波乱万丈な真田幸村の青年時代をゆるりと解説!
真田幸村といえば『最強!』『戦国時代の英雄!』『戦上手!』
…といったイメージがあるけど、実は幸村が活躍したと分かっている戦って関ヶ原の戦い(第二次上田合戦)と大坂の陣、この二つぐらい。
『日本一の兵』なんて呼ばれるほど凄い武将なのに、意外と実績は少ない…!
意外にも若かりし頃の活躍は謎だらけ。
真田幸村は一体、どんな人生を歩んできたお方なのでしょう…??
今回はひとまず戦関係のエピソードはおいといて、真田幸村の生い立ちや人生のターニングポイントとなった『犬伏の別れ』をゆるりと解説しているわよ~っ!
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真田幸村ってどんな人??
真田幸村は真田昌幸の次男。
父・昌幸が武田信玄の家臣として活躍していた時代に生まれました。
時々、ゲームやアニメなんかで真田幸村は武田信玄の家臣みたいな描き方をされる事があるけど、実は幸村が6歳の頃に信玄は死去しているので、幸村自身は信玄に仕えていたわけじゃなかったりします。
そして真田幸村は領地を治めた記録もナシ。
その為、XX石の大名!といった肩書もないし、内政面での働きもまったくもって未知数です。
人質生活が長かったし、歴史の表舞台に出てこれるようなポジションにいなかったんだよね。
実は知名度の割に大身の武将じゃないのだ。
若かりし頃の幸村については記録があまり残ってないみたいで、
どのような仕事をしていたのか?
戦では活躍したか?
どんな功績を残しているのか?
といった事は謎に包まれているようです。
初陣についても『1590年の小田原攻めが幸村の初陣。多分、多分ね。』くらいのぼんやりした情報しかないという…。
幸村が歴史に名を残す活躍をしたのは、ホントに最後の最後なんだよね。
昌幸パパに振り回されがち?な幸村の人質時代①
1582年は武田家滅亡…本能寺の変…と、立て続けに大事件が起こり、真田家的に超大変な年でした。
けれども幸村の父・昌幸は怒涛の処世術で武田家滅亡→織田家→上杉家→北条家→徳川家と主君を何度も変えて生き残る&どさくさに紛れて勢力を拡大させ大名として独立するという偉業を成し遂げます。
しかも↑これ、半年の間の出来事。幸村のパパ、凄い人でしょ?
最終的に徳川家の傘下に入り、ひとまず落ち着いていた真田家ですが
真田の領地・沼田を北条に譲ってやってくれ。徳川と北条の友好の為にひとつ頼むよ。
嫌!真田の思い出の土地を簡単にやれるかっつうの!
お願い。ね?ね?お願い。ね?お願い。
(しつこい!もう徳川とは無理!)
こんな事があったので、真田昌幸はわずか2年で徳川家康のもとを去ったのであります。
そして真田昌幸が次に頼ったのが越後の大名・上杉景勝でした。
当時19歳だった真田幸村は、忠節の証として上杉景勝の人質に送られる事になります。
よろしくお願いいたします(`・ω・´)キラッ☆
(なんとも賢そうな子!この子、只者じゃないっ…!)
上杉景勝は幸村の非凡なる才能を見抜き、人質に与えるには高禄である1000貫の知行を与え、家臣同然の扱いで上杉家に迎え入れたのでした。
とはいっても、バリバリ戦で活躍するような働きはしていなかったようで、あくまで人質という立場で上杉家家臣に従い活動していたとの事です。
幸村はこの時点で初陣はおろか、元服すらしていなかったのだ。人質ってなんだかんだ不憫…。
昌幸パパに振り回されがち?な幸村の人質時代②
上杉家で丁重に迎えられ日々を過ごしていた真田幸村ですが、翌年には上杉景勝の留守中に父・昌幸に呼び出され、そのまま大阪へ送られ豊臣秀吉の人質になっております。
この時の秀吉は天下人直前。秀吉の直臣になる事で真田家の格は上がるし、より安泰!
もちろん、何も知らなかった上杉景勝は激怒。
聞いてない!幸村を返して下さい!
と豊臣秀吉に交渉するも聞き入れてもらえず泣き寝入りする事に…。
薄情と思われても関係ないね。これも全ては真田家の為なのだ。
そして人質とはいえど、幸村はここでも秀吉に気に入られ丁重に迎え入れてもらっていたみたいです。
秀吉様の小姓となり、大坂城に出仕していたのである!
この時代の幸村の詳しい働きは不明なようですが、後に秀吉から豊臣姓を与えられたり、豊臣家の有能な官僚である大谷吉継の娘・竹林院を娶っている事から、秀吉はかなり幸村の事を評価し、お気に入りの武将として優遇していたのは間違いないでしょう。
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真田家の戦国事情!秀吉の死後、幸村は豊臣家、信之は徳川家に
1598年、豊臣秀吉が死去。
その2年後、徳川家康は天下取りに邪魔な有力大名を潰す為に
上杉景勝が謀反を企んでる!豊臣家を守る為に上杉をやっつけに行ってきます!
と、大義を掲げて挙兵します。
この時、家康と同じ関東チームであった真田昌幸・幸村親子は、家康に従って上杉攻めに加わる事になっておりました。
真田親子は兵を整え上田城を出立、そして下野の犬伏という地にひとまず陣を構えるのですが、ここで思わぬ出来事が起こります。
このタイミングで石田三成から密書が届いた!家康討つの協力してくれって!
えらいこっちゃで!兄さん呼んで緊急会議や!
昌幸・幸村親子はすぐさま犬伏の地に幸村の兄・信之を呼び寄せました。
ここまで名前すら出しませんでしたが、幸村の兄・信之は本田忠勝の娘を娶っており、完全に徳川家寄りの立場にありました。
※本多忠勝・・・家康の家臣。徳川四天王の一人という重鎮。
一方、幸村は秀吉の側近・大谷吉継の娘婿にあり、豊臣姓を与えられているほどのゴリゴリの豊臣側の人間です。
どっちが勝つの?真田家が生き残るには誰につけばいいの?!
真田信之
ワシの立場からすると徳川に味方したいのだが・・・。
幸村は豊臣家に恩があるし、三成殿に味方する!
秀吉様の死後、家康の暴走は目に余るものがあった。どちらが悪かは一目瞭然!
それぞれ事情があり、真田家の立ち位置は超複雑。
どちらの味方に付くか、親子は相当悩み、揉めに揉めくったそうです。
そして悩みぬいた結果・・・
真田信之
ワシは徳川家康に味方する!
パパと幸村は石田三成に味方する!
これならどっちが勝っても、真田家は生き残る事ができる!
家族の別れは辛いが、真田家の為にはこれが一番の選択!
真田信之
勝った方は負けた方の命乞いをする事もできるしね!
真田親子は家族バラバラになってでも、真田家を守る道を選んだのでした。
その後、信之と別れた昌幸・幸村親子は真田の本拠地・上田城へ帰還。
そしてこの約一ヵ月半後、徳川秀忠率いる3万8000もの大軍が真田昌幸・幸村親子の籠る上田城を包囲する事になるのであります…!
この戦は第二次上田合戦と呼ばれているぞ!
関ヶ原の戦いの前夜戦みたいなものだね。
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