毛虫の兜が素敵!伊達家最強、伊達成実をゆるりと楽しく解説!

毛虫の兜が素敵!伊達家最強、伊達成実をゆるりと楽しく解説!

伊達家No1の猛将!伊達成実をゆるりと楽しく解説!

伊達成実,伊達政宗,ムカデじゃないよ,毛虫だよ

生涯 1568年〜1646年
出身 陸奥(福島県)
全盛期 安達郡(うち三十三郷)3万8000石
主君 伊達輝宗、伊達政宗、伊達忠宗
有名な親族・家臣 伊達稙宗(祖父)、実元(父)、輝宗(叔父)、政宗(従兄弟)
思い出の戦 小手森城の戦い、人取り橋の戦い、郡山の戦い、白石城の戦い
伊達成実といえば 伊達の双璧、伊達政宗の従兄弟、毛虫の兜

 

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伊達政宗の頼れる家臣、伊達成実!

 

武勇の伊達成実!知略の片倉小十郎!

伊達政宗の歴史に欠かせない彼らは、二人合わせて『伊達の双璧』なんて呼ばれているわね。


 

伊達成実は『英毅大略アリ 勇武無双』なんて評価をされている人物で、戦には必要不可欠だった伊達家No1の猛将だったの。

 

そして戦場に伝わる成実の姿はとにかく熱くてカッコイイ&性格もかなり強気で男勝り!女子はきっとメロメロになるわね〜!

 

なんだか凄い血統の伊達成実

 

伊達成実は伊達政宗の家臣であり、従兄弟でもあり、叔父従兄弟でもあるという、伊達家の血がとても濃い〜人物!

 

父は伊達政宗の祖父・伊達晴宗の弟、

母は伊達政宗の祖父・伊達晴宗の娘という、ちょっと現代では考えられない怪しい婚姻関係の元に生まれたのが伊達成実です。笑

 

 

政宗のおじいちゃんは自分の弟に自分の娘を嫁がせたという事ね。狂気だわ〜。


 

そんな伊達成実、年齢も伊達政宗のひとつ下と同世代でした。

5歳の頃から政宗の側に近仕していたとの事で、家臣というよりかは兄弟のような存在だったように思います。

 

そして成実は伊達家随一の猛将といわれるほど武勇に優れた人物であり、伊達政宗が経験した戦にはほぼ全て参加しているとのこと。

 

 

成実はTHE・武士といった熱い男なのだ。戦場でのエピソードを聞くと惚れるぞ?


 

戦場の伊達成実が男気全開!小手森城攻めで成実は…

 

1585年…

奥州統一に乗り出したばかりの頃、政宗は伊達家を離反した裏切り者・大内貞綱の籠る小手森城を攻めました。

 

大内貞綱は蘆名・佐竹連合軍の援軍2万3000を後ろ盾に籠城、小手森城の敵は伊達軍がいくら挑発をしても城外へでてくる事はありませんでした。

 

 

小手森城だけならまだしも、蘆名・佐竹の大軍が控えてるから思うように攻め込めない(´・ω・`)イラッ


 

どうしたもんかと政宗が困り果てている時、この突破口を開いたのが伊達成実でした。

 

 

援軍の動きを止めればいいのだ!成実が小手森城と援軍の通路を遮断してきますっ!!


 

伊達成実はわずか500の兵を連れ、素早く小手森城と蘆名・佐竹連合軍の間に立ちふさがりました。

 

 

全力で食い止めたらァ!!


 

 

ひえっ。成実殿は死ぬ気か!?


