井伊直政は徳川No1最強イケメン!熱い逸話や歴史をゆるりと
生涯 | 1561年~1602年 |
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出身 | 遠江井伊谷(静岡県) |
全盛期 | 近江彦根18万石 |
主君 | 徳川家康 |
有名な親族・家臣 | 井伊直親(父)、井伊直虎(後見人)、井伊直勝(長男)、直孝(次男)、井伊直弼(子孫)、高瀬姫(姉) |
思い出の戦 | 小牧長久手の戦い、北条小田原攻め、関ヶ原の戦い |
井伊直政と言えば | 虎松、イケメン、井伊の赤鬼、井伊の赤備え、徳川四天王 |
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井伊の赤鬼!井伊直政って何者?
井伊直政は若くして徳川四天王にまで登りつめたイケメンエリート武将!
徳川への忠義厚く、戦場ではいつも先陣を切って活躍したイケイケどんどんな武将よ! ↓とにかくイケメンエピソードが知りたい方はコチラ
容姿のカッコよさに定評がある井伊直政ですが、イケイケドンドンな性格もカッコイイ!怖いもの知らずで強気な姿勢が魅力的!・・・
井伊直政が徳川家康と出会うまで
井伊直政は現在の静岡県、遠江の井伊谷という小さな土地で生まれました。
父・井伊直親は直政が幼い頃に亡くなってしまった為、女城主でおなじみ井伊直虎が直政の後見人を務めて井伊家を継ぐこととなりました。
井伊直虎は、
目まぐるしく変わっていく戦国の世・・・、井伊家の行く末を任せられるのは徳川家康様しかおらぬ!
とのことで直政を徳川家に仕えさせることとしました。これが15歳の時、家康の小姓からのスタートであります。
よそからポッと徳川家にやってきた井伊直政は、譜代の家臣達に舐められぬよう人一倍努力し働いてメキメキと頭角を現していきました。
そして井伊直政は、本多忠勝、榊原康政、酒井忠次といった徳川家の重臣たちに並んで徳川四天王に選ばれるまでになるのであります。
徳川四天王とは、簡単に言えば徳川家の有能な家臣トップ4だよ~!
俺が一番この中で若いんだぞ。
徳川家康が井伊直政を気に入っているのはなぜか?
井伊直政は、関ヶ原の戦いの後に石田三成の所領であった近江彦根に18万石を与えられています。
これは何気に、家康の家臣の中で一番の待遇なのです!(その次が本多忠勝で伊勢桑名に15万石。)
家康の家臣は、代々仕えてきた三河武士ばかりで構成されていました。そしてその忠義や結束力もかなりのもの・・・。
かたや井伊直政はさしたる経験もないよそ者の若造でした。
にもかかわらず徳川四天王にまで出世した直政であります。いかに家康に気に入られていたかが分かりますね。
あまり男に興味を示さなかったと言われる家康ですが、美少年であった直政はとても可愛がっていたといいます。
こういったことから、LOVE的な意味でも直政がお気に入りだったように思われますが、家康は直政のことをこのように評価しています。
直政は、普段は口数少なく動じない男だけど、こうと決めればすぐ実行に移す。
ワシの行動が間違っていると思えば、人のいないところで意見してくれるんだ。ワシが主君だからといって遠慮しない。
だから信頼できる。ワシは何事もまず、直政に相談して意見を求めていたんだ。
徳川四天王の中で一番歳も若くキャリアも短い直政ですが、こんなに評価され信頼されていたのであります。
戦働きのイメージが強い井伊直政ですが、それだけじゃなかったんですね~!
関ヶ原の戦いにおいては黒田長政と協力し、小早川秀秋や吉川広家など、西軍の武将たちとコンタクトをとり見事に徳川の味方につけることにも成功しています。
直政は家臣には好かれてなかった?
家康にはとっても好かれていた直政ですが、どうやら自分の家臣にはあまり好かれていなかったようであります。
直政は家臣に対して凄く厳しい人だったらしく、失態をおかしたり違反をおかした家臣は容赦なく処罰していたといいます。
しかもその処罰というのが、普通に斬り捨てちゃうこともあったらしいのでかなり怖い上司であったのは間違いないでしょう・・・。
しかし、ちゃんと結果を残す家臣には惜しみなく褒美を与えるなどしていたので不満ばかり持たれていたわけではないそうです。
普段は口数少ないらしいし、あまり愛嬌のあるタイプではなかったのかな?と思っちゃいますね。
言われてみれば、イケメンとか強いとかのエピソードはあるけど、陽気なエピソードが直政にはあまりない気がします。笑
『井伊の赤備え』に『井伊の赤鬼』の由来とは?
