織田信長が評価される理由とは?信長のここが凄い!をご紹介

織田信長…
日本人なら誰しも知っているし、TVなんかの好きな武将ランキングでは必ずと言っていいほど一位にランクインするわよね。
織田信長がここまで人気となった理由とは一体何なのでしょう・・・??
どのような事が評価され、人気の理由となっているのか、見ていきましょう!
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信長は自分勝手!?だけど強いし家臣はついてくる!
織田信長は戦の時、作戦を考えても家臣に相談などしなかったそうです。
なので

よし、出陣するぞ!
皆今すぐ戦の準備をしろ!作戦はこうだ!

ええっ?!
今から?!急すぎぃ!
なんて事があったんだとか。
なんだか凄く大雑把な感じがしますが、信長は戦に関してはとても慎重でしっかりと情報収集し作戦を立てていたそうです。
性格は怖いしワンマンな信長ですが、それでも家臣がついていくのは確かな戦略に信長のキャラ、カリスマ性あってこそでしょう。
織田信長は常に最先端をいく未来的思考の持ち主!
織田信長は常識にとらわれない柔軟な発想の持ち主で、かなり未来的思考な持ち主であったと言われています。
他の大名がやらない、思いつかないような事に積極的にチャレンジする革命的家なのです!
有能&有能を作る!織田信長の雇用スタイルとは?
戦国時代のお給料事情について・・・
家臣のお給料を決める時、その人の家柄や血筋、先祖代々からの家臣であるか…などを考慮して土地や恩賞を与えるのが普通だったのですが、
織田信長はそういったものは関係なしの完全なる実力主義のスタンスで家臣を雇用していました。
代々仕えてきてくれた家臣でも、無能であれば容赦なく領地や財産を取り上げたといいます。
その代わり実力のある者は身分など関係なくどんどん取り立てるし、それに見合った恩賞を与えていました。

織田家家臣団の中で早くに城持ち大名となった私や、羽柴秀吉は中途採用なんだよ。

ワシなんか元百姓だしね。
現代ではインセンティブなどは普通ですが、当時は革命的だったんですね。
やる気、実力のあるものはどんどん出世していったし信長も重用していた、それゆえ織田家家臣のトップに立つ者達は抜群に有能だったのであります。

ワシの家臣であった豊臣秀吉は天下を取った!
前田利家や丹羽長秀、蒲生氏郷なんかも100万石近い石高を領する大大名となっているぞ!
織田信長は兵農分離で強い軍団を作った!
信長が兵の育成にとても力を入れていたというお話…
戦国時代、戦に参加する兵の大半は百姓や農民などの武家とは関係のない人々でした。
百姓や農民の仕事は畑を耕すこと…、畑を耕し米を収穫しなければ大名や武士達も食べていけないし、収入源がなくなると国も弱っていきますよね。
なので農民や百姓は、畑仕事が忙しい時期は戦にでることができませんでした。
こういった事情もあり、

今が攻めどきなのに、農作業が大変な時期だから兵が集まらん…!
なんて事があったわけです。
織田信長はこの問題を解決する為に兵農分離という政策をとりました。
兵農分離を簡単に説明すると、

戦するやつは戦だけする!
農業するやつは農業だけする!
というふうに完全に役割分担をするということです。
これには大きく2つの利点がありました。
信長は自分の思うタイミングでスピーディに兵を出せるようになった
農業に割いていた時間を戦闘訓練に使えるので、戦力の高い兵が出来上がった
当時としては斬新なこの政策で、信長はどこよりも強い軍隊を作り上げてきたのであります。
農民からとりたてた兵は忠義心も薄いものですが、信長は兵としてとりたてた者を城下町に住まわせお給料もしっかりと与えていました。

生活面、金銭面のフォローばっちり!
やっぱ働くならちゃんと手当つけてくれる所がいいっしょ!
さらに、より戦いが有利になるよう武器にも工夫をこなしていました。

通常より長い槍にすれば敵より早くこっちの刃が届く!
ごく単純だけどコレはいいぞー!
信長はこんな事を思いつき、すぐさま兵に長い槍を装備させました。
単純ですが効果は抜群です。
信長は常に最先端をいくアイディア武将だったのであります。
織田信長、観光業でお金を稼いでいた!
信長のお城でもっとも有名なものと言えば、おそらく安土城!
この安土城は今の滋賀県に建てられていたお城で1579年に完成しています。
地下1階から地上6階建て、天守の高さだけでも32mもあったと言われています。
安土城は今まで誰も作ったことのない豪華絢爛なお城で、海外からやってきた宣教師も

素晴らしい!めっちゃ豪華!!
安土城のデザインや煌びやかさはヨーロッパで1番素晴らしい城にもひけをとらない!
と記録に残しています。
そして信長はこの豪華絢爛日本一の安土城で、当時としては非常に面白い事をしていました。
それは、安土城を一般公開し、お客から拝観料を貰って信長自ら城内を案内するという事です。
まさに、現代と同じ城を見るシステムであります。
戦国時代でこの発想はかなり未来的…!
そして多分、安土城が出来たのが嬉しくて見せびらかしたい気持ちもあったと思います。笑

ちなみにこの安土城、本能寺の変の時に焼失しちゃってるんだよね。
火災の原因は不明だってよ。

ドキッ☆
織田信長は楽市楽座で商売も上手くやる!
信長が凄いのは戦だけではありません。
兵農分離の他、信長の政策で有名なのが楽市楽座であります。
楽市楽座、日本人なら学校で習うので聞いたことがあるはず!
信長はこの政策で安土の城下町を豊かに発展させました。
そもそも楽市楽座とは何かというと…、
当時、商人たちの間には『座』という組合みたいなものがあって、この組合の人達が市場を取りし仕切っていたので商人たちは自由に商売ができませんでした。
信長はこの『座』をなくして、皆が自由にやりたいように商売ができる場を作ったのです。
しかも信長は市場で徴集していた税金も廃止したので、皆大喜び!
この政策のおかげで『自由に商売できる場所があるぞ!』と噂が広がってゆき、よそからも人が集まってますます街は豊かになっていったとのことです。

戦の話が多くて怖いイメージがあるワシだが、こうした民の為の政治にも力を入れていたのだ。
織田信長の凄いところまとめ
常識にとらわれない未来的思考の持ち主。
有無を言わさせない強引さが目立つが、人を従えさせるカリスマ性があった。
かなり頭がキレる。数々のアイディアで物事を有利に運べた。
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