 

この成実の大胆な行動にびっくり&焦った片倉小十郎らの伊達家家臣達は、すぐに兵を率いて伊達成実の左右に布陣しました。

 

そして伊達軍がこの場所を陣取ったおかげで、伊達軍は救援にかけつけてくれた田村氏(政宗の正室の実家)の軍勢とスムーズに連携がとる事ができました。

 

これによって小手森城の大内貞綱は蘆名・佐竹連合軍と連携がとれずに孤立。政宗は無事に小手森城を落とす事ができたのであります。

 

 

この時、成実はまだ18歳。イケメンすぎてゴメン。


 

男気全開な伊達成実!人取り橋の戦いで成実は…

 

小手森城攻めの翌年…

蘆名・佐竹氏らを中心に奥州の諸将達が連合軍を組み、期待の新人大名である伊達政宗を潰しにかかりました。

 

連合軍は総勢3万、対する伊達軍はわずか7500ほど。

 

伊達成実はこの時、兵500騎をもって敵に備えていたのですが、味方武将が敵に寝返ったために襲撃を受け、300もの兵を失ってしまいました。

 

さらにここに敵の大軍が押し寄せてくるというので、味方の武将達はひとまず撤退するように成実に進言しました。

 

が、

 

 

退かない!

例え味方が敗れ去ろうとも、成実だけはこの敗北の汚名を返上すべく最後まで戦い抜く!


 

成実はこんな熱いセリフを放ち、果敢に敵に立ち向かっていったのであります。

 

この成実の姿に味方の武将も奮い立ち、伊達軍は敵の大軍を押し返すほどに奮戦してこの窮地を切り抜けたのでした。

 

 

人取り橋の戦いは、政宗自身も鎧に銃弾5発&矢を一筋食らうほどにヤバかった戦なのだ。


 

そしてこの後、二本松城を攻略した政宗はこの城を成実に与え、成実は19歳にして3万8000石を領する身分となりました。

 

また、伊達軍600VS蘆名・佐竹連合軍4000という兵力差で挑む事となった郡山の戦いでは、片倉小十郎とともに先陣を務めて見事に勝利を収めております。

 

 

政宗が奥州の覇者となったのも成実の戦働きがあってこそ!


 

といっても過言ではないくらい、伊達成実は戦場でとても頼りになる無二唯一の存在だったのであります。

 

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伊達成実のもふもふの毛虫の兜が可愛い

 

伊達成実,伊達政宗,ムカデじゃないよ,毛虫だよ

※イメージ。現存してある兜を参考に描いてます。

 

そんな伊達成実の兜の前立てには、毛虫をデザインしたもふもふがついております。

 

毛虫は決して後退することなく前へ進み続ける生き物。この毛虫の前立てには

 

 

一歩も引かずに戦う!前進あるのみ!


 

といった成実の熱い闘志が込められているのであります。

 

 

ッフゥ〜ッ!カッコイイ!オシャレかどうかはさておき。


 

もしかして脳筋?伊達成実は強者と戦う事を恐れない

 

1590年、豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして関東の北条攻めを決行します。

 

この時、伊達政宗の元にも

 

 

北条攻めに参加しておくれ。


 

と秀吉から要請があったのですが、まだまだやんちゃ盛りの伊達政宗はこれを無視。

 

 

農民あがりの秀吉のいう事なんて聞いてられるかっつぅの。


 

こんな感じで余裕ぶっこいていた政宗なのですが、秀吉は政宗が思っていたよりも早く、総勢22万というフルパワーで北条攻めを開始しました。

 

さすがに焦った政宗、伊達家の重臣たちによる緊急会議が行われます。

 

 

やばくない?今からでも秀吉の元へ行くべきじゃない?


 

 

今更謝っても手遅れでしょ。首斬られて終わり、どうせ許してもらえないなら秀吉と戦いましょう!


 

伊達成実は迷わずこう進言しました。

 

猪突猛進タイプの伊達成実は、あまり冷静に物事を考えるような事はしなかった模様。

 

成実のやる気モードに他の武将達も戦う意思を見せましたが、ここは片倉小十郎の冷静なアドバイスにより秀吉に降る事に決めます。

 

この後、伊達政宗は急いで秀吉に臣従の意を示す為に小田原へ向かうのですが、伊達成実は

 

 

殿にもしもの事があれば秀吉と一戦かわしたらァ!!


 

とギラギラしながら会津若松城でお留守番をしていたそうです。

 

ちなみに伊達成実は戦においても力任せなところがあったようで、成実の立てる作戦は却下される事が多かったそうな。

 

 

冷静沈着&頭脳派の片倉小十郎がいなければ伊達家は滅んでいたかもね。


 

 

成実と小十郎のベストマッチ感よ。


伊達成実という男のカリスマ性が政宗のピンチを救う!