井伊直政といえば真っ赤な甲冑に長い金の飾りのついた兜が有名です。
サイト管理人お気に入りのひこにゃんの靴下。非常に可愛い。
彦根のゆるキャラひこにゃんも、この井伊直政の兜を被っているんですよね!
さておき井伊直政が赤の甲冑を纏うようになったのは、徳川家康が武田信玄の旧領の甲斐・信濃を手に入れたのがきっかけでした。
その時に家康は領地だけでなく、武田氏の旧家臣も多く配下に加えることに成功したのであります。
かつて、武田家には山県昌景(やまがたまさかげ)という武勇に優れた武士がいました。
そしてその山県昌景が率いる軍勢は兜や甲冑などを赤一色で装備しており、戦国最強と言われるほどに屈強な軍団であったと言われています。
家康は、
赤備えの軍隊を徳川家でも作っちゃおう!
とのことで、武田の旧家臣を交えて新たに徳川オリジナルの赤備えの軍隊を作り上げたのであります。
そしてこの赤備えの軍隊の大将に井伊直政が抜擢されました。
この赤備えは1584年の小牧長久手の戦いでデビューを飾り、見た目のインパクトさながら、イケイケどんどんで突っ走る凄まじい戦いっぷりで
井伊の赤備えの部隊がめちゃくちゃ強い!
と一躍有名になりました。そしてそれを率いる直政は『井伊の赤鬼』と呼ばれ、恐れられる存在となったのであります。
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井伊直政の妻は誰?正室、側室、子供について
顔もイケメンで仕事もできて家康からの信頼も厚い井伊直政・・・、そんな井伊直政の妻になった人は誰なのでしょう?
武将の政略結婚が当たり前の時代、こんな高スペック武将の妻になれたなんてかなりのラッキーガールであります!
まず、大本命の正室となったのが徳川家康の養女となった『花』という女性。
この方、なにやら強気な性格だったようで、家臣に厳しい事で知られていた井伊直政も、花さんだけには頭が上がらなかったんだとか。
井伊直政は意外と女の人には弱かった??まぁ、自分の上司(家康)の養女であるというのもあるかもしれないけど・・・。笑
そして直政には正室のほかに1人、『伊具』という側室がいました。
この側室の方については記録があまりないみたいで、詳しい事は不明だそうです。
まぁ、ひとつわかっているのはイケメン直政に嫁げたという幸運の持ち主って事であります。笑
華麗なる一族!とことん徳川家に染まる井伊家
正室の花と側室の伊具(謎)、2人の妻がいた直政は2人の息子と2人の娘がいました。
長女の名前は政子。この時代の女子に自分と同じ名前が入ってるのはなんだか珍しい感じがしますね。
そして長女の政子は、徳川家康の息子に嫁いでいます。
政子の母は徳川家康の養女、血の繋がりはないといえ一応は家康の娘なわけなので・・・、
長女・政子はお母さんの兄弟(義理だけど)に嫁いだということになりますね。
関係図だけ見ると、ちょっと現代では考えられない・・・。井伊家と徳川家の癒着が凄い。笑
ちなみにもう1人の直政の娘さんは伊達政宗の息子に嫁いでます。
徳川に井伊に伊達、戦国のビッグネームばかり・・・まさに華麗なる一族であります!
井伊直政の死因、最後の時は??
強気な姿勢で突っ走るスタンスが男らしくてカッコイイ井伊直政ですが、その血気盛んな性格が仇となり、人生を終えることとなります。
それは関ヶ原の戦いで東軍の勝利が決まった後のこと・・・、
敗北した西軍の武将たちは戦場から撤退していったのですが、その中でも薩摩の島津義弘は凄まじい撤退をしていました。
少ない軍勢で東軍の武将達の中に取り残された島津軍は、死にものぐるいで東軍と戦い突き進んでいったのです。
井伊直政は、逃亡していく島津軍を追撃するのですが、島津軍の放った鉄砲が命中してしまい、その傷がもとで体が弱り2年後に亡くなってしまいました。享年42歳でした。
島津義弘を討てば確かに武功となりますが、
徳川の勝利は確実であり、無理に深追いする相手でもありませんでした。
そこを考えるとこの時の怪我が原因で亡くなってしまったのはなんだか悔やまれることであります・・・。
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