかた)、この2年前に織田信長に戦で敗北していた近江の大名です。

 

兵力だけなら六角軍が俄然有利、しかし柴田勝家の守りは固い。

 

正面から戦っても勝てないとみた六角義堅は、柴田軍が利用する水路を断って城兵を渇死させる作戦にでました。

 

そしてその作戦は功を成し、柴田軍の兵士たちは水不足に苦しみ日を追うごとに体力を失っていきます。

 

気づけば城内に残る飲水は瓶三つのみ。恵みの雨も全く降らず、もはやこれまでという状況に…。

 

いよいよ覚悟を決めた勝家は城兵を集め、水の入った瓶を前にこう言いました。

 

 

このままでは皆、水に渇いて死んでしまうだろう。ならばいっそ、ワシは討ち死に覚悟で打って出ようと思っている。

 

しかし強制はしない。愛する家族のもとへ帰りたい奴は城を出ていけばいい、恨んだりなどせんぞ。

 

ワシと共に戦ってくれる者があれば、この水瓶の前へ来い。好きなだけ水を飲ませてやる。

 

これまでの渇きを癒し、思う存分戦おうではないか!


 

この勝家の覚悟を聞き、兵達は奮い立ちます。

 

 

望むところっ!このまま野垂れ死ぬぐらいなら、たくさん水飲んで討ち死にする方がいいに決まってます!


 

逃げ出す者は一人もおらず、兵達はみな水瓶の前に集まりました。

 

そして勝家は残っていた水を全て兵達に飲ますと、水の入っていた瓶を全て割ってしまいます。

 

 

討ち死にすると決めたからには、もうこの水瓶を使う事はない!


 

人生最後の水分補給で気合い十分、凄まじい覚悟を決めた兵達は一斉に城外へ打って出ました。

 

六角義堅

 

干からびてたんとちゃうんか?!まさかこのタイミングで出てくるとは!


 

 

こっちは後がないんじゃ!!てめぇらとは覚悟が違うぞオラー!!


 

勝ち戦モードだった六角軍は、柴田軍がこれほどまでに勇んで突撃してくるとは思っていなかったので慌てふためき大混乱。

 

結果、柴田軍は800もの敵首をあげるという大勝利を飾ったのであります。

 

 

なかばヤケクソっぽくもあるけど結果オーライ!この後、ワシは『瓶割り柴田』なんて呼ばれるようになったのだ。


 

北陸方面のリーダーとなった柴田勝家!

 

瓶割り柴田の一件から5年後の1575年…、

 

織田信長は越前・一向一揆をひとまず平定、それにともない柴田勝家は越前・北庄城に49万石を与えられ北陸方面のリーダーとなりました。

 

 

前田利家や佐々成政らが私の部下になったぞ。


 

その後は北陸メンバーを従え、加賀を制圧する為に近辺にのさばる一向門徒達と戦をしておりました。

 

一揆の中心人物らの首を塩漬けにして信長に送ったなんてエピソードもあるみたいです。

 

そして1577年には加賀に攻め入ってきた上杉謙信とも戦っております。(手取り川の戦い)

 

 

加賀は見事無事に制圧!上杉謙信にはボロクソにやられて敗北したけど。


 

怖〜い織田信長を論破しちゃう柴田勝家。でもチョイとズレてる?

 

織田家家臣団のトップにあって、戦働きでも十分にキャリアがある柴田勝家…。

 

それなのに、とある戦で先陣の大将を命じられた時はなぜかそれを頑なに拒否しました。

 

 

何度も言いますが、大将だけは勘弁してください。


 

 

我儘はダメ!もう勝家が大将って決定してるの!


 

結局、信長の命令は絶対なので柴田勝家はしぶしぶ承諾しました。

 

そしてこの会見を終えた勝家は安土城を後にするのですが、ちょうど城を出たところで一人の武士が勝家にぶつかってきました。

 

 

無礼であるぞっ!!


 

勝家は問答無用でその武士を斬り捨ててしまいました。

 

この事はもちろん信長の耳に入ることとなります。

 

 

無礼討ちとな?!どういうつもりだ!


 

 

人に命令する立場にある大将は、無礼討ちするほどの威厳がなくては務まらないでしょう?

 

だからワシは大将なんか務めたくないと何度も言ったのです。


 

 

なるほど。


 

信長はこの勝家の言い分に納得し、勝家を罪に問わなかったという…。

(そんなささいな事で人を手討ちにしなくても、自分の振舞い次第で威厳のある大将になれると思うのですがね。)

 

なんにせよ無能な人に厳しかったり、歯向かう者は容赦しなかったりと、家臣的には非常に接しづらいであろう織田信長にこんな事言えちゃうのは、それだけ信頼関係があったという事なんでしょうね。

 

 

よく考えると人様のテリトリーで殺人事件起こしといて、謝罪しないうえに反論するなんて相当ヒドイぞ…。


 

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おまけ!ルイス・フロイスの柴田勝家評価

 

宣教師ルイス・フロイスは柴田勝家の事を

 

信長の重立ちたる将軍二人中の一人
勇猛な武将であり、一生を軍事に費やした人
信長の時代でもっとも勇猛な武将

 

こう記録に残しております。

『信長の時代でもっとも勇猛な武将』…絶賛されてますね〜!

 

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