 

秀吉の天下統一が成った後、奥州の葛西・大崎の地で一揆が起こりました。

 

一揆の首謀者は伊達政宗。

奥州仕置きで会津を奪われた腹いせに、同じく奥州仕置きで葛西・大崎の地を奪われた人々を煽って一揆を起こさせたのです。

 

この一揆の鎮圧を命じられていた蒲生氏郷(政宗の後に会津に入った)は政宗の事をめちゃくちゃ警戒し、一触即発という状況にありました。

 

 

違うんです誤解なんですよぅ。


 

蒲生氏郷

 

証拠もあがってるんだよ!とりあえず人質を出してもらおうか。話はそれからだ。


 

蒲生氏郷は伊達家から人質を出すよう要求、ここで蒲生氏郷のもとへ向かったのが伊達成実でした。

 

 

どうも、伊達成実です。私が人質になるんで殿の事信じてあげてくださいねっ。


 

蒲生氏郷

 

(彼は片倉小十郎と並ぶ伊達家のエース!人質の役目を果たすには十分すぎるほどの人物…!)


 

蒲生氏郷はひとまず伊達政宗への誤解は解けたものとし、ご苦労であったと成実に鎧と脇差を与えて解放したのでした。

 

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ピンチの多い伊達家、その都度強気な伊達成実…

 

1595年、伊達政宗は秀次事件に連座していたと秀吉に責められ、領地を没収され四国(伊予国の宇和島)にとばされそうになります。

 

秀次事件と政宗の詳細

実子・秀頼を跡継ぎにしたい秀吉は、跡継ぎと決めていた甥の秀次が邪魔だった。そして『秀次は謀反を起こして秀頼を亡き者とするつもりだ!』と決めつけて秀次を切腹させた。

伊達政宗は豊臣秀次と歳も近く、会った時には共に鹿狩りへ行くほど親しい仲だったので、『政宗が秀次と会っていたのは謀反の計画を相談していたに違いない!』と疑われてしまった。

 

秀次が謀反を計画していた証拠もなければ、政宗がそれに関わっている証拠もない…!なんとも理不尽な展開であります。

 

 

四国とか無理ー!どうしたらいいの(´;ω;`)?!


 

この伊達家のピンチに成実は

 

 

秀吉と戦いましょう!落ちぶれて生きながらえるより、一戦交えて滅亡したほうがマシ!!


 

と、徹底抗戦するよう主張しました。

小田原攻めの時といい、かなり強気で喧嘩っ早い一面があったようです。

 

 

結局、小十郎の作戦や徳川家康のとりなしのおかげで助かったよ〜!


 

成実の突然の伊達家出奔!その時、政宗は…

 

秀次事件から約3年後の1598年…

 

伊達成実は突如として伊達家を出奔し、浪人となりました。

 

その理由は、伊達政宗が留守政景、石川義宗といったさしたる活躍のない家臣を優遇した事が許せなかったからといわれております。

 

 

俺のほうが功を立ててるのに!幼い頃から殿に仕え、一生懸命働いてきたのにヒドイ…。


 

政宗は成実が身近な存在だからこそ軽く扱ってしまっていたのかもしれません。

 

 

友達でも仲が良ければ良いほど適当になっちゃう事あるよね。


 

ともあれ、完全にふてくされてしまった成実は伊達家を出奔し、高野山へ籠ってしまいました。

 

 

成実は伊達家No1の猛将だよ?!いなくなったら困る〜(´;ω;`)


 

すぐに政宗は使者を送り、伊達家に戻ってくるように説得させました。

 

しかし、成実は応じず。

その後、政宗は日を改めて再び使者を送るのですが、その時には成実は高野山を出て行方知れずになっていました。

 

 

成実ェ…そんなに政宗が嫌いか。そうですかわかりましたよぉ…。


 

可愛さあまって憎さ百倍、伊達政宗はここからとんでもない事をやらかしてしまいます。

 

 

角田城にいる成実の妻子や家臣、全員殺せ。


 

家臣の屋代勘解由(やしろかげゆ)にこう命じて角田城を攻めさせました。

 

この時、角田城にいた妻子や家臣30人余りが籠城し、必死の抵抗の後に自害したと言われております。

 

そして徳川家康が伊達成実を召し抱えようとしていると聞くと、『奉公溝』という奥の手を使いそれを阻止しました。

※奉公構(ほうこうかまい)…前の主君の許可がないと誰にも仕官できないという、武士にとって人生終了の重い刑罰。

 

 

ざまァねぇぜ成実…(-ω-)


 

凄まじい執念で成実を地獄のドン底に突き落としていく政宗ですが、実は成実は上杉景勝に5万石でスカウトされたのを断ってまで浪人を貫いておりました。

 

 

別に沢山お給料が欲しいとか殿が憎いとかじゃないし…。わかってほしかっただけさ。


 

これを知った政宗は、自分のした事をかなり後悔したそうです。

 

 

政宗はてっきり、成実が裏切ったと思って(´;ω;)ひどい事しちゃった(´;ω;)


 

政宗と成実の間には、もはや修復不可能なレベルの深い溝ができてしまいました。

 

しかし、成実が出奔してから約2年後、片倉小十郎や留守政景が成実に伊達家に戻ってくるよう呼びかけます。

 

 

秀吉いなくなってから大変!また戦が始まりそう、戻ってきてよ。


 

 

…(´・ω・`)


 

この年、関ヶ原の戦いがあったのですが、伊達家は徳川家康の味方に付き、石田三成に味方していた上杉の抑えとして東北地方に留まっておりました。

 

そして徳川家康から

 

 

上杉攻めで手に入れた領地はそのまま伊達のものにして良いよ!


 

と言われていたので、政宗は積極的に上杉方の守る城を攻めておりました。

 

その中の白石城攻略戦の時、討って出てきた敵の勢いに圧倒され、伊達軍はピンチに陥っていました。

 

 

このままじゃ負けちゃうよー!!


 

という時、崩れかかった伊達軍の流れに逆らい敵に突撃していったのが我らが伊達成実…!

 

 

伊達家No1の勇者が帰って来たー!!


 

この成実の突撃が伊達軍の反撃のきっかけを作り一気に形勢逆転、伊達軍は無事に白石城を落とす事ができたのであります。

 

 

戻ってきちまったぜ…。


 

伊達成実、勝ち戦での鮮やかな復帰!

 

 

成実ぇぇぇ(´;ω;`)!!


 

伊達成実は懐の大きい慈悲深いお方であった…!

 

政宗は成実の伊達家復帰を誰よりも喜びました。

 

しかし、政宗は成実の妻子達を葬ってしまった事にかなり心苦しさを感じていたようで、後に屋代勘解由を伊達家から追放してしまいます。

 

 

成実の妻子の一件の実行犯はお前だし。成実が気まずいから出てってくれ(´・ω・`)


 

屋代勘解由

 

そんな理不尽な!私は殿の命令に従っただけなのに(´;ω;`)


 

この屋代勘解由に救いの手を伸べたのが、他でもない伊達成実でした。

 

 

妻子の事は屋代殿が悪いわけじゃないしね。


 

成実は行き場をなくした屋代勘解由とその妻子を手厚く保護したといいます。

 

 

ちなみに、伊達家復帰後は亘理城に6000石を与えられていたぞ。


※伊達成実の出奔の一件について補足…屋代勘解由は伊達成実の妻子の籠る角田城を攻め妻子らを自害に追いやったといわれているけど、実はこの時すでに成実の妻子は他界していたとされており、この角田城一件の全容は謎らしい。

 

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おまけ・伊達成実の晩年と最後

 

成実は伊達家に復帰してからは、政宗との関係も良好だったそうです。

 

実子が他界していた成実は、政宗の九男を養子に貰いその子を跡継ぎとしました。

 

そして1646年に79歳で死去。

 

まさに武人!といった熱い男だった伊達成実、晩年は徳川三代目将軍・家光に過去の武勇伝を語ったりもしていたんだとか。

 

平和な時代において、伊達成実は生ける伝説だったに違いない。

 